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zoom RSS “引用”と“応用”―「モンスター vs エイリアン Monsters vs. Aliens」

<<   作成日時 : 2015/11/29 12:33   >>

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To quote (and then adapt it) or not to quote, that is the question.

昨今では、映画的表現形式の一つとしてすっかり定着した感のある過去の作品からの“引用”。これは、“パロディ”か、はたまた“オマージュ”かという悩ましい問題をも引き連れてくる厄介なものではありますが、このブログでは、“引用”映画を必ずしも否定しない方針でお話を進めます。その理由は後程説明しますね。



問い:エイリアンが地球に襲来した時、彼らを迎え打ち、勇敢に戦って人類を救うのは誰か?

答え:アメリカ人(笑)

なぜなら、エイリアンという連中、必ずといっていいほどアメリカはロサンジェルスにやってくるからだ。世界中の他の都市があっけなく陥落していく中、ロサンジェルスだけはいつも最後まで戦いの最前線に踏みとどまり、人類とエイリアンの最終決戦地ともなる。「世界侵略:ロサンジェルス決戦 Battle: Los Angels」もそうだったし(笑)。

「モンスター vs エイリアン Monsters vs. Aliens」(2009年)
監督:ロブ・レターマン&コンラッド・ヴァーノン
製作:リサ・ステュワート
原案:ロブ・レターマン&コンラッド・ヴァーノン
脚本:ロブ・レターマン&マイア・フォーブス&ウォーリー・ウォロダースキー&ジョナサン・エイベル&グレン・バーガー
プロダクションデザイン:デヴィッド・ジェームズ
音楽:ヘンリー・ジャックマン
声の出演:リース・ウィザースプーン (スーザン/ジャイノミカ)
セス・ローゲン(ボブ)
ヒュー・ローリー(コックローチ博士)
ウィル・アーネット (ミッシング・リンク)
キーファー・サザーランド(W・R・モンガー将軍)
レイン・ウィルソン(ギャラクサー)
ポール・ラッド(デレク)
スティーヴン・コルバート(ハザウェイ大統領)他。

典型的なアメリカン・ガールのスーザンは、“夫婦はチーム”と信じるごく普通の可愛らしい女性だ。ニュースキャスターを目指す恋人のデレクと結婚式に臨もうとしている。ところが式の直前、そのデレクからパリへの新婚旅行をキャンセルすると知らされ、彼女は一人テラスでがっくりとうなだれていた。そこへ、宇宙から落下してきた謎の隕石が飛来し、なんと彼女を直撃する。何が起こったのか分からないスーザンであったが、とりあえず無傷であったので結婚式は予定通り行われることに。ところが式の最中、スーザンの身体が突然巨大化してしまう。身長50フィート(約15メートル)の文字通り巨人となった彼女も、周囲の人々も恐慌状態。しかしその現場に駆けつけた軍隊は一糸乱れぬ連携であっという間にスーザンを捕獲し、何事もなかったかのようにどこへともなく連れ去ってしまった。

耳元の目覚まし時計が鳴り、スーザンは眠りから覚めた。見たこともない服を着せられ、冷たく強固な金属の壁に囲まれた窓一つない部屋の中に置き去りにされている。呆然とするばかりの彼女の前に、ゴキブリと人間が合体したコックローチ博士、一つ目の青いゼリー状の化け物ボブ、半猿、半漁の奇妙な生き物ミッシング・リンクという、強烈な連中が姿を現した。彼らは皆、この政府の秘密施設に何年もの間隔離されたモンスターであった。つまり、突然巨人化したスーザンも“モンスター”と認知され、世間には一切公表されていないX-Fileである施設に放り込まれたというわけだ。混乱するスーザンの忍耐は、目の前に身長100メートルの巨大な虫が現れたことで、ついに限界を迎えた。泣き崩れる彼女に事情を説明したのは、研究施設の責任者で、モンスター達の軍事利用を目論んでいるモンガー将軍である。将軍は、スーザンに“ジャイノミカ”という微妙なセンスのモンスター・ネームをつけ、これから先、施設から出ることは許されないと非情に言い放つのだった。

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ある日、カリフォルニアに謎のエイリアン・ロボットが飛来した。ロボットは地上で何かを探しているようだったが、邪魔立てするアメリカ軍を圧倒的な破壊力で撃退、カリフォルニアとアメリカ政府をたちまち大混乱に陥れる。実はそのロボットは、圧倒的な科学力を保持する醜いタコ型エイリアン、ギャラクサーが送り込んだものだった。彼は母星を破壊して脱出する途中、ある大事なものを地球に落っことしてしまったのだ。それを回収するための探査の途中で、巨大エイリアン・ロボットは、大勢の車が行きかうゴールデンゲート・ブリッジを壊そうとしていた。ついでに地球人も皆殺しにして、地球征服もやっちゃえというギャラクサーの気まぐれにより、人類はいきなり滅亡の危機に直面する。アホでマヌケなアメリカ大統領は、“未知との遭遇”スタンドプレー・パフォーマンスが数秒で頓挫し、有効な決断を下すことが出来ない。そこでモンガー将軍は、これまで極秘で進めてきた“モンスター軍事利用”プロジェクトを政府中枢に開陳し、モンスター達の出動を要請。エイリアンにモンスターならお似合いだろうというわけで、何も知らないスーザン改めジャイノミカ達は、大混乱のさなかに放り込まれ、エイリアン・ロボットの攻撃阻止を行うことになった。エイリアン・ロボットを見事仕留めたら家に帰してやるというモンガー将軍の言葉を信じ、へっぴり腰でどでかいロボットに立ち向かうスーザン。皆勝手気ままに行動し、チームワークもへったくれもないモンスター軍団だが、スーザンの機転でなんとか力を合わせてロボットを破壊。彼らは一躍、人類を救ったヒーローとなったのである。

モンガー将軍は約束どおり、スーザンを故郷に帰してくれた。スーザンは、身寄りのない他のモンスター達を連れて懐かしい我が家へ戻る。両親は、すっかり変わり果てた(巨大化して髪も銀髪になった)娘の姿を見ても喜んでくれたが、やはりどこかぎこちない。落下した隕石とスーザンが接触してからというもの、スーザンと両親の身の上に起こった出来事はあまりに常軌を逸しており、生きた娘を目の前にしても、彼らには受け入れがたい現実なのかもしれない。それは、スーザンが片時も忘れたことなどなかった愛しいデレクも同様だ。婚約者が、突然すさまじい怪力を持つ50フィートの巨人に変身し、エイリアン・ロボットと戦って人類に勝利をもたらしたスーパーヒロインになったというのも、他に例を見ない経験だろう。それどころか、薄情なデレクは、スーザンのことなどケロリと忘れてしまっていた。そもそも“普通”ではなくなったスーザンなど、彼の眼中になかったのである。

スーザンと以前の家族、友人の間に出来た見えない溝は、他のモンスター達とその他大勢の人間達の間をもしっかりと分け隔てていた。命懸けで人類を救ったところで、彼らは人間にとっては所詮“モンスター”でしかない。スーザン達は、人間社会から隔絶されていた間に、いつの間にか本当に人間社会からはじきだされてしまっていたのだ。結局、スーザン帰郷お祝いパーティーも滅茶苦茶になり、最後はスーザンとモンスター達だけが残った。スーザンは、本当の仲間、本当の家族が誰なのかを、ようやく悟る。コックローチ博士、ボブ、ミッシング・リンク、虫ザウルスという、命を預けて戦った、愛すべきモンスター達と共に生きることを決意したのである。しかし、そこにUFOが飛来し、スーザンを攫っていってしまった。彼女を助けようとした虫ザウルスはUFOの怪光線に倒れてしまう。

スーザンはギャラクサーの乗る宇宙船に捕らえられていた。実は彼女の体が巨大化したのは、ギャラクサーが地球に落とした“隕石”に含まれる莫大なエネルギー源を、彼女の身体が吸収してしまったせいだったのだ。そのエネルギーがなければ、いかなギャラクサーでも地球を征服することはできない。日増しに強くなるパワーで抵抗するスーザンだったが、結局ギャラクサーにエネルギー源を奪われてしまい、巨大化する前の普通のサイズに戻る。スーザンが普通の女の子に戻ったのは幸いだが、不幸にもギャラクサーの方は、スーザンから取り戻したエネルギーを使って地球征服計画を実行に移すのだった。
ギャラクサーの身の毛もよだつ宣戦布告を受け、アメリカ政府はモンガー将軍と彼の率いるモンスター軍団に出撃命令を下した。もとよりモンスター達の士気は高い。虫ザウルスの仇を討つため、自分達の存在意義を身をもって示してくれた大切な仲間スーザンを助けるため、コックローチ博士、リンク、ボブはモンガー将軍と共にギャラクサーの宇宙船に突撃した。果たして彼らの運命や如何に。

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パリにいた頃、ちょうど劇場で公開されていた映画です。ドリームワークス製作のアニメですから、観客層は、小学生以下の子供とその親たちにターゲットを絞られていたようですね。今作に登場するキャラクターたちがおもちゃになって、マクドナルドのオマケとして配られていましたもの。しかしながら、当時今作のターゲット層であった子豆たち(笑)の反応は鈍かったですね。どうしてでしょう。

そして月日は巡り、帰国後、子豆たちに試しに今作のDVDを観せてみたところ…

大ヒット御礼。子豆ズまっしぐら。

…でありました(笑)。

元々、この手の冒険活劇は大好きな人たちでしたし、今作も最初から3Dになることを睨み、やたら飛行するシーンや落下するシーンがあったりと、賑やかで奥行きを感じさせる画面構成になっています。子供の集中力を十分に惹きつけておくことのできる内容だったということですね。それに子豆たちは、親の意図的な誘導もあり(爆)、やれ地球外生命体だの恐竜だのUMAだの、見ようによってはグロテスクな造形の生き物が大好きとくる。それならば、ハマらないはずがないですよね。
それに、この手の勧善懲悪のストーリー展開が明快な作品は、何よりも個々のキャラクターの描き分けがはっきりしていなければなりません。今作に登場する個性的過ぎるキャラの面々は、各自の持つ能力も役割分担もきちんと分かれていて、とてもわかりやすい。
どこにでもいるガール・ネクスト・ドア・タイプの女の子スーザンは、現代っ子らしいサバサバした性格ではあるけれど、根は素直で愛する人に対してもひたむきな娘。降って湧いたような事故で“モンスター化”してしまったことに困惑し、嘆き悲しむ姿はとても自然で、観客が感情移入しやすいキャラですね。本人の意思を無視して命がけでエイリアンと戦わされた挙句、“ヒーロー(ヒロインだけど)”に祭り上げられてしまった状況に、彼女自身がついていけてない様子が非常にビビッドに伝わってきます。今作の興味深い点は、密かに隔離されていた“モンスター”達が突然現れた“エイリアン”と戦うという、1950年代のSF映画のような素っ頓狂な設定ではなく、そんなアホみたいなストーリー(笑)の中に観客を引き込むための、キャラクターの入念な描き込みにあります。観客は、キャラの立ちすぎるモンスターの面々の中でも、やはり主人公となるスーザンの揺れ動く感情に特に寄り添いながら映画の世界に入っていくわけで、ある意味、スーザンというキャラクターが観る者に受け入れられなければ、映画は失敗だともいえるのです。

スーザンは、突然人間社会から切り離され、モンスター達と行動を共にするよう強制されるという異常な状況に振り回されます。あれよあれよという間に、エイリアンのロボットが襲いくる現場に放り込まれ、必死で人類を救うために…というより、自分をこの最悪の状況から守るために戦い、やっとふるさとに帰してもらえたと思ったら、既にふるさとに自分の居場所がなくなっていたという悲劇。人類を救ったヒーローだろうがなんだろうが、人間社会にしてみれば、スーザンをはじめモンスターの面々は“モンスター=異分子”でしかないという描写はシニカルそのもので、この“モンスター”をあらゆる“マイノリティ”に置き換えてみれば、現実世界でもあちこちで見られるマジョリティによる迫害の構造でしょう。
ドリームワークスのCGアニメ作品はあまり観ないので、他の作品群の実態は分かりませんが、ことこの作品に関してだけは、モンスターたちのカラフルな造形とエイリアンとの戦いというキッチュな設定でオブラートに包んではいるものの、現実社会の非寛容を皮肉っているストーリー等、大人の観賞にも充分耐えうるリアルな内容だと思いました。

