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zoom RSS 「パーティー The Party」ー人生は泡だらけのパーティーだ!

<<   作成日時 : 2013/06/08 00:06   >>

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“ハリウッド”なんて所詮はバブル(泡)のようなもの。

「パーティー The Party」(1968年)
監督:ブレイク・エドワーズ Blake Edwards
製作:ブレイク・エドワーズ Blake Edwards
原作:ブレイク・エドワーズ Blake Edwards
脚本:トム・ウォルドマン&フランク・ウォルドマン&ブレイク・エドワーズ
撮影:ルシアン・バラード
音楽:ヘンリー・マンシーニ Henry Mancini
出演:ピーター・セラーズ Peter Sellers(バクシ氏)
クローディーヌ・ロンジェ (ミシェール)
マージ・チャンピオン(ロザリンド)
スティーヴ・フランケン(レヴィンソン)
キャス・グリーン(モリー・クラッターバック)
ステファン・リス(ジェフリー・クラッターバック)
デニー・ミラー(“ワイオミング・ビル”ケルソ)他。

ハリウッドの西部劇に憧れて、はるばるインドからやってきた舞台俳優のバクシ氏。コスチューム劇に採用されたはいいが、慣れない環境と生活習慣、加えて英語をまだ上手く操れないこともあり、撮影現場ではミスばかり。ついに撮影セットを誤って爆破させてしまうに至り、その責任を問われ、即刻クビを宣告される。腹の虫が治まらない映画監督は、その作品のプロデューサーであるハリウッドの大物クラッターバック氏に、バクシ氏をハリウッドから干すことを催促。クラッターバック氏は、大金をかけた撮影セットを木っ端微塵にした無名のインド人俳優の名前を、すぐさま“ブラックリスト”に付け加える。だが不運なことに、クラッターバック氏がバクシ氏の名前をメモした紙は、妻モリーが主催する大規模なパーティーの招待客を記したリストであった。秘書は、新たにバクシ氏の名前が付け加えられたリストを確認し、急遽彼をパーティーの招待客の中に加えるのだった。
かくしてバクシ氏、時折火を噴くポンコツ車を運転して、ビバリーヒルズの一等地に聳え立つクラッターバック氏の邸宅にやってきた。玄関からロビーに向かって川が流れ、広間に湖まで備え付けられ、あちこちに最新型の娯楽施設が完備された邸宅。最新モードと瀟洒なドレスで着飾ったセレブたちが、ミラーボールのようにきらめきながらあちこちで談笑しつつそぞろ歩いている。その中を、酒やつまみを載せた銀盆を掲げて優雅に縫っていくウェイターやメイドたち。ここは、まるで映画の続きのような別世界だ。バクシ氏にとって初めて目にする夢の世界。彼は自分の一張羅が貧相に見えるのを気にしつつも、この別天地でのパーティーを存分に楽しむことにする。
ところが、ヘンゼルとグレーテルよろしく夢の国に気をとられすぎ、彼はここならずも行く先々で突拍子もないトラブルの種を撒いていく。コメディ映画のコントのような失敗を繰り返すバクシ氏に、周囲の鼻持ちならないセレブの視線は冷たい。だが、そんな“場違い”な空気などどこ吹く風のおとぼけバクシ氏、出席者のうちの1人であったカウボーイ・スター、ケルソとすっかり意気投合。また、若い女優の卵を食い物にする悪徳エージェントに連れてこられたフランス娘ミシェールとも、穏やかな交流を果たす。あくまでも彼自身は生真面目なのだが、その激しいカルチャーギャップと不自由な英語のせいで、次第にパーティー会場とクラッターバック邸を混乱に陥れてゆくのだった。

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夭折した英国人天才コメディアン、ピーター・セラーズの異色主演作だ。彼の当たり役である“クルーゾー警部”を生み出した、「ピンク・パンサー」シリーズのブレイク・エドワーズ監督のメガホンになる。ハリウッドに招かれたものの、カルチャー・ギャップと英語の不自由さで、映画王国から早々にあぶれてしまったインド人俳優の巻き起こす珍騒動を描いたもの。

