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zoom RSS Ghost in “The Machinist”…「マシニスト The Machinist」

<<   作成日時 : 2015/01/23 16:58   >>

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“仮に、自然が複雑な機械であり、人間本性が小さな機械だとするならば、人間の特性である知能や学習、自発性の正体の説明がつかない。だから、この小さな機械の中には『幽霊』がいるとしなくてはならないだろう。本来、人間の心の働きは身体の動きと切り離して考えることはできない。精神と身体は密接に繋がっており、ある人間の身体的行動を解析するということはすなわち、その人間の精神状態を分析することに他ならないのだ…”
―ギルバート・ライル Gilbert Ryle著「心の概念 The Concept of Mind」(1949年)より

人の身体を動かすものは、その人の心に他ならない。私たちは皆、大なり小なり自分自身の精神状態に影響を受けながら行動しているものなのだ。肉体という小さな機械の中に閉じ込められた幽霊である人の潜在意識は、予測不能な働きを肉体に強いる。私たちが“無意識のうちの行動”だと認識するものは、私たちの中に住む幽霊の仕業なのだろう。
実は、映画「セブン」や「羊たちの沈黙」以降、量産されるようになったサスペンス映画や心理ホラー映画は、このギルバート・ライルが提唱するところの“機械の中の幽霊のドグマ”理論に多分に影響された作品がほとんだ。誰しも、自分の中に潜んでいる幽霊の正体を解明したいという誘惑には抗えない。しかし、幽霊の正体は依然として謎のまま。だからこそ、人の“心”と“肉体”の密なる関係性を題材にした映画が、今もなお作り続けられるのではないだろうか。

…Spoiler Alert! ここから先の記事には本編に関するネタバレが含まれています。閲覧は自己責任の上で行ってください…

「マシニスト The Machinist El Maquinista」(2004年製作)
監督:ブラッド・アンダーソン
製作:フリオ・フェルナンデス
脚本:スコット・コーサー
撮影:シャビ・ヒメネス
音楽:ロケ・バニョス
出演:クリスチャン・ベイル(トレバー)
ジェニファー・ジェイソン・リー(スティービー)
アイタナ・サンチェス=ギヨン(マリア)
ジョン・シャリアン(アイバン)
マイケル・アイアンサイド(ミラー)他。

トレバーは、ただ、魚釣りがしたかっただけだ。

不眠症に陥る1年前のこと、機械工のトレバーは、魚釣りを趣味にする平凡な男だった。運命のその日、同僚のレイノルズと共に743RCNの赤い車に乗って魚釣りに行ったのだが、ルート66を走っていた1時30分に悲劇が起こる。トレバーは、運転中にシガレットライターを取ろうとして、一瞬前方から注意力が逸れてしまったのだ。道路に飛び出してきた眼鏡をかけた少年が吹っ飛んでいったのと、逆円錐形の建物の下で少年の母親が狂ったように叫んでいる光景をトレバーが辛うじて目にしたのは、ほぼ同時であった。少年を介抱することも考えつかず、トレバーは本能に従ってその場から逃走した。
トレバーは呪われた赤い車を廃車にし、NCR347の白のトラックを購入する。“魚釣りがしたかっただけ”というステッカーを貼ったのは、自身の断罪を迫る良心から逃れるため。彼の記憶は、こうして自らの殺人の事実を回路から消去したが、精神の奥深くに封じ込められていた良心という名の“潜在意識”は、主であるトレバーにその事実を思い出させようとある手段に打って出る。
トレバーは、ひき逃げ以来、一睡も出来なくなった。食事も喉を通らなくなり、彼はみるみるうちにやせ細っていく。その外見上の変化は、同僚達が彼の薬物中毒を疑うほどに著しかった。また、トレバーの中で時間の感覚も曖昧になっていく。彼が時計を見るたび、針はいつもひき逃げ事故を起こした1時30分を差しているのだ。眠れない夜に紐解く本は常にドストエフスキーの陰鬱な名著「罪と罰」。長い夜に戯れにやることは部屋の掃除だ。トレバーの住む部屋は格別汚れているわけではない。だが彼は、漂白剤を床にも自分の手にも振りかけずにはいられないのだ。まるで、そこにある血痕をこそぎ落とそうとするかのように。
ハングマンゲームにとり憑かれるようになったのも、確か1年前からだ。トレバーは冷蔵庫のドアにメモを貼る習慣があったが、そこに、ハングマンのイラストが記号のように書かれた不気味なメモが混じり始めたのだ。トレバー自身には覚えがないが、それは彼の潜在意識が貼り付けさせたもの。ゲームの正解は“KILLER(人殺し)”だが、トレバーにはさっぱりわからない。罪の意識を思い出したくないからだ。
眠れなくなる前から懇意にしていた気立ての優しい娼婦スティーヴィーは、何故かトレバーのブーツと写真を持っている。スティーヴィーは暴力亭主と別れ、トレバーと一緒になりたがっていた。骸骨のようにやせ細ってしまった彼を心配しているのだ。
トレバーは、あれから毎日車を走らせている。その度に道路の分岐点で一時停止し、必ず左側を選ぶ。なぜなら、右側に行けば街中に出るが、左側に行けば空港に行けるからだ。空港は、そのまま“高飛び”を暗喩する。人間は、自身にとって都合の悪いことは忘れても、自己防衛本能は働き続ける。だからトレバーの本能も、罪が暴かれないうちにどこかへ逃亡しようと、無意識のうちに“左側”を選ぶように彼に仕向け、“罪の意識”を封じ込めようとしているのだ。トレバーは、空港に入ると必ず24時間営業のカフェに落ち着いた。そのカフェのウェイトレスは、1年前に彼がひき逃げした少年の母親と同じ顔をしているのだが、彼はそうとは気づいていない。「罪と罰」からの連想で、トレバーは心の中でウェイトレスを“マリア”と呼んだ。
かたくなに罪を思い出さないトレバーに対し、トレバーの潜在意識は執行人を送り込んだ。丸々と太った大柄で粗野な男だ。彼はレイノルズの代わりに、トレバーが働く工場にやってきたという。そして、トレバーがかつて持っていたのと同じ型の赤い車を乱暴に運転する。トレバーは彼を「罪と罰」にあやかって“アイヴァン(イワン)”と呼んだ。ところが、イワンことアイヴァンの姿はトレバーにだけしか見えないらしい。一緒の職場で働いているというのに、他の同僚はアイヴァンのことを知らないのだ。
トレバーは不条理な出来事に憤り、次いで怯え、職場でも注意力が散漫になり始める。アイヴァンはトレバーを挑発するような行動を取り、さりげなくトレバーに付きまとう。そしてとうとう、トレバーはやってはならないミスを犯してしまった。同僚のミラーが修理中であった機械の起動スイッチを、誤って押したのである。トレバーがいくら停止スイッチを押しても作動をとめることが出来ず、結局ミラーは片腕を失う羽目になってしまった。
トレバーはある日、マリアとその息子ニコラスと遊園地に遊びに行く。マリアとニコラスが並ぶ姿をカメラのファインダー越しに見つめながら、トレバーは奇妙なデジャブを感じていた。初めて来た筈のこの遊園地も、マリアとニコラスの姿もどこかで見た記憶があるのだ。ニコラスはトレバーに、ママと会ったのはいつなのか尋ねた。もちろん1年前のことだ。ニコラスとトレバーが入ったお化け屋敷“ルート666”の中には、信じられないものがあった。吐き気を催すほどリアルな首吊り死体、娼婦と抱き合う男、「罪と罰」…。屋敷の中にはまたもや分岐点があり、右側は“天国”、左側は“地獄”を指している。トレバーが何かから逃れるように再び左側に入ると、ニコラスは泡を吹いて昏倒した。白目を剥く少年の体を抱きかかえながらも、トレバーはまだ、彼の見る“現実”の違和感に気が付かない。お化け屋敷の“お化け”とはつまり、1年もの間“罪”から逃げ続けたトレバーそのものを表していたのだ。マリアは、動揺するトレバーを慰める。ニコラスには癲癇の発作があるのだと。そして彼女の自宅に誘った。ところが、そこでもトレバーは奇妙なものを目にする。トレバーの母の形見の品であるガラスの置物と、トレバーが書いた筈のマザーズデイ・カードだ。カードは冷蔵庫のドアに貼り付けられていた。
混乱するトレバーは、自分の周囲で頻発する不気味な出来事を、全てアイヴァンの仕業だと信じ込む。彼はいつも赤い車に乗って彼の目の前をうろうろするからだ。トレバーは、ミラーに謝罪するために彼の家に赴いた。ミラーは会社から多額の退職金と慰労金を得ており、悠々自適の生活に不満はない。従って、彼の腕を切断した事故の直後、会社から解雇されていたトレバーを鷹揚に許す。だが、そこでもアイヴァンの姿を視界の隅に捉えたトレバーは突如半狂乱となり、アイヴァンとトレバーがグルだと早合点してしまう。状況がわからずあっけにとられるミラーをよそに、トレバーはアイヴァンを追跡した。
トレバーはアイヴァンの赤い車のナンバーを覚え、警察署でその持ち主を調べてくれるように頼むが、プライバシーを第三者に明かせないと断られる。そこで、わざと別の車の前に身を投げ出して怪我を負うと、足を引き摺りながら再びその車の持ち主を尋ねた。ところが結果は驚くべきものだった。アイヴァンの車はなんと、トレバーが1年前、轢き逃げ事故の後で廃車にしたものだったからだ。混乱の極みに立たされたトレバーは、発作的にその場から逃亡した。傷だらけの身体に鞭打って、下水道に潜り込む。しかしその下水道にもやはり分岐点があり、その先は、光の差し込む明るい右側と光の差さない暗い左側に分かれている。本能に従って逃げ続けるトレバーは、またもや左側に入っていった。
トレバーはスティーヴィーの家に逃げ込んだ。息も絶え絶えのトレバーを見て、スティーヴィーは憤る。
「轢き逃げするような奴は首を吊られるがいいのよ」
一緒に暮らそうと提案するスティーヴィー。心身ともに衰弱してゆく貴方の事が心配なのだと。しかしトレバーは、レイノルズとアイヴァンが一緒に写っている写真が立てられているのを見て逆上する。スティーヴィーもアイヴァンの仲間だったのか!スティーヴィーには、トレバーが何を怒っているのか理解できない。なぜなら、その写真はレイノルズと他ならぬトレバー自身が写っている写真だからだ。態度を豹変させたトレバーに、スティーヴィーも捨て台詞を投げつける。トレバーの周囲の世界が音を立てて崩れ始めた。縋るように空港のカフェに行っても、そこにはウェイトレス、マリアの姿はない。代わりにいた中年のウェイトレスは、いつもトレバーが1人黙りこくってカウンターに座っていたと証言し、ますますトレバーを苛立たせる。
自宅に戻ったトレバーは、1人の少年を伴ってトレバーの部屋に入っていくアイヴァンを見かけた。あの少年はニコラスではないのか。アイヴァンはニコラスまでも手にかけるつもりなのか。トレバーは慌てて2人の後を追う。アイヴァンは少年をバスルームに連れ込んだ。アイヴァンを止めようと飛び込んだトレバーの目に映ったのは、空っぽのバスタブのみ。その背後から現われたアイヴァンはトレバーの自意識にトドメを刺した。
「お前の、そのボロボロになった記憶をなんとかしてもらえ」
トレバーは、今までただの一度も家賃を滞納したことはない店子だったが、大家は彼の部屋から匂ってくる腐臭に困惑していた。電気料金を滞納していたらしく、彼の部屋の電気が止められてしまったのだ。その途端、冷蔵庫から“その臭い”が強烈さを増し、トレバーの嗅覚を刺激した。冷蔵庫のドアの隙間から、どす黒い液体が流れ落ちる。恐怖に駆られたトレバーは、思い切って冷蔵庫のドアを開けた。中からは、腐った魚の切り身があふれ出てきた。
…魚。
それは1年前のあの日、レイノルズと一緒に行った釣りで仕留めた獲物だった。大物を釣り上げてご機嫌だったトレバーは、レイノルズと記念撮影もした。その写真をスティーヴィーにプレゼントもしていた。トレバーは不眠症に陥る前、魚釣りが大好きだった。そう、あの日だって、彼はただ魚釣りがしたかっただけなのだ。結局トレバーは、釣り上げた魚を冷蔵庫の奥深くに押し込むと同時に、轢き逃げ事故の記憶も意識の奥深くに押し込んだ。
子供、その母親、そして分岐点。全ての記憶の断片が、収まるべき場所に収まっていった。というより、真実は最初から彼のすぐ傍にあったのに、彼が自らそこから目を背けていただけなのだ。
トレバーは自宅の荷物を処分した。大家は別れを惜しんでくれたが、もうここには戻れないだろう。彼は窓の外をそっと窺う。アイヴァンが車の脇で自分を待っていた。車に乗り込んだトレバーは、分岐点に差し掛かる。右側へ曲がれば警察署へ、左側へ曲がれば高飛びできる空港だ。だがトレバーはもう迷わない。ハンドルを右へ向け、彼は自首するために警察署に向かった。アイヴァンは警察署の前で、そんな彼を見送っていた。あの歪な形の親指で、照れくさそうに笑いながらサムズアップ。その途端、1年ぶりに訪れた強烈な睡魔がトレバーを襲う。彼は留置所の中で、崩れ落ちるように眠りについた。

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今作への一般的評価は概して低調だ。ひとつには、主役トレバーを演じたクリスチャン・ベイルのビジュアル。彼は、”1年間眠っていない男”という特異なキャラクターをリアルに造形するため、体力の限界まで体重を落としてみせた。その驚くべきビジュアルのみに注目した観客には、結局今作の面白さは見えなかったことだろう。鶏ガラのようにやせ細ったクリスチャンの姿に象徴される、いびつで不安定な表象の奥深くには、実は極めて道徳的なメッセージと、愚かな人間性へのほのかな愛着が隠されている。
あるいは、クリストファー・ノーラン監督の「メメント」との類似性に拘る向きもあると思う。だがこの2作品は似て非なるものだ。確かに、共に“記憶の欠落”というモチーフを扱ってはいる。しかし、「メメント」はそれそのものが映画のテーマとトリック全てであるのに対し、「マシニスト」は記憶の欠落を辿ることで、最終的に人間心理の不可思議さをあぶりだそうとしている作品だ。記憶の混乱がアイデンティティの混乱を引き起こし、今目の前にある現実すらも疑わしくなるという不安が、なぜ、どこからやってきたのか。観客は、主人公と共にそれを探っていく過程で、人間としてコミュニティとコミットしながら生きるために必要なことを悟る…という次第だ。1年間眠らない男という、ある意味非現実的で異様なドラマが、最後には普遍的な人間ドラマに帰着する点に、この映画の醍醐味があると思っている。もちろん、“恐怖映画”あるいは“ミステリー、サスペンス映画”としての仕掛けも、映像の中できちんと機能している。端的にまとめれば、今作は、重大な罪を犯してしまった人間が贖罪に至るまでの過程と、それを喚起しうる人間の“良心”の発露を、恐怖映画の枠組みの中で描いたものだといえるのではないか。“ミステリー”そのものが映画の骨子たる「メメント」と、今作が到達点を異にすると断言するのは、そんな理由だ。

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悪夢を見ているとき、人間の意識の一部は、今見ている世界が現実ではないことを認識するために、覚醒し続けているという。あるいは、悪夢の中の世界が酷ければ酷いほど、実は、その人間の住まう現実世界は充実しているのだという皮肉な事実もある。ことほどさように、悪夢と人間の精神の相関関係は複雑だ。夢の中の世界では、人間は重い機械である肉体を離れ、とてもとても無防備な存在になる。だからこそ、潜在意識の、肉体に及ぼす働きが不可解な形で現われやすいともいえる。
潜在意識、すなわち“人間という機械の中の幽霊”は、宿主の肉体に様々な形で働きかける。例えばこの映画のように、贖うべき罪から逃れようと、自身の周囲に張り巡らした偽りの世界(=妄想)に閉じこもった人間を“目覚めさせる”ため、新たな“悪夢”を与えたりもする。
そう、トレバーにとっては、どんなに不眠に苦しもうがやせ細ろうが、分岐点で必ず左側を選び、また空港のカフェにいる“僕のウェイトレス”マリアと交流することこそが、彼自身の理想とする幸せな世界であった。そうしている限り、彼は彼が犯した罪に蓋をしたままでいられるからだ。だが、それはもちろんいびつな妄想であり、現実ではない。いってみれば、トレバーの肉体は眠っていなかったかもしれないが、その表層意識は夢の世界に逃げこんだまま、1年間昏々と眠り続けていたようなものである。トレバーの潜在意識は、彼を正気に戻して“現実”と向き合わせるため、アイヴァンという名の“良心のシンボル”を表出させた。
今作の中で興味深いのは、このアイヴァンという存在の意義である。彼は、トレバーの創りあげた偽りの夢の世界に揺さぶりをかける存在だ。だから、平凡でやせ細った地味なトレバーとは、なにもかもが対照的な男として登場する。マッチョで豪放でセックスの方面にもタフな(いびつな形の親指をトレバーに見せびらかすシーンに象徴)男。おそらくそれらは、従来のトレバーが内心コンプレックスを抱いていた資質であったのだろう。トレバーにアイヴァンという存在を気づかせるため、潜在意識はあえて、アイヴァンをトレバーが嫌っているタイプの男に仕立て上げたわけだ。映画を観ている観客は、トレバーの周囲の世界を、彼の視線を通じてのみ認識している。だから、トレバーがアイヴァンを敵視すればするほど、アイヴァンは映画の世界の中で、トレバーと観客を不条理で恐ろしい世界に誘う死神の役割を担うことになる。しかし映画を最後まで観れば、実はアイヴァンというのは、トレバーの潜在意識が彼を真っ当な道に戻そうとして生み出した、もう一人のトレバーであったことがわかる。
理由はどうあれ、人を1人轢き殺しておいてその罪から逃れようと謀ったトレバーに、人間としての尊厳を思い出させたのが、アイヴァン並びに彼自身の潜在意識であったとする物語の流れには、人間の愚かさを断罪するという意味合いよりも、むしろ、人間の精神に秘められる“再生力”へのほのかな希望をこそ感じる。前述したように、今作は基本的には、恐怖映画、サスペンス映画の体裁をとりながら、その実目指すところは“モラル”の物語であるのだ。“アイヴァン”、そして後に触れる“マリア(聖母のメタファー)と、“スティーヴィー(マグダラのマリアを髣髴とさせる娼婦)”といったイコンには、宗教的なニュアンスも加味されている。今作におけるこのような味わいは一種独特であり、英語作品であるにもかかわらず、今作がスペイン資本に拠った製作であることが、おそらく作風に大きな影響を与えていると思われる。仮に、今作がハリウッド下で製作されていたとしたら、映画の中に流れる微妙なニュアンスは全て消し去られてしまっていたに違いない。

