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zoom RSS 「趣味の問題 Une affaire de gout」―ベルナール・ラップ監督

<<   作成日時 : 2013/02/28 10:57   >>

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“私たちはあらゆるものを共有する…感覚も、感情も、生も、…そして死も。完全なる調和こそ愛であるから。”

ナルキッソスの悪夢譚。

「趣味の問題 Une affaire de goût」(2000年製作)
監督:ベルナール・ラップ
原作:フィリップ・バラン
脚本:ベルナール・ラップ&ジル・トラン
撮影:ジェラール・ド・バティスタ
美術:フランソワ・コメ
衣装:マルティーヌ・ラバン
音楽:ジャン=フィリップ・グード
出演:ジャン=ピエール・ロリ(ニコラ・リヴィエール)
ベルナール・ジロドー(フレデリック・ドゥラモン)
フロランス・トマサン(ベアトリス)
シャルル・ベルリング(ルネ・ルセ、シェフ)
アルチュス・ドゥ・パンゲルン(フラベール)
ジャン=ピエール・レオ(予審判事)

ニコラは顔面蒼白となって、友人たちと共有するアパートメントに戻ってきた。心を完全に閉ざしてしまった彼には、恋人ベアトリスの必死の呼びかけも届かない。一体彼の身になにが起こったのだろうか。彼自身がその重い口を開いたのは、彼が刑務所に収監されてだいぶ時間が経った後のことだった…。


自他共に認める美食家、はたまた成功した実業家、あるいは洗練されたスノッブな趣味人。フレデリックを形容するならこんなところだ。レストランのウェイターとして働き、キオスクを経営する恋人を持つごくごく平凡な一青年ニコラが、本来出会うべき人物ではなかったのだ。だが運命の女神は、ニコラの働くレストランにフレデリックを導き、また、フレデリックが座った席に料理を運ぶウェイターにニコラを選んでしまった。フレデリックはニコラに、たった今サーブされた料理の味見をして説明するよう横柄に命じた。実際、ニコラの日常生活からは遥かに縁遠い未知の食べ物であったのだが、ニコラはどぎまぎしつつも実に正直に、かつ的確に料理の味付けを表現した。みたところ平凡な一般人に過ぎない青年に、複雑な味わいの高級料理を完璧に理解する天賦の才が眠っていたのだ。興奮を隠しきれないフレデリックは、初対面であるにもかかわらず、ニコラに多額の報酬と共にパーソナル・テイスター(フレデリック専属の試食係)の仕事を依頼したのだった。

びっくりするような金額を提示され、ニコラは有頂天になる。恋人のベアトリスは、フレデリックが持ちかけてきた話だけではなく、フレデリックという人物そのものにも胡散臭さと危険性を覚え、ニコラに警告するが聞き入れてはもらえなかった。それからというもの、ニコラは朝から晩までフレデリックに従って行動するようになった。

フレデリックは当初、彼と全く同じ“味覚”をニコラに移植しようと考えた。そのためには、本来食べ物に好き嫌いのなかったニコラを、フレデリックと同じ魚嫌いに仕立て上げる必要がある。フレデリックは料理人に命じて悪趣味な策を弄することまで行った。時にわがままで理不尽な要求を突きつけてくるフレデリックだったが、ニコラはそんな“上司”に文句を言うことなく従順ですらあった。カラカラに乾いたスポンジが瞬時に水を吸収するように、ニコラはフレデリックの施す“教育”を自らのものとしていく。気を良くしたフレデリックは毎日どこへ行くにもニコラを帯同し、料理の味見だけではなく、彼の愛する趣味、また彼が興味を抱くあらゆる事柄を徹底的にニコラに教え込んだ。フレデリックの要求は次第にエスカレートする。フレデリックがニコラに要求した“味見”の中には、会社のビジネスの場に同行し、気に食わないクライアントをフレデリックの代わりに殴ることや、フレデリックがひっかけた女を先に“味見”することまで含まれていたのだ。

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フレデリックは、自分とは違う人格に自分と全く同じ感覚を植えつけ、“自分の分身”を創りだす危険な行為に暗い喜びを見出すようになる。しかしその過程で、フレデリック自身も、知らぬうちに“ニコラ独自の感覚”に浸食されていたもいたのだ。ニコラはニコラで、時にわがままで理不尽な要求を突きつけるフレデリックの横暴さに耐え、フレデリックの“もう1人の自分作り”という遊びに付き合っていた。自分がフレデリックの完璧な“分身”になれば、遠からぬ日にフレデリック本人を乗っ取ってやれると野望を滾らせていたのだ。

ニコラは次第に変わっていった。気心の知れた友人達やベアトリスと一緒に過ごしていても、まるでフレデリックのようにスノッブに振る舞うようになり、これまで彼が属していた世界を嘲笑し、否定した。その一方でフレデリックの方にも変化があった。これまでは常に冷静沈着、事業に関しても冷酷であるほどの冴えをみせていたのに、ニコラと共に過ごすようになってからは、後先のことを考えず一時の激情に駆られることも重なった。自然とフレデリックの経営感覚は鈍り、彼の会社は業績悪化に見舞われるようになった。

お互いに相手の人格に自らを侵食されていることにも気づかず、二人はお互いを引き寄せ合い、魅了し合い、同じ喜び、同じ苦しみや同じ怒り、同じ悲しみを共有するまでになってしまった。つまり彼らは、精神的な一卵性双生児と化していたのである。この危険な心理ゲームは、休暇中にフレデリックたちが赴いた雪山でついに破綻の時を迎えた。


ニコラの引き起こした事件の裁判を担当する予審判事は、裁判に備え、ベアトリスも含むニコラの友人たちや、フレデリックの会社の元社員や友人関係からも証言をとっていた。当事者であるニコラが尋問に耐えられるようになるまで、出来る限りの証言を集めなければならない。その結果浮かび上がってきたのは、フレデリックとニコラの異常な相互依存関係である。フレデリックの元部下の中には、ニコラを称して“フレデリックを堕落させた売女”だと口汚く罵る者までいた。これは極めて特異なケースになる。そう確信した予審判事は、ニコラを救いたいと必死になっているベアトリスに真実を伝える時のことを思い、密かに嘆息した。


ニコラはひょっとしたら、バカンスについ浮かれすぎてしまったのかもしれない。いつの日かフレデリックを支配する時のことを夢見、普段ならもっともっと慎重に行動していたはずなのに、その日に限っては注意力が散漫になっていた。真新しい雪が整備された貸切状態のゲレンデに降り立つと、ニコラは勇んでスキー板を滑らせ始めた。元よりスポーツは大好きなニコラ、好調に滑走する。だが、もう1人の彼であるフレデリックはそうではない。ニコラは、フレデリックのスキー技術が初心者同然であることをうっかり失念したまま、彼にも滑走を促した。このスキー場は最高だ!と。ものの数分もたたぬうち、悲劇は起こった。ニコラの後について滑り始めたフレデリックがバランスを崩して転倒、足を骨折してしまったのだ。ニコラの使命は以前よりも大きくなっている。フレデリックの全感覚をコピーしたその身体で、フレデリックが出遭うかもしれない危険を事前に察知することだ。それができなければ、フレデリックにとってニコラの存在価値はないに等しい。フレデリックの逆鱗に触れたニコラは、慌てて自ら足の骨を折って病院に収容された。

しかしながら、ニコラのやったことは、花瓶を割ってしまったことを咎められたので、その破片を懸命に繋ぎ合わせようとするような愚かで不毛な行為に過ぎない。フレデリックにとってニコラは、長い時間と金をかけて育て上げてきた愛おしい“分身”ではあったが、割れてしまった花瓶はもう元には戻らない。一卵性双生児は、一度の事故で完全に切り離されてしまったのだ。フレデリックは涙ながらに自らの分身に別れを告げた。充分な退職金を与えられたが、今やニコラにとってもフレデリックは彼の分身だ。“もう1人の自分”と切り離されるのは、つまり自分の肉体を切断されることに等しい。そうなれば、これから先、どうやって生きていけばいいかも分からない。ニコラは泣きじゃくってフレデリックに懇願したが、フレデリックはそのままニコラの前から姿を消してしまった。

ニコラは糸の切れた凧のような状態で、それでもなんとかベアトリスと友人たちの元に戻ってきた。そして、そのまま精神病院で治療を受けることになった。他人の人格を無理矢理移植されたニコラ自身の自我は、今や崩壊寸前だったのだ。懸命な治療と、友人やベアトリスのサポートがようやく功を奏し、ニコラは帰宅して日常生活を送れるまでに回復した。フレデリックに操られる以前の気の良い青年に戻ったかに見えたニコラ。しかし、ある日アパートメントの電話の呼び出し音が鳴り、ニコラがためらいつつも受話器をとってしまったがために、今回の悲劇の幕が上がることになったのだ…。


予審判事は、刑務所内で正気を取り戻したニコラと対面した。ここから先のことは、ニコラ自身に話してもらわねばならない。真実を知っているのは、他ならぬニコラだけであるのだから。ニコラはうつろなまなざしのまま、フレデリックとニコラの常軌を逸したゲームの最後の顛末を語り始めた…。

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この作品を貫く感覚は、英国ミステリーの重鎮、ルース・レンデルの作品群(特にノン・シリーズもの)に近しい物を感じます。そのとき“何が起きたか”ということではなく、“なぜそういう結果になったのか”を観客に考えさせることを強いるからですね。純然たる謎解きミステリーとしての面白さなら、ラップ監督の前作「私家版」の方が勝っているでしょう。この「趣味の問題」の醍醐味は、例えればデヴィッド・クローネンバーグ監督の「戦慄の絆」のような心理葛藤劇なのです。

己の持てる感覚全てを、ひいては価値観や思考さえも完全にコピーした人間を作り、その人間に向かって完全なる愛を感じるということは、究極の自己愛の発露でありましょう。つまり、フレデリックとニコラの関係性とは、同性愛的なそれではなく、むしろ徹底して他者の介在を排した自己愛であったと思うのです。そして、一体何がフレデリックをして狂気じみた自己愛に走らせたのかを考えるとき、そこに、キャリアに追われる現代人の底なしの孤独を見出さざるを得ません。他者に向ける関心を持つ暇もないほど、ひたすら自身の深層心理を深く深く掘り進んでいくだけの、閉じたパッション。

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今作のレビューをいくつか読んでみた際に、徹底した美食家、本物の美のみを愛する趣味人のはずのフレデリックが劇中で食べる料理が、あまり美味そうに見えないという意見を見かけました。実はこれは大変興味深い指摘でありまして、確かに今作で登場する料理は、どちらかというとグロテスクなイメージが強いものが多い。フランスといえば美食の王国ですのにね。思うに、今作で取り上げられる、料理も含めたあらゆる“美”というのは、あくまでもフレデリックが信じる美であり、万人が認めるようなそれではないということなのでしょう。フレデリックが美味いと思えばそれは究極の美食となり、フレデリックが美しいと思えばそれは完成された美となる。第三者が同じものを見て異なる感想を抱こうとも、そんなことはハナっから無視されているわけです。今作に於ける“趣味(=審美眼)”とは、まあなんと自己中心的なものなのでしょうね。こんなところにも、フレデリックという人物の抱える果てしない虚空が感じられます。

考えてみれば、そんなブラックホールのごとき孤絶に吸い込まれてしまった普通の人間が、無傷でいられるわけがありません。フレデリックの人格を吸収したニコラはもちろんのこと、ニコラの人格を吸収したフレデリックでさえも、お互いの人格の融合に足元を掬われてしまいました。つまり、フレデリックとニコラが迎えた最後は当然の帰結だったわけですね。2つの自我が反発しあいながらも狂おしく寄り添い、やがて一体化していく様は、ある意味究極の愛の成就であると同時に、底冷えのするような恐怖と砂を噛むが如くの空虚を私たちに与えるでしょう。

今作の心理描写は、派手なこけおどし映像や喧しい音楽に頼るものではなく、登場人物の何気ない仕草や、一見すると正常に見える光景からただよう違和感といった、さりげない映像で統一されています。いわば、薄い皮一枚の上で成り立っている日常生活の下で、とんでもない異常心理が蠢いていることを映像の奥から感じ取るわけです。今作で最もミステリアスであることは、図らずも深層心理の闇に触れた者が、破滅すると分かっていて間違った道を選んでしまう不条理でありましょう。

魅惑的な、しかし極めて危険な年嵩の男に惑わされる青年ニコラには、地味ながら端正な佇まいが美しいジャン=ピエール・ロリが扮しました。フレデリックに振り回される前半の初々しさから、次第にゲームの相手を出し抜こうと狡猾さを見せる後半、そして最悪の悲劇に為す術もなく自滅するラストまで、刻々と移り変わるニコラの心理状態を繊細な演技でみせてくれました。

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しかし、映画全体の心理サスペンスを引き締め、牽引していくのは、むしろニコラの敵役フレデリックを演じたベルナール・ジロドーのカリスマ性でしょう。「私家版」におけるテレンス・スタンプのように、一分の隙もない端正な上流階級の中年紳士ながら、その胸の奥底に狂気じみた情熱と、何不自由ない生活環境に倦み疲れた悲しみ、癒されることのない孤独を抱えた男を体現し、圧巻です。ラップ監督の諸作品がそうであるように、完璧な調律でもって奏でられる美の“調和”を歌いつつ、その目に見えぬひび割れからどす黒い不協和音を垂れ流すアンビバレントを、ジロドーも見事に演じて見せてくれたと思います。
「私家版」のスタンプと比較され、若干ジロドーの演技への評価が低いような気もしますが、1人の人間に巣食う二面性といったものを時に生々しく表現したジロドーは、この複雑怪奇な遊び人フレデリック役にはぴったりの配役でした。

ゲームにおいて主導権を握っていたはずのフレデリックが、徐々にニコラの人格に侵されていく様子、また、素直で初々しかった青年ニコラが、次第にフレデリックの腹黒さに侵食され主従を逆転する様子は、ジャン・ピエール=ロリとベルナール・ジロドーという対照的な個性の俳優の対比によって、より際立ったと思います。

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二人の男達の愛憎の間で翻弄されるベアトリスは、今作の主旋律の禍々しさの中にあって、唯一観客が共感できるオアシスのような存在でした。ボーイッシュで飾り気のないルックス、男性に頼らず自立性に富んだ素敵な女性でしたね。彼女だけが、おそらくフレデリックの中に隠された醜怪な膿を見抜いていたのではないでしょうか。フレデリックに電話で呼び出され、再び魂の抜けた操り人形のように彼の元へ引き寄せられるニコラを制止できなかった彼女が、二つの自我の融合する恐ろしい様子を見なくて済んだのは、せめてもの慰めだったかもしれません。



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フレデリックとニコラって、お互いに全く違う個性をもった人格だけど、きっととてつもなく相性が良かったに違いないね。近しく触れ合ううちに、それぞれに思わぬケミストリーをもたらしたのだと思います。だから危険だと知りつつ、二人ともしてから離れることができなかったわけです。人間関係って本当に不思議なものです。

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