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zoom RSS 死が私達を分かつまで―「The End」(short film animated)

<<   作成日時 : 2016/12/31 21:25   >>

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実は数年前にご紹介したモノクロ、台詞なしの短編アニメーション作品“The End”についての記事を再投稿します。これ、すごく良くできた作品でしてね。ぜひご覧になってみてください。


死が私達を分かつまで…

“The End”


「The End」(2005年)
監督:Maxime Leduc, Michael Samreth, Martin Ruyant
音楽:Arnaud Liefooghe
Montage son - mixage:Jean-Baptiste Saint-Pol
Production Supinfocom Valenciennes

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この世界の中のどんなコミュニティにもルールがあり、侵してはならないその境界線を越えた者を罰することで秩序を保っているならば、そう、私のやったことは私の世界では死罪に相当するだろう。だから今、私は法廷に引きずり出され、私の仲間達皆の行動を四六時中見張っているカメラが捉えた私の罪を、陪審員と裁判官と共に見せられる羽目になったのだ。

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私は案山子だ。案山子の仕事といえば、畑の真ん中に突っ立って、穀物を人間どもから横取りしようとする鬱陶しい鳥たちを追っ払うことだ。そこに私達自身の意思は一つもない。だから、私達案山子にとっては、鳥は憎むべき天敵ということになる。
…だが、私は普段から疑問に思っていた。昼も夜も休みなく私たちをこき使って、挙句、作物の収穫が終われば私たちを打ち捨てるのみの人間どもはどうなのか?彼らは私達の同志なのか?私達は彼らの作物を守るために働いているのに、彼らは私達に礼の一つも言ったことがあるか?いやない。それどころか、私達を化け物かなにかのように怖がり、誰も近寄っても来ない。私達はそんな血も涙もない連中のために、奴隷のように奉仕しているに過ぎない。

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ならば、作物を狙ってという下心があるにせよ、まがりなりにも近くまで寄ってきてくれる鳥達の方が、何倍も親しみやすいというものだ。なんにしろ、鳥は私達を怖がってこそすれ、奴隷扱いはしないだろう。私は、私の腕の先にちょこんととまったカササギに気づいた。カササギは随分人懐っこい…いや…案山子懐っこい性格で、私を見てもちっとも怖がらなかった。正しい案山子として、それは致命的な欠陥ではないかとも思えるが、かまうものか。私は、人間どもがいないか辺りを窺い、誰もいないと分かるとカササギを藁の手の上に誘った。彼は私の好意を理解し、喜んで私の手の上に飛び乗ってきた。彼と私はすぐに仲良くなった…。

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節穴だらけの人間どもの目は、私の背信行為を見ていなかったが、案山子仲間たちの目はごまかせなかった。誰にも気づかれずに育んだはずの私とカササギの友情は、結局余すところなく記録されていたのだ。法廷では、私を除く全ての案山子が怒りも露に私を断罪した。藁や鉄や木を使って人間に似せて作られた、…しかし悲しいかな、実際には人間の醜いお化けにしか見えない案山子達が、その藁や鉄や木でできた指を私に突きつける。人間の畑を守り、鳥を追い払うという案山子の本分を忘れ、あろうことかその宿敵と親しくなった私に、嫌悪と怒りを突きつける。彼らにもしも声があったなら、私は耳を劈く怒号にもみくちゃにされていただろう。私は無言の威嚇に追い立てられ、牢屋に放り込まれた。

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牢屋の中では時間の感覚が狂う。どれほど時間が経っただろう。顔に太陽の光が照りつけるのを感じてふと目覚めた私は、牢屋の外が騒がしいことに気づいた。

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鉄格子越しに外を窺うと、私と同じように入牢していた案山子達が、看守に小突かれながら外に引き出されている。囚人達は一列に並ばされ、重い足取りを急き立てられながら歩いていく。どこへ?…その先は見たくなかった。なぜなら、パチパチと火の爆ぜる音が聞こえ、何かが焼焦げる匂いが漂ってきからだ。基本的に藁や木でできている私達案山子にとって、炎は死を意味する。私達を死刑に処するのは実に簡単だ。マッチ1本あれば事足りる。

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私は自分の運命を悟った。畑で一日中突っ立っている私の身体は、カラカラに乾いている。あっという間に燃え落ちてしまうだろう。うつろな目をさらに空っぽにして、ぼんやりと鉄格子のはまった窓を見ていた私は、そこに信じられないものをみとめた。カササギだ!

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私の唯一無二の親友、彼のために私は自分の存在意義すらも投げ打った、その魂の片割れが私に会いに来てくれた。看守に見つかれば叩き殺されてしまうだろうに、危険を冒して彼は私のところにやってきたのか。懐かしさと喜びに震える腕を、私は彼に向かって伸ばした。ところが、彼は以前のように私の手に飛び乗ってはこない。それどころか、私の頭や背中や胸辺りの藁を鋭い嘴で突いてくるのだ。

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一体どうしたのか。驚き、うろたえて、私は執拗に飛び掛ってくる彼を追い払おうとした。皮肉にも、私は案山子本来の使命を牢屋の中で果たすことになった。しかし狭い密室内で、空を飛ぶことの出来る生き物から逃れるのは不可能だ。腕を振って追い払っても、カササギは私の急所を狙って嘴でつつき、藁を引きちぎっていく。それは人間に例えれば、急所近くの肉をペンチで引きちぎられていくようなものだ。私は声を出せないことを呪った。せめて叫ぶことが出来たなら!親友だと信じていた者によって、己の肉体をバラバラに引き裂かれていく苦痛は、身体に加えられる痛み以上に、私の心の柔らかい部分を打ちのめしていく。

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私はもはや抵抗するのを諦めた。カササギは私の身体の藁を嘴で引き抜き、鉄格子の隙間から外へ運び出していく。何度も何度も繰り返し。…そういえばカササギというやつは、目に留まるものを何でもくわえて巣に持ち帰るという、収集癖のある鳥だった。彼は私の身体の藁をどこへ持っていくのだろう。…あの熱の入れようからすると、どこかに自分の巣でもこしらえて、伴侶を迎えるつもりなのかもしれない。私は薄れていく意識の中で、そんなことを考えていた。

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鉄でできた足を不気味にカチャカチャ鳴らしながら、看守が死刑執行を告げに囚人の牢屋までやってきた。ところが、肝心の囚人の姿が消えている。ちょうどその時、藁をくわえた一羽のカササギが窓から飛び立っていった。牢屋の床には、わずかに残った藁のくずが散らばるばかり。


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カササギは運んできた藁を丹念に集め、器用な嘴を左右に動かして何かを熱心に作っていた。やがてそれは完成した。


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…私はいきなり意識を取り戻した。深い水の底から、突然水上に引きずり出されたような感覚。布を巻いた顔に、外のさわやかな空気が触れている。私は死んだのではなかったか。いぶかしく思いながらボタンの目を開けると、見慣れた牢屋の壁ではなく、畑近くの井戸の脇の光景が目に入った。信じられない思いで辺りを見回すと、自分の身体が牢屋の外にあることが分かった。

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…いや待て、ちゃんと首も動くではないか。私はその時はじめて、肩の辺りを嘴でちょんちょんつつかれている感触に気づいた。意識を失う前の、あの親友との不毛な戦いの時とは違い、藁で何かを繕っているような感じだ。

カササギは、自分の習性と知恵を総動員し、実に奇想天外な方法で私を救い出してくれた。私は、死を待つばかりであった牢屋の中で、愛する親友によって一足早く最期を迎え、再び彼によって黄泉の国から引き戻されたのだ。
私は、親友が懸命に復元してくれた自分の身体を動かし、立ち上がった。肩には彼がちょこんと乗っかっている。以前のように。その小さくて丸い目は誇らしげに瞬いている。私は、親愛と感謝と、彼の策略を知らなかったとはいえ、その友情を疑ってしまった詫びを込め、彼に頬を寄せた。そして、胸いっぱいにさわやかな空気を吸い込む。太陽の日差しを顔に浴びながら、私は密かに誓った。

