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zoom RSS きっと私は明日も歌う。―「Wasp」(short film)

<<   作成日時 : 2013/06/01 23:26   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

“私の母は、このショートフィルムの主人公ゾーイのように、ごく若い頃に4人もの子供を抱えたシングルマザーになったの。ええ、この作品は間違いなく、私の子供時代における実母と私たち子供との関係を投影したものよ。私自身もこの作品の長女のように、妹や弟たちの母親代わりになって、彼らの面倒をずっとみていたわ。お陰様で私は随分と鍛えられた。この作品の舞台のような何もない、寂れた田舎町で最低の暮らしに耐えたことが、私にとてつもないタフネスを与えてくれたの。だからこそ私はこの作品で、そんな悲惨な場所でも希望に満ちた生き方ができると証明したかったのよ。”―アンドレア・アーノルドのインタビューから抜粋


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「Wasp」(2003年)
監督&脚本:アンドレア・アーノルド Andrea Arnold
製作:Caroline Cooper他。
撮影:Robbie Ryan
編集:Nicolas Chaudeurge
出演:ナタリー・プレス(ゾーイ)
ダニー・ダイアー(デイブ)他。

2004年度アカデミー賞 最優秀短編映画賞受賞。

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アンドレア・アーノルド Andrea Arnold

1961年4月5日生まれ
英国ケント州ダートフォード出身

●フィルモグラフィー

2011年『Wuthering Heights』監督&脚色
2009年「フィッシュ・タンク Fish Tank」監督&脚本
2008年「Cinema16: World Short Films」 (video short)
2006年「Cinema16: European Short Films」 (video short) (segment: Wasp) 短編『Wasp』の一部映像
2006年『Red Road』
2003年『Coming Up』(TV シリーズ) “Bed Bugs”
2003年『Wasp』 (短編)監督&脚本
2001年『Dog』(短編)監督&脚本
1998年『Milk』(短編)監督&脚本

元は、英国のテレビ・シリーズに出演していた女優さんでした。80年代後半から製作側にまわるようになり、自身の脚本で短編映画を製作し始めます。そのうちの一つ『Wasp』(2003年)が、アカデミー賞実写短編映画部門で最優秀賞を獲得し、女流映画監督として一躍脚光を浴びるようになったわけですね。その後劇場用長編映画を撮るようになり、後に「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」や「シェイム -SHAME-」でブレイクすることになるマイケル・ファスベンダーを起用して製作した「フィッシュ・タンク Fish Tank」(兼脚本、2009年)でも、世界各国の映画祭で高い評価を受けました。

この『Wasp』は、アーノルド監督が映画作家として飛躍するきっかけとなった重要な作品です。


アーノルド監督初の長編「フィッシュ・タンク」を観たときに感じたエモーションの雛形が、ショートフィルム「Wasp」にはあります。Vimeoに挙げられている本編をご覧になれば、社会の底辺で生きざるをえない女性たちの境遇の厳しさ、しかしそれでもめげずに貪欲に生きようとするマグマのごとき情熱の奔流の一端がわかるはず。
それは理屈ではなく本能そのものです。女性は自分の腹の中から血を流しつつ赤ん坊を産みますが、それゆえ男親よりも子供との繋がりが濃く、子供に対しては、むしろ動物的本能に根ざした感情を発揮しやすいと思いますね。子供が外部から攻撃されれれば、その敵に即座に牙を剥く衝動に走りやすいのも女親。
またその反面、子供との血の繋がりに依存したエゴイスティックな行動にも出がち。これは、私自身の経験からして大いに反省すべき女親特有の我侭ですな。こんな風に、大変に矛盾した両極端の感情と行動を、女は常に子供に注いでいます。子供を敵から守るという根本的な母性本能と、子供は自分が腹を痛めて産んだのだから、子供たちに多少の無理を言っても許されるという傲慢と。

この作品の主人公である若い母親ゾーイは、幼い子供を4人も抱え、末っ子がまだ赤ん坊であるためか外に働きに出ることもできず、鬱屈とした毎日を過ごしています。もちろん家に金なんぞあるわけがない。家にあるのはカビの生えたパンの切れ端に、クッキーを食べた後の粉だけ。お腹をすかせた子供たちに、文字通り食べさせるものもない危機的状況にもかかわらず、その現実から目を背けたい一心で、彼女はボーイフレンド、デイブからのデートの誘いにのってしまいます。もちろんベビーシッターを雇う余裕はなく、小さな町に一軒しかない酒場でのデートに、彼女は4人の子供を引き連れて向かうわけです。末っ子の面倒を長女に任せ、袋菓子1つと1杯のコーラを与えて子供たちを酒場の外で待たせておいて、自分はボーイフレンドとデートするわけです。

まあ、ここで、良識という奴を引っ張り出してみると、そのボーイフレンドとやらに今現在の自分の苦境を知ってもらい、少しだけでも助けてもらう…という選択肢はないのか?と主人公に問い質したくなります。しかし、そういう行動をとることができる人間ならば、おそらく彼女は劇中に描かれるような最悪の状況には、そもそも陥っていないでしょうね。恋人には自分の綺麗なところだけを見せたいという、彼女ぐらいの年齢の女性なら誰でも持っているささやかな見栄に負けてしまう。そこに彼女の弱さと認識の甘さがあるのでしょう。結局、子供たちは店の外に放り出され、ろくに食べ物ももらえずに夜まで放置されることになりました。お腹はぺこぺこ、外はもう夜、家に帰りたい、けれど頼みの母親は恋人と車中で懇ろに。ここで末っ子に大変な事態が起き、ゾーイはようやく母親としての本能―子供を守らねばならない―を思い出すのです。

…ではゾーイは、子供たちに愛情を持っていないのでしょうか?そうではないと思いますよ。彼女は自分の子供のために、仲の悪い隣人と取っ組み合いの喧嘩までしていますし、子供の危機にはいち早く反応していますから。でも日常生活の中では、自分のことだけで手一杯で子供の世話にまで意識が働かない。子供たちの父親に当たる人物が見当たらないことから分かるように、自分自身の人生を闇雲に追いかけることで精一杯の女性なのです。エゴイストといえば、まあ彼女はエゴイストだということになるでしょう。まっこと、母親としてのゾーイの行動は矛盾しています。

あえて今この作品に触れようと思ったのは、現在日本でも出産を巡って多くの事柄が議論されているため。様々な立場の方々が、出産と子育てについて意見を出しておられます。出生率が低下の一途を辿っている今、早急に解決策を見出さなければいけない問題ですから、議論されることは必要です。ただ、今現在子育て真っ最中である人たちの置かれた現状と要求、それを満たし、子育て世代を支える立場の人たちの彼らへの理解は、いつまでたっても平行線を保ったまま。双方の意見が全く噛み合っていない有様です。
そういう現象にこそ、子育て問題のみならず、今の日本社会全体の最大の病根があると思ってしまいますね。女性性を踏みにじるような“女性手帳”なるものを女に持たせればいいのだとか、女に若いうちに子供を生むよう強制すればいいのだとか、女に家にいて子供の面倒をみさせればいいのだとか、一方的で高圧的な論調が正義であるかのように幅を利かせるのも、子育て世代が本当に必要としていることが理解されていないためでしょう。

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この作品を観て、万が一にも、“社会的弱者(あえてこの言葉を使います)や子育て出来る余裕の無い人間(経済的にも精神面でも)が子供を持つこと”に嫌悪感を抱いたり、そんな人たちに説教したくなったら、冒頭に引用させていただいたアーノルド監督自身の言葉を読んであげてください。子供は親を選べない…まっこと仰るとおり。親は子供の人生に対して大きな責任がある…その通りです。子供を持つからには、それ相応の覚悟が親の方にこそ必要だと思います。では、子供をちゃんと育てられないなら、親になるべきではない…そうでしょうか?“親はなくとも子は育つ”ということわざもあります。子供が生まれてくることを止めることは出来ません。子供の誕生は自然の摂理です。それを人工的にコントロールすることなんぞ、本来不可能なんです。それが証拠に、地球全体で数えれば、現在驚異的なスピードで人口が増加しており、近い将来には世界的規模で深刻な食糧不足が発生すると国連が警告しているほどです。

社会のひずみが大きくなればなるほど、劣悪な生活環境に置かれる子供たちや、社会の最下層の人々を切り捨てていく方向に、社会全体が舵を切っていきます。この作品のラスト、ゾーイの子供たちはデイブの車に乗せられて一緒に帰路につきますが、この後、彼らの運命はどうなるのでしょう。ゾーイはまたもや恋人に逃げられることになるかもしれません。そして、彼女の子供たちもまた、社会の中の底辺でくすぶるような暮らしに耐えねばならないかもしれません。しかしそうであっても、彼女と子供たちは、やはり流行のポップソングを歌いながら、厳しい現実をたくましく生き抜いていくのではないでしょうかね。上手く説明できませんが、それが人間の…というより女という生き物の持つ、本能だからです。

若き母親を演じたナタリー・プレスは、社会の下層部であがいている幸薄い女にぴったりのイメージで、大変印象に残る演技でした。エゴイスティックで幼稚で愚かなれど、母親としての本能に忠実で、子供たちに対しては、不器用な方法でしか愛情を示せない女性を好演していたと思います。近所の子供にいじめられた娘のため、裸足で外に飛び出していじめっ子の親に殴り込みをかける(笑)作品冒頭から、アーノルド監督自身のキャラクターも投影された、多少のことではへこたれないタフな一面も垣間見せていましたね。強さと弱さをめまぐるしく露にする女性性の複雑さを体現し、ゾーイに憎めない魅力を付加していたのではないでしょうか。
監督のアルターエゴであろうと思われる長女を演じた子役の演技もリアルでしたね。頼りにならない母親に代わり、自分よりさらに幼い妹、弟のためしっかりせざるを得ない、早く大人にならざるを得ない子供の悲劇を、その真一文字に引き結んだ口元や、うつむき加減の表情に影が落ちる様子などで本当に上手く表現していました。ゾーイという、一見すると共感しづらいキャラクターに深みと客観性を持たせ得たのは、この長女の演技に負うところも大きいのではないかと推測します。
ショーン・ビーン好きの方なら、例の(怒笑)B級必殺仕事人系アクション映画「必殺処刑人」のことを、記憶の片隅に留めて置かれているかもしれません。当館では、もはや感想記事を書くことすら放棄したアレな作品でしたが(青筋)、この作品でショーンの次のビリングで登場していた、残念なイチロー選手のようなルックスのダニー・ダイアーが、「Wasp」ではゾーイの新しいチャラ系のボーイフレンドを演じていました。似合いますね、こういう田舎町でクルマを乗り回してそうな、人のよさそうな兄ちゃん役が。

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アーノルド監督独特の、常に空気中に埃が舞っていそうな輪郭のぼやけた映像は、この後に続く「フィッシュ・タンク」で完成形をみます。空中の塵に太陽の光が反射して、子供たちやゾーイ、あるいは「フィッシュ・タンク」のミアといった、悲惨でタフでか弱い女性たちの表情の輪郭にぼんやりした光輪を与え、“清潔さ”からは遠いところにあるものの、思いがけない美の存在をそこに暗示しています。

人物の表情に肉薄した手持ちカメラのブレ、彼女たちの置かれた境遇を物語る、狭いアパートの中の荒れ様、後に赤ん坊を襲う悲劇を示唆するような、窓から侵入するハチ、狭苦しい部屋、転びそうな急な階段、そして行き場のない子供たち。全てがリアル。作品全体を、狭い空間の息苦しさ、“底辺”を否がおうにも連想させる圧迫感、先の見通しの立たない薄暗さといったものが覆っているように思います。しかしながら、エンドマークが出た後の作品の余韻はむしろドライで、からっとした爽快なもの。作品が描こうとする対象は悲惨な境遇にありますが、作品そのものには必要以上にじめじめした印象はありません。おそらくこの辺りのアンビバレントな魅力というのが、女流監督であるアーノルド監督の真骨頂ではないかと思いますよ。

最小限の台詞、やりすぎない的確な演技、語るよりも雄弁な状況描写によって、登場人物たちが置かれた境遇や、これまでに彼らが遭遇したであろう物語が、瞬時のうちに観る者の脳裏に再生されますね。30分にも満たない短い作品のラストでは、言外に広がる大きな物語が動き始めるのを感じます。この「Wasp」にオスカーが与えられたのは、当然の結果だろうと改めて感じました。


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