Don’t steal my posts. All posts on this blog are written by me.

House of M

アクセスカウンタ

zoom RSS あの頃、ジョッシュと…―「ビッグ Big」

<<   作成日時 : 2013/12/22 21:29   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

子豆1号ことわが長男……砂糖コーティングのバームクーヘンの一切れのうち、砂糖部分を含む上からキッカリ2層分だけ食べるのがブーム。
子豆2号ことわが次男……納豆をこれでもかと混ぜ込んだごはんを用意して、わざわざ納豆だけ選り分けて食べるのがブーム。

1号の友人E君……ふら〜っと我が家にやってきちゃあ、とりとめもない話(ポケモンとかゲーム)を一方的にし、満足するとまたふら〜っと帰っていくのがブーム。一方的にしゃべくって帰っていくだけ(笑)。

ほんと、子供たち(特に男の子)の生態って面白い…。



「一緒に行く?」
「…いいえ。私はもうあなたの時代を生きてしまったから…」



「ビッグ Big」(1988年製作)
監督:ペニー・マーシャル
製作:ジェームズ・L・ブルックス&ロバート・グリーンハット
原作:B・B・ヒラー &ニール・ヒラー
脚本:ゲイリー・ロス&アン・スピルバーグ
撮影:バリー・ソネンフェルド
音楽:ハワード・ショア
タイトルデザイン: ソウル・バス
出演:トム・ハンクス(ジョッシュ)
エリザベス・パーキンス(スーザン)
ロバート・ロジア(マクミラン社長)他。

12歳の男の子の抱える悩みは、例えそれが大人にとって他愛のないことであっても、至極深刻なものだ。生まれつき小柄で、いかにもひ弱そうに見えるジョッシュにとっては特に。
移動遊園地がジョッシュの住む町にやってきたときには、彼の悩みはもはや彼の生活全般を暗雲のように覆い尽くしていた。なにしろジョッシュは、15歳の大人びたシンシアに恋焦がれていたのだから。彼女の気を引くために、もっと身長が欲しい。ついでに筋肉も。従って、地獄からやってきて人間の望みを叶えてくれるというマシーン、ミステリー・ゾルダーにコインを入れたとき、彼はかなり本気で願を掛けていたのだ。“大きく(big)なりたい…”と。果たして、その望みは叶えられた。ジョッシュが想像していたのとは違う形で。

画像

翌朝目覚めたジョッシュは、自分の体が文字通りでかい大人になっていることに気づき愕然とする。精神は12歳のままなのに、体だけ30歳のおっさんになってしまったのだから当然だ。家族の誰も自分をジョッシュだとわかってくれない。自分の家から叩き出されたジョッシュは親友の家に転がり込み、必死の説得でようやく彼の信頼を得ることができた。さてこれからどうするか。もう一度ゾルダーに願掛けして、元の姿に戻してもらうしかない。既にカーニヴァルは終わり、ゾルダーもジョッシュたちの街からは消えてしまっていた。とりあえず、“ミステリー・ゾルダー”を製作していたNYのおもちゃメーカーにもぐりこみ、厄介な魔法をかけたゾルダーを探すことにする。こんなとき、何より心強いのは親友の協力だ。

おっかなびっくりNYにやってきたジョッシュ。スーツを着るのも初めてなら、会社に就職することも初めての経験だ。右を見ても左を見ても未知の世界であることにオロオロしながらも、彼は12歳の子供にしかできない突飛な発想を次々とぶち上げていく。おもちゃは子供の領域だ。面白おもちゃのアイデアなら任せとけ。そうこうするうち、ジョッシュはマクミラン社長の目に留まるようになる。社長は、子供の頃に見失ってしまった夢を斬新なおもちゃを開発することで取り戻そうとしていた。そんなときにふらりと現われたジョッシュの存在は、彼にとって天啓のようなものでもあった。2人は一緒にフット・ピアノで連弾し、すっかり意気投合してしまう。同世代の男たち(見た目だけだが)の嫉妬を尻目にひょいひょいと昇進してゆくジョッシュに、女性重役のスーザンも注目するようになる。男性社会で1人気を張ってサヴァイヴするスーザンにとっても、他に例を見ないほど天真爛漫なジョッシュは、やがて離れがたいオアシスのごとき存在になっていく。スーザンはまるで少年のような(事実中身は子供のまま)ジョッシュに惹かれ、彼女がしっかり先導する形でやがて2人は恋におちた。

大人社会での生活、初めての大人の女性との恋愛…。NYでの日々は、ジョッシュにとって許容範囲以上の怒涛の経験となった。ともすれば、“ゾルダーに元の身体に戻してもらう”という当初の目的を忘れそうにもなる。最初はその窮屈さにまごついていたスーツがしっくり身体になじんだ頃、ジョッシュは重大な決意をした。本当の自分の姿を隠して嘘をついたまま、マクミラン社長やスーザンのそばにいるわけにはいかない。信じてもらえるかどうかはわからないが、自分の身に起こったこと、そしてありのままの自分を正直に告白するのだ。…果たしてジョッシュは元の12歳の身体を取り戻し、“家族”の元に帰ることができるのであろうか。

ビッグ [DVD]
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2009-02-06

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ商品ポータルで情報を見る


いざ自分が実際に子供を持ってみると、この作品の面白さがむちゃくちゃ実感できるところがミソ(笑)。

この手の“入れ替わり”コメディには、“男女の魂と肉体が入れ替わっっちゃった!”だの、“人間の肉体に人外のモノの精神が宿った…”だの、バリエーションがいくつか存在します。“肉体は大人、でも心は子供”という今作の設定も、入れ替わりモノのアレンジ・バージョンでしょう。
要は、大人の世界の日常を子供の視線と行動で捉えるところに、多々の勘違い型、あるいは図星型カルチャーギャップが生じるのが可笑しいわけです。今作の笑いのツボも、“心は12歳の大人”であるジョッシュが、初めて大人の世界に触れて引き起こす珍騒動にありますね。

現に今作には、自分が子供たちと一緒に生活している上で日常的によく見かけるリアクションが、あちこちに散りばめられておりますよ。パーティーでキャビアを食べた後のなんともいえないリアクションや、オレオクッキーのクリーム部分だけ舐めちゃうとことか、ミニコーンの効率的な食べ方(笑)などなど。いいトシしたでかい図体のトム・ハンクスが、まんま12歳の子供の行動を見事にトレースするからこその先入観と見た目のギャップが、洋の東西を問わず観客を笑わせ、和ませてくれるのです。尤も、いかな映画といえ、こんなアホなことやってて微笑ましいと感じられるのは、おそらくトム・“フォレスト・ガンプ”・ハンクス以外にはいないでしょうが。他のヤツが同じことをやったら、単なる“変な人”で終わってしまいますよ(笑)。

でもね、ジョッシュが大人社会でやらかす騒動って、“嗚呼、嗚呼、お子様ってヤツはそういうことやるよなあ…”とお腹を抱えて笑っているうち、徐々に笑えない心境になってきてしまうのも事実です。そう、私たち大人が常識だと信じて疑わないことって、ひょっとしたら本当は“普通じゃない”ことなのかもしれない。大人と子供を隔てる“ギャップ”とは、実を言えば、大人が子供に押し付けている身勝手なモラルに準拠しているに過ぎないのではないか。私たちはジョッシュの行動を“子供っぽい”と笑い飛ばしますが、それは、私たちが大人の基準で物事を捉えているから。子供にしてみれば、私たち大人の言動こそ“おかしいじゃん”ってなもんなのでしょうね。

画像

つまり今作は、大人のなりをした男が子供の言動をとることで生じる奇妙さを、ことさら面白おかしく強調するのではなく、あくまでも“子供の視点から見た大人世界の矛盾”に変換してスマートに皮肉っているとも考えられるわけです。ハンクスの軽やかな(身体の方は多少メタボってるけど・笑)演技によって、そのさじ加減が絶妙になったといえるでしょうね。また、おもちゃやコインマシーン、移動遊園地など、子供の頃の思い出がほろ苦く甦るモチーフの使い方も実に上手い。それらによって、“子供と大人の間にある埋めがたい見解の相違”といった堅苦しい暗喩は和らげられ、作品全体がファンタスティックでノスタルジックな色合いで染められることにもなりました。

ジョッシュとマクミラン社長が、大きなフット・ピアノでノリノリで連弾する楽しいシーンに象徴されるように、今作の基調は一貫して“子供時代への郷愁”だと思われます。このシーンのみならず、大人の競争論理の中で疲弊しきっていたビジネス・ウーマン、スーザンがジョッシュに惹かれていく理由も然り。社長やスーザンがジョッシュの中に見ていたものとは、結局のところ、もう戻らない子供時代へのシンパシーだったのでしょう。彼らはジョッシュという触媒を介して、もう一度だけ子供時代のはじけるようなパワーと、憂いなき自由を満喫します。時計の針を逆に進めることは不可能なのですから、これこそが今作の体現する真のファンタジーですね。ジョッシュ自身の身に起こったことよりも、むしろ周囲の大人たち…社長やスーザン…がジョッシュに感化され、子供のように自身を解放する瞬間こそがミラクルだったなのではないかと再観賞後に感じたものです。

そして、ジョッシュが大人社会になじんでいくにつれ、天衣無縫、破天荒な(…と大人の目には映る)お子様パワーを失っていくという設定は、“子供時代”がいとも簡単に失われてしまうことを暗示しています。そう、唐突に突拍子もないアイデアを思いつき、ただ己の気の向くままに遊ぶことができる子供時代って、あっという間に過ぎ去っていくのですよね。学校生活に縛られている間は、どうしてもその世界がとても窮屈に感じられ、どんな子供でも“早く大人になって自由に生きたーい!”と考えますが、現実はそうはいかない。逆に、人生において子供時代がどれだけ貴重であったかに気づくのは、その時代をとうの昔に通り過ぎた大人になってから。その頃には既に取り返しがつかなくなっているという(笑)。

画像

スーザンとジョッシュの関係が切ないのは、“子供時代”を現在進行形で生きるジョッシュと違い、スーザンは既にその時代を過去の思い出にしなければならない人間だから。彼らの間で交わされる愛情は、お互いに生きている環境が全く異なるどころか、その時間すらも交錯しない、“すれ違いの恋”の究極の形です。しかしながら、映画のラスト、それを目の前で思い知らされるスーザンの顔に悲壮な色はありませんでした。ジョッシュが本当に12歳の子供であったことを目の当たりにして、スーザンの表情は驚愕から納得(なぜジョッシュが天真爛漫なままでいられたのか、その理由がわかったから)へ、そして最後にはやわらかい安堵の微笑みに変化していきます。

ジョッシュの身体が元の12歳のそれに戻り、当然ぶかぶかになってしまった滑稽な背広姿は、スーザンにほんのひととき、背伸びしていたであろう彼女自身の子供時代をも回想させたに違いありません。今はそのスーツすら、一分の隙もなく着こなせるようになりました。それもこれも、ジョッシュのように、しきりに背伸びをした子供時代があったからこそです。それを理解した彼女の今後の人生も、きっとうんと晴れやかなものになるでしょう。そんなことを予感させる素敵なラスト・シーンでした。また、このときのエリザベス・パーキンス(スーザン役)の演技が天下一品!例のフット・ピアノの連弾シーンと並んで、この一連のシーンは大好きなもののひとつですね。

マクミラン社長といい、このスーザンといい、今作にはいわゆる“極悪人”なるものは一切登場しません。映画は現実を投影する鏡だと言われ、暗い時代にはその世相を反映するかのような重苦しい作品が多く製作されます。しかしまあ、たまにはこんな映画も観たいものですよね。しかしながら、こんな優しい映画が、今ではノスタルジーさえかきたてる完全な“ファンタジー”とみなされてしまっている現実それ自体が、あまりにも恐ろしいとは思います。


にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 3
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い
ナイス
あの頃、ジョッシュと…―「ビッグ Big」 House of M/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる