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zoom RSS ネバーエンディング・エンドロール Never Ending "End Credit Roll".

<<   作成日時 : 2014/10/19 17:51   >>

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映画館に行く回数そのものがうんと減った感のある館長ですが、それでも大きなスクリーンで映画という別世界を旅する感動は、他の何にも代え難いものがあります。たとえ、今製作されている映画の全てが、既に過去の熱狂が形骸化してしまった抜け殻だったとしても、私に生涯愛することのできるものを与えてくれた映画には、言葉に尽くせぬ絆が存在すると信じています。

昨今では、映画館が担う役割も昔とは異なってきましたが、それに伴い、映画館で映画を観るときのマナーについて、度々問題が起こっているという声もよく聞くようになりました。観客が守るべき鑑賞中のマナーについて、映画本編が始まる前の数分を費やし、幼い子供に噛んで含めるように言って聞かせる類の映像が、大抵の映画館で観られます。ああまでして一つ一つ懇切丁寧に言われなければ、公共の場における必要最低限のマナーですら理解できなくなっているのかと思うと、ぞっとしますが。


しかし、例えばエンドロール(正しくはエンド・クレジット・ロール、あるいはクレジット・ロール)を最後まで観るかどうか、などということについては、これは観客個人の判断に任される問題であります。細かいことかもしれませんが、映画が好きで映画館に通い詰めているような人と、本当に話題になった映画だけを観に来たという、映画館にはあまり縁がない人の間では、これはかなり認識に差が出てくると思います。

私はてっきり、エンドロールだって作品の一部なのだから、当然最後まで観る人がほとんどだろうと思っていましたが、必ずしもそうではないんですね、これが。他の観客の動きを睨みつつ、エンドロール途中で申し訳なさそうにこそーっと席を立つ人や、“fin”となった瞬間にパッと立ち上がってズカズカ出口に向かう人も珍しくありません。
“一応エンドロールを最後まで観る”タイプの人の中にも、エンドロール後にオマケのシーンがあったり、エンドロール中に面白い映像が流れたり(よくあるのが、その作品の撮影中のNGシーンとか)といった情報が事前に分かっている場合に限り、最後まで付き合うというケースが多いですね。多くの観客にとって、“エンドロール”なんてものはほとんど意味を成さないものだということは、想像に難くありません。

画像

(映画「ジャージー・ボーイズ」フィナーレ場面より)

私自身は、エンドロールというのは、単にその作品の製作に関わった人々の名前を羅列しているだけではないと思っています。映画という夢の世界が終わり、その地平線の彼方に太陽が沈んだ後も、その光の残像をしばらく見送っているような、現実と非現実の交錯する時間。祭りが終わって、あんなににぎやかだった場所から人の気配が消え、ただ、そこに誰かがいた跡だけが陽炎のように残っている様子を見つめるのは、充実感と寂寥感、そして、これから家に帰るのだという安堵感の入り混じった不可思議な瞬間です。映画本編を観ている最中よりも、むしろこのエンドロールという“狭間”の世界に立たされている時間の方が、私にとっては感慨深いかもしれません。


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