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zoom RSS 好き、嫌いは少なくとも“個人の”事情。

<<   作成日時 : 2016/05/07 00:08   >>

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皆さん、“好き・嫌い”の基準値ってどこに設けられていますか?その対象によっても異なるでしょうし、これこそ個人差があることなので一概には断定できないでしょうが、好きと嫌いの境界線は意外と曖昧なもの。それに、おそらく年齢によっても、その基準値は変化していくことでしょうね。

いずれにせよ、好きだの嫌いだのといった感覚は非常に主観的なものであり、客観性はゼロに等しいと考えています。

にもかかわらず、私たちが例えば映画の感想を書いたりする際には、この“好き・嫌い”の度合いが大いにものを言うわけですよね。あくまでも公平に、客観的であらねばならないレビューにおいても。
結果的に作品に好意的な感想記事になれば、自分はその作品が“好き”で満足したということになるだろうし、否定的な内容であれば、要は自分はその作品は“嫌い”だったということになります。どんなに観賞数を増したところで、その経験値から私たちが導き出す結論は、決して完全に客観的な判断にはならないのだと、今でも感じています。もちろん、“完全に客観的な”記事を書ける方もこの世には存在するでしょうが、それはきっと超人の域に達しておられるごくごく一部の方だけだと確信しています。

結局、私のような凡人にできるのは、そのときに良いと思うものには素直に“良い”と表明し、気に入らない、あるいは苦手だと感じるものには、屁理屈をつけずに素直に“好きになれません、降参です”と白旗を揚げることだけです。そんなんでいいのかとも思いますが、しかしこれこそが、何かを評価する際の実は最も基本となる姿勢じゃないかと思っています。少なくとも今の私は、そんなスタンスでブログ界に生息していますね。

好き・嫌いの基準は千差万別なのだという例を、恐れながら自分自身を例にとって説明してみます。

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世界のシネアスト、シネフィルがこぞって大絶賛、泣く子も黙る大名作「市民ケーン Citizen Kane」(1941年)。本来の職業は天才クリエイター、でも多くの日本人にとっては英語教材のナレーター(「イングリッシュ・アドベンチャー」ね)として親しまれている、オーソン・ウェルズ Orson Welles監督による処女長編作ですね。私、この作品を何度か観てみたのですが、何度観ても、世紀の傑作と謳われる理由が理解できませんでした。…ついでながら、“バラのつぼみ Rosebud”の意味も不明のままです。せめて死ぬまでに分かるようになるのでしょうかね。
撮影技法その他、映画の技術的な側面における独創性、創造性には本当に感服するものの、作品の内容としてはいたって凡庸なのではないか。今、背中から銃で撃たれても文句はいえないほどの暴言が、つい口から飛び出してしまいます(笑)。

そうですね、今までの自分の経験の中でも特に印象的だったのは、例の名作ロマンス「風と共に去りぬ Gone With the Wind」(1939年)(ヴィクター・フレミング Victor Fleming監督)をクソ映画だと断じた(本当にそう言った・冷や汗)私の友人の逸話ですかねえ。彼女はマーガレット・ミッチェル Margaret Mitchell女史の原作小説「風と共に去りぬ」自体も大嫌いで、曰く、“周囲のことに何も気づけないバカ女と、そんなバカ女に惚れたアホ男のクソくだらない話”というのが、この名作の要約だそうです(笑)。
世紀の名作にそこまでケチをつけられれば、いっそすがすがしいことでしょうよ。いやまあ、そこまでアホアホ言わんでも、彼女の意見には“当たらずとも遠からず”な一理を汲み取ることも可能です。念のために申し上げておきますが、私自身は大好きな作品です。なんといっても、ヴィヴィアン・リーの神経症的な美貌が最高潮にあったときの作品ですからね。私たちは、この世に存在する全ての美しいものには、理屈抜きで平伏すべきなのですよ。ま、お話の内容的には凡百の時代物ラブ・ロマンス映画と大差はないのかもしれませんが。それにしても、映画界が最も豊かであった時代の、映画でしか表現できない豪奢さを体感できるという一点において、まさしく映画らしい映画だと思うのです。

つまりは、どんなに多くの人が褒め称えている作品であっても、自分が気に入らなければ、結局それは“ダメな”作品になってしまうわけです。逆に、多くの人が駄作だと切り捨てても、自分に何か働きかけるものがあれば、それは“自分にとって特別な”作品だということになるでしょう。単純なことなんですよ。

実は昔は、有名、無名に関わらず、“名作”と評価されている作品を意識してブログに取り上げようと、かなり無理していた部分がありましてね。過去の記事を読み返していると、そんな痛々しい部分が所々に垣間見られ、いたたまれない気分になります。今は、そのときどきに自分が良いと直感した作品に触れていたいと、気楽に考えています。皆さんも、これから映画をご覧になる際には、どうか、他人の意見だけを鵜呑みにするのではなく、自分の目で見て判断した上で、“自分にとって特別な映画”を1つでも多く見つけてください。


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オーソン・ウェルズ Orson Welles
(本名 George Orson Welles)

1915年5月6日生まれ
1985年10月10日(享年70歳)没
アメリカ、ウィスコンシン州ケノーシャ出身

●主なフィルモグラフィー Filmography as director

1974年「フェイク F for Fake」
1966年「フォルスタッフ Falstaff」
1963年「審判 The Trial」
1958年「黒い罠 Touch of Evil」
1955年「秘められた過去 Mr. Arkadin」(劇場未公開)
1952年「オセロ The Tragedy of Othello: The Moor of Venice」
1948年「マクベス Macbeth」
1947年「上海から来た女 The Lady from Shanghai」
1946年「オーソン・ウェルズINストレンジャー The Stranger」
1942年「偉大なるアンバーソン家の人々 The Magnificent Ambersons」
1941年「市民ケーン Citizen Kane」


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今回、ついに禁断の(笑)俎上に上げてしまった世紀の傑作。…ウェルズさん、本当にごめんなさい。貴方の監督作品の中では「上海から来た女 The Lady from Shanghai」(1947年)がいっとう好きです…。


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そして、ウェルズ監督のフィルモグラフィーの中では、検閲、そして映画製作会社によってフィルムがズタズタにカットされた上、そのカットされた部分のフィルムが散逸し、結局は未完成作品となってしまった「偉大なるアンバーソン家の人々The Magnificent Ambersons」(1942年)こそ、最高傑作だと考えております。

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もしも、もしもですよ、本編からカットされた部分を復元した、完全版の「偉大なるアンバーソン家の人々The Magnificent Ambersons」が実現したとしたら、おそらく私は何も思い残すことなく大往生できるでしょう(大笑)。それほど、「偉大なるアンバーソン家の人々The Magnificent Ambersons」は偉大であり、今見直しても身震いするような圧巻を覚えるのです。


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私の高校時代の友人Yさんの大嫌いな大名作(笑)。人の好みは十人十色なれど、彼女の今作に抱く憎しみに似た感情は、また別の感慨も呼び覚ましますよ(笑)。
クラーク・ゲーブルの持ち味…やさぐれた“ちょいワル”親父的フェロモンは、硬派なノワール映画よりも、むしろこの手の女性映画の方が際立つ気がします。キャプラ Frank Capra監督の「或る夜の出来事 It Happened One Night」(1934年)でのゲーブルも、フェロモン駄々漏れ状態でしたよね。


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