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zoom RSS 死を見つめよ、さらば生きられん―「50/50 フィフティ・フィフティ」

<<   作成日時 : 2017/04/07 11:41   >>

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“人は死から目を背けているうちは、自己の存在に気を遣えない。死というものを自覚できるかどうかが、自分の可能性を見つめて生きる生き方につながる” ―「存在と時間 Being and Time」(マルティン・ハイデッガー Martin Heidegger著)より


ガンだって?!じゃあ、それをネタにしてナンパしに行こうぜ!

「50/50 フィフティ・フィフティ」(2011年製作)
監督:ジョナサン・レヴィン Jonathan Levine
製作:エヴァン・ゴールドバーグ&セス・ローゲン&ベン・カーリン
製作総指揮:ネイサン・カヘイン&ウィル・ライザー
脚本:ウィル・ライザー Will Reiser
撮影:テリー・ステイシー
プロダクションデザイン:アニー・スピッツ
衣装デザイン:カーラ・ヘットランド
編集:ゼン・ベイカー
音楽:マイケル・ジアッキノ
出演:ジョセフ・ゴードン=レヴィット Joseph Gordon-Levitt (アダム・ラーナー)
セス・ローゲン Seth Rogen (カイル)
アナ・ケンドリック Anna Kendrick (キャサリン)
ブライス・ダラス・ハワード Bryce Dallas Howard (レイチェル)
アンジェリカ・ヒューストン Anjelica Huston (アダムの母、ダイアン・ラーナー)
マット・フルーワー(がん患者ミッチ)
フィリップ・ベイカー・ホール(がん患者アラン)
サージ・ホード(アダムの父、リチャード・ラーナー)他。

酒もタバコも博打もやらず、自炊だってちゃんとしている。家に転がり込んできた売れない画家の彼女だって、ちゃんと面倒をみてやっている。シアトルのローカルなラジオ局で、火山についてのドキュメンタリー番組を制作する仕事は、まあ必ずしもクールじゃないだろうが、仕事に対してはいつだって真面目だ。今手がけている番組だって、絶対に立派に完成させたい。しかもまだ27歳。いたって健康、ルックスだってそんなに悪くない、平凡かもしれないがどこに出ても恥ずかしくない、娘を持つお母さんならきっと我が娘のお婿さんに…と思うに違いない、そんな好青年。アダム・ラーナーという男を表現するなら、そんなところだ。

しかし、てっきり腰痛だと思い込んでいた身体の変調が、よもや珍しいタイプの癌、しかも5年後の生存率が50%しかないといわれる治療の困難な癌であったとは、本人にとっても青天の霹靂だ。思いもしなかった癌宣告を受けた27歳の男が辿った気持ちの変遷は、ざっと驚愕→葛藤→諦念→忍耐というフローチャートで表せる。真っ先に癌告知を知らせた親友カイルなど、まるで彼自身が癌に罹患したかのごときうろたえぶりだ。そう、どんな偉い人間でも普通は、癌などという病のことは遠い世界の出来事ぐらいにしか考えてない。自分も自分の身近にいる人間も、誰もがいつでも癌になる可能性があるというのに。

その日を境に、アダムの周囲の人間は、まるで腫れ物に触るように彼に接するようになった。普段台所に立ったことすらなかった恋人レイチェルまでもが、けなげにも朝食をこしらえ、アダムがこの世で最も苦手とする人間、実母ダイアンに癌告知を知らせた際も自分が看護すると宣言してくれた。しかし、職場の人間同様、レイチェルや両親(アルツハイマー症状が進んでいる実父リチャードは別だが)、病院の勧めで受け始めたセラピー・サポート担当のセラピストまでが、一様に彼の不運を嘆き、可哀想にと同情しながらも、絶望的な病魔に侵された若者を前にどうして良いかわからず、困惑するのだ。そんな彼らの動揺を目の当たりにし、なぜだか申し訳ない気持ちにすらなるアダム。自分の存在のせいで彼らの平穏な日常生活にまで波紋が広がり、しかもそれはいつ収束するかわからない。5年後、自分が生きているか死んでいるかも分からないし、ひょっとしたら明日旅立つことだってありうることだ。はたまた、最期の日は何年も先の話になるかもしれない。その間、抗がん剤による苦しい治療が続く。つまり、アダムの病との闘いには終わりがなく、先の見通しも全く立たないというのが実情なのである。

いつ終わるともしれない病を抱えた人間を看護する生活は、ことさら忍耐を要求される。元々飽きっぽく、浮気性で、アダムを体のいい無料宿泊施設程度にしか考えていなかった節もあるレイチェルは、早くもアダムの側から離れようとし始めている。アダムはそれを無理には止めなかった。寂しいが、余程我慢強い人間で無い限り、癌患者の世話はできないだろう。肉親でもないし。レイチェルにとって、アダムの看護は所詮重荷だったのだ。彼女はそのまま、新しいボーイフレンドとよろしくやっているようだ。しかしアダムは、だからといって母親の元に行こうとはしなかった。我が強く、自分の意見を押し通し、他人の話をさっぱり聞こうとしないダイアンは、昔からアダムの苦手とする人間。できる限り近づきたくなかった。

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こうして癌告知後も、以前と変わらずアダムと付き合ってくれるのは、結局カイル以外にはいなくなってしまった。今のアダムにとって、彼の癌ですらジョークの種にしたり、女の子のナンパに利用したりするカイルの無神経且つちゃらんぽらんな性格こそが、大きな心の慰めになっていたのだ。身勝手なレイチェルが残していった彼女自作の抽象画は、カイルと一緒にバーナーで焼却の刑に処した。

癌治療が始まってから離れていった人間もあれば、新たに知り合った人間もいる。アダムのおじいちゃんぐらいの年齢の癌患者で、アダムと同じ抗がん剤治療を受ける連中…ミッチとアランだ。痛みに耐えるため、ミッチの奥方はハッパ入りの菓子をふるまう。それもまた癌との闘いの一側面だ。それから、治療中のアダムの心のケアを行う新米セラピスト、可愛いキャサリン。彼女は大学の専門コースを終了したばかりで、本物の患者の担当になるのはアダムが初めて。その素人臭いのもはなはだしいセラピーを当初アダムは全く信用していなかったが、時間が経つにつれ、初々しくも懸命にアダムを励まそうとする姿にほだされるようになってしまった。クールに振舞ってはいるが、やはりアダムも人の子、治療が長引くに連れて精神的な疲弊が進むようになったのだ。アダムはカイルを伴い、病室を離れてもミッチとアランと会って交流するようになった。そして、通院中に偶然キャサリンの車に乗せてもらうようになってから、彼女の絶望的な掃除下手と、彼氏に振られたばかりで不安定な精神状態といった、思うに任せないプライベートも窺い、何とはなしに距離を縮めていくのだった。

だが、暗い冬の季節の中の小春日和といった趣の幸せは、長続きはしなかった。癌に蝕まれてはいたが、元気そうに見えたミッチの容態が急変、あっけなく亡くなってしまう。残された相棒アランももちろんアダムも、共に自分自身にも迫りつつある死の影に急に怯えるようになった。死神は、忘れたくとも自分のすぐ隣に居座っている。アダムも、抗がん剤治療が一向に芳しい結果を出さないことに焦りと不安を大きくし、キャサリンやカイルにも当り散らすようになる。カイルに強引に連れだされ、二人して女の子をナンパしたところで、アダムの心は晴れない。アダムは主治医に呼び出され、抗がん剤治療の経過観察が悪いことから、外科手術によって癌細胞を取り除くことを勧められる。アダムは手術の同意を得るために、嫌々母親ダイアンと同席したが、彼女は相変わらず自分の意見を押し通すことしかせず、自分に相談もなく病院を選んだ息子を暗に非難する始末。治療を受けるのはダイアンではなく、アダム本人なのだが。

このままずるずる抗がん剤治療を続けても、症状に何ら改善が見られない上に、外科手術に至っては、失敗する確立も成功率に劣らず高いリスクを伴うもの。しかしアダムに選択の余地はなく、一か八かの賭けで外科手術に一縷の望みを託すことになった。アダムは気丈に振舞ったが、いざ自分が死ぬかもしれない手術の日が近づいてくると、恐怖のあまり理性を失う。自分の前で、勝手に泥酔するカイルに怒りをぶつけ、運転免許も持っていないのにカイルの車を暴走させて泣き叫ぶ。追い詰められたアダムが、べそをかきながら携帯からかけた電話は、キャサリン個人の電話番号に繋がった。

恐慌をきたした自分の気持ちをキャサリンにぶちまけ、ようやく落ち着きを取り戻したアダム。ついに眠り込んでしまったカイルを彼のアパートまで引っ張っていき、そこで、カイルが“癌患者を励ます方法”といったノウハウ本の類を片っ端から読み漁り、重要なところにはアンダーラインまで引いていたことを知る。あの、ナンパのことしか頭になかったようなカイルが!思えば、母親ダイアンだって、アダムに黙って“癌患者を子供に持つ親の会”に熱心に参加し、アダムの気持ちを何とか理解しようと努めてくれていた。アダムは知らないうちに、周囲の愛しい人々から大きな愛情とサポートを受けていたのである。アダムは静かにカイルのアパートを後にした。

翌日、言葉少なにカイルに見送られ、両親と手術に臨むアダム。やっと素直に母親に甘えられるようになったアダムは、アルツハイマーの父親は状況を理解していないが、心からの感謝を両親に伝えた。手術は長時間に及ぶ。待合室では、アダムの両親の隣に悄然とした面持ちでカイルが座り、そのすぐ向こう側の椅子に、勤務時間中のはずのキャサリンがこっそりやってきた。セラピストを確認したダイアンとカイルは、我先にと、なぜアダムに対して過干渉であったか、アダムに無神経なまでにナンパだのなんだのをやらかしたかを、必死に言い訳した。アダムが彼らのことをセラピストに相談していた可能性が高いからだ。しかし、キャサリンには守秘義務がある。皆、アダムのためを思ってやったことだ。アダムは果たして手術から無事生還できるであろうか?

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死について忌憚なく語ることは難しいです。技術的にということではなく、やはりそれは回避すべき話題、忌むべき事象であるという強い思い込みから、話題にする際に心理的な負荷がかかるせいでしょう。“死”は恐いという本能的な恐怖も、それを後押しします。しかし、日本中が一時的にPTSDに陥ったといっても過言ではない、昨年の震災の悲劇を顧みても、“死”は誰にとっても特別な現象ではなく、ごくごく身近にあるものだと思わざるを得ません。

しばらく前から、“エンディング・ノート”を制作することが静かなブームになっているそうです。“エンディング”とは文字通り“最期の”という意味で、自らの人生の最後を納得のいく形にするために、生前から様々な事柄を記録しておくノートのこと。“遺言”とはちょっとニュアンスが違うのかなあ。病で余命いくばくも無い男性が、自分の人生の最後にけじめをつけ、後に残る家族のためにできる限りの贈り物をすべく、死の直前まで笑顔で奮闘する様子を捉えたドキュメンタリー映画「エンディング・ノート」も、そういえば随分話題になりましたね。私の場合は、このブログがエンディング・ノートになると思います。随分おヴァカな記事も書いていますし、これが自分の死後に遺るというのもどうよ?!とは思いますけどね(笑)。

ことほど左様に、結局生と死は表裏一体であり、切り離して考えることは不可能だということです。“どう死ぬか”ということはすなわち、“如何に生きたか”の証明にもなります。それは、死の足音を身近に聞いている人も然り、今現在、命の危機に瀕している状況にない人もまた同様ではないでしょうか。私自身は、死についてオープンに話し合うことは、決して不謹慎ではないと考えています。むしろ、子供たちも含めて、死とはどういうことなのかについて真摯に話し合うべきだと思っています。“死”の概念について考えることは、日常生活が流れていく中で、その流れを断ち切るような行為かもしれません。でも、それをむやみに怖がるべきではありません。本当は自分のすぐそばにある死を理解して初めて、私達は当たり前のように生きている毎日に感謝し、善く生きることができるからです。多くの親たちが子供と一緒に死を考える作業を怠ってきたからこそ、今現在、子供たちの引き起こすイジメが陰湿な暴力沙汰に発展してしまったと言っていいと思いますよ。

