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zoom RSS 「みなさん、さようなら The Barbarian Invasions」

<<   作成日時 : 2016/03/03 10:40   >>

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20世紀と1人の男の終焉、或いは、親子と友情の再生の物語。

「みなさん、さようなら。 Les invasions barbares / The Barbarian Invasions」(2003年製作)
監督&脚本:ドゥニ・アルカン Denys Arcand
製作:ダニエル・ルイ&ドゥニ・ロベール
撮影:ギイ・デュフォー
音楽:ピエール・アヴィア
出演:レミー・ジラール(レミ)
ステファン・ルソー(セバスチャン)
マリ=ジョゼ・クローズ(ナタリー)
マリナ・ハンズ(ガエル)
ドロテ・ベリマン(ルイーズ)
ルイーズ・ポルタル(ディアーヌ)
ドミニク・ミシェル(ドミニク)
イヴ・ジャック(クロード)
ピエール・キュルジ(ピエール)他。

ロンドンの証券取引所で、有能なビジネスマンとして働くセバスチャン。ある日カナダのモントリオールに暮らす母ルイーズから、父レミの容態が急変した知らせを受けた。セバスチャンとレミは、お定まりのように仲の悪い父子で、最近では顔を合わせてもろくに口も利かない。しかしうろたえる母のたっての願いで、婚約者ガエルを連れて帰国することにする。
レミは大学で歴史を教える教授であった。コミュニズムにかぶれ、病的な女好き。ワイン、音楽、うまい料理、本をこよなく愛する万年貧乏知識人の最後の世代でもある。一方息子セバスチャンは、女遊びが過ぎて母や家庭を顧みなかった父を反面教師として育ち、努力して現在の高い年収と豊かな暮らし、素直で美しい婚約者を得た。そんな水と油の二人がうまくいくわけはない。
レミの妻ルイーズは、ここ15年ほど夫とは別居生活を送っていた。レミの女遊びが激しいからだ。嫉妬する段階をとうに越えて、もはや達観の心境に至っているルイーズにしても、夫の重体には心を乱されるものがある。それに、レミとセバスチャンの和解を願ってもいた。
レミの癌はすでに末期で、手の施しようがない状態であるとわかった。セバスチャンは、少しでも心地よく最期のときを過ごさせるために、早速レミを別の病院へ移そうと手配する。ところがレミは、イスラム教徒に冷たいアメリカなんぞへ行けるかと、頑固に息子の申し出を拒否。ここでセバスチャンは積年の不満が爆発し、父の人生を負け犬となじり、仕事で成功した自分とヨットの搬送を職業とする妹シルヴェーヌを育てたのは母一人だと叫んでしまう。最後はお互いに「クタバレ」「クソッタレ」とののしり合って幕。毎度のことだ。
しかしセバスチャンはルイーズにたしなめられる。レミのために、彼の友人達を呼んで楽しい病室にしてあげて欲しいという母の望みをかなえるため、翌日からセバスチャンは精力的に動き始めるのだった。
一方レミの方も、看護婦コンスタンスに、息子へのわがままな態度を諫められていた。わざわざ国外から見舞いに飛んできてくれる息子に感謝なさい、と。セバスチャンはレミに、シルヴェーヌの衛星通信の映像を見せる。太平洋の海上から、娘は父にあふれる愛情を送ってくれた。レミの目頭が熱くなる。
セバスチャンは病院の理事長や労働組合に直談判し、大量の現金をちらつかせて、使われていない階の改装をすることに成功する。そこに豪華な個室を作り、レミの友人達を招いた。いみじくも、9.11テロ事件が世界中を席巻していた時代。しかしレミは、敬虔なキリスト教徒の看護婦コンスタンスに、20世紀は血なまぐさい時代じゃないさとうそぶく。

「先の大戦で1億人、ロシアの収容所で1000万人、中国では2000万人死んだ。16世紀のスペインとポルトガルはざっと1億5000万人の先住民を斧で叩き殺した。北米では欧米列強がそれぞれ5000万人の先住民を殺害。シスター、人間の歴史は恐怖の歴史なのだよ」

夜になってひとりきりになると、そんなレミも死への恐怖におののいている。

世界中からレミの悪友たちが駆けつけた。かつての愛人でもあるディアーヌとドミニク。神をも恐れぬ好色な無神論者である彼らは、コンスタンスの目の前で『ポーランドが不幸なのは神がいる証拠』と合唱する始末だ。そしてクロードは、同性の恋人アレッサンドロを連れてローマからやってきた。ピエールは、晩婚で得た幼い子供達とグラマーな若妻を連れてレミのもとへ。旧友たちは久しぶりの再会におおいに盛り上がる。

方やセバスチャンは、レミの末期癌の痛みを軽減するため、モルヒネよりも効果の高いヘロイン投与を決意する。もちろん入院先の医者には内緒だ。そこで極秘裏にヘロインを調達するため、警察の麻薬課など方々を廻った。結局ディアーヌの娘でジャンキーのナタリーに、ヘロイン調達とレミへの投与のケアを頼むことに落ち着いた。久しぶりに会ったナタリーは、長年のヘロイン摂取のせいでやせこけ、遁世的になっていた。とにもかくにも、セバスチャンは彼女に報酬を払い、ナタリーは“秘密の世話係”としてレミにヘロインを投与することになった。彼女は、看護婦も見廻ってこなくなる真夜中に病室を訪れた。そして、今だに続く母のだらしない性生活を愚痴り、レミをいたく恐縮させる。それをレミたちは“性の開放”と位置付けていたのだが。初めてのヘロイン体験で、彼は文字通り“ぶっ飛んで”しまった。そして痛みの軽減以上に、ヘロインへの依存が増してしまったのである。

病室ではレミの悪友達が集まり、クロードとアレッサンドロが手料理をふるまっている。レミは初恋の相手であった映画女優、イネス・オルシーニの思い出話を始めた。彼女がスカートの裾を上げながら浅瀬を歩くシーンで恋に落ちたのだと。あの素晴らしい太ももを思いながら初体験をした。だがフランソワーズ・アルディが歌う姿を見て心変わりをし、お次はジュリー・クリスティー。次はテニス選手のクリス・エバート、ダンサーのカレン・ケイン…と華麗なる(?)恋の遍歴を続けたが、やがて老い、女達は夢から消えていった。その場にいる皆が同じ心境であった。

セバスチャンは、相変わらずレミの検査の行き帰りに同行している。父子は少しずつ会話するようになってきた。そしてレミの願いで、彼が青春のひと時を過ごした、思い出深い湖のほとりに立ち寄ったのだった。レミは初めて息子に、自分の人生を自嘲気味に話して聞かせる。友人達はみなピューリッツァー賞を受賞したりしてそれぞれに成功を収めたが、自分はしがない一教授として一生を終えようとしている。勤め先の大学長も教え子達も、辞めていく自分に一言の挨拶すらない…。セバスチャンには、目に湖畔の風景を焼き付けようとするレミの後姿が、ひときわ寂しげに映るのだった。

真夜中にレミの病室に向かうナタリーをディアーヌが廊下で待ち構えていた。彼女とて母親、どんなに男達と遊び歩いていても、クスリ漬けの娘の身をいつも案じているのだ。クスリを断つように懇願する母を冷ややかに振り切るナタリー。
レミはナタリーにだけは、死を恐れ、人生にいまだ執着する正直な気持ちを打ち明けることができた。人生のすべてを―特に女性を―愛しているから。しかしナタリーは、レミが執着しているのは現実ではなく、懐かしい過去であることを言い当てる。レミは苦渋の表情でそれを受け入れた。
レミはコンスタンス相手に激しい怒りをぶつける。ピオ12世が、プリモ・レーヴィのアウシュビッツ収容所送りを黙認した罪を糾弾しているのだ。コンスタンスは、もしそうなら、愚かな人間を許す神がますます必要になると諭した。レミにとっては不毛な議論だ。その夜彼はナタリーに愚痴をこぼす。『収容所列島』や『周期律』のような本を書いて、そこに自分の足跡を残すべきだったと。自分に出来ることを精一杯やっておけば、死を前にしてこんなに後悔することはなかったろう。ナタリーは、あなたはそのことにちゃんと気づいたし、息子は立派に成長したではないかと、レミを慰めるのだった。

