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zoom RSS マスター・オブ・無精髭―フランコ・ネロ Franco Nero

<<   作成日時 : 2018/05/07 14:00   >>

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8年程前、映画館で観たラブ・ロマンス映画「ジュリエットからの手紙」で、フランコ・ネロ Franco Neroを久しぶりに観た。ロレンツォを演じるフランコの佇まいは、めっきり白髪の増えた頭髪同様、若い頃の野生丸出しのセックス・アピールがちょうど良い塩梅に熟成され、酸いも甘いも噛み分けた老齢の男の悲哀と懐の深さを感じさせていた。

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フランコ・ネロ Franco Nero

1941年11月23日生まれ
イタリア、パルマ、サン・プロスペロ出身

父親は警察官という厳格な家に生まれた。しかし、幼い頃住んでいた村の芝居に出て以来、演技の虜になる。長じてミラノのカトリック大学に進んで経済学を学ぶも、アルバイトのつもりであったモデル業が忙しくなり、大学を中退せざるを得なくなってしまう。職業を転々とした後軍隊に入り、除隊するや俳優の道に入る。
映画デビューは1964年だが、名前を知られるようになったのは、1960年代映画界にマカロニ・ウェスタン・ブームを巻き起こした西部劇「続・荒野の用心棒」に主演してから。同作品のヒットに伴い人気俳優となったネロは、イタリアで製作されるアクション映画で男臭いキャラクターを演じ、人気を不動のものとする。その後、アメリカやフランスの映画にも登場し、国際俳優に成長した。“イタリアの種馬”的イメージでセクシーかつマッチョなキャラクターを演じ続け、60年代から70年代にかけての絶頂期には、映画の役柄さながら共演女優との恋の噂が絶えなかった。中でも、1967年製作作品「キャメロット」で共演したヴァネッサ・レッドグレイヴとは、一男をもうけるほど深い関係になるが、その後2人は一度破局。ところが長い長い紆余曲折を経て、なんと両者は2006年に正式に結婚した。まっこと男女の仲とは、当人同士にしかうかがい知ることのできぬ謎であろう。
さて、本人のイメージ通り“ホット”であったネロのキャリアも、シリアスな作品に挑戦し始めた70年代後半から下降線を辿ることとなる。以降は、長い間テレビ・ムービーやB級映画等に出演するだけの寂しい状況に。1990年の「ダイ・ハード2」出演が、久しぶりのメジャー大作登場となった。しかし私生活では、セレブとしての活動を楽しんでいるようであり、1982年ペルーの首都リマで開催されたミス・ユニバース世界大会では、ちゃっかり審査員を務めている。

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“運命の伴侶”ヴァネッサ・レッドグレイヴと出会った記念すべき作品「キャメロット」から。

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約40年越しの愛を成就させた数奇なカップル、フランコとヴァネッサ。貫禄のあるツーショットである。

●フィルモグラフィー

2017年「ジョン・ウィック: チャプター2」
2012年「ジャンゴ 繋がれざる者」
2011年「カーズ 2」(声の出演)
2010年「ジュリエットからの手紙」
2005年「フォーエバー・ブルース」
2001年「クルセイダーズ」(TVムービー)
2001年「レジェンド・オブ・ザ・キング 聖なる王冠伝説」(未)
2001年「メギド」(未)
2000年「ローマ帝国に挑んだ男 -パウロ-」(TVムービー)
1997年「ベラ・マフィア/ファミリーの女たち」(TVムービー)
1997年「ベルサーチマーダー」(未)
1997年「デザート・オブ・ファイアー」(TV)
1997年「ペインテッド・レディ 〜肖像画の淑女〜」(TVムービー)
1995年「謀殺」(未)
1992年「ルコナ号沈没の謎を追え!」(TVムービー)
1991年「タッチ&ダイ/プルトニウム239追跡指令!」(TVムービー)
1990年「ダイ・ハード2」
1988年「アステカ・アドベンチャー/宇宙の秘宝」
1988年「神々の風車」(TVムービー)
1988年「貴族探偵ブルーブラッド」(未)
1988年「トスカニーニ」
1988年「マグダレーナ/『きよしこの夜』誕生秘話」
1987年「ジャンゴ/灼熱の戦場」
1986年「電撃ニック/復讐のバトル・ベイ」(未)
1986年「魔・少・女/ザ・ガール」(未)
1983年「未来世紀カミカゼ」(未)
1983年「ワーグナー/偉大なる生涯(1・2)」(TVムービー)
1982年「ファスビンダーのケレル」
1981年「燃えよNINJA」(未)
1980年「コブラ/フランコ・ネロ 殺しの罠」(未)
1980年「フランコ・ネロ/強奪〜インサイダー〜」(未)
1979年「シャーク・ハンター」(未)
1978年「ナバロンの嵐」
1978年「燃える世界の男」(TVムービー)
1977年「ケオマ・ザ・リベンジャー」(未)
1977年「サハラクロス」
1976年「オニオン流れ者」
1976年「スキャンダル」
1976年「テロリスト・黒い九月」(TVムービー)
1976年「ヒッチハイク」
1975年「バレンチノの伝説」(未)
1974年「暗黒街の紋章/マフィアに血は生きる」(未)
1974年「黒い法廷」(未)
1974年「復讐の銃弾」(未)
1974年「ブラック・シャツ/独裁者ムッソリーニを狙え!」(未)
1974年「名犬ホワイト/大雪原の死闘」(未)
1973年「死神の骨をしゃぶれ」
1973年「白い牙」(未)
1973年「ロス・アミーゴス」
1972年「フランコ・ネロとナタリー・ドロンのサタンの誘惑」(未)
1972年「フランコ・ネロの新・脱獄の用心棒」(未)
1972年「マーク・レスター/可愛い冒険者」
1971年「警視の告白」
1970年「哀しみのトリスターナ」
1970年「ガンマン大連合」
1970年「新・殺しのテクニック/次はお前だ!」
1969年「怪奇な恋の物語」
1969年「銃殺!ナチスの長い五日間」(未)
1969年「ネレトバの戦い」
1969年「夜の刑事」
1968年「裏切りの荒野」
1968年「豹/ジャガー」
1968年「マフィア」(未)
1967年「キャメロット」
1966年「ガンマン無頼」
1966年「荒野の渡り者」(未)
1966年「殺しのテクニック」
1966年「続・荒野の用心棒」
1966年「天地創造」
1966年「真昼の用心棒」
1965年「猟奇連続殺人」
1965年「惑星からの侵略」
1965年「私は彼女をよく知っていた」(未)

さて。

『フランコ・ネロ Franco Neroと言えばジャンゴ Djangoだろうがあっ!』と反射的に答えてしまう方は、今も多いと思う。私もそうだ(笑)。こと、フランコ・ネロという役者のキャリアは、“マカロニ・ウェスタン”映画と切っても切れない関係にあるといっていい。そしてマカロニ・ウェスタンといえば、100メートル先からでも鼻腔を直撃する程の汗くっさい男の体臭映画である。その臭いの元は、ろくに整えられていない無精髭の毛穴付近に溜まった汗であろう。

そう。

フランコ・ネロといえば、つまりはイコール“無精髭”だという方程式も成り立つわけだ(笑)。こと、フランコ・ネロという役者のキャリアは、“無精髭”と切っても切れない関係にあると言い換えてもいい。無精髭のないフランコ・ネロなど想像できぬ様に、彼のフィルモグラフィーもまた、見事に無精髭映画で彩られている。人気が出たのはアクション中心の西部劇だが、それ以外の出演作の多くも、結局ストーリーの背景を様々な時代ににすげ替えただけの、いわゆる西部劇的な作品である。それらは、無精髭的見地から鑑みても、“汗臭い無精髭=男らしさ(マッチョ)の象徴”という、至極単純明快な論理の上に成り立っているものばかり。
ただ、そんな不毛なフィルモグラフィーの中でも、個人的にこれだけは特別だと認識している作品はいくつかある。1982年に製作、公開された映画「ファスビンダーのケレル Querelle」が、その特別な作品の一つである。今作はフランコのキャリアの中でも群を抜いて特殊な内容だが、“無精髭映画”史においても、様々な暗喩を孕んだ屈折した佇まいで、他の追随を許さない。

「ファスビンダーのケレル Querelle」
監督:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
製作:ディター・シドール
原作:ジャン・ジュネ「ブレストの乱暴者」
脚本:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
撮影:クサファー・シュヴァルツェンベルガー
音楽:ペール・ラーベン
出演:ブラッド・デイヴィス(ケレル)
ジャンヌ・モロー(リジアヌ)
フランコ・ネロ(セブロン海軍大尉)
ギュンター・カウフマン(ノノ)
ハンノ・ポーシェル(ロベール/ジル)
ローラン・マレ(ロジェ・バタイユ)
ブルクハルト・ドリースト(マリオ警部)
ディーター・シドール(ヴィック)他。

第2次世界大戦直前。ブレストの港に駆逐艦“復讐号”が入港しようとしていた。波止場の城壁の上に立つ売春宿“ラ・フェリア”の女主人リジアヌは、酔いつぶれた客の前で退廃的な愛の歌を歌い終えると、カードを繰り始めた。お得意のタロット占いだ。彼女は年下の愛人の伊達男ロベールに、あなたそっくりの弟が現れるだろうと予言した。仲睦まじい彼らの様子をカウンターから見つめる腹の突き出た大男はノノ、リジアヌの正式な夫だ。ノノは今夜も“police”と書かれた警察帽を被った怪しげな男マリオと、賭けサイコロをしながら酒を呑んでいる。ノノもマリオも同好の士、つまり男色に浸る男であり、これはという獲物に賭けサイコロをもちかけては負かして狼藉を働いていた。ここは港町、荒くれ水夫と娼婦と酒場と犯罪と一夜限りの愛と裏切りの町なのだ。

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復讐号の船上デッキでは、美しい肉体を持つ水夫ケレルが、仲間のヴィックにアヘン密輸を持ちかけていた。ブレストには裏社会に通じる大物ノノがいる。彼と手を組んでアヘンを売りさばきたいのだが、大口の取引になるため、1人では荷が重いのだ。ヴィックは物欲しげにケレルの身体を見つめると、二つ返事で危険な仕事を引き受けた。そんなケレルの様子を、先ほどから片時も目を離さずに見つめ続ける視線があった。ケレルの上官セブロンである。立場上口が裂けても公には出来ないが、実はセブロンは、潜在的に美しい同性に惹かれる嗜好を持っていた。水夫達の中でも特に美貌に優れたケレルを、セブロンは神をあがめるに等しい熱狂で以って愛していた。誰にも知られてはならぬその禁じられた思慕の情を、彼は切なげにカセットに録音して自らを慰めていたのである。

果たして、上陸したケレルはまっすぐ“ラ・フェリア”に足を向け、ノノに会いに来た。そこで、生まれてこの方会ったこともないロベールを見てすぐ実の兄と見抜き、威嚇し合うがごとくの邂逅の挨拶を交わす。ノノと、町の治安を守る立場でありながら、陰でノノとつるんでいる悪徳警部マリオの協力を取り付けたケレルは、ヴィックを使ってアヘンの取引を無事成功させた。しかしケレルは、密輸の口封じのためヴィックを刺し殺してしまう。

同じく“ラ・フェリア”の常連客である港湾労働者ジルは、時折店でギターを弾きながら歌う陽気な男だ。しかしその伊達男振りが災いしてか、町の娘ポーレットとその美しい弟ロジェの双方から愛され、彼らを弄ぶように三角関係を演じる始末。ジルは、自身が両刀遣いであることを物笑いの種にした仕事仲間を許さず、店の前で相手に掴みかかり、挙句に死なせてしまう。この短絡的な殺人の罪のせいで、ジルはロジェの献身だけを頼りに町の地下に潜む羽目になってしまった。

老女といってもいい年齢であるにもかかわらず、腐る寸前の果実のような官能を放つリジアヌに興味を持ったケレルは、ロベールに一泡吹かせるためもあり、彼女を賭けてノノにカード勝負を挑んだ。もちろん手練手管の勝負師に若造の腕が敵うわけもない。あっさり負けたケレルは、逆に興味津々でノノに身体を捧げるのだった。これで禁忌の欲望に目覚めたケレルは、保身を兼ねてマリオとも同衾する。ケレルはノノ公認のリジアヌの愛人に“昇格”したが、それを知ったロベールは怒りを爆発させ、弟とナイフによる果し合いを行った。オレンジ色の夕日がむせ返るように輝く波止場で、兄弟はナイフで相手の身体を切りつけ合い、殴りあう。口ではお互いの美しさを賛美しながら…。結局、誰かが警察を呼んだために、物騒な兄弟喧嘩は終了。優男のロベールは全身血まみれで疲労困憊、リジアヌに甲斐甲斐しく介抱される。

しかし取引は取引だ。かつてロベールが寝ていたリジアヌのベッドには、代わりにケレルが大の字になる。ノノにはさっさと尻を差し出すくせに、リジアヌを母親と同一視するケレルは、彼女には指一本触れようとしない。その子供のように身勝手な言動に、逆に惹かれるものを感じ始めるリジアヌであった。

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マリオを中心とする警察は、港湾労働者殺しと水夫殺しの犯人を追って捜査網を狭めつつあった。セブロンの元にもマリオがやってきて尋問を行う。ケレルの姿を追って町中をさまよっていたセブロンは、全ての犯罪の根源がケレルにあることを充分承知していたのだが、正義を重んじる以上にケレルを守りたかった。そこで彼は法律にも軍の規律にも目をつぶり、ケレルに捜査の手が伸びないよう虚偽の証言を行ってやったのである。

危険を感じたケレルは、ジルの逃亡を手助けするという口実を餌に、ロジェに接近。警察の尋問にも決して口を割らなかったロジェが、必死に守っていたジルの隠れ場所をあっさり突き止める。ヴィックを殺めた自分同様、衝動的に殺人を犯してしまったジルはロベールに瓜二つの男だった。兄ロベールに倒錯した愛情を抱くケレルは、無意識のうちにジルの中に自分と同じ資質を見出し、それゆえロベールの身代わりとしてジルを愛した。ジルのほうもケレルの妖しい美貌に一瞬で惑わされ、自分に尽くしてくれたロジェを放り出す。

今度はセブロンの口を封じようと、ケレルはジルにロベールそっくりの口ひげとスーツを着せて、セブロンを銃で撃つよう指示した。成功報酬は、ジルを警察の手から逃がし、無事に出国させるための手はずだ。ケレルは、ロベールに自身のヴィック殺しとセブロン殺しの罪を一緒に着せようと、内心目論んでいたのだった。だが、いざセブロン殺しを決行する段になって、ジルはターゲットの堂々たる態度に怖気づき、トドメをさせずに逃げ帰る。弱腰のジルをなじったケレルは、しかしこれが最後の逢瀬よとジルを自ら愛してやる。ジルの隠れ家から出たケレルはその足でマリオと落ち合い、ジルが列車で出国しようとしている旨を密告。ジルはケレルに嵌められたことを知りつつも、一度きりの交歓を胸に秘め、真実を飲み込んでケレルの罪も肩代わりする。

ジルに撃たれた傷を治療したセブロンが艦に戻ると、ケレルへの想いを切々と吹き込んだカセットテープを、当の本人が盗み聴いていた。ケレルは身を守るため、咄嗟に上官にナイフを抜く。だがここでもめ事を起こすのはまずい。警察の捜査のほとぼりがまだ冷めておらず、マリオはケレルの犯罪への関与を疑っているからだ。セブロンはケレルを説得し、とりあえずナイフをしまわせた。そして警察で証言を行い、ケレルへの疑いを完全に晴らしてやる。何も見返りを要求しないセブロンの無償の愛情。親から与えられる庇護にも似たそれは、ケレルを驚かせると同時に、彼をして初めて他人へ心を開くきっかけとなった。

ケレルはセブロンを伴って“ラ・フェリア”にやってきた。兄ロベールとひき会わせる為だ。弟のせいで魂の抜け殻のようになり、自堕落に酔いつぶれるロベールを見たセブロンは、全ての事情を察して酒場を後にする。その後ろには、飼い主にくっついている子犬のようなケレルの姿があった。リジアヌは再びカード占いをし、悪魔が全てを破壊し尽くして、何事もなかったかのように去っていく未来をそこに見る。狂ったように笑うリジアヌの嬌声を遠くに聞きながら、“復讐号”は短い休息を終えて錨を上げた。何事もなかったかのように。

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紀伊國屋書店
2008-03-29

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一見して書き割りとわかる背景、明らかにネオンを意識したと思しき濃厚なオレンジ色の照明、舞台のセットのごとき波止場の風景と酒場の情景、一定の抑揚を伴った演劇調のセリフ、舞踏のように様式化された役者達の動き…。思うのは、この映画全体が、「ブレストの乱暴者」という物語の挿絵のような役割を果たしているのではないかということだ。原作小説の中の一節が、真っ白の背景にテロップで映し出されたり、登場人物の心の機微を、絶えず背後に流れ続ける陰鬱なナレーションが呪詛のように語り続ける演出も、“人工的に作り出された物語世界”の構築に拍車をかけている。
リアリティを一切廃し、意図的にスクリーンに異様な緊密感と閉塞感をもたらすこの世界の中で、複数のむくつけき男たちが汗みどろにのたうちまわりながら惑い、翻弄され、打算し、愛し、愛されるのだ。画面から漂ってくるのは、すえた汗の臭いと血の臭い、そして切迫した体液の臭いである。しかし不思議なことに、終始一貫して人工的な表現方法を貫きながらも、それらの描く“物語”は全く作為を感じさせない。この映画の息詰まる密閉感は、逃げ場のない人間社会と同じであるし、登場人物全てに見受けられるエゴイズムに満ちた奇異な言動は、業深き人間の煩悩の反映だからであろう。
どんなに酷い仕打ちを受けるかわかっていても、またどん底まで欲望や罪悪に染まっていようとも、人は、愛した人からの愛情を求めずにはいられない悲しい生き物なのだ。肉体の欲するまま、本能の命ずるまま、背徳の限りを尽くして汚辱にまみれ果て、ようやく無償の愛情の尊さを知る、人間とは実に愚かな生き物なのだ。一筋の光の明るさを感じるために、暗闇の中を這いずり回らねばならないとは。この異様な映画が私達の胸を打つのは、虚構で固められた儚げな影法師のような映像の中で、こんなに普遍的な真理が語られているせいだ。
男女間で交わされるごく普通の愛情表現より、薄汚れた男同士のそれがなぜこんなにも切迫し、一陣のけれんみもあざとさも介入することを許さないのか。おそらく、世間一般で言われるところの“しがらみ”や“男女の妥協”といったものが、ここには存在しないからであろう。映画は、男たちがものも言わずにひたすら互いの欲望を叩きつける様を、淡々と綴っていく。そのあまりに不器用で直情的な愛情表現ゆえに、同性同士の不毛な交わりという異端は、原始的な“愛情の形”をありのままに伝えることになるのだ。異端の愛の形を借りて、人が人を愛するという行動の核となる部分が、なんのてらいもなく示されている逆説的な点に、この作品の大きな魅力があると思う。

港というものはしばしば女性の子宮に例えられるが、この物語では、その波止場の先に象徴的に建つ酒場“ラ・フェリア”のシンボル、リジアヌが、登場する男達にとっての“子宮”の役目を担っている。男どもが蜘蛛の糸のように絡み合う映像の中にあって、彼女はただ一人、不思議と性的な意味合いにおいての官能性を感じさせない。クセ者の夫もハンサムな愛人もいるし、悪魔のようなケレルにも心を寄せられる存在であるにもかかわらず。リジアヌの退廃的な佇まいは、彼女を演じるジャンヌ・モローが元々纏っているものに過ぎない。リジアヌという役柄に求められているのは、あくまでも、全ての男たちにとっての母性なのだ。彼女の男達が、彼女のベッドで1人寝するシーンをみると、それがわかる。この物語世界の中のリジアヌの立場は、男達の愛憎関係の傍観者であり、つまりは、この映画を観る観客の代弁者であるわけだ。

海の向こうからもたらされた“異物(この場合ケレル)”が、リジアヌに象徴される子宮世界である港町ブレストに無理やり入り込んだことで、様々な悪の種子が孕まされ、ロベールやジル、ロジェ、もちろんリジアヌ自身の上に芽吹いていく。この物語は、こんな風に言い換えることが出来るかもしれない。

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しかし物語の求心力であるはずのケレル自身は、実は徹頭徹尾受動的な存在である。麻薬がらみの犯罪や殺人にしろ、兄ロベールとの愛憎関係にしろ、ジルへの裏切り行為にしろ、彼が自ら策謀して事を引き起こしているわけではない。むしろ、ケレルの魅力に惑わされた周囲の男達が、欲望や好奇心を短絡的に満たそうとする彼の気まぐれな行動に振り回され、勝手に自滅していったという方がしっくりくるだろう。ケレル本人はあくまでも、親の愛情を恋しがってむずがる子供のように、単純なままなのだ。いわゆる“オム・ファタール”的キャラクターである。
彫像のように完璧な肉体と、泥にまみれても美しい美貌に恵まれたケレルという男、一見すると典型的なマッチョのように見える。例えば、用済みになったヴィックを何のためらいもなく刺殺すること。唯一の女性であるリジアヌには、指一本触れないこと。あるいはまた、ロベールと真正面から対峙する際の剥き出しの暴力性。この兄弟の関係は特殊で、ナイフを片手に舞踏のような振り付けで戦いながらも、口ではお互いの肉体美を賛美しあうような倒錯性を孕んでいる。ロベールとケレルにとっては、血を流しながら殴り合い切りつけ合うことが、愛情の表現方法なのだ。そして、そのロベールそっくりのジルへの支配的な愛情…。がしかし、それでもケレルは、受動的な存在のままだといえる。リジアヌに求めたのは母親の愛情であったし、ロベールその人に対しては、むしろ庇護されたいという熱烈な愛情を屈折させていたのだし、ジルにしても単なるロベールの身代わりでしかなかった。
諸悪の根源たるケレル自身はと言えば、ロベールたちの生命力を骨の髄まで吸い取って悪の種子をばらまいた挙句、あっさり憑き物がおちてしまうのだ。ブレストで悪魔の側面を進化させた彼は、結局最後には、セブロンの無償の愛情を受け入れる無垢なひな鳥に戻っていく。

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カメラは終始ケレルの一挙手一投足を追っている。時には物陰に隠れて、またあるときには他の水兵たちにまぎれて至近距離で、別の時には酒場のドアのガラス越しに…という具合に、彼の肉体からフォーカスが離れるときがないのだ。つまり、カメラの視線というのは、ケレルをじっと見つめることで彼を愛し続けるセブロンその人自身の視線だといえよう。不思議な高揚感と奇妙な酩酊感を伴う物語は、実は、ケレル自身が底なしの悪徳に堕ちてゆく快楽と、一方で、それを全て受け入れた上で、なおもケレルを一途に愛するセブロンの強固な精神によって、はじめてラブストーリーとして開放されるものだったのだ。

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血と汗と体液の臭いが鼻腔を突く映像の中で、ジャンヌ・モローですらそのオーラをかき消されているというのに、唯一セブロンだけが清楚なオーラを纏ったまま、物語の中でしっかりと佇んでいる。天性の美貌を持つケレルが、他人の精液と血と悪徳で汚辱にまみれていくのとは対照的に、彼はジルに撃たれる瞬間ですら一切穢れない。彼の顔にまるで勲章のように張り付いている髭も、“男らしさ”のアピールなどではなく、逆に彼自身の“女性らしさ”を世間から隠すための煙幕だ。その秘めたる思いをカセットレコーダー相手に紛らわせるだけのセブロンは、上官の権限を振り回して、お気に入りの美青年を無理やりものにすることすら思いつかないのだ。ケレルをどす黒い赤色に例えるなら、高官の証である白の軍服を一糸も乱さないセブロンは、まるで生娘である。
セブロンが最後まで穢れない理由。それはとりもなおさず、セブロンのケレルへの愛情が、“絶対的美”への強固な崇拝と忠誠の上に成り立っているからに他ならない。映画「ヴェニスに死す」における美神タッジオと、その崇拝者アッシェンバッハの関係性と共通するといえるだろう。セブロンは、肉体的な欲求を凌駕して精神的にケレルに服従している。
だがその“服従と被服従”の関係も、ケレルの引き起こした犯罪が連鎖し、最終的にケレル自身の身を破滅させようとした刹那、鮮やかに逆転する。ケレルの悪事を全て知ったセブロンが、警察に嘘の証言を貫いてまで彼を守ってみせたからだ。セブロンは、その見返りをケレルに求めることなどしなかった。カセットに録音していたケレルへのラブレターは聞かれてしまったが、それでようやくセブロンの無償の愛情を知ったケレルは、保護者に対するのと同義の愛情をセブロンに対して抱くことになったのだ。つまり彼らは、あらゆる悪徳の共犯者になることで、肉体的な接触といった瑣末な次元を超越した愛情関係を築いてしまったといえる。

私自身は、この「ケレル」で示されたネロの演技と、“マッチョ”の意義を根底から覆す彼の髭の存在感は、映画史に記録されて然るべきものだと信じて疑わない。

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