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zoom RSS 「イゴールの約束 La Promesse」とダルデンヌ兄弟 (Dardenne brothers)。

<<   作成日時 : 2014/03/17 14:42   >>

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虚構と写実の間に見え隠れするわずかな“希望”。

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ジャン=ピエール・ダルデンヌ&リュック・ダルデンヌ Jean-Pierre Dardenne & Luc-Pierre Dardenne

兄ジャン=ピエール・ダルデンヌは1951年に、弟リュック・ダルデンヌは1954年に、ベルギーはリエージュ近郊のスランという工業都市で生まれました。
古くからリエージュは労働闘争のメッカであったそうです。彼ら兄弟自身は中流階級に属し、比較的恵まれた生活を送っていましたが、1960年代に隆盛を極めた労働闘争の環境の中で成長したのです。
長じてのち、兄弟はブリュッセルへ出て舞台演出等の勉強をします。その頃、彼らに大きな影響を与えることになる演出家アルマン・ガッティと出会います。ガッティは社会的活動家でもあり、啓蒙のために素人を積極的に舞台に起用したそうです。その演出法など、後に兄弟が踏襲することになるテクニックを彼らはガッティの元で学んでいくのです。
やがて兄弟は、資金をためて映像機材一式をそろえ、74年からヴィデオによるドキュメンタリー作品の製作に着手します。ドキュメンタリー製作会社も設立し、1977年以降、レジスタンス運動や労働運動、移民の問題など社会的な題材を扱うドキュメンタリーを撮り続けます。
ところが、「グローバリズム」が地球規模で広がっていき、固有の歴史や伝統といったものが全体主義の中で薄れ始めると、社会全体が均質化していくことになりました。また、経済不況の陰りがベルギー全体を覆い、兄弟の基盤であるリエージュも例外なく、社会は急速に変化していきました。そして、彼らはドキュメンタリー手法に限界を感じるようになったそうです。
そしてついに1986年、初の長編劇映画「Falsch」を製作し、以降劇映画にその可能性を求めることになりました。この作品は残念ながら成功せず、兄弟は92年に第2作目「あなたを想う」の製作にとりかかります。しかしこの2作目は、創造の過程で、制作会社の圧力に屈した形で妥協を強いられます。この経験から、96年「イゴールの約束」製作時には、兄弟自ら製作を兼ね、脚本も納得のいくように書き直し、インディペンデントに製作を行ったのです。この製作形式は現在も続けられることになります。
商業用長編映画「ロゼッタ」と「ある子供」で、カンヌ映画祭において2度も最高賞を制するなど、名実共に大きな注目を集める映画作家となった兄弟は、2008年製作の「ロルナの祈り」でもカンヌ映画祭脚本賞を授与された。

●フィルモグラフィー

1986年「Falsch」
1992年「あなたを想う」
1996年「イゴールの約束 La Promesse」
1999年「ロゼッタ Rosetta」
2001年「息子のまなざし Le Fils」
2005年「ある子供 L'Enfan」
2006年「それぞれのシネマ」(「暗闇 (Dans L'obscurité)」)
2008年「ロルナの祈り Le Silence de Lorna」
2011年「少年と自転車 Le Gamin au Velo」

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「イゴールの約束(La Promesse)」(1996年製作)
監督:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
製作:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
脚本:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
撮影:アラン・マルクーン
音楽:ジャン=マリー・ビリー&デニ・M・プンガ
出演:ジェレミー・レニエ(イゴール)
オリヴィエ・グルメ(ロジェ)
アシタ・ウエドラオゴ(アシタ)
ラスマネ・ウエドラオゴ(アミドゥ)
クリスチャン・ムシムアナ(ロザリー)他。

イゴール(レニエ)、15歳。ベルギーのある自動車修理工場で働いている。老女が車の点検を頼みに来る。イゴールは彼女に親切に接するが、実は彼女の懐から財布をかっぱらっている。そして何事もなかったかのように、仕事に戻る。工場の上司は彼に溶接を教えようとするが、イゴールには学ぶ気はない。なぜなら、父親ロジェ(グルメ)の裏家業を手伝っているからだ。
ロジェはベルギーに流入する外国人労働者(不法滞在者)に、仕事その他を斡旋することを生業にしている。もとより全うな仕事ではなく、彼らの弱みにつけこんで、なにくれとなく小金を彼らから巻き上げることで暴利をむさぼるのだ。
イゴールは父の手足となって、労働者たちが住むぼろアパートの手配をしたり、家賃の取立てなどをしたりする。労働者たちは次々にやってくる。必然的にロジェを手伝うイゴールも忙しく、彼はついに工場をクビになった。
近所の友達とゴーカートを改造して乗り回すのが、イゴールの唯一の息抜きだが、それすら自由にやらせてもらえない毎日。しかしイゴールは取り立てて不満もなかった。父の稼業を疑問におもうこともなく、場合によっては警察の内通者に不法滞在者を売ることだって厭わない。なぜなら、彼が生まれたときからこんな環境だったから。
ある日、抜き打ちで労働監督官の査察が行われた。ロジェとイゴールは、不法滞在者を働かせていた現場から逃がすが、アミドゥは誤って足場から転落する。大怪我で動くこともままならないアミドゥは死期をさとり、イゴールに「妻と息子を頼む」と強く言い置いた。イゴールはその真摯なまなざしに圧倒され、思わず面倒を見ることを約束してしまう。
警察沙汰になることを恐れたロジェは、監督官に見つからぬようアミドゥの体の上に板を置き、砂をかぶせて放置した。イゴールは一瞬良心が痛むが、結局父に従った。
アミドゥはそのまま死に、二人は死体をセメントで埋める。
ロジェはイゴールに、「これは事故だったんだ。落ちた方が悪いのさ」と言い含める。そして故郷からアミドゥが連れてきていた妻アシタには、アミドゥの死を伏せて、うまく言いくるめて故郷に送り返すようイゴールに命じる。
アミドゥのギャンブルの借金をいろんな男たちが取り立てに来る。もちろんアシタには一銭もない。アミドゥとの「約束」を気にかけるイゴールは、父の仲間のナヴィルに、借金の返済と偽ってアシタに一万フランを渡すよう頼む。口止め料も支払って。これは人になにごとか頼むときの常識だ。ロジェの息子といえど、それは例外ではない。しかしナヴィルはロジェに密告し、イゴールは激怒する父から殴られる。イゴールは子供らしく泣き始め、正気に戻ったロジェは彼と仲直りする。
ロジェはアシタを追っ払うべく、卑劣な行動に出る。ナヴィルに彼女を襲わせたのだ。しかし夫の帰りを信じるアシタは、かたくなに帰国を拒否する。

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ロジェからアシタに会うことを禁じられていたが、イゴールは彼女に、偶然見つけたアミドゥのラジオを返しに行く。アシタはそれを受け取ると、わずかな家財の中で唯一故郷をしのばせる彫像を愛しげに見つめ、おもむろににわとりの腹を割いて、内臓占いを始めた。その結果、彼女は夫がこの近くにいることを確信するのだった。
ロジェは最後の手段に打って出る。アシタにアミドゥ名義で偽の電報を打ち、ケルンへ行かせようとした。アシタは喜び、ロジェとイゴールと共に車で出発しようとする。しかし、すんでのところでイゴールは父の企み―アシタを娼婦としてケルンの組織に売り飛ばすこと―を彼女に打ち明ける。
警察へ行き、夫の失踪願いを出すというアシタの気迫に負け、イゴールは父の車ごとアシタ母子を連れ出した。警察へ行ったものの、「不法滞在者は書類が一切ない。存在しないのと同じ」言われる。行き場のない彼女を、イゴールはクビになった工場へかくまうが、彼女の息子が高熱を出してしまう。まだ乳飲み子なのだ。イゴールはイタリアにいるという彼女の叔父のところへ行くことを勧めるが、アシタは子供と共に夫を探すと言い張る。このまま家に帰っても父に殴られるだけだ。イゴールは父への服従とアミドゥとの「約束」との板ばさみで動転し、思わず彼女を抱きしめる。わけがわからないアシタは、イゴールをたたき出した。イゴールは悩んだ挙句、父に居場所を知らせてしまった。

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イゴールはアシタにもう一度イタリア行きを説得しようと、戻ってきたが母子は工場にいなかった。子供の熱が下がらず、彼女は半狂乱で病院に行こうとヒッチハイクしていたのだ。彼女に「本当のことを教えて」と詰め寄られても、イゴールには真実は言えない。二人は車で病院まで行ったものの、保険がないため治療費が払えない。そこを病院の掃除婦ロザリーに助けられた。
ロザリーは彼らを家に連れて行き、呪術師に会わせた。呪術師は、赤ちゃんのためにもイタリア行きを諭す。アシタは身分証明書を持たない。二重国籍をもつロザリーから証明書を借り、やっとイタリアへ行く決意を固める。イゴールは旅費を捻出するため、ロジェからもらった指輪を質に入れる。
工場でアシタとイゴールが出発の準備をしていたところに、ロジェが現れる。イゴールは彼に真実を話すと宣言した。ロジェはイゴールに飛び掛るが、アシタに殴られ昏倒。イゴールはそのすきにロジェの足を鎖でつないでしまう。なんとか息子を懐柔しようと、ロジェは必死で言い募る。
「汚い仕事も、家を建てるのも、すべてお前のためだ。お前のためを想ってだ」
「うるさい、だまれ!」
イゴールはついに父と決別することを決意した。

アシタとイゴールは駅に向かう。彼女がまさにホームへの階段を上ろうとしたそのとき、イゴールは彼女に真実を打ち明けた。アミドゥが足場から落ちて死んだこと。父が面倒を恐れて彼を死なせたこと。自分は父に従ったこと。死体をそのままセメントで埋めてしまったこと…。

アシタはイゴールの顔を見つめ、黙って来た道を引き返していく。イゴールも彼女の後についていく。

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イゴールは「約束」を全く守らない少年でした。せっかく独り立ちしようと修理工場で働いても、上司の言いつけには従わないし、父から仕事を手伝うよう呼び出されるとあっさりと職場を放棄してしまう。彼には雇用されることが、「契約」という名の信用に基づく「約束」であることが理解できないのです。無理もないでしょう。幼い頃から人を売り買いするような父親の所業を見て育ったんですから。その父の世界では、口約束など損得勘定ですぐに破られ、裏切り行為など日常茶飯事。
実際、イゴールも父の仲間のナヴィルに、アシタを助けたことを密告されます。そして、自分の言いつけに背く者はたとえ息子でも容赦なく叩きのめす父ロジェは、その行為ひとつで、自らが「親子」という神聖な絆(血の契約と言ってもいい)の意味を踏みにじっているのです。
こんな環境では、「約束」をまもることが人間の信頼関係につながること、ひいては、相容れない他人との絆を作ることにつながるのだとは理解できないでしょう。

それが変わり始めるのは、アミドゥとの「約束」をイゴールがつっかえながらