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zoom RSS 掃き溜めに咲くブリキの花―「第9地区 District 9」

<<   作成日時 : 2017/06/17 23:48   >>

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“人間”と“エイリアン”を隔てるものは何か。


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「第9地区 District 9」(2009年製作)
監督:ニール・ブロンカンプ
製作:ピーター・ジャクソン&キャロリン・カニンガム
脚本:ニール・ブロンカンプ&テリー・タッチェル
撮影:トレント・オパロック
プロダクションデザイン:フィリップ・アイヴィ
衣装デザイン:ディアナ・シリアーズ
編集:ジュリアン・クラーク
音楽:クリントン・ショーター
音楽監修:ミシェル・ベルシェル
出演:シャールト・コプリー(ヴィカス)
デヴィッド・ジェームズ(クーバス大佐)
ジェイソン・コープ(グレイ・ブラッドナム UKNR主任特派員)
ナタリー・ボルト(サラ・リヴィングストン 社会学者)
ヴァネッサ・ハイウッド(ヴィカスの妻タニア)
ジョン・サムナー(リー・フェルドマン MILエンジニア)
ヴィットリオ・レオナルディ(マイケル・ブロムスタイン MNUエイリアン対策課最高責任者)
ウィリアム・アレン・ヤング(ダーク・マイケルズ)
Mandla Gaduka(Fundiswa Mhlanga)
Eugene Khumbanyiwa(オブサンジョ)他。

今から20数年前。突如南アフリカはヨハネスブルグの街の上空に、巨大な宇宙船が漂着する。正体不明のその宇宙船は、そのまま留まってしまい、動く気配がない。地球軍はやむなく宇宙船内に突入する。そこには、飢え、衰弱しきったエビ型のエイリアンたちが蠢いていた。宇宙船は故障し、燃料も食料も尽きていたようだった。地球側はエイリアンたちを“難民”として受け入れる方針を固めるが、彼らがいつ何時地球人を攻撃しないとも限らない。なんといっても、彼らは彼らにしか操作できない科学兵器を所有しているのだから。そこで、彼らの身柄を管理・監視する超国家組織企業MNUをたちあげる。MNUエイリアン対策課は、ヨハネスブルグ郊外にエイリアンと人間の共同居住区第9地区を建設し、エイリアンたちを厳重に隔離する。
現在。エイリアンたちの繁殖能力はすさまじく、彼らはあっという間に個体数を増やしていた。ヨハネスブルグに住む地域住民たちは、エイリアンに対して嫌悪感を隠そうともせず、エイリアンはエイリアンで、狭く不衛生な第9地区に押し込められ、母星に帰ることもままならない現実に苛立ちを募らせていた。今や第9地区はスラムと化し、エイリアンと人間の間の軋轢は、時に大規模な暴力事件を引き起こすまでに緊迫していたのである。20年の間に、リーダー格の知性を持ったエイリアンはほとんどが死に絶え、現在は下っ端の兵隊エイリアンのみがその数をいたずらに増加させていた。彼らはわずかな食料―ハンバーガーとキャットフードが好物―を手に入れるために、“オブサンジョ”なる人物が率いるナイジェリア系のギャング団と、危険な兵器交換の取引にまで手を染めていた。
ネズミ算式に増えていくエイリアンと、第9地区が完全に犯罪の温床となってしまったことに頭を痛めたMNUは、ヨハネスブルグ住民をなだめるため、新たに建設された難民キャンプ第10地区にエイリアンたちを強制移送する計画を立てる。その大規模な移送計画は、エイリアンたちからの大きな反発が予想されるため、あらかじめクーバス大佐率いる軍隊がバックアップにつくことになった。MNU側の移送計画責任者は、エイリアン課のうだつのあがらぬ小役人であったヴィカスという男。実はヴィカスの妻タニアの父親はMNUの重役であり、今回の移送計画の影の黒幕であった。MNUは世間の目を欺き、移送計画の真の目的を密かに遂行させるため、ヴィカスに白羽の矢をたてたのである。そう、MNUの真の目的とは、エイリアンにしか操作できないという科学兵器を押収し、それを地球の科学でもって解明することにあったのだ。
ヴィカスの音頭取りで、ついに移送計画が始まる。彼はエイリアンたちの住居を一軒一軒訪問し、立ち退きの通達をして廻ったが、その最中に、エイリアンが所持していた黒い液体を浴びてしまう。その謎の液体のせいで、ヴィカスの肉体には驚くべき変異が現われるのだが、そのことが歴史を揺るがす一大事件へとつながっていく…。
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2009年という年は、ひょっとしたら後年になって、“映画史にとって記念すべき年”であったという感慨とともに回顧されるかもしれない。3D映画に革命をもたらした「アバター」が、ジェームズ・キャメロン監督によって製作・公開されたからだ。
しかし、「アバター」の本当の面白さを支えていたのは、実は3Dという技術ではないと思う。過去に作られた様々な映画からの引用を、上手に1本の映画にまとめあげてみせた監督の腕力と、それをいかに“オリジナル”として再提示できるかという、その演出力ではなかったか。そう、昨今製作される映画は、そのほとんどが、過去の名作からの引用をいかに面白く再提示できるかによって、オリジナリティの度合いが判断されているのである。

「アバター」同様、この「第9地区」も、過去の名作SF…「エイリアン」や「エイリアン・ネイション」、「ザ・フライ」、「エヴァンゲリオン」、「トランスフォーマー」…等々を下敷きに、それらから一部のアイデアを拝借しつつ合体させ、さらにそこに今現在世界で起こっている悲惨な現実を反映させた、緊迫感あふれるドラマを構築している。果たして、その“再提示”は非常にうまく機能しているといっていいだろう。“どこかで観た光景だな”と観客の集中力を逸らせることがない。冴えない主人公には、ある出来事をきっかけに大きな不幸が襲い掛かり、それが物語の流れに二重三重に“制約”をかけてしまう。その制約がもたらす“タイムリミット”によって、ストーリーの主旋律がスピーディーになり、先行き不透明の不安感と緊張感が生み出されるのだ。奇想天外なアイデアで、サスペンス映画の王道に立ち返ってみせたブロンカンプ監督の手腕にうなる。

また、ニューヨークでもロサンジェルスでもなく、南アフリカという特異な場所を舞台にした設定もうまい。“南アフリカ”と聞けば、誰だって悪名高き“アパルトヘイト(人種隔離)政策”を思い起こすわけで、考えようによっては突拍子もないアイデアにリアリティを付加するのに、大いに役立っていると思う。つまり、エイリアンとは、イコール差別を受ける有色人種を暗喩し、今作で描かれるMNUや軍隊といった側の人間たちは、マジョリティ全般を指す。映画における“エイリアン対人間”の構図は、そのままマイノリティとマジョリティの対立を示して普遍的ですらあるのだ。“異分子”をコミュニティから排除しようとする人間の本能を直情的に訴えるのではなく、表向き、サイエンスフィクション=アクションの、典型的エンタメ映画の体裁をとりながら暗示するに留める手法は、ひょっとしたら好き嫌いが分かれてしまうかもしれない。いまだ解決の見通しが立たないデリケートな社会問題を、こんな形で浮き彫りにすることに抵抗を覚える人だっていることだろう。しかし、“理性を失った人間様が何より一番恐ろしい”という事実は、教訓として自らに戒めておいた方がいいとも思う。
今作は、“モッキュメンタリー(巧妙に作られたドキュメンタリー)”という手法をとっているが、これも題材にうまく合致している。本編に、絶妙なタイミングで差し挟まれるアーカイヴ映像(ヴィカス事件を取材したテレビの特派員や、社会学者、ヴィカスの同僚等の証言映像など)によって、一見すると単純なストーリーの作品に、複雑な展開と奥行きが与えられているのだ。これらの映像は、ぐんぐん加速していく観客側のハラハラ・ドキドキを、巧妙にコントロールする役目も担っている。

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この作品の主旋律は、とりもなおさず、小市民、あるいは卑しい小役人に過ぎなかった主人公ヴィカスが、想像を絶する悲劇と巨大な権力を背景にした陰謀に直面して、ようやく本当の意味での“男”になったという、文字通りの痛みを伴う成長物語である。ヴィカスは取り返しのつかない代償と引き換えに、かけがえのないものを手に入れたといえるだろうが、彼の運命はまだ定まってはいないのだ。どうやら、続編「第10地区」製作プランが具体化したようであるし、彼の行く末を最後まで見届けたい気持ちでいても立ってもいられなくなる(笑)。なぜならヴィカスという男は、こんな悲劇がなければ、ごくごく平凡な善良な人間であり、私たち一般市民のシンボルのような存在だからだ。彼はこれから先、一体どのように変わっていくのだろう。

以前の記事にも書いたが、もう一度繰り返しておく。
今作は、映画が本能的に持つ衝動を、それもごく原始的な形で観る者に叩きつけてくる快作である。もちろん、総合的な演出面で荒削りの部分、アイデアが消化しきれていない側面もあるにはある。しかし、3D映画、リメイク映画大流行の映画界において、そんな小手先のギミックに頼らずとも、本当に面白い映画を作ることは可能なのだということを知らしめてくれた。映画という芸術形態には、まだまだ可能性(技術的な面ではなく)が残っている。そんな希望すら感じることが出来た、幸福な映画体験だった。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
うん!!!
私これは久々にお勧めできる映画だと思います。
映画に娯楽を求めるだけだとこの映画、グロくて共感できない恐怖しか与えないかもしれませんけど、私は悲哀の篭った最後のブリキの花が、とってもいとおしく感じました。はい。

ニュースを見てても、エイリアンにヒューマン求める程、人は恐ろしいものになってしまっていますね。
ま、本来人は恐ろしい生き物ですけど、地に満ちてしまったらどうなるのか・・まではイエス様も考えてなかったかもしれないです。

っつう事で、満ち溢れてしまった人の需要を補うため・・のMoon・・・なんだか悲しいですわね。
文明を甘受してる私が言うのも変ですが・・・
TOMCAT
2010/04/26 16:35
エキサイティングな映画でした。

以前パリで観たときも、今回日本の映画館で観直した時も同じ現象を目撃したのですが、エンドロールが流れても、最後まで誰一人として席を立たなかったんですよ。それこそ場内が明るくなるまで、皆さんずっとスクリーンを凝視しておられました。ええ、やはり、最後のあのブリキの花にやられちゃった模様(笑)…。あれがあったからこそ、共感しづらいヴィカスというキャラも、理解できるわけでしてね。

>エイリアンにヒューマン求める程、人は恐ろしいものになってしまっていますね。

その通り。よーく考えたら、あの醜悪なエイリアンが愛おしく思えるほど、人間の内面って荒んでいるんですよね。まさか人の世がここまで荒廃するとは、お釈迦様もイエス様も想像できなかったでありましょう。

ここ最近連続している“終末映画”も、これから公開になる『Moon』(ダンカン・ジョーンズ監督)も、表現しようとする根っこの部分は、たぶん同じものだと思います。逝くところまで逝ってしまった人間がどうなってしまうのか、そのことへの恐怖。先の見えない未来への漠然とした不安感ですね。
豆酢
2010/04/26 22:14
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