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zoom RSS 未来は野生のためにある?―「ファンタスティックMr.FOX」

<<   作成日時 : 2015/11/09 15:48   >>

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きっと、この作品への期待値が事前に高くなりすぎたせいでしょう。初見時には“まあまあ”の出来かなぁという微妙な感想をもったわたくしめ、2度目に見た際には今作への印象が少し変わりました。昔読んで感銘を受けた原作本「父さんギツネバンザイ Fantastic Mr. Fox」(「すばらしき父さん狐」)(ロアルド・ダール Roald Dahl 原作)の読後に抱いた印象と、映画から受けるそれに開きがあったのも戸惑いの要因だったんでしょうね。

ただ、メガホンをとったウェス・アンダーソン Wesley Anderson監督作品全般に共通する個性的な雰囲気が好きだという方には、充分楽しんでいただける内容だと思いますよ。それに、「グランド・ブダペスト・ホテルThe Grand Budapest Hotel」の成功を経て、マーティン・スコシージ監督から“彼こそ我が継承者であーる!”とちょっぴりオーバーアクト気味にその才能を讃えられたアンダーソン監督の作品ですからね。1度見ただけでは掴みづらかったイメージも、2度3度と繰り返し見るうちに全体像が理解でき、作品の持つ滋味深い魅力に気付くかもしれません。

“なぜこんなことになったの?”
“理由なんてない。ボクらは所詮野生動物なんだ”


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「ファンタスティックMr.FOX Fantastic Mr.Fox」
監督:ウェス・アンダーソン Wesley Anderson
製作:スコット・ルーディン他。
原作:ロアルド・ダール『父さんギツネバンザイ』『すばらしき父さん狐』
脚本:ノア・バームバック&ウェス・アンダーソン
音楽:アレクサンドル・デプラ
撮影:トリスタン・オリヴァー
声の出演:ジョージ・クルーニー(ミスター・フォックス)
メリル・ストリープ(フェリシティ)
ジェイソン・シュワルツマン(アッシュ)
エリック・アンダーソン(クリストファーソン)
ビル・マーレイ(クライブ)
ウォーリー・ウォロダースキー(カイリ)
ウィレム・デフォー(ラット)
マイケル・ガンボン(フランクリン・ビーン)
ロビン・ハールストン(ウォルター・ボギンズ)
ヒューゴ・ギネス(ネイサン・バンス)他。

人間様の持ち物を盗み出すことを生業とする、自称“大怪盗”のミスター・フォックス。美しく奔放な恋人フェリシティと共に人間の農場の中を散歩中、罠にかかってしまった。フェリシティから妊娠を告げられたミスター・フォックスは、これを機に泥棒稼業をやめることを誓わされる。
苦労の末に生まれてきた息子アッシュは、今やティーンエイジャー。一家は穴倉の中の家に住み、ミスター・フォックスも、変わり者でいつも不機嫌な息子の反抗期に悩む、ごく普通の父親となっていた。裏稼業からは足を洗い、三流新聞社の記者として働いていたが、人間の農場が見渡せる大木の家が売りに出されているのを知ってから、封印したはずの野生の血が滾り始める。その大木の前には、全ての野生動物の敵である、強欲で残虐な3人の農場主フランクリン・ビーン、ウォルター・ボギンズ、ネイサン・バンスが経営する広大な農地がある。キツネ族が農場の目と鼻の先に住んでいると知れれば、一家皆殺しにされるだろう。だがミスター・フォックスは、古い友人で弁護士のクライブの忠告を押し切り、家畜を狩るキツネ族にとっては極めて危険な場所を意味する大木の家に移り住んでしまった。
アッシュは、自分よりもできのいい従兄弟クリストファーソンの存在が気に入らない。実は、クリストファーソンの父親が重い病に罹っており、ミスター・フォックス家がクリストファーソンを預かっているのだ。スポーツ万能、勉学優秀、よく気が利き、大人顔負けの落ち着きすら見せるクリストファーソンは、若い頃同じようにスポーツ万能で秀才だったミスター・フォックスのお気に入りとなる。アッシュはただでさえ、どんくさい父親が自分を疎ましがっていることに屈折していたのに、その父親の関心がクリストファーソンに移ってしまったことに怒りを覚える。おまけに父親は、大木の家の管理人であるカイリを相棒に、夜陰に乗じてなにやら秘密の行動をとっている。夜な夜な、母親の目を盗んで出かけていく父親は、ある晩クリストファーソンだけをその“秘密の仕事”の仲間に引き入れた。その仕事とは、大木の家のまん前にあるビーン農場、ボギンズ農場、バンス農場の食品貯蔵庫に侵入し、厳重にセキュリティされているはずの品々を盗み出すことだ。
かつて、その野生動物としての優れた狩猟本能を“人間の手からものを盗み出すこと”に発揮していたミスター・フォックスは、裏稼業引退記念の最後の大仕事として、ビーン農場とボギンズ農場とバンス農場のそれぞれから、最高の品物をちょろまかす計画を立てていたのだ。クリストファーソンは運動神経抜群で、しかもピンチを切り抜ける機転も利いたが、ミスター・フォックスの妻フェリシティの目はごまかせない。家計が苦しいはずの自宅の貯蔵庫に、毎日鳥の燻製や鳥の丸焼き、上等なりんご酒が積み重ねられていくことに不審を抱いた彼女は、夫を詰問し、警告した。しかし時既に遅く、自慢のりんご酒を盗まれた執念深いビーンは、見せしめにミスター・フォックスを殺して憂さを晴らそうと動き始めていた。
ビーンは他の2名の農場主を招いて、ミスター・フォックスの家のある大木を倒し、中にいるキツネどもを残らず駆逐する提案をした。始終りんご酒を呑んでアル中状態のビーンは冷酷で、なんでも自分の思い通りに事が運ばないと、キレて暴れ始める危険人物だ。ボギンズもバンスも強欲には違いないが、ビーンを怒らせないようにいつも言いなりになっている。今回もビーンは他の2人を従えて、大木から出てきたカイリとミスター・フォックスを銃撃する。すんでのところで難を逃れたが、ミスター・フォックスはキツネ族の勲章であるふさふさのしっぽを撃ち抜かれ、ビーンに奪われてしまった。
ビーンたちは大木を根こそぎ倒し、その根元をショベルカーで手当たり次第に掘り壊し始めた。ミスター・フォックス家も非常事態を察知し、フェリシティ、アッシュ、クリストファーソンとカイリと共に地下を掘りに掘り進み、必死に逃げ惑う。人間達の追跡をかわした束の間、一行は休息を得たが、地下深く掘り進んだために食べ物と飲み物は全くない。フェリシティに雷を落とされるまでもなく、さすがのミスター・フォックスも、今度ばかりは自分の軽率な行動を猛省する。三流新聞社のしがない一記者でキツネ生を全うしたくないと悪あがきしたばかりに、自分の判断ミスの招いた失敗に、家族を巻き込んでしまった。ビーンたちを舐めてかかっていた。彼らは、自分達の商品を盗み出したキツネたかが1匹を捕まえるためだけに、尋常ではない物量を投入し、野生動物達の住む森のほとんどを壊滅状態にしてしまっていた。それをミスター・フォックス一行が知ったのは、再び迫り来る人間の手を逃れて地下を掘り進んでいたときだ。地下に住む動物達のわずかな生き残りを連れて、クライブが人間の手の届かぬ地を探して同じように逃げていたのだった。クライブは森の仲間たちを代表して、フォックス一家をなじる。追い詰められたミスター・フォックスは、農場強盗計画を立てたときに書いた3つの農場の詳細な地図を思い出す。そして、ひとまずフェリシティを女子供たちが隠れている避難所に行かせると、大胆不敵な一発逆転計画男たちに告げた。
地下の薄暗い避難所。心細い思いで夫を待っていたフェリシティたちの前に、3つの農場の貯蔵庫に保存してあった全ての食料とりんご酒を盗み出して戻ってきた男たちの姿が現れる。人間どもはキツネ狩りにかまけており、農場内の警備が手薄になっていたのだ。野生動物の狩猟本能が勝利し、彼らは避難所を快適なパーティ会場に仕立て上げた。大人たちがりんご酒で乾杯していた頃、アッシュはクリストファーソンと一緒に、くだんのビーンに奪われた父親のしっぽを取り戻すため、農場に侵入していた。ビーンたちの、もはや常軌を逸したとしか言いようのないキツネ狩り破壊活動は、テレビなどのメディアでも大々的に取り上げられていた。アッシュとクリストファーソンが農場に潜入したときも、ミスター・フォックスのしっぽをネクタイ代わりに首に巻いているビーンの姿が、画面に登場していた。そこで子キツネたちはビーンの自宅に入っていったのだが、焼きたてのりんご菓子に理性を失い、あっけなくビーン夫人に捕獲されてしまう。辛くも難を逃れたアッシュの知らせで、クリストファーソンが人間側にキツネ質にとられたことを知ったミスター・フォックスだったが、彼らが隠れている地下道に、ありったけのりんご酒が全て流し込まれたとあらば、どうすることもできない。逃げ場のない地下道で、りんご酒の洪水にのまれた動物達は、否応もなく下水道に流されていった。
食べ物も飲み物も流されてしまい、下水道で死を待つしかなくなった動物達。さすがのミスター・フォックスも悪知恵が働かず、クリストファーソンの身柄と引き換えに、自分1匹がビーンたちに投降することを決意する。しかしそのとき、ビーン農場に雇われていた用心棒のラットが、アッシュをさらおうと動物達に襲い掛かってきた。死闘の末にラットを打ちのめしたミスター・フォックスは彼に問いかけた。

「野生の誇りを売り渡しても手に入れたかったモノは何だったんだ?」

結局、たかがりんご酒一瓶のために魂を売り渡したラットは、クリストファーソンの監禁場所を告白して息絶えた。
ミスター・フォックスは、このまま人間に投降して魂を悪魔に売り渡す運命を拒絶した。自分たちは野生動物なのだ。立派に死のうが、所詮は野生生物の野垂れ死にに過ぎない。どうせ死ぬなら、野生の矜持を保ったまま戦い、人間に牙を剥いて死にたい。残った動物達は、人間軍団を打倒し、クリストファーソンを奪還するため、綿密なプランを練りはじめた。ビーンたちはミスター・フォックス率いる野生動物を残らず抹殺するため、下水に通ずる陸上を全て銃を持った人間で封鎖し、ヘリコプターまで飛ばして空からの監視も強化した。自然を支配しようとする人間の傲慢と、あくまでも自由を求める野生動物の誇りを賭けた、前代未聞の戦いが始まった。

すばらしき父さん狐 (ロアルド・ダールコレクション 4)
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「すばらしき父さん狐 Fantastic Mr. Fox」(ロアルド・ダール・コレクション)
著作:ロアルド・ダール Roald Dahl
イラスト:クェンティン・ブレイク Quentin Blake

昔、ロアルド・ダールの原作を読んだ時、この寓話に込められた作者の意図は、“開発”の大義名分の下に自然を破壊していく人間の傲慢を戒める部分にあると考えていました。その大きなテーマは、ストップモーションアニメとして映像になった今作にも引き継がれていると思います。
キツネをはじめとして野生に生きる動物は、人間が丹精している農作物であるとか家畜などを荒らし、襲って生きています。人間側はそれに対抗するために、大昔から様々な手段で彼らを駆逐してきました。しかしながら野生動物もさるもの、人間側の技術向上にあわせて知恵を進化させ、その攻撃の包囲網をすり抜けてしまいます。そして、やはり執拗に巧妙に人間のものを盗む。この構図は昔も今も変わらず続いており、結局どちらかが完全に滅びてしまうかしなければ、野生動物vs人間の仁義なき戦いは終わらないのですね。やられたりやり返したり、勝ったり負けたりを繰り返し、野生動物と人間のいたちごっこは永遠に続くのです。
人間が、兵器や様々な機械などの圧倒的な物量でもって、自然を完全に支配下におさめたと錯覚することの滑稽さは、強欲な農場主ビーンたちのおバカな行動―たかがキツネ1匹捕まえるのに豊かな森をつぶし、街中を戦争状態に巻き込んでゆく奇矯さ―でさんざんっぱら槍玉に挙げられています。しかも、そこまでしてもなお、ミスター・フォックスをはじめとする野生動物達の経験と機転、柔軟な行動力、サバイバルする本能の前に、最終的に惨めな惨敗を喫してしまうのですからね。人間様にはいいとこなしなのです(笑)。