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死が私達を分かつまで、私はこの友と共に生きよう、と。


あちこち調べてみたのですが、このモノクロのショート・アニメ作品を制作したMaxime Leduc, Michael Samreth, Martin Ruyant3名についての詳細情報は分かりませんでした。言語がフランス語なので、フランスかフランス語圏の国出身のクリエイターだと思われます。You Tubeに投稿された動画の持ち主も詳細は不明、Vimeoの方に同じ作品を投稿していた人たちは、おそらくクリエイターとは関係ない方々なので、こちら方面からは捜査は手詰まり。ならばということで、プロダクションの“Supinfocom”を調べました。するとですね、これはフランス北部ノール県のヴァランシエンヌに1988年に設立された、フランスで最初のアニメーション技術(2D、3D、特殊効果技術含む)を教える学校だということが分かりました。

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Supinfocomの公式サイトはこちら。上記画像は、ここで制作されたアニメ作品のプロモーション画像。…いやぁ、ここの作品はちょっと面白そうですねえ。フランスらしく多少毒っ気を孕むものの、アーティスティックでなかなかに独創的です。未来の大クリエイターが、ここから羽ばたいていくやもしれませんね。

「The End」のクリエイターたちも、この学校の卒業生かもしれません。在校中、あるいは卒業制作としてこの作品を作ったのでしょうかね。

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全体的に、ティム・バートンの影響を色濃く受けているであろうことが窺えます。案山子たちのグロテスク一歩手前の造形もそう。

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案山子には案山子の世界があり、厳しい監視の下で独自の掟に従って生きねばならないとする世界観も、なにやらバートン・ワールドを思わせますな。おまけに、案山子の監視社会を成り立たせている、彼らの言動を逐一記録していくカメラが、やはり彼ら同様に様々なガラクタを寄せ集めてできているというアイデアも、どこかの誰かさんみたいに捻くれています(笑)。

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しかし、主人公の案山子が投獄されてからの描写では、あの「裁かるるジャンル」を連想させるような、鉄格子越しに入ってくる光の明るさと、牢獄であることを否応なく思い知らされる重い影の対比が、強い印象を与えます。

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牢獄という閉鎖された空間を内と外から描くカメラワークも、定石どおりとはいえ、映像に奥行きを感じさせるのに効果的だったと思いますよ。

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直接的な描写がなくとも、不気味な影絵のごとき“影”の動きと“音”で、恐ろしいことが繰り広げられていることを観客に知らしめます。

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牢獄内で思いがけない“再会”を果たした友との邂逅が予想外の展開を見せ、映像は緊迫度を増します。視点を2人に近づけ、彼らのやり取りを至近距離で捉えたせいでしょう。

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主人公とともに窓を見上げるこのシーンでは、カメラと彼の絶望的な心境がシンクロし、台詞などなくとも彼の心の内が痛いほど伝わってきますね。牢獄内のシーンは、アニメーションというよりは、むしろ心理描写に長けた実写映画を思わせる重厚さで、私は気に入っています。

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影法師の動きと光と影の対比や、視点を対象から引いたり寄せたりを効果的に繰り返すことでサスペンスを盛り上げる演出と、空間を立体的に捉える技術は確かなだけに、これがアニメーション作品であることを忘れてしまう瞬間も。

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カササギの“愛情”が、案山子を“The End”から救ったその一風変わったアイデアも、この作品を支える映像テクニックがあってこそ引き立つわけでしてね。YouTubeのコメント欄には、無粋な意見をわざわざ書き残している連中もいますが、私は妙に後を引くこの作品の不穏な余韻に魅せられています。しかしなによりこの作品の最大の魅力は、“案山子と鳥の間に芽生えた愛情”という、越え難き壁を乗り越えて生まれた絆の重みだと思いますよ。それがために案山子とカササギは過酷な運命に遭い、それに2人して立ち向かおうとするのですからね。彼らの物語は、むしろこの作品に“The End”マークが出た後から始まるのかもしれません。


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