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この映画「50/50 フィフティ・フィフティ」は、死の中でも特に、当事者とその周囲の人々に重い苦痛を長期間にわたって強いる、“難病による死”を題材にとっています。今作品のアダム同様、20代で非常に珍しいタイプの癌に罹患し、一か八かの外科手術によって生還を果たしたウィル・ライザーが、自身の実体験を元に脚本を完成させました。脚本が仕上がるまでには時間を要しましたが、ライザーの親友であるセス・ローゲン(本作品の助演と製作を務めた)の支えで、ようやく完成に漕ぎ着けました。
しかし問題は、このデリケートな題材をウェットになりすぎず、リアルさを保ちつつもビターな笑いを交えて映像に変換できる監督の選考でした。白羽の矢が当たったのは、「マンディ・レイン 血まみれ金髪女子高生」のジョナサン・レヴィンという監督。で、大変申し訳ないのですが、私はこの「血まみれ金髪女子高生」とやらを観たことがないので(笑)、このレヴィン某がどういうタイプの映画監督なのか、まるで分かりません。ただ、「50/50 フィフティ・フィフティ」を観た限りでは、群像劇において登場人物間の感情が複雑に交錯する様子を丁寧に綴っていく、奇をてらわない演出に好感を持ちました。

そして、“20代の若者が癌と戦う物語”から観客が容易に予想してしまうような、お涙頂戴路線の演出を巧妙に避けるクレバーさもいい。映画が主人公アダムの一人称なので、監督の視線も彼にぴったり寄り添っているようにも見えるのですが、さにあらず。実はアダムに対し、かなり突き放したドライな描写に徹しているのです。最後までアダムの傍を離れない、ちゃらんぽらんな女好き野郎カイルや、アダムの精神的なケアを担当する新米セラピスト、キャサリンの存在がなければ、追い詰められていくアダムを淡々と追っていくだけの映像は、正視するに厳しいものになったのでは。ムードメイカー、カイルや天然ボケ気味なキャサリンを、観客とアダムの間に配置することによって、絶望的な病と戦う過酷な現実さえ笑い飛ばそうぜという、脚本家ライザーのメッセージがクリアになった気がします。それは決して不謹慎なことでも恐ろしいことでもなく、死を背景にタフに生き抜くための、人間の知恵だといっていい。私もそうですが、人生の全てを笑い飛ばすことで前に進むパワーを得ることができるのですから。

この作品では、よくある難病もののように、死に際した主人公が突然聖人に変貌するわけでなく、アダムは理不尽な運命に怒り、周囲に八つ当たりもするし、死の恐怖に泣き叫んだりもする等身大の人間として描かれます。病気の進行に伴い、不安定に変化していくアダムの心の中と化学反応を起こすのが、前述したカイルであり、キャサリンであり、アダムの身勝手な恋人レイチェルであり、アダムとは犬猿の仲の母親ダイアンであるわけです。それぞれがアダムの運命に際して示す反応は全く異なっており、アダムの変化を受けて彼ら自身も変わっていく様子にしても、それぞれの個性を反映して全く違っています。そして、彼らのアダムに対する姿勢の変化(傍目にはそれとはっきりわかるわけではないけれど)によってアダム自身もまた、本人が気づかぬうちに変わり始めるのです。実は今作で最も共感する部分が、この、アダムと周囲の人々との間の関係が予測のつかない方向に動き始めるところなのですね。

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まずはカイル。いい加減。ずぼら。稀代の無責任男。生活全般においてだらしがない。生粋の女好き。仕事は適当にこなすが、ナンパに人生の全てを捧げている。アダムとはいろんな面で正反対の性格だからこそ、2人は親友同士になれたようなものです。アダムの病気がわかって以降も、以前と変わらずアダムに接しているのは、アダムの身近な人間ではカイルのみ。そして、アダムの病気が進行しても、抗がん剤治療でアダムの体力が衰えても、癌ですらネタにしてギャグをかまし、以前と全く変わりなくガール・ハントに連れ出す様子は、確かに一見無神経な行動のようです。しかしカイルのこの一連の行動は、実は繊細かつ綿密な計算の上でのものであったことが、徐々にわかってきます。でなければ、アダムの身勝手な居候彼女レイチェルが、アダムを裏切って他所に男を作ったとたん、それをまるで自分自身への背信のように責め立てたりはしないでしょう。

癌という病気をきっかけに、人と人の間の関係が思ってもみない方向に向かって機能し始める様を見つめるこのドラマの中で、個人的に残念だと思うのが、アダムの不実な恋人レイチェルの描写ですね。抗がん剤治療のために通院するアダムの送り迎えを買って出たものの、アダムの背後に忍び寄る死神を感じて怖気付き、レイチェルはアダムから離れてしまいます。物語の流れの中では、彼女は明らかに悪役的役回りであり、その行動は許しがたいもののように見えます。ですが、“あなたの背後に死の存在を感じ、それが自分にとって酷く重荷になる”という彼女の主張もまた、アダムのような人間の近くにいる者の偽らざる本音ではないかと思うのですよ。癌と戦う人を支えるのは、口で言うほど簡単なことではありません。患者本人と同じぐらいの忍耐力と強い意志、そして滅私奉公の犠牲的精神が、その周囲の人間にも要求されます。ちゃらんぽらんなようでいて、常にアダムの傍を離れず、そしてアダムに隠れてこっそり“癌患者を励ます方法”なるハウツー本を熟読していたカイルを見ていると、患者の周囲にいる人達の苦労が伺えますよね。

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ですから、カイルと対極に位置するレイチェルのような人間もまた、癌という病が患者の周囲に広げる波紋として、現実に浮かび上がってくるわけです。本編ではレイチェルの行動が、結局彼女の尻軽で自己中心的な性格のみの文脈で語られていたのが、ちょっと残念でしたね。実は、そういった登場人物の描写不足の不満は、アダムの母親ダイアンについても当てはまるフシがあります。ダイアンは支配欲の強い女性で、他人の言葉に耳を傾けず、なんでも自分の思い通りに事が運ばないと気がすまないという、これまた現実世界ではよく見かけるタイプの女性であります(笑)。余談ですが、私の実母もダイアン・タイプの母親でした(大笑)。

アダムは、勝手に事を大きくしてこの世の終わりのように大騒ぎするくせに、事後の後始末を全くしないダイアンを嫌っています。後先考えない激情家で、自分の論理を押し付ける母親の生態が、心底嫌なのでしょう。従って実家にも寄り付かないし、母親と電話で話をすることすら億劫がっているわけですね。ここら辺、まるで私と実母の関係を見せられているようで非常に嫌なのですが(爆)、まあそれだけリアリティがある描写だともいえます。
しかし、アダムの病気が進行するにつれて、ダイアンもまた、アルツハイマーの夫の世話に人生を縛られ、自分をあからさまに避ける息子の所以で、家族の中で孤独を噛み締めていたことがわかってきます。彼女も表向きは、重い病に冒されても自分を頼ろうとしない息子に、冷ややかでそっけないそぶりを見せ続けますが、よくよく見ていると、その行動は全て息子を気遣ってのものだということが分かりますよ。息子に内緒で“癌患者を子供に持つ親の会”なる互助会にも参加し、親としてどう振舞うべきか、どのように子供を守るべきか、また、癌と戦う息子の心の内を探ろうと必死になっていたのですね。

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ダイアンを演じたのは名女優アンジェリカ・ヒューストン。押しもアクも強い女でありながら、手術室に連れて行かれる息子の姿に思わず普段の虚勢を忘れ、とり縋って涙を見せる様子には胸を打たれます。母親にとっては、息子は幾つになろうが可愛い子供にかわりありません。一方で大人になっていく息子は、いつまでも自分を子供扱いする母親を厭うものですが、母親の心情は古今東西を問わず同じであります。アダムとダイアンの関係というか、ダイアン自身の行動に関し、もう少し突っ込んだ描写が欲しかったなあと思うのは、やはり私が息子を持つ母親であるせいでしょうかね(笑)。

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癌と戦うアダムと最も近い位置にいる人間は、前述したカイルと、新米セラピスト、キャサリンです。「トワイライト」シリーズや「マイレージ、マイライフ」に出演して頭角を現したアナ・ケンドリックが、いかにもオール・アメリカンガールな初々しくて朴訥とした女性を好演していますね。レイチェルのような屈折した面もなく、無経験ゆえの頼りなさを、ただひたすら仕事への情熱と生真面目さで補おうと奮闘する、これまた不器用な人間です。表裏を取り繕いようもなく、自分自身の情けなさをも曝け出してがむしゃらに患者にぶつかっていく様子は、そりゃアダムのような当事者でなくてもイラッときますわな(笑)。必死なのはいいけれど、そんなぶきっちょな人間に、生死の境をさまよう厳しい闘病生活を送る人間を支えられるのかって。案の定、アダムはキャサリンを小馬鹿にし、自分のセラピストだとも認めようともしませんでした。ところが病気が進行し、アダム自身に心の余裕がなくなると、一点の曇りもないキャサリンの純粋さこそが、アダムを助けようと懸命なる彼女の素直な心根こそが、暗闇の中で唯一アダムに向かって確実に伸ばされた救いの手であったことが、他ならぬアダム自身に分かってくるのです。

自分に向けられる他者の好意を疑ってはいけません。たとえそれがそのとき限りのものだったとしても、その瞬間は、確かにそれは真実、自分への好意なのです。一か八かの手術を控えた前日の夜、恐怖に怖気づいたアダムはカイルの真意を知り、またキャサリンの好意も理解しました。また、母親の無言の愛情もはじめて知りました。彼らは、“うまく言葉にはできないけれど、私達はあなたを愛している”という不器用なメッセージを、常にアダムに対して発信していました。それが、手術の前日になってようやくアダム本人の耳に届いたということですね。人と人の関わりの真の姿なんて、何事も起こらない日常生活をやり過ごすだけでは、まず間違いなく実感できないもの。この作品を見て心を動かされるのは、身近な人間の本当の姿や、その本人達も実感していなかったような、溢れんばかりの誰かへの愛情を、さりげない行動や仕草で手に取るように理解できることだと思いますね。

あの「500(日の)サマー」のイメージそのままに、アダムをナチュラルに好演したジョセフ・ゴードン=レヴィット君の演技は素晴らしいものでした。とんでるサマーちゃんに振り回されるおとなしい男の子役は、あまり印象には残りませんでしたが、軽さとシリアスの絶妙なるさじ加減を要求されるアダム役では、彼の演技力の真価を知った気がします。ただ欲を言うと、ラジオ番組の制作者だというアダムの職業が、本編のストーリー展開に全く生かされていないのが残念ではありますが。まあそれは、脚本と演出の問題なので、出ずっぱりで熱演したジョセフ君の健闘を称えたいと思います。

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(画像向かって右側が脚本を担当したウィル・ライザー、左側がアダムを演じたジョセフ君)

アダムのモデルは脚本を執筆したウィル・ライザー本人ですが、そのライザーの実際の親友でもあるセス・ローゲンが、ある意味自分自身を演じたカイルというキャラクターは、主役を引き立てる役回りながら非常に目立ちます。なんといっても、最後の最後に格好いいところを見せる良いとこ盗り。映画館で観た時には、この友情に篤いカイルの男気に、むしろ密かに涙したものです(笑)。アダムが病との闘いに打ち勝って生還した後は、新しいパートナーとなったキャサリンとともに、新しい人生の第一歩を踏み出す親友の姿を満足げに見守り、黙って立ち去るなんざ、あんたホンマに格好良すぎぜよ。


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