映画冒頭のバクシ氏の悪ノリは、まあありがちといえばありがちな、ほんの“掴みの”ギャグだが、今作の異色たる所以は、本編がクラッターバック邸の中だけで進行することだろう。いわば密室状態の邸宅の中で行われているパーティーで、いかにしてバクシ氏が勘違いとボケを連発して周囲をとてつもない騒動に巻き込み、ドラマティックなクライマックスへとなだれ込んでいくのか。今作のテーマと面白さはその一点に尽きる。
よくもまあ次から次へと、お笑いの連鎖反応が続くものだ。しかも、台詞らしい台詞もほとんどない。細かいお笑いの全てが、役者自ら身体を張って生み出されたもの。かの“ミスター・ビーン”のサイレントなお笑いは、この作品のコメディ・センスをお手本にしているのではないか。

画像

バクシ氏のひとつひとつのボケは、カルチャー・ギャップに根ざしたネタと、往年のコメディアン、バスター・キートン調のすさまじい生真面目さから成り立っているものだ。この手のお笑いでは、お間抜けな主人公が冷ややかな周囲から1人浮いているというのが定石なのだが、今作ではさにあらず。脇を固める名もないキャラクターの個性がどれも強烈で、彼らが画面を横切るだけで観客の注意を喚起してしまうし、バクシ氏と絶妙に絡むことで、そこからさらに新たな笑いが展開されていく。彼らは彼らで、本編の中で勝手に独自のドラマを構成していき、ともすれば主人公を置き去りにして暴走することさえあるのだ。その辺りのバランス感覚が良いし、笑いのフォーカスがセラーズ1人に負担されない分、ただただパーティーが混乱していくだけというワン・アイデアの映画が、最後までダレずに楽しく観られるのだ。
まあ、ある意味今作は、バクシ氏という至極マイペースな御仁を基点として、波紋が広がっていくように周囲の人々が織り成してゆく、お笑い群像ドラマだともいえるのかも。ワン・アイデアだけでストーリーを四方にふくらませていく手さばきは、スピルバーグ監督の「1941」を連想させるが、一定の空間の中だけで展開していく分、今作の方がギャグの連鎖は綿密に計算されているとみた。

そして今作にはもうひとつ、“ハリウッド文化”そのものを笑い飛ばしてしまえという風刺精神も息づいている。そもそも今作は、「ガンガ・ディン」のブラック・ジョーク・バージョンなのだそうだ(笑)。ハリウッドという厳格なカースト制度の上位に陣取る支配階級(バクシ氏をクビにする映画監督やクラッターバック夫妻、ミシェールの悪徳エージェントなど)と、下層の方であがいている被支配階級(バクシ氏やミシェール、また名前は出てこないがクラッターバック氏に取り入るよう強要されるブロンドの女優の卵、邸宅で働いている給仕やメイドなど)の間には歴然とした境界線が敷かれており、映画冒頭では、それがえげつないほど露骨に描かれている。しかし、バクシ氏という異分子が混入したことにより、そんなハリウッドの階級制度が根本から崩れてしまうのだ。バクシ氏本人はいたってナチュラルにハリウッド文化を受け入れ、ごく柔軟に適応しているのに対し、周囲の支配階級の連中は、影響力を増してくるバクシ氏の存在を嚥下することが出来ず、最後まで右往左往する。今作が痛快なのは、乱痴気騒ぎのパーティーにおけるくだらぬおふざけを描きながら、この“下克上”が完成されてしまう点だろう。
パーティーの席で弾き語りをするよう強制されるミシェールはフランス人。いってみれば、バクシ氏と同じ“よそ者”である。彼ら2人の心が次第に寄り添っていく過程は、ちょっぴり切なくも微笑ましい。ミシェールは結局エージェント氏との肉体関係を拒んだ故に女優の道を絶たれてしまうし、バクシ氏は元よりブラックリスト入りしている身の上だ。ハリウッドの負け犬同士がやがて意気投合し、本来は支配階級のためのパーティーを、我が物顔でめちゃくちゃにしてしまう。彼らは2人とも一張羅すら台無しにしてしまうが、そんな上辺だけの虚飾など関係ないのである。

クラッターバック氏の子供達が、落書きを施した子象を会場に連れて来た。いわゆる“反体制”を気取った稚拙なスタンドプレイだ。誇り高きインド人であるバクシ氏は、母国の神聖なる生き物が貶められているのを見て激怒。即刻象の身体をきれいに洗うことを主張する。酔っ払った集団は手に手にモップやブラシや洗剤を抱え、邸内の湖で象をごしごし洗い始めるのだ。当然、パーティー会場は泡だらけになり、やがて邸内が泡に飲み込まれてしまう。
その泡の中では、ミシェールとバクシ氏、メイドたちが普段着で踊り狂い、酒の盗み呑みでベロベロに酔いつぶれたウェイターは、招待客に酒をサーヴするのも忘れ、同じく飲兵衛の女優の卵と酒瓶を掲げていい雰囲気になっている。バクシ氏と最初に友達になった落ち目のカウボーイ・スターは、相変わらずガールフレンドの尻を追い掛け回している。そしてクラッターバック氏は、泡が高価な絵画と邸宅をダメにしてしまうことに戦慄し、クラッターバック夫人は何度も湖の中に落下して濡れ鼠。せっかくのパーティーがカオスになったことで精神を病んでしまう。バクシ氏をパーティー会場から追い出そうと画策した映画監督とクラッターバック氏は、邸宅に出動した警察とレスキュー隊に阻まれて泡まみれに。バクシ氏とミシェールは、ケルソにもらった大切なカウボーイ・ハットを手土産に、悠然と邸宅を後にするという寸法だ。

してみると、バクシ氏を中心とするハリウッド被支配階級とフラワーチルドレンな若者達との混成チームは、クラッターバック氏に象徴されるハリウッド支配階級という“体制側”に反発し、見事勝利を収めたとみなしてもよいかもしれない。しかしその勝利も、結局はパーティー会場内だけに限られる、ごくささやかなものに過ぎないだろう。なにせ、パーティーの後もバクシ氏はハリウッドでは仕事にあぶれているし、ミシェールの女優生命も終わっているし、招待客の酒を飲んでへべれけになったウェイターは、あの後給仕頭にクビにされただろうし、会場に象を持ち込んだ若者は親や警察にこってりお灸を据えられただろうし、気の良いカウボーイ・スターはやっぱり時代遅れのままだろうし。負け犬チームに、今後大きな展望が開けるとは到底思えないが、バクシ氏とミシェールが再会を約束したように、彼らもそれぞれの境遇からちょっぴり前進できたのではないかなと期待したい。

ミシェールがフランス語訛りの舌足らずな英語で、ギターを持って歌うシーンは一つのハイライトであろうが、演じるクローディーヌ・ロンジェはやはり可憐だ。絶世の美女ではないが、いかにも60年代チックなコケティッシュな魅力の持ち主で、初々しい佇まいが好印象だ。昔のシャネルズよろしく黒塗りの顔で(笑)、しかも完璧なインド訛りの英語を操ってインド人になりきった、変人俳優セラーズと好対照をなしていた。
彼らが泡いっぱいの会場の中で踊るシーンもファンタジック。その泡は、ハリウッドの煌びやかな虚飾そのもののように、やがて跡形もなく消えうせてしまう運命にある。ならば、たとえひと時の夢でもいいから、そのはかなくも美しい泡の中で思い切り踊り明かしたい…。でも泡が消え、夢から覚めたとき、世界はどのように彼らの目に映るのだろうか。



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