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この、ミスター・フォックスとビーンたちの追いつ追われつの戦いが、森に住む野生動物たちの多くに犠牲を出す全面戦争へと変わっていくストーリーの流れ、そして、圧倒的に優位に立つはずの人間側が、非力な動物達に出し抜かれて何もかもを失う羽目になる意外な結末は、カタルシスを覚える一方で多分に教訓的であります。長年に渡る自然破壊によって徐々に狂い始めた地球全体のリズムが、様々な変異現象となって人間に襲い掛かっている昨今、ロアルド・ダールが皮肉交じりに描いた“人間の驕り”は、単なる御伽噺の範疇には収まらなくなっていますね。
ミスター・フォックスたちに象徴される“野生”が、結果として豊かな自然を失うことになっても、たとえ人間社会の産物である下水道に押し込められることになっても、環境に応じて臨機応変にライフスタイルを変え、おそらくこれからもずっとしぶとく生き延びていくだろうことは、映画版でも暗示されていました。確かにそこから想起される彼らの未来像は、野生動物にとって必ずしもハッピーなものとはいえないかもしれません。しかし彼らはそれでも、農場経営からスーパーマーケット・ビジネスに鞍替えしたビーンたちの店に忍び込んでは、ちゃっかり商品を横取りしつつ(笑)、やっぱりちゃ〜んと生きていくわけです。それに対してビーンたち人間は?せいぜいが、キツネたちはきっと下水道から出てくると信じ、下水蓋のそばで虚しく待ちぼうけを食わされるのがオチでありましょう。


この映画版が俄然面白くなるのは、やはりこの野生動物と人間達の最後の戦いのくだりですね。映画は、原作のブラックな味わいやシニシズム(人間性と野生動物の本能の双方に対する皮肉)を極力廃し、小さく非力な野生動物たちが、本能と知恵とチームワークで人間たちの裏をかいてみせる様を、胸のすく冒険活劇として小気味よく活写することにフォーカスしています。なにしろ、ミスター・フォックスがかつて大泥棒であったという設定と、その声をあのジョージ・クルーニーがあてていることから、野生動物達を結束させて人間との戦いに向かうくだりは、まるっきり「オーシャンズ」シリーズのよう。蛇足ながら、ミスター・フォックスが結婚後に中年の危機を迎え、平凡な存在のまま人生をあがってしまうことへの焦りから、最後の大仕事を計画するところなんざ、まるで映画「イン・ジ・エアー」を思わせます。ひょっとしたら、アンダーソン監督の楽屋落ちなのかもしれませんね。

動物達のちょこまかした動きは、土の中を猛スピードで掘り進んで行ったり、人間達が撃つライフルの銃弾の雨あられの中、それをすり抜けて逃亡するシーンなどで、最大限の効果を発揮しています。しかし、ここで難を申せば、今作が昔ながらのストップモーションで制作された良さが、映画前半ではほとんど生かされていない点ですかね。ニック・パークの「ウォレスとグルミット」は、クレイ(粘土)を少しずつ変形させていくことで人形の“動き”を1コマ1コマ撮影するという、実に気の遠くなるような丁寧な作業で、あれだけのスムーズな動きを描いたわけです。対して今作の人形達の動きは、わざとなのか、それともコマ撮り作業を大雑把にやっちゃったのか(笑)、えらくセカセカ、カクカクした動きで見辛いんですよね。ひとうひとつの動きが早すぎるというのか。特にオープニングの、ミスター・フォックスとフェリシティのスリリングな“農場散歩”シーンは、彼らの動きが早すぎて、細かく作りこまれた背景の見事さに視線をやることすらできません。彼らが2人きりで語らう印象的なシーンは劇中2つほどあるのですが、一つは宝石の原石をバックにしたもの、もうひとつは流れ落ちる下水道の水を滝に見立てたシーンという、はっとするような美しさを感じる背景だっただけに、もうちょっと落ち着いて画面を観たかった気はします。

ミスター・フォックスが、監督の趣味のままにえらくスノッブな伊達男になり、出てくる動物達がみんな完全なる二足歩行、目の上に眉毛か描かれているような擬人化が施されていても(笑)、それはまあ良しとしましょう。映画版の方では、“野生動物vs人間の相違点”というテーマを、ことさらシリアスに捉えているのではないのだと思います。ミスター・フォックスも良妻賢母のフェリシティも人間と同じようなセクシーさを誇っているし、アッシュは、よくみかける典型的なギークで変なアメリカン・ティーンエイジャーそのままだし。アッシュが毛嫌いする優等生タイプのクリストファーソンにしても、たまに人間様の社会でもみかけるような(笑)、妙に悟った風情の老成したティーンですしね。ミスター・フォックスの相棒で、かなりオツムの弱いお人好しカイリがいい味を出していますが、これも人間のドラマに置き換えれば、主人公のよき相棒という、ステレオタイプな役回りのキャラクターになるでしょう。いくら彼らが物を食う場面で野生の本能をむき出しにしても(皿とかフォークとか食卓に出ていても手づかみで食い散らかす・笑)、監督自身が、彼らを人間のキャラクターとして扱っていることに変わりはありません。

アンダーソン監督が描くミスター・フォックスの寓話は、それぞれ風変わりな登場人物の個性を一層際立たせ、ミスター・フォックスの一家の周囲にちりばめた、ちょっぴり変わった味わいのファミリー・ドラマとして仕上げたところに新味があり、その面白さも集約されるでしょう。動物の格好はしていますが、映画が描く父と息子の断絶と和解の物語はごく普遍的ですし、中年の危機に揺れる男の複雑な心情と、夫婦間の切っても切れない絆は観る者の琴線を等しく揺さぶるものがあります。ミスター・フォックスの引き起こした二重三重の大騒動を機に、彼ら一家それぞれがぶつかりあったり内省したりして、皆が一歩成長していく物語だとも解釈できます。危機を乗り越えた家族の絆が再び結びなおされ、己の野生のアイデンティティに目覚めたミスター・フォックスが、最終的に仲間との友情も取り戻すわけです。その過程は、いかにもアメリカ的なモラルに基づいていますし、予定調和だと言われればそれまでなのですが、“家族愛の再生”“仲間との連帯”という普遍的なキーワードに、野生と人間との終わりなき戦いの問題を絡ませた監督の意向は、きちんと汲み取れますね。

“野生動物vs人間”の問題は、ミスターフォックスを中心とする“動物関係”のドラマに付随する形で表出するので、少し残念だったのが劇中における“狼”の存在でした。“一匹狼 lone wolf”という言葉があるように、狼には、何者にも迎合しない孤高という意味が込められています。同じ野生生物でも、キツネやネズミとはまた違う世界を生きている狼。映画版では、ミスター・フォックスの唯一苦手とする動物として挙げられる狼ですが、本当なら、ミスター・フォックス達と人間の戦いが“野生の誇り”を賭けたものに変わった際に、その象徴として扱われるべきだったと思います。それが映画の中では、文脈とはいささかズレた場所で唐突に登場するものですから、この“狼”の存在こそが、実はミスター・フォックス達の野生のアイデンティティの拠り所であったと理解した観客は、案外少なかったのではないかと思われます。

ファンタスティック MR.FOX オリジナル・サウンドトラック
USMジャパン
2011-03-16
サントラ

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音楽の使い方に定評のあるアンダーソン監督らしく、既製曲の散りばめ方が絶妙でありました。映画を観てそのサントラ盤まで欲しくなるようなことは、最近ではめっきり減ってしまいましたが、これはぜひ買って聴いてみたいと思いましたね。楽曲が場面に合っているというだけでなく、そのシーンをより一層面白いものにする大切な要素として機能しています。楽曲そのものもいいですしね。

ジョージ・クルーニー、メリル・ストリープ、ジェイソン・シュワルツマンはじめ、ヴォイス・キャストは皆適材適所。それぞれの個性と高い演技力の両方を役柄に生かし、セカセカ、カクカク動く奇妙な人形たちに命を吹き込みました。キャスティングがばっちりきまった映画は、やっぱり安心して観られますね。

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