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そして、観客をこの愛すべきモンスター達の心情にぐっと近づけるのは、やはりスーザンの存在です。彼女の故郷に皆して戻った後、誰もいなくなったパーティー会場でのシーンでしょうね。スーザンはモンスターたちとの異常な経験を経て、これまでの普通の女の子としての人生に拠り所を求めるのではなく、このモンスターの姿で自分自身の力で立つことを決意します。そんなスーザンのポジティヴィティに促され、他のモンスター達もまた、異様な境遇に甘えて卑屈になり、身勝手であった過去を捨て去りました。かくして彼らは、モンスターたるアイデンティティに誇りを持ち、一つの家族として一致団結するのでありますね。いや、泣かせるじゃありませんか。“家族”という概念そのものが形骸化してしまった今では、血のつながりが必ずしも家族の証明ではありませんよね。血のつながりなんぞなくとも、意志を同じくする者達が結束するその絆を“家族”と呼ぶのです。
どこでだったか、映画「ヘルボーイ Hellboy」のシリーズ2作目が公開された時、“今やアメコミ映画やアニメ映画ぐらいでしか、他者への友情や愛情を大切にしましょうといったテーマを真っ当に描くことができなくなった…”という意見を見たことがあります。確かにその通りかもしれません。今作でも、“モンスター”と呼ばれて社会からはじき出されて初めて、仲間との絆の大切さに目覚めるといった、気恥ずかしいほど真っ直ぐなメッセージが堂々と描かれていますね。これ、アニメだからいいようなものの、実写のドラマでこんなテーマを正攻法で描いたら、クサ過ぎて正視に耐えない作品になっちまうでしょうね。まあそれだけ、時代の空気も、映画を観る私達も、ひねくれ、荒んでいるのです。

クライマックスの、本物の敵ギャラクサーとの戦いに向けて、映画前半部分は実に快調にお話が進んでいきます。ゴールデンゲート・ブリッジにおけるエイリアン・ロボットとの戦闘シーンを含み、スリリングなシークエンスとユーモラスなシークエンスのバランスもよく、スピーディーにストーリーが展開していきますし、予定調和といわれようが、前述したようなシリアスなテーマもさりげなく織り込んだ緩急自在の演出も、なかなかどうして上手いものです。ところが、肝心要の、ひねくれ不細工エイリアン、ギャラクサーとの頂上決戦が、せっかく良い調子で盛り上がってきたストーリーのクライマックスにふさわしからぬ、ダレダレ具合(笑)。すぐバレそうな変装が全然見破られないところとか、ギャラクサーのアホすぎるヒール・キャラ、最後はコックローチ博士とマザー・コンピューターのダンス・テクニックで勝負よ!等、吉本新喜劇並みのコテコテギャグの連打が、逆にテンポを悪くしてしまったようです。果たしてモンスターたちの運命は?!といった、結果は分かっててもやっぱりドキドキしちゃうSFならではのスリルが生まれない。唯一、溜飲が下がるのは、一対一でギャラクサーと戦い、彼から取り戻したパワーで“私の名前はジャイノミカよ”と言う台詞と共に再び巨大化するスーザンの男気。折角もとのサイズの女の子に戻ったのだから、そのままモンスターのこともエイリアンのことも忘れて故郷に帰ってしまえば、社会の中で差別を受けることもなく幸せに暮らせたであろうに。彼女はそれを選択しませんでした。今やるべきこと、今守るべきものを守るために行動することこそが、彼女にとっての正義なのですねえ。ぐっときます。
ま、クライマックスが少々もたついてしまうのはマイナスポイントではありますが、スーザンの“人生の選択”と、真の意味でヒーローとなったモンスター達の、デレクをはじめとする彼らを拒絶した人間達への意趣返しの痛快さに免じて、目をつぶることにいたしましょう(笑)。

さて、この映画のもう一つの特徴が、“過去作品、特に50年代〜60年代にかけて製作されたB級SF映画群”からの引用と、それら愛すべきB級映画たちへの激しい愛着(笑)とリスペクトっぷりにあることは、よく知られた通りです。
昨今、この“過去作品からの引用”で一本の映画を成り立たせてしまう、若手の映画監督が多く出現し、“引用映画”の功罪について映画ファンの間でも議論が戦わされています。引用映画の草分け的存在が「レザボア・ドッグス」でデビューしたクェンティン・タランティーノ監督だとすれば、最近では、「ショーン・オブ・ザ・デッド」「ホット・ファズ」等で引用オタっぷりを発揮したエドガー・ライト Edgar Wright監督、もはや“デヴィッド・ボウイの実息”という肩書きが不要なほど有名になった「月に囚われた男」「ミッション:8ミニッツ」のマニアックな引用通、ダンカン・ジョーンズ Duncan Jones監督などの活躍が目立ちますね。また、先のアカデミー賞で作品賞を含む主要部門を独占した「アーティスト The Artist」だって、広義ではサイレント映画からの“引用映画”です。

ことほどさように、オリジナルのアイデアが枯渇して久しい映画界では、この“過去の遺産からの引用”で映画を作り、手っ取り早く一儲けしようと企む映画人が後を断ちません。“引用映画”の悩ましい問題点は、その引用が過去作品からの安易なパクリに終始しているのか、それとも、引用元の作品に対する並々ならぬ愛着がそうさせている、いわゆる“オマージュ”であるのか、判別しにくいことでしょう。前者ならば、その作品は単なるコピー映画であり、後者ならば、コピーを超えた変形オリジナル作品。
私自身は、“引用”がただの引用で終わるのではなく、監督自身の演出に“応用”して生かされている場合ならば、引用映画もオリジナル作品と同じぐらい価値のあるものだと考えています。映画の表現方法も、音楽同様無限ではなく、ある程度パターンが出尽くした感があります。そんな中で、本当にオリジナリティにあふれた作品を作り出すのは、至難の業でしょう。ならば、これまでに提示された映画的表現を引っ張ってきて、新たな解釈を施して捻りを加え、新しい表現として面白い展開につなげていくことも、一つの“オリジナル”であると認めてもいいのではないかと思っています。そのためにはもちろん、引用した元ネタを知らない観客が観ても、なんら問題なく楽しめる内容になっていなければなりません。“元ネタ”をあれこれ予想して映画を観ながらニンマリするもよし、元ネタを知らなければ知らないで、楽しむもよし。

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この「モンスター vs エイリアン」の場合はどうだったか。私自身は、元ネタ作品への作り手の愛情がハンパないことをうかがわせる、“引用”したアイデアの“応用”への拘り、同時に、元ネタを全く知らない人が見ても楽しめるゴキゲンな作品に仕上がっていることから、今作のクオリティを単なるコピー映画以上のものだとみています。しかしこればっかりは、人によって判断は分かれるでしょうね。他作品から引用してきたアイデアばかりで成り立っている映画で、“引用”を取り払ってしまったら後には何も残らない、つまり、元ネタを知っている者だけが内輪ウケ的に楽しむような、閉鎖的な映画だと考える人も多いだろうと思われるからです。特に、引用映画を嫌っている方々の今作への反応は芳しくないでしょう。
ですがまあ、その“元ネタ”がある程度知られている内容ならば、観客が共有する記憶の量も増えるわけで、従ってより多くの人が、この作品を違った側面からも楽しめることになります。善きにつけ悪しきにつけ、今はこのように、“映画の記憶を他の観客と分かち合う喜び”が、映画の楽しみの一つになりつつあるのですね。そういった遊び心が受け入れられなければ、“引用映画”は観ない方がいいでしょう。

スーザン・マーフィー Susan Murphy(ジャイノミカ)
カリフォルニア出身のオール・アメリカン・ガール。愛するデレクと幸せな結婚生活を送るはずだったが、隕石に接触して15メートル21センチに巨大化した。モンスターとしての自分を受け入れることが出来ず、普通の女の子に戻りたいと願っている。しかし、やがてモンスターとしての自分の強大なパワーに気づき、使命に目覚める。―元ネタ「妖怪巨大女 Attack of the 50 Foot Woman」(1958年)他。

ボブ B. O. B
食品工場での“遺伝子組み換えトマトと化学変化したドレッシングを掛け合わせる”という実験により偶発的にまれたゼリー状モンスター。身体は半透明の青いゼラチン質で出来ており、目は一つしかないが、どんな衝撃を受けても破壊されない。食欲の塊で何でも食うし、何でも消化できる。気の良いやつだが、基本的におバカ。今回のエイリアン騒動を通じて、緑色のフルーツ・ゼリーと仲良しになった。―元ネタ「マックイーンの絶対の危機 The Blob」(1958年)

コックローチ博士 Dr. Cockroach Ph. D.
“人間の遺伝子にゴキブリの生命力をプラスする”実験の際に、装置の故障が起こって生まれたゴキブリ人間。頭と顔がゴキブリの形状で、身体は人間の形状。天才的な頭脳の持ち主で、ガラクタからとんでもないメカを作り出す発明家。博士の声を当てるのは“Dr.ハウス”ことヒュー・ローリーだが、博士本人の弁によると、マッドサイエンティストではないそうだ。天才科学者だが、専門テーマは“ダンス”。食の嗜好はゴキブリと同じ。―元ネタ「蠅男の恐怖 The Fly」(1958年)

ミッシング・リンク The Missing Link
人類の祖先(類人猿)に進化する途中であった海洋生物が、氷河期に冷凍保存された。それが長い年月の後に解凍され、半分猿人、半分魚類の生物となる。進化の道筋の上で、人類と魚類をつなぐ失われた接点とされる。だが本人はマッチョで女好きのナンパ野郎。リゾート地の浜辺で女性をナンパしようとしたところを捕獲された。言葉をしゃべれないムシザウルスと、唯一交流できる。―元ネタ「大アマゾンの半魚人 The Creature from the Black Lagoon」(1954年)

ムシザウルス The Insectsaurus(インセクトサウルス)
ごく普通の小さな虫だったが、放射線を浴びて身長100mに巨大化した。1960年代、東京で大暴れして高層ビルを破壊していた所を捕らえられた。ムシザウルスの鳴き声を解読できるのはミッシング・リンクだけ。―元ネタ「ゴジラ Godzilla」(1954年)

ギャラクサー Galaxhar、ゴールデンゲート・ブリッジでモンスター達と戦ったエイリアン・ロボット Alien robot
地球征服を目論むタコ型エイリアン。莫大な科学力を持ち、巨大なエイリアン・ロボットを操り、スーザンに奪われていた巨大エネルギー生成装置を取り返して自らのクローンを大量に製造。かつてたくさんいた自分の仲間を恨んだ末に、故郷の星を爆破してたった一人で逃れ、他惑星を問答無用で支配しようとする、ダークサイドに堕ちたエイリアン。―元ネタ「禁断の惑星 Forbidden Planet」(1956年)のモービアス博士と彼らが作ったロビー・ザ・ロボット

ゴールデンゲート・ブリッジにおけるムシザウルスとエイリアン・ロボットの戦い Insectsaurus vs. Alien robot
―元ネタ「水爆と深海の怪物 It Came from Beneath the Sea」(1955年)

W.R.モンガー将軍 General W. R. Monger
モンスター達を隔離、収容する研究施設の責任者。モンスターの軍事使用を画策し、対エイリアン戦争には軍隊ではなくモンスター達を駆り出すべし、と大統領を説得する。ギャラクサーとの戦いの際には自らも戦地に赴く。―元ネタ「博士の異常な愛情 Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb」(1964年)のテキサス訛りのコング少佐とタカ派のタージドソン将軍

ハザウェイ大統領 President Hathaway
アメリカ合衆国現大統領。弱虫で臆病者で頼りなく、閣僚達の傀儡で、モンスター達の存在も今まで全く知らされていなかった。しかし、エイリアン・ロボットがサンフランシスコにやってきたときは、いの一番にロボットと交信しようと、ロボットの前で“未知との遭遇”の五音階や「ビバリーヒルズ・コップ」のテーマソングを弾いたりする、スタンドプレー好きの目立ちたがり屋。間違えてうっかり核爆弾の発射スイッチを押してしまうアホ。しかし、このキャラの声を当てているのはアメリカ随一のインテリ・コメディアンである(オリジナル音声)。―元ネタ…ビ●・クリ●トン Bi** Cl*****元合衆国大統領(笑)?

ハザウェイ大統領の円卓作戦会議 A round-table conference of President Hathaway
―元ネタ「博士の異常な愛情 Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb」(1964年)


最後に今作のシニカルな一シーンをご紹介。おそらく、この作品を楽しまれた方はどなたも“皮肉”だとは受け取らなかった部分だと思われますが、取り上げねば私の気が済まない(笑)。

劣勢ながらも、モンスター・チームは力を合わせてギャラクサーと戦いました。人類の危機を見事に救い、無事に帰還したスーザン達を、サンフランシスコの人々は諸手を挙げて迎えます。それ自体はまことに微笑ましい情景ですが、よく考えれば、彼らは少し前までは、汚いものでも見るように嫌悪感丸出しでモンスター達を拒絶していたのです。スーザンの両親でさえも、巨大化した娘を怖がり、決して近づこうとはしませんでした。それなのに、その舌の根も乾かぬうちに、ヒーローとなった我が娘に“私達はお前がヒーローになると信じていましたよ”と媚びる様子は、手のひらを返したようにモンスター達を祭り上げる大衆心理と寸分違いません。

親子関係ですらも、ドライな個人主義と損得勘定で変化するアメリカ、やはり恐るべし。


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