House of M

アクセスカウンタ

zoom RSS Kiss On My Hate―たかがキス、されどキス

<<   作成日時 : 2011/11/24 16:05   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

(Because your kiss) your kiss is on my list
Because your kiss is on my list of the best things in life
(Because your kiss) your kiss is on my list
(Because your kiss) your kiss I can't resist
Because your kiss is on my list when I turn out the light

(だって君のキスが)僕の心の中のリストに君のキスの痕があるから
だって僕の心の中のリストに君のキスの痕がある
そのリストこそ僕の人生で一番大切な物なんだ
(だって君のキスが)僕の心の中のリストに君のキスの痕があるから
(だって君のキスが)君のキスには抗えない
だって君のキスが僕の心の中にずっとある
僕が灯りを消す時にもずっと

―“Kiss On My List” by Daryl Hall & John Oates(1981年) から引用


画像

日本でも既にあちこちで取り上げられているニュースなので、御存知の方も多かろうと思います。11月16日のロイター通信の記事によると、イタリアの大手アパレルメーカーであるベネトンが、“Unhate(反・嫌悪)”をスローガンに掲げたかなり挑戦的な広告キャンペーンを16日から開始したそうです。その広告というのが、これまた凄い。オバマ米大統領と中国の胡錦濤国家主席、あるいは、ローマ法王ベネディクト16世とイスラム教指導者アフマド・アル・タイーブ師などなど、一般的に敵対関係にあると思われる政界の指導者たちが、“友愛のキス”を交わしている合成写真を用いているというから驚き(笑)。しかもマウス・トゥ・マウスです。ブラボー。

まあ、誰が見たって“合成”だとわかります。それを踏まえて、地球上から絶えることがない争いの原因―異なる者への差別意識―を解決する手っ取り早い方法を提示しようというわけですね。まずは、この世界を複雑に分割してしまっている指導者達に、お手本を示していただきましょう。そうすれば国民もそれに倣うはず。誰しも思っていることだけど、ピリピリムードの世間が怖くて口に出せない、そんなことを、ベネトンさんが代弁してくれました(笑)。これが説教臭くならないのは、粋なユーモアにくるんであるから。ユーモアの盾の影にはもちろん、風刺の槍の先が見え隠れしていますけどね。





ローマ法王庁は、法王の肖像権と信者達の保護を根拠に、同日中に広告の撤去を求める抗議声明を発表。しかし、キリスト教的モラルの厳しいお国柄であるイタリアのメーカーでありながら、ベネトンは法王庁の非難に屈しませんでした。

「法王とキリスト教会の尊厳を傷つけるだけでなく、信者の心情も害する」―11月17日に出された法王庁のコメント。

世の中にはユーモアを解しない人もたくさんいます。アメリカでも、確か“チェンジ”というのが口癖だったとおぼしき某大統領さんが、“俺の顔を無断でアイコラするんじゃねぇよ”と大人げない抗議をしておられました。法王庁が、全てのメディアに流れた法王のベーゼ写真を撤去するまで許してやんない、と“法的措置”をちらつかせているのに対し、大アメリカ帝国のドンがどこまでたかが一企業のユーモアに噛み付いてくるのかは知りませんけども(笑)。

ベネトンは、法王庁から出されているヒステリックな抗議に対し、“憎悪文化に立ち向かうこと以外の意図はない”と釈明したそうです。彼らにしてみれば、刺激的な広告戦略はあらかた出尽くした現在、世界の注目を集めるためには、宗教と政治を弄るしかないということだったのかもしれませんね。でも、広告が大衆の共有する意思を先取りし、さらにその行く先を導くものであるとすれば、今回のこのベネトンの“キッス de Unhateキャンペーン”はまさしく広告の王道をゆくものでしょう。

乱暴な言い方をすれば、宗教も政治も、それぞれ別の方法で国民に“モラル”を説くものだと考えます。宗教は人間の基礎を形作るためのモラルを、政治は人間社会の秩序を維持するためのモラルを、私達に示しています。それが正しいかどうかは別にして、とにかく彼らは昔も今も、彼らの主張するところの“モラル”でもって、国民を意のままに従わせようとしているわけです。やっていることは違うように見えて、結局動機と目的を同じくするのですから、彼らが癒着してしまうのは仕方のないところ。ベネトンの“キッス de Unhateキャンペーン”とそれに対する宗教界と政界からの反応を見ていると、それぞれが根源的に抱えている激しい憎悪意識を思い知らされますね。特に法王庁の過敏さには、この組織は昔っからそうだったとはいえ、やはり恐ろしいものを感じてしまいます。と同時に、両者がいかに同じ穴の狢であるかも分かってしまいますよね(笑)。

法王庁は、“信者の心情を害する”と表現しました。最初、これはどういう意味なのか今ひとつピンとこなかったのですが、結局これは、対立する大嫌いな相手と、最も親密でデリケートな愛情表現を交わすことへの嫌悪感と、キリスト教が禁ずる“同性との性的接触”への嫌悪感が噴出した言葉だったのでしょう。“世界の警察”国家の大統領にしても同様なのでは。Unhateキャンペーンは、自分と対立するものへの差別・排除意識、同性愛への差別・排斥意識が、とりもなおさず、世界の指導者達の中に最も根強く居座っていることを浮き彫りにしたのです。

対立する国と国のそれぞれの指導者達が、たとえウソでもお互いに最大限歩み寄っている様子は、見る者に微笑ましいポジティヴィティとユーモアを感じさせます。しかしながら、それと正反対の現状が却って鮮やかに示されることにもなり、なんとも鬱々とする皮肉を感じざるを得ませんな。たかがキス、されどキス。ロシアの方でしたか、性別関係なく、友人同士で挨拶代わりのキッスを唇に贈るのは、ごく当たり前の習慣だという国だってあります。肖像権の問題云々は置いといて、たかがこんな合成写真で、そんなに目くじら立てることでもないでしょうにね。ユーモラスで素敵な写真なのに。これが本当に現実になったら、もっともっと素晴らしい写真になるだろうに…。

先ほど、Unhateキャンペーンへの批判は、突き詰めれば“同性とのキッス”への嫌悪感が根底にあるからではないかと書きました。しかし、今や保守的なアメリカのエンタメ界でも、同性同士のキッスシーンがテレビドラマで堂々とオンエアされたりする時代です。相手の性別がどうであろうが、キスはキス。キスはいいもんだってことを多くの人に納得していただくため(笑)、映画やドラマの中のキスシーンではなく、オフスクリーンにおいて観察されたいろいろなキスシーンを見ていただきましょうかね。

警告:なお、これから同性同士のキスシーンをとらえた写真が続きます。そういったものに抵抗を感じる方は、無理しないで画面を閉じ、別のもっと楽しげなサイトへ遊びに行ってくださいませ。

そうでない方は、ここからどうぞ。



画像

「フィリップ、君を愛してる!」のプレミアでの、ジム・キャリーとユアン・マクレガーの“運命の恋人キス”。演技ではないとはいえ、多分に演出チックですね。でも素敵だわ。この作品、ハリウッドスターが出演しているにもかかわらず、フランスの資本による製作であるために、パリで真っ先にプレミア上映されためずらしい映画です。

画像

これも有名なショットです。マドンナ姐さんとブリトニー・スピアーズの“アタシ達キスすんのよ、文句ある?”キッス。

画像

ポール・ハギス監督とジョッシュ・ブローリンの“苦みばしった渋いキス”(笑)。

画像

エリック・マコーマックとテイ・デッグズのえらいことセクシーな“アダルト・キス”。

画像

イアン・サマーホールダー君の“麗しキス”ショット。

画像

ジェームズ・フランコが「ミルク」出演時、映画のPRのためにレターマン・ショーに出演した時の“ハプニング・キス”ですね。劇中では、ショーン・ペン演じるミルクとキスシーンも披露したフランコ君、レターマン氏にも友愛のキッスをプレゼント。氏の表情がなんとも微妙。

画像

エンリケ・イグレシアスの妙にリアルに手馴れた風情の“アモール・キス”。

画像

ルーファス・シーウェルとコリン・ファレルという、おっとこまえ英国俳優2名による、“目の保養のキッス”(笑)。

画像

もういっちょ、英国から友愛のキスを。元ザ・リバティーンズのフロントマン、ロックンローラーで詩人のピート・ドハーティの“酔いどれキッス”。自ら破滅的な人生を歩む彼の手にかかれば、キッスもロックな絵になりますね。

画像

ミュージシャン繋がりで有名な写真を一つご紹介。1983年、ニューヨークで撮られたロバート・プラントとフィル・コリンズという音楽界の重鎮による、“貫禄のキッス”。

画像

オマケでサッカー界からも友愛キス。イタリア・プロサッカーリーグ、セリエAのユベントスのゴールキーパー、ジャンルイジ・ブッフォンによる、チームメイトへの情熱的な“友情キッス”ですね。これも有名なショットです。

画像

最後を飾るのは、キアヌ・リーブズのこれまた有名なキッス・フォトシュート。
キアヌもかなり長い間ゲイ疑惑を囁かれていたスターの一人で、かのゲフィン・カンパニー総帥のデヴィッド・ゲフィンとは、婚姻関係を結んでいたという意味不明なゴシップまで、まことしやかに流れていました。でもキアヌは、元々細かいことを気にしない性質なのか、ゲイの噂を立てられても、“そう思いたい人はそう思えばいい。僕が否定しようが肯定しようが、結局彼らは自分が信じたい用に騒ぎ立てるだけさ”と、噂に対して鷹揚な態度で聞き流していました。同様の噂のあったトム・クルーズが、ゴシップを流したメディアに対し、弁護士を立てて厳格な法的措置をとったのとは、実に対照的ですね(苦笑)。
こうしてみると、人々のしたいようにさせていたキアヌの方が、メディア・コントロールに躍起になっている神経質なクルーズより、よっぽど大人な対応をしていたと思いませんか(笑)?皆さん、“キアヌ”という名前を聞いただけで、鼻で笑われるのですけどねえ?


にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村
キッスするなら、ラブ&ピースにキッスしましょうよ♪♪

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
Kiss On My Hate―たかがキス、されどキス House of M/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる