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zoom RSS 大胸筋保存会活動報告書番外編―背中を覗いてみよう。

<<   作成日時 : 2012/09/28 11:45   >>

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大胸筋保存会などという課外活動を行っているせいで、皆さんの中には、わたくし館長が人間の前面だけ(特に大胸筋とか腹筋とか上腕二等筋とか)しか見ていないのではないかと思われる向きもあるでしょう。ですが、人というのは得てして、背中がその生き様を語ることが多いわけでして。


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時として背中は、顔の表情などよりもよっぽど饒舌にその人となりを表現してしまいます。顔が見えなくとも、この人間がいかなる人物であるのか、はたまた今何を考えているのか、背中を見ているだけで直感できることもあります。


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なぜなら、人というのは、背中にこそその人生を背負うからですね。


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その背中に、彼の生き様が陽炎のように立ち上るのを見るとき、言葉にならん感慨を覚えます。


さて、ことほど左様に、映画においても背中は大切な表現ツールだと信じて疑いません。監督の持ち味や性格によっても異なるのですが、“背中”を表情豊かに撮れる人ってなかなかいないんじゃないですかねえ。


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これは、我らがショーン・ビーンの若い頃の出演作品から。なるほど、バイオリンのように美しい弧を描く背中の、特徴的ななだらかなラインはよく見えますし、美貌の絶頂期にあったショーンあってのシーンとなりました。ですが、官能性という点で見ると今ひとつ。ショーンの裸の背中をそのまんまポンと置いただけ…のよう。


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しかし、故デレク・ジャーマン監督の名作「カラヴァッジオ」でのショーンは一味違います。貧しく、薄汚れ、時に下卑た表情さえちらつかせるのに、その肉体から発せられる美と官能は目が眩むほど。肉体のパーツひとつひとつ…さらには細胞のひとつひとつから、カラヴァッジオを誘惑する匂いが発せられているような錯覚さえ覚えます。汗臭く、泥だらけの背中すら美しいですよね。

私論ですが、何らかのフェティシズムの嗜好を持つ監督は、前面部以外の肉体のパーツを印象的に撮る傾向があるように思います。だって、それこそ顔やら胸やら…といった人間の前面部は、美しく撮ろうと思えばいくらでも装飾できるわけですしね。

でも、背中となるとそうもいかない。


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デヴィッド・クローネンバーグ監督の「イースタン・プロミス」では、このサウナでの全裸ファイトシーンばかりがクローズアップされがちです。まあ確かに、このときのヴィゴは文字通りのスッポンポンであったので(笑)、観客の視線がどうしても例の場所(爆)に吸い寄せられてしまうのは致し方ないことです。


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しかしながら、この、刺青だらけ血まみれの背中には、主人公ニコライのこれまでの荒ぶる生き様が刻印されていることがわかります。

このサウナシーンだけではわかりにくいかもしれませんが、今作のヴィゴからは、言葉では説明しがたい程の色気を感じましたね。単なるスケコマシ的な薄っぺら〜いフェロモンではなく、過酷な世界で生き延びてきた者特有の孤高、達観の境地に達したともいえる存在自体の凄みを背後に従えた、一種独特の官能性。それらが相まって、ニコライという複雑なキャラクターが構成されていたように思います。やはりどんな物語であっても、クローネンバーグ監督の描く“男”の肖像というのは、多面的で一筋縄では理解できません。


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もう1作、クローネンバーグ監督のフェティッシュっぷりを実感する作品があります。ジェレミー・アイアンズと組んだ「戦慄の絆」ですね。上の画像は、撮影中のオフショットです。ジェレミー先生が可愛い。これ大好き(笑)。


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クローネンバーグ作品とセクシュアルな描写は切っても切れない関係にありますが、今作でもジュヌヴィエーヴ・ビュジョルドとジェレミーとのSMチックなベッドシーンが話題になったものです。
まあ、この画像をよく見てみてください。男女それぞれのヌードがあからさまに映っているわけではありません。でもこの官能性は、観る者の呼吸を知らず止めてしまいますね。そしてこのシーンで注目すべきは、拘束されているジュヌヴィエーヴではなく、むしろジェレミーの背中の方だと思われます。背中しか見えない男性の様子から、彼らの間にある切羽詰った関係が窺えるのです。


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仕事も女も人生も“共有する”一卵性双生児マントル兄弟の、捩れ果て、病んでしまった絆が、彼らの背後に亡霊のごとく覆いかぶさっているようです。


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個人的な感想を述べさせていただくと、ジェレミーはやっぱりこの作品の演技でオスカーを得るべきでした。独立していた2つの人格を同じ画面で演じ分け、さらには、それらが反発し合い、また絡み合ってやがては1つに融合してしまうまでを見事に表現したのですから。
この奇異な物語が観客の胸を絞ったのは、クローネンバーグ監督のフェティッシュな演出によって、ジェレミーの個性とカリスマ性と演技力が思わぬ“官能”と分かちがたく融合したせいであると思っています。


最近、思わず目が釘付けになるほどの表情豊かな背中にめぐり合えません。ポテンシャルの高い素材はごろごろしているのですから、映画監督の先生方には、ぜひとも“背中に語らせる”絵を撮っていただきたいもの。物語を語るのは、なにも口だけではないのですからね。


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「マイ・ビューティフル・ランドレット」のダニエル・デイ=ルイスの背中。ん〜、いきがってるパンク青年にしては、かなりフェロモン漏れてます。さすがの名優も、“背中の演技”だけは、演じるキャラクターの器に沿わせることはできなかったか。彼本人がこの年齢の頃持っていたフェロモンが、制御されずにそのまんま漏れちゃってますもんね(笑)。近年、いろいろな意味で“逝ってしまった”感が強いダニエルですが(笑)、またこんな風にしなやかでエロティックな男を演じてもらいたいですなあ。


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若き日のキアヌ・リーブズの天真爛漫な背中(と尻・笑)。この無防備な背中は、いかにも素朴なキアヌらしさが感じられて良いですが、尻が筋張ってそうでちといただけない(←何の話)。


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「ダークナイト」では傷だらけの背中を観客に見せ、演じるキャラクターの孤独と哀しみを無言のうちに表現したクリスチャン・ベイル。続編の「ダークナイト・ライジング」でなにか物足りなさを感じたのは、ひょっとしたら、ブルース・ウェインの人生をトレースしている“背中”がはっきり見られなかったせいなのかもしれません。
ベイルの過去の出演作品「アメリカン・サイコ」では、バットマン/ブルース・ウェインとは対照的に、磨き抜かれた傷ひとつない背中で究極のナルシストを演じてみせました。確かに観賞目的には映える背中ですが、ではここからパトリック・ベイトマンというキャラクターのオーラのようなものを感じるか?と問われても、返答に困りますよね。この手入れの行き届いたピカピカの背中は、しかし、観ているこちら側にな〜んにも語りかけてこないんです。なぜならば、ベイトマンという人間そのものが“空っぽ”だから。中身のないがらんどうのごとき人間の背中は、その持ち主をよく反映し、ただ周囲の情景を映しているだけの平面に過ぎません。

たかが背中とはいえど、背中の語ろうとする物語は、言葉に尽くせないほど深遠なものなのですねえ。


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美しい背中の持ち主、ショーン・ビーン。


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