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zoom RSS 老いるということ。―「しわ Arrugas / Wrinkles」…追記完了。

<<   作成日時 : 2015/08/05 23:40   >>

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2011年、スペインの漫画家パコ・ロカは、あまり漫画の題材にはならない“老い”と“死”、さらにはその間に挟まる難関とでも言えそうな“認知症”を真っ向から描く、漫画作品「皺 Arrugas」を上梓しました。この作品は、家族に見捨てられた挙句養護老人施設に放り込まれた老人達の生態を、認知症の疑いでここに連れてこられたエミリオと、施設内で彼の世話を焼くことになるルームメイトのミゲルの関係を通じてつぶさに見つめるものです。

全体にユーモラスな表現が散りばめられていたり、老人達の主な仕事である“過去の回想”シーンをノスタルジックに描写する美しさは胸を打つとしても、施設内での老人達の境遇はやはりリアルで正視出来ない部分もありますね。実は昔、祖父母がこのような施設に入所したことがあり、似たような場面を私も目撃していたので、余計に辛さが増したのでしょう。実際、高齢者の数は増える一方なのに、特に先進国の出産率は低下するばかり。結果として、老人を収容する施設も、そこで働く職員も常に欠乏する状態が慢性化しています。老人達にとっては、住み慣れた家から離され、ケアが行き届かないこんな場所に置いてけぼりにされて家畜のように扱われるなんて、ミゲルの台詞じゃありませんけどやはり嫌でしょうよ。…アルツハイマーが進行し、映画にも登場するモデストのように、最後は今現在を認識することが全く出来なくなった祖母も、何かの拍子にふと「家に帰りたい」と漏らしていました。

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日本でも出版と共に反響を呼んだこの「皺」は、第15回文化庁メディア芸術祭漫画部門で最優秀賞を授与されました。これを、原作のイメージを損ねることなく、映画向きによりダイナミックに解釈し直して長編アニメーションに仕立てたのが、ジブリ作品に多大な影響を受けたと広言する若きクリエイター、イグナシオ・フェレーラです。フェレーラ監督は、パコ・ロカらと共に脚色も手がけ、第29回ゴヤ賞(スペインのオスカー)で、最優秀アニメーション賞と最優秀脚本賞も獲得しました。

エミリオはかつて、地方銀行の支店長を勤めた経験のある、生真面目で律儀で細かいところまできっちりしていないと気が済まない几帳面な男。まあ、えてしてそういう人が認知症を患ったりするものです。妻に先立たれて一人息子の家族の介護を受けるも、その息子とうまく意思の疎通ができないために、介護施設へ厄介払いされます。そこには、いまだにアルゼンチン訛りが消えないという、抜け目なく立ち回る世慣れたミゲル、元はDJだったのに、今は他人の言った言葉を鸚鵡返しに繰り返すばかりの老人、唯一面会に来てくれる小生意気な孫1人のために、食事に出されるお茶や砂糖、バターなどを懸命に溜め込むアントニア、自分は健康なのに、アルツハイマーの夫モデストの世話を続けるために一緒に施設に入所した、献身的なドローレスなど、これまでに歩んできた道のりも生活環境も全く異なる個性的な面々がおりました。

エミリオは、認知症が引き起こす幻覚に悩まされながらも、子供の頃のこと、亡き妻のことなど、これまでの己の人生を訥々と振り返ります。そして、これまでに全く知り合う機会のなかったような人種の彼らと交流するうち、自分の中で何かが少しづつ変わっていくことを認識します。しかしその一方で、否応無く進行する自身の病気の現実を思い知らされもします。施設内でも、小金を持った老人から容赦なく小銭を騙し取るほどの老獪な男ミゲルは、それまでの自身の人生については口を固く閉ざすものの、性格が正反対で世間ズレしていないエミリオを大いに気に入りました。病気のために次第に混乱と衰弱と焦燥の度合いを深めてゆく彼を、ミゲルだけは茶化して“ロックフェラー”と呼びつつ、何くれとなく支えてやります。こうして2人は施設の中で奇妙な友情を育み、血のつながった家族よりも余程強い絆で結ばれていったのですね。

実は施設の中には“開かずの間”ならぬ、一旦入り込んだら二度と出てこられないという魔の“2階”が存在しています。エミリオやミゲルたちのような、比較的症状の軽い老人達が暮らしているのは施設の1階部分。ミゲルはエミリオに、2階にだけは間違っても覗きに行ったりなどしてはいけないと、釘を刺していました。なぜなら、2階フロアには、アルツハイマーが進行し、完全介護が必要になった重症の老人ばかりが収容されているからです。いずれ自分達も痴呆になり、過去も未来も現在も混濁し、自分が何者なのか、その自我の輪郭も次第にぼやけて分からなくなれば、2階に連れて行かれ、“看護”の名の下に今度こそ本当にモノ同然の扱いを受けます。2階の、いわば発狂した人々が織り成す喧騒は、自分達の未来の姿。今からそれを目の当たりにして絶望する必要もなかろう、というわけです。ところがエミリオは、ある日偶然、アルツハイマーのモデストと同じ薬を処方されていることを知ってうろたえ、恐怖心に打ち勝てずに2階に上がってしまいます。そこで彼が見た世界は、ミゲルが語ったように正気の沙汰ではありませんでした。モデストも既に2階に送られてしまった。いずれ自分も、人間ではなく、ただ単にぼんやり座っているだけの“モノ”に成り果てるのだ。この絶望は、エミリオのアルツハイマーの症状を一層進行させてしまいました。

仕事人間だったエミリオは、いつの間にか家族と疎遠になり、自分が孤独に陥っていたことに、施設に入ってから気づかされました。ミゲルもミゲルで、“人生なんてつまらんものだ”という口癖が象徴するように、かつての人生は孤独を囲つ厳しいものだったことが伺えます。つまり彼らは、“孤独”を共有することで友情を培い、お互いがお互いの人生や人柄に影響を受けて、それぞれに内面を変化させていったのですね。しかし、老いや死に対する考え方の根本的な相違は如何ともし難く、それが原因で時にぶつかり合ったりもしました。ある冬の日、エミリオは一向に使用させてもらえない飾り物の施設のプールに、思い詰めた表情で飛び込みます。ミゲルも慌てて彼の後を追いましたが、コート姿のままプールに飛び込んだミゲルを尻目に、エミリオは涼しい顔で優雅にクロール。結局2人はパンツ一丁で一緒にプールの水に浮かぶことに。一匹狼だったミゲルはこのとき初めて、彼もまたエミリオという存在によって、生きる理由と希望を与えられ、支えられていたことに気づいたのです。

しかし、エミリオのアルツハイマーはどんどん進行し、彼が2階に送られる日も近くなりました。ミゲルは、エミリオのわがままや短気に根気良く付き合いながら、彼にもう一度“生きる自由”を思い出してもらおうと、今までこつこつ溜め込んできた有り金全てをはたいて大博打に出ます。それは施設全体を巻き込んだとんでもない事態を招き、結局エミリオの症状を決定づけてしまっただけでした。ミゲルは、エミリオとの友情の日々をを改めて振り返り、何が己にとって最も大切なものなのか、何度も何度も自問します。そして、自身のこれまでの人生にも決着をつけるべく、最後の決断を下しました…。

私たちは何故老いを恐れ、死を恐れるのか。最終的には、私たちは葛藤の末にそれらを受け入れ、達観した境地にたどり着くというのに、どうして老いや死に対し、みっともなく抵抗しようとするのでしょうか。

