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zoom RSS シドニー・ルメット監督逝く…

<<   作成日時 : 2011/04/10 15:56   >>

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映画界の巨星がまた1人逝きました…。“ニューヨーク派”映画勢力の草分けであり、骨太な社会派映画といえばこの人の名前が真っ先に挙がるといわれる、名匠シドニー・ルメット監督です。4月9日、リンパ腫の悪化のため、ニューヨークの自宅で亡くなりました。享年86歳。ご冥福をお祈り申し上げます。

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シドニー・ルメット Sidney Lumet

1924年6月25日生まれ
2011年4月9日没
ペンシルヴァニア州フィラデルフィア出身

ファラデルフィア出身で、ポーランド系ユダヤ人。幼少の頃からエンターテイメントの世界に親しみ、舞台や映画に俳優として出演もしています。コロンビア大学に進むも、第2次世界大戦が勃発し、従軍。戦争が終わって除隊後、ユル・ブリンナーたちとアクターズ・グループを結成(後のアクターズ・スタジオの原型)するも、50年代には、テレビ界のドラマ制作部門で演出家としてのキャリアをスタートさせました。映画監督としての処女作は1957年の「十二人の怒れる男」。ベルリン国際映画祭で金熊賞を得るなど、デビュー当時から演出家として類稀なる才能を発揮していました。
1960年代は、「質屋」(1964年)など文芸作品の映画化でも手腕を発揮し、「未知への飛行」(1964年)などの異色作では、当時の世界情勢を文字通り凍りつかせていた冷戦が、核戦争への緊張を高めていた実態を鋭く描いて気を吐きます。むしろ彼の“社会派映画監督”の名声を決定付けたのは、1970年代の諸作品―「セルピコ」(1973年)、「狼たちの午後」(1975年)「ネットワーク」(1976年)等―でありました。キャリアの初期から大きな注目を集める存在であったにもかかわらず、ハリウッドに迎合することをよしとせず、ニューヨークを舞台に作品を撮り続けます。旺盛は創作意欲は衰えることを知らず、1980年代も1990年代も数多くの監督作品を発表しましたが、さすがに近年においてはいささか精彩を欠く作品が続いておりました。80年代における名作は、ポール・ニューマンの名演が光る「評決」(1982年)、過小評価されている室内劇「デストラップ・死の罠」(1982年)などであり、やはりサスペンスフルなストーリーラインを持つ作品で、本来の持ち味を発揮するタイプだといえるでしょうね。
低迷した90年代を終え、最後の監督作品となった「その土曜日、7時58分 Before the Devil Knows You're Dead」(2007年)では、一つの狂言強盗事件をきっかけに崩壊していく家族の絆を情け容赦なく描き、現代の家族神話の終焉を提示、ルメット健在を印象付けました。

アカデミー賞監督賞にノミネートされること4度、英国アカデミー賞監督賞に至っては3度、カンヌ国際映画祭パルム・ドールにも4度ノミネートされる経験を持ちますが、残念ながら受賞には縁がありませんでした。結局2005年に、“生涯における映画業界への業績を評価”され、別名“引退勧告賞”とも揶揄されるアカデミー名誉賞を贈られることになります。

個人的にルメット作品で最も好きなものは、「狼たちの午後」と「ネットワーク」。この2作品は、テーマも色合いも全く異とする両極端な内容なのですが、この2作品こそ、シドニー・ルメット監督の本質を指し示す指標のような作品だと思っています。いわく、“社会”を通じて、その構成員たる“人間”の業を描き、その逆もまた真となる結論を観客に理解せしめる映画。人間と社会の別ちがたい関わりを描いて、ルメット監督はその才を遺憾なく発揮しました。これから先、彼のような映画を撮れる作家は出てこないだろうと思われます。失われた才能の大きさを私たちが実感するのは、もう少し先の話になるのでしょうが。


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