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zoom RSS シネマ歌舞伎「籠釣瓶花街酔醒」…追記しました。合掌。

<<   作成日時 : 2012/12/05 14:43   >>

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歌舞伎界の支柱の一つであった中村勘三郎さんが永眠するという衝撃的なニュースが、今朝方日本中を駆け巡りました。私は歌舞伎の舞台は全くの不勉強で、語るべき言葉を何も持ちあわせません。しかし、消えた巨星へのせめてもの追悼として、シネマ歌舞伎という企画の一環で以前に映画館で体験した歌舞伎の舞台について、少し補足しておきますね。

お題目は「籠釣瓶花街酔醒」。

世に摩訶不思議な事象は多けれど、男女の仲ほど腑に落ちぬこともなし。
この作品は、吉原全盛期に咲いた徒花、絶世の美女花魁と平凡な絹商人の男との間の悲恋を描きます。もしも、二人が出会った時と場所が違っていたら、ひょっとしたら違うストーリーになっていたのかなあとも考えさせられますね。歌舞伎の形式の一つにある、“縁切り狂言”(考えてみたら、これもまた随分と恐ろしい言葉だわ…)のお話だそうです。

坂東玉三郎さんがファム・ファタール、八ツ橋を演じ、身の程知らずな恋に盲目になり、やがては自滅していく哀れな男、佐野次郎左衛門には故中村勘三郎さんが扮しました。歌舞伎界を代表する名役者お二人の共演作品ですね。


・吉原仲之町見染の場
江戸に絹を売りに来た佐野次郎左衛門が下男冶六とともに吉原を見物する。いかにも田舎者のなりの2人は、客引きにあやうく騙されそうになり、茶屋の主人・立花屋長兵衛に「今日は帰りなさい」と諭される。次郎左衛門は、花魁道中の八ツ橋を見かけ、一目ぼれをしてしまう。 花道の付け際で八ツ橋が見せる微笑みと、茫然自失となり座り込む次郎左衛門との対比が見せ場である。

・立花屋店先の場〜大音寺前浪宅の場〜八ツ橋部屋縁切の場
佐野次郎左衛門は、その後八ツ橋のもとに通いつめ、近々身請けをする話がまとまっている。一方、八ツ橋の養父・釣鐘権八が立花屋を訪ね、金の無心を頼むが、あまり度々のことなので断わられてしまう。これを恨んだ権八は、八ツ橋の情夫である浪人・繁山栄之丞の家へ行き、次郎左衛門の身請けの話を伝える。八ツ橋のもとへ来た権八と栄之丞は、次郎左衛門に愛想尽かしをするよう無理強いする。
次郎左衛門は、商売仲間2人を連れて茶屋に遊びに来ている。芸者や幇間らも交えて大勢でにぎやかに酒宴をしているうち、遅れて八ツ橋が顔を出す。八ツ橋は、「身請けをされるのはもともと嫌でありんすから、お断り申します。どうぞこの後わたしのところに遊びに来て下さんすな。」と次郎左衛門に愛想尽かしをし、満座の中で恥をかかせる。八ツ橋は部屋を出ていき、商売仲間らも次郎左衛門を馬鹿にして行ってしまう。残された次郎左衛門は長兵衛と女房に、八ツ橋のことはあきらめる「振られて帰る果報者とはわしらのことでございましょう。」と寂しげに故郷へ帰ってゆく。

・立花屋二階の場
年の暮れ、次郎左衛門が久しぶりに立花屋に顔を見せる。八ツ橋とまた初会となって遊びたいという次郎左衛門を、皆が歓迎する。しかし、八ツ橋と2人になった次郎左衛門は「コレ八ツ橋、よくも先頃次郎左衛門に、おのれは恥をかかせたな。」と「籠釣瓶」を抜き、逃げる八ツ橋を切り殺す。狂気した次郎左衛門は刀を燭台に透かし見て「ハテ籠釣瓶はよく切れるなあ。」と笑う。 ―Wikipediaより抜粋



映画館で「籠釣瓶花街酔醒」を観て、役者さんたちの白熱した演技―特に次郎左衛門を熱演した勘三郎さんと、その下男に扮した実息勘九郎さんの演技は鬼気迫っていました―には圧倒されたのですが、白状すると、不可解に感じる部分もありました。そこで、そんなモヤモヤを解消するためにも、映画後にこのような小説を読んでみました。

江戸情話集 (光文社時代小説文庫)
光文社
2010-07-08
岡本 綺堂

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「江戸情話集」
著:岡本綺堂
「鳥辺山心中」「籠釣瓶」「心中浪華の春雨」「箕輪心中」「両国の秋」の、計5編を収める時代小説集。花の大江戸を舞台に咲いた徒花とでも呼ぶべき、死に至る男女の絶望的な情愛を描いた短編集です。いずれも、自身が旗振り役になった新歌舞伎運動の最中、その歌舞伎用に書かれた戯曲を、小説に仕立て直したものだそうです。それぞれのお話が基になった史実を綺堂がさらにリサーチし、風物やお話の背景、登場人物の心理描写等を詳細に書き加え、舞台とは異なる筋立て、結末になっている作品もあるとか。私には、舞台になったお話とこの小説版とを比較することはできないのですが、情念に焼かれて爛れてしまったような、捩れた愛情の行く末が、一様に死を目指して突き進んでいく哀れと恐怖に打ちのめされる思いを抱きましたね…。愛情に囚われた男女とは、かくも哀しい生き物だったのかと。

実はこの小説を読んではじめて、歌舞伎版「籠釣瓶花街酔醒」で食い足りなかった部分が理解できたような気もしました。

上記したように、「籠釣瓶花街酔醒」をスクリーン上で観たとき、歌舞伎特有の舞台の構成、場面の見せ方、あるいは独特の演出、演技等に戸惑い、複雑に絡み合うはずの劇中の登場人物の心理状態が、もう一つ胸に迫ってこない物足りなさを感じていました。まあもともとのお話が、江戸時代の遊郭吉原で実際に起こった刃傷沙汰“吉原百人斬り”という事件を基にした全8幕20場からなる、長い長〜いお話ですからね(作者は三代目河竹新七)。舞台で実際に演じられるのは、原作の第5、6、8幕の中のさらに一部分だけということですから、人物描写が不足してしまうのも無理はないのかも。
ただ、主人公佐野次郎左衛門が、惚れ抜いた運命の女、八ツ橋に振られてしまってから、数ヵ月後にその同じ女を妖刀で残酷に斬り捨てるまでに至ったその激しい心の移ろいをこそ、劇中でじっくり見せて欲しかったなあと私は思ったんですよね。ど素人の考えながら、「籠釣瓶花街酔醒」で観た幕内には、そんなに長々と見せる必要もなさそうな間延びする場面もあったので、なんだか余計に残念でした。しかし思うにこれは、多分に“映画的”な見方と感想であり、本来の歌舞伎のお芝居を観るお作法ではないと思われます。

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この「籠釣瓶花街酔醒」は、今や歌舞伎の世界でしか見ることのできない、江戸文化爛熟期のごく短い期間にだけ栄えた世界…例えば、桁外れの金額の金が飛び交う吉原の世界や、庶民には窺うこともできない遊郭独特のしきたりや風俗、文化、日常生活においては滅多に出会うことのない、燃えるような恋愛沙汰…といった特殊な世界を、ひととき垣間見せてくれるエンターテイメントとして楽しむべきなのでしょう。その意味では、魔界のごとき遊郭世界に囚われてしまったごく普通の男、次郎左衛門の視座は、そんな世界とは無縁なお芝居を観る観客と同じものであらねばなりません。次郎左衛門が魑魅魍魎跋扈する遊郭に迷い込み、いっとき八ツ橋との甘い夢に勝利したものの、結局現実によってあっけなく夢破れ、破滅していくのは、無意識の大衆の意思によって、あらかじめ決められていた筋書きだったのかもしれませんね。

羽振りのよい商人で、金の使い方も遊び方も粋で気持ちの良い、まっすぐで気の優しい男だった次郎左衛門が、都会(江戸)に出てきた田舎者の純粋さで盲目的に恋してしまった女の不貞に裏切られ、豹変する恐ろしさ。八ツ橋への愛情がねじくれて行き場を失い、やがては彼をして狂気に走らせる恐ろしさの下には、手に入らないものを愛し、それを諦めきれない人間の業が隠れています。弱い生き物である人間を、傷心で自失した次郎左衛門を、実に簡単に凶行に走らせたのは、本来なら商人が持っていてはいけない妖刀“籠釣瓶”だったという恐怖。そんな人間の本質的な哀れまでを、勘三郎さんは充分に観客に伝えてくれたと思います。生の舞台で鑑賞していればまた違った感慨が生まれるのかもしれませんが、スクリーン越しで目撃した勘三郎さんの名演を、まぶたに焼き付けて忘れないようにしようと思ったものです。


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