私は今まで、その理由を明確に説明することはできないと思っていました。この恐怖は非常に漠然としており、おそらく私達の本能に根を張るものでしょうから。

ところが、アルゼンチン出身、新進気鋭のアニメーション作家・監督イグナシオ・フェレーラスが、“老い”に真っ向から取り組んだアニメーション映画「しわ Arrugas」を観た時、老い衰えることへの私たちの恐怖の源泉が明瞭な輪郭を持ったような気がしたのですよ。

人は皆死を目前に控えてはじめて、己の歩んできた道のりを脚色することなく振り返ります。そして多くの人は、大なり小なり後悔の念とともに人生を振り返ることになります。がんばって長い人生を全うしようとしているのに、そんな自分自身に対して“ご苦労さん”と労うことができる人は、ごくわずかでしょうね。大抵の人は、ただただ“ああすれば良かった”“こんなはずじゃなかったのに”と、人生への愚痴や不平不満が先走ってしまいがちです。

死を前にして、人は否応なく自分の人生の真価を自問自答します。つまり、その焦りこそが、老いや死に対する恐れの原因になっているのです。「しわ」に登場する老人達は、なすすべもなく死んでいく肉体を抱え、己の人生に前向きな意義を見出そうと様々な方法で“老衰”に対処しています。いっそ寂しい現実から目を背け、自分だけの妄想の世界に引きこもってしまうか。生き残るため、綺麗ごとを捨ててドライに立ち回るか。この物語の真の主人公は、アルツハイマーになった自分を受け入れられないまま、病に侵されていくエミリオではありません。彼という存在によって否応なく己の人生を振り返り、その決着をつけるために何をすべきか自問自答するミゲルの方だといえるでしょう。最後にミゲルが見出した“解答”は結局のところ、善く生きるため、老いも若きも関係なく全ての人間が日頃から心がけねばならない真理だと思います。

そう考えると、この謎の多いミゲルというキャラクターの人物像には、おおいに興味をそそられますよね。彼の履歴は映画内でも一切触れられません。ただ、管理の目の厳しい施設の中にいながら、カネさえもらえば外にいる仲間(おそらく犯罪まがいのことにも手を出していそうな)を通じて、様々なものを調達する術に長けていること、その言動の端々に、いわゆる一般的な意味での社会や世間を信用出来ない境遇にいたことが伺えます。アルゼンチンに生まれたがすぐスペインに渡ってきて以来、彼はおそらく誰も頼る者のいない世界で、たった一人で生きてきたのでしょう。身寄りもないので、老いてからはこの施設に厄介になっている、と。
ミゲルは当初、ことあるごとに“人生なんぞくだらん。身を粉にして働いても、老いさらばえればこんな牢獄のような場所に放り込まれ、痴呆になっておしまいだ”とシニカルな言葉を吐きます。確かにそれは一理ある。きれいごとを捨てれば、結局は施設にいる者は皆、血を分けた家族から厄介者扱いされているわけだから。エミリオも、このミゲルの遁世的な台詞に心の中では反発しながらも、運命には抗えず痴呆になってしまいます。ミゲルの指摘するところの最悪の幕引き。おそらくミゲルは、いわゆる痴呆状態を、自分の魂もアイデンティティも失ってただの“モノ”になってしまうことだと認識しているのだと思います。それは、私たちが普段、無理に意識の外に追い出そうとしている死への恐怖よりも更に恐ろしい、“生ける屍”となることへの例えようのない恐怖なのです。
ミゲルは、老人の管理を楽にするために、施設が無理やり自分達を薬漬けにしていると固く信じてもいます。その真偽のほどは私には分かりませんが、これも老いることへの本能的な恐怖に拍車をかけていることは確かですね。だからこそミゲルは施設の中の誰も信用しない。利用価値のある連中はおおいに利用するけれども。そうやってタフに生きてきたミゲルは、しかし、頑固で不器用なお人好しのエミリオとの交流によって、その信念の基礎になっている部分を揺さぶられることになります。

“どんなに老いてみすぼらしく、愚かになろうとも、正しく生き続けることにこそ、生きる意味を見出すべきだ。たとえ思い通りに身体が動かなくなったとしても、言葉や知識や過去の記憶が、手のひらから零れ落ちる水のように消えて無くなっても、それを嘆いて自ら死を選ぶのは最大の間違いだ”

人は何のために産まれ、生きるのか。人生でより大きな成果を挙げるため?厳しい社会で生き残っていくため?では、それだけのためにあなたは生きられるのか。たった1人ぼっちで、“正しく生きる”ことが出来るのか?それが不可能だというなら、なぜ人は尚も生きようとするのか。エミリオを失ったミゲルが繰り返し自らに問うのは、結局“何のために自分は生きるのか”ということでした。
人間は社会性を持つ生き物であるために、1人きりで生きることは、基本的にできないのだそうです。ミゲルもまた、これまでたった1人でタフに世間を渡ってきたつもりでいたのでしょうが、それは彼の単なる思い違いであります。友人の存在を心の支えとしていたのは、むしろミゲルの方であったのですね。人は1人で生きるものにあらず、誰かのために生きる生き物なのだと。…その“誰か”は、家族であっても友人であっても構いません。自分以外の大切な存在のために我が身を犠牲にするのも厭わないことは、美辞麗句ではなく、本当の意味で私たちが生きるために渇望するものかもしれません。

実は、作品を観たのはだいぶ前だったのですが、観終えた後の重い余韻からいまだ覚醒できないでいます。簡単に結論が出るテーマではありませんが、老いや死について深く考えたり議論したりすることはむしろ、善く生きることに直結するのは確かでしょうね。人の一生は結局、ぐるりと大きな円弧を描いて、スタート地点に戻ってくるものなのです。どこにも角が立たない、柔らかな円は、途中どんなに深い霧が立ちこめようとも、最後には必ず懐かしい出発点を見出します。モデストも、エミリオも、そしてミゲルもきっといつか、過去の記憶を行きつ戻りつしながら平和だった赤ちゃん時代に帰り、甘やかなおっぱいの香りと母親の抱っこの柔らかさに迎えられるのでしょう。

この作品は、ジブリの尽力によって日本でも劇場公開されることになりました。手書きのイラストを動かすアニメーションならではの素朴な味わいや、セピア色を基調にしたノスタルジックな色使いが、幼い娘や少年ではなく、老人を主人公にしたこの物語によくマッチしていましたが、なるほど、確かにジブリ作品の影響をそこかしこに見出せる映像でもありましたね。個人的には、建物をゆっくりと見下ろしていく視点が、やがて街全体を見つめ、その中で暮らす人々の様々な表情を映し出し、最後にミゲルの残した“置き土産”が思わぬ幸運をつかむ様子を捉えて、この重い物語に淡い希望の余韻を付加する一連の演出の流れに感銘を受けました。アニメーション特有ののっぺりした平面世界を飛び出し、奥深い空間を常に三次元的に捉える工夫には、むしろ実写映画のようなリアリズムと迫力を感じたものです。

脚本は、原作からは少し変更を加えられた部分もありますが、過去の記憶と現実世界を常に行き来する老人独特の次元をまたがる認識世界が、妄想と現実が曖昧に結びついたアニメーションならではの表現方法で見事に映像化されておりました。エミリオとミゲル、アントニアといったメイン・キャラクター達の性格付けと描き分けのバランスも絶妙。大勢の老人達それぞれが抱えている人生の光と影を丁寧に拾い集め、散漫にならずに綴れ織る脚本の展開には感心させられます。彼らを待ち構える厳しい現実を、過度に悲惨にならず、ドライなユーモアで描ききった大人向けのファンタジー作品だともいえそうですね。

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現在エジンバラを拠点に、シルヴァン・ショメ監督の「イリュージョニスト」にアニメーターとして参加したり、短編アニメ作品を制作したり、ワークショップで生徒達を指導したり…とフル回転で活動する、新鋭フェレーラス監督。彼の次回作が楽しみで仕方ありません。

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