ある日教え子達がレミの病床に見舞いに来た。3人とも自発的に来てくれたと、レミはことのほか喜ぶ。だがそれは、裏でセバスチャンが報酬を渡して演出していたものだった。
レミの容態は刻一刻と悪化していく。ヘロイン投与の影響で、彼は昼間も朦朧としていることが多くなった。その姿を見ながら友人達は、互いに老いを実感し、めっきりお楽しみとはご無沙汰だとため息をつくのだった。
レミにヘロインの禁断症状が出ているというのに、ナタリーが世話に来ない。セバスチャンは、彼女のアパートの鍵を無理やりこじ開け、トリップ中の彼女を病室まで引きずってくる。そこで内密に夜勤の看護婦の手を借りながら、ヘロインを直接レミの静脈に注射することになった。

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セバスチャンは、レミの死期がいよいよ近づいていることを悟る。そこで、最期を思い出の湖畔で過ごさせようと、ピエールに別荘を貸してくれるように頼み込んだ。もちろんピエールにも異存はない。レミは病院を出て、友人と共に別荘に移った。コンスタンスの彼へのお別れの言葉は、“神の神秘を受け入れるように” である。また、セバスチャンにも、レミに愛していると言うように諭すのだった。ナタリーはとうとう、中毒治療のための薬を購入する決心をした。彼女もレミに同行するのだ。

レミはナタリーに、まだ死ぬことを受け入れられないと、苦しい胸の内を明かす。死に対して無力なまま、永遠に消えていくだけなんて信じられない。湖畔での最後の休暇が始まった。レミたちは思い出話に花を咲かせる。ケベック州の分離独立推進派で主権論者である自分達は、初めは実存主義者だったのだ。サルトルやカミュ、ファノンを読んで反植民地主義者を気取り、そのあとマルキストになった。トロツキー、毛沢東…。ソルジェニツィンをかじって構造主義に転じる。状況主義、フェミニスト…そして脱構造主義へ。レミは、70年代後半にモントリオールで会見した、セクシーな中国の女性考古学者のことを思い出す。彼女のご機嫌をとるために言ったことが、実は浅はかな失言であった苦い経験だ。ゴダール映画を観て、ソレルスをかじったぐらいで共産主義者になったつもりの自分は、救いようのないバカであった。…レミの口から出た初めての悔恨の言葉であった。

友人達と家族に囲まれての、気取らない楽しい食卓。彼らが20世紀の知性について持論を展開している間、セバスチャンやナタリー、ガエルは蚊帳の外だ。レミは、自分が生まれた1950年はバカの当たり年だと混ぜっ返す。アメリカにいたなら、ブッシュを支持しただろうよ、と。
もはやレミには大好きなワインも飲むことも出来ない。みな沈痛な心境で乾杯する。
夜はティーンのようにみなでキャンプファイヤーを囲む。夜といえば猥談だ。フランス大統領フェリックス・フォールのように、あの世に行きたいもんだ。彼は愛人と密会中に急死したのである。「彼はカエサルになろうとしたが、吸い尽くされて昇天した…」懲りない連中は、そこで大爆笑だ。
ナタリーにヘロインを投与されて眠るレミ。友人達も家族も寝ずに彼を見守っている。意識が混濁するレミは、うわごとをつぶやく。「中世…写本…あちこちに蛮族が…息子は蛮族の王子だ」
ナタリーとセバスチャンは、辛い気持ちを慰めあう。昼も夜も仕事の電話から離れられない彼を見かねて、ナタリーは彼の携帯を火にくべてしまう。笑い転げる二人。

夜が明けた。レミはセバスチャンに死への恐怖を訴える。セバスチャンは、レミの意志を尊重するために、ヘロインによる安楽死を選択した。父子はようやく固く抱き合い、レミは息子に最後の言葉を残す。「お前のような息子を作れ。これが私の願いだ」セバスチャンも涙ながらに父に最後の言葉を贈った。「愛してるよ」
コンスタンスが病院に極秘で別荘にやってきた。ヘロイン投与のための点滴をとりつけるためだ。カナダではまだ安楽死が合法ではないので、これは彼女個人の厚意である。シルヴェーヌからの衛星通信が、ぎりぎりで間に合った。娘は、初恋の人はパパだったと言い、心からの『ありがとう』を伝えた。もう思い残すことはない。「みんなとささやかな時間を過ごせて幸せだった。君らの笑顔に送られて逝くよ」
友人達と家族が一人一人、言葉なくレミにお別れを告げた。レミはナタリーに、「私の守護天使」と感謝の言葉をかける。「出会えて本当に良かった」
ヘロインが点滴に注入されていく。レミは安らかに目を閉じた。脳裏にはイネス・オルシーニのまぶしい太ももがきらめいている。森がざわめき、雲の切れ目から日の光が射す。ナタリーは治療薬をがぶ飲みし、母と抱き合うのだった。

レミの葬儀後、セバスチャンは、レミが使用していた仕事場をナタリーに譲った。書斎には、プリモ・レーヴィやシオラン、ソルジェ二ツィン、ピープスといった、彼が愛した書物で埋まっていた。ここにはレミの魂がある。ナタリーは彼の魂を感じながら、ここで人生をやり直す決心をした。

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この作品には非常に重いテーマが含まれています。「死」に際して人はどうあるべきか。普段せわしない日常にまぎれてしまって、どう死ぬべきかなんて意識は思考の外にあるのが普通です。でも人はどうあっても老いますし、毎日少しずつ「死」へ向かっているわけです。せめてこのような映画に触れるときだけでも、「死」について考えてみてもいいと思いますよ。

この作品では、主人公レミが最終的に己の「死」を受け入れるまでの過程を、じっくりと描いていきます。レミはこれまで好き勝手に人生を生きてきて、家庭も顧みなかった身勝手な男と位置づけられています。それが息子との確執の原因なのですが、しかし彼は彼なりに、新しい世代の生き方を模索していたとも考えられます。古い思想や道徳観念からの脱却を図るために、彼はあえてコミュニストになる道を選んだのでしょうし。まあ、彼の世代の人間に流行った生き方でもあるのですが。

彼自身が親になり、次の息子の世代が社会を支える時代になると、レミはそれまで無縁であった「死」と向き合わざるを得なくなります。元気な頃には神も恐れず、死も恐れず颯爽と生きていたのに、死が間近になると途端に生に執着しようとあがく。そんなレミの姿は見るのも辛いですが、これが「死」を目前にした人間の現実だと思います。志は高いのに人生においてなにも達成できず、自分の生きた証をどこにも残すことが出来ないという焦り。キリギリスのように人生を楽しみすぎて、気づいたときには“なにか”を行うには残された時間が足らない…。そもそも、自分の人生を意味あるものにしたいという思いに突き動かされるのも、自分が老いてすでに社会の中枢からはじき出された存在であるという現実に耐えられないからだとも言えます。

レミは、息子セバスチャンと同じ世代に属しながら、彼とは対照的な生き方をするナタリーと触れあうことで、自分の焦りの内実を悟るのです。ある意味レミは、ナタリーを息子の身代わりとして、彼女に自分の内面を正直に吐露していたのかもしれません。

しかしながら、自分が不完全な人間であることに気づくのは、自身の人生を受け入れる第一歩でもあります。レミが人生を通じてどうしても容認できなかったキリスト教的神の存在や、そんな神に頼りたがる人間の弱さ、資本主義的思想もすべてひっくるめて受け入れることと同義です。そして、資本主義社会に属する自身の息子を受け入れることも。それらすべてはひとつながりの線上にあります。そうして初めてレミは自分の人生を受け入れ、ひいては「死」をも受け入れる準備ができたわけですね。

一方息子セバスチャンも、父を喜ばせるべく行動するうちに、今までわかろうともしなかった父の人生の苦しみを知ることになりました。彼にしても、父の生きかたを受け入れることが、その死を見送る心の準備となります。二人が湖畔でついにお互いの人生を受け入れる様は、やはり感慨深いものです。親子の絆を再確認できた彼らには、「今までありがとう」「愛してる」という言葉すら必要ないでしょう。レミの「お前のような息子を作れ」という言葉は、息子への最上級の感謝と愛情と敬意に満ちた言葉だと思います。
また、レミの「死」への過程は、ナタリーの人生にも大きな転機をもたらします。クスリのせいで生きながら死んでいたような彼女は、レミの本心を誰よりも知る立場になるにつれて、彼の贖罪に手を貸すという役目を担うようになりました。最後には彼に安寧な眠りをもたらし、代わりに彼の魂を引き継いだわけです。ナタリーはレミの死によって、再び生きる意欲を取り戻しました。彼女がレミの家で新生活を始めることを一番喜んだのは、レミ自身かもしれませんね。

結局レミは様々な葛藤を経て、最終的に『人生の中で一番大切なのは家族と友人の愛情である』という当たり前の結論に達します。これはどんな人間にも当てはまる、普遍的な哲学ですよね。

アルカン監督は、レミとセバスチャンの和解の物語を主軸におきながらも、レミとその友人達の間で交わされる機知に富んだ会話の応酬をテンポ良く見せていきます。彼らの会話の中には、名だたる哲学者や思想家の名前もたくさん出てきますし、20世紀の知識人がどのような思想の変遷をたどってきたかが、彼ら自身を通じてうかがい知れるようになっています。実はそれが、レミの歩んだ人生の総括となっているだけではなく、20世紀の思想史、文化史の総括ともなっているのですね。
また、彼らは随時猥談に花を咲かせますが、これは、当時の知識人の冒険が性の開放と無縁ではなかったためであると同時に、重苦しくなりがちなストーリーに心地よい風を通す役割も持っています。
「死」に臨む人間を、シリアスになりすぎず適度なユーモアでくるんで描くアルカン監督の視線は、どこまでも優しいものなのでしょうね。

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ドゥニ・アルカン Denys Arcand

1941年6月25日生まれ
カナダ、ケベック州Deschambault出身

フランス語で映画を撮ることが多い監督ですが、元々はカナダのケベック州出身の映画作家です。その作風は非常にポリティックかつアナーキー。とにかく批判精神と風刺精神に富む、辛口のメッセージを伝える作品を多く残していますね。ユーモアの感覚もドライ。今作においては、とかく湿っぽくなりがちな親子の情愛の再生物語を、20世紀の世相を斬る彼独特の批評演出で巧みにくるみ込んでみせました。
映画製作に関わり始めたのは60年代ですから、随分キャリアの長い人であります。日本では公開されていない作品もたくさんあるため、今後もっともっと日本で取り上げて欲しい映画監督の1人ですね。

●フィルモグラフィー Filmography

2014年『Le règne de la beauté』
2007年『The Age of Ignorance』
2003年「みなさん、さようなら The Barbarian Invasions」
2000年「しあわせの選択 Stardom」
1996年『Joyeux Calvaire』
1993年『Love & Human Remains』
1991年『Montréal vu par...』
1989年「モントリオールのジーザス Jesus of Montreal」
1986年「アメリカ帝国の滅亡 The Decline of the American Empire」
1985年『Empire, Inc.』(TVミニシリーズ)
1985年『Murder in the Family』(TVミニシリーズ)
1984年『Le crime d'Ovide Plouffe』
1982年『Le confort et l'indifférence』
1976年『On est au coton』
1975年『Gina』
1973年『Réjeanne Padovani』
1972年『Québec: Duplessis et après...』
1972年『La maudite galette』
1967年『Parcs atlantiques』
1966年『Volleyball』
1965年『La route de l'Ouest』
1965年『Les montréalistes』
1964年『Champlain』
1964年『Samuel de Champlain: Québec 1603』
1962年『Alone or with Others』―Denis Hérouxとの共同監督

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「しあわせの法則 Stardom」完成後の、カンヌ国際映画祭 Cannes International Film Festivalでのフォトコールにて。出演者と共に。



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