さて、トレバーがようやく自身の現実世界を取り戻した背景には、アイヴァンとの軋轢の他にも、もう1人重要な人物の存在がある。トレバーの“僕のウェイトレス”マリアである。彼女は心身ともに疲弊しきったトレバーを癒す、包容力に溢れた女性として登場する。トレバーが、彼女に無意識のうちに亡き母親の面影を重ねているからだ。だが、映画を観ている観客には、彼女が単なるウェイトレス以上の意味を持つ人物であることが徐々にわかってくる。そう、彼女こそ、トレバーの罪悪感の根源であるところの、轢き殺した少年の母親であったのだ。
つまりトレバーは、マリア…実際にはどんな名前であるかはわからない…に、己の罪を許して欲しくて、彼女に様々な人物像を投影した。罪の意識に苦しむ自分(トレバー自身は、それを認識してはいないが)を慰撫する聖母としての役割、また、どんなヘマを犯そうが、最後には全てを許してくれるはずの実の母親としての役割である。トレバーは、意識の片隅に辛うじて残されていた、倒れる少年とその傍に駆け寄る母親のイメージを、母子家庭で育った自分自身と実の母親のイメージに巧みにすり替えた。そうすれば、“少年を轢き殺した”という真実を忘れられると思ったのだろう。
トレバーの潜在意識は、その誤ったイメージのすり替えを正すため、遊園地でカメラのファインダー越しに彼自身と母親の写真を見せた。そして、“マリア”の家にあったガラスの置物が、トレバーの母親の形見であること、“マリア”の家の冷蔵庫にトレバーが書いたカードが貼られていることを示し、“マリア”なる人物は実は存在しないのだと教えたのである。マリアとは、トレバーが贖罪すべき人物にして、最も恐れるべき人物であった。トレバー自身に愛する母親がいたように、トレバーが轢き殺した少年にもまた、彼を愛して止まない母親がいたのだ。マリアもまた、アイヴァンとは違った形で表出したトレバーの良心であったと思われる。

マリアがトレバーにとっての聖母であったならば、スティーヴィーはどのような存在だったのだろう。スティーヴィーは、トレバーが轢き逃げ事故を起こす前から仲の良かった娼婦であった。だが、“恋人”と言い切ってしまうには語弊もあるような気がする。彼女は暴力亭主から逃れ、平凡でも優しいトレバーと所帯を持ちたがっていた。彼女のトレバーへの献身は、母親のそれとは異なり肉体的なつながりを伴うものだが、孤独な人間が社会の片隅でひっそりと絆を確かめ合うような、あやうい脆さも孕んでいる。その微妙な均衡を壊したくなかったトレバーは、轢き逃げ事故のことを彼女に打ち明けることができなかったのかもしれない。
しかし、実際のところどうだろう。もしもトレバーが、事故のことをスティーヴィーに正直に話していたとしたら。彼女は案外、刑務所入りするトレバーを待っていてくれたのではなかろうか。結局のところトレバーは、スティーヴィーをそこまで信頼していなかったということか。だとしたら、スティーヴィーにとっても、またトレバーにとっても哀しいことであろう。キリストを愛しながらも、彼個人からの愛情をついに得られなかったマグダラのマリアのイメージが、スティーヴィーという哀れな女のそれに重なる。

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トレバーは愚かで未熟で弱い男であった。だが、彼の辿る運命を嘲笑することは誰にも出来ない。なぜならトレバーという男は、私やあなたのように、どこにでも見ることのできる、ごくごく当たり前の人間だからだ。もし、私やあなたが重大な罪を犯し、それから逃れられる可能性も同時にあったとしたら、一体どのような行動をとるだろうか。トレバーのように逃げようとあがく?いさぎよく自首する?水槽の中から外の世界を眺めているような、緊迫した不安定感に包まれた今作を観るにつけ、そんなことをぼんやり考えてしまう。
今作から漂ってくる、嵐の前の奇妙な静けさのような静謐な空気には、良心に従うことを選択するのか、それとも安易な道に怠惰に流されることを選択するのか、人間に取捨選択を迫る神の意思すら感じるようだ。


・画像は「Bale Tankentai=Nisshi 2nd Stage」よりお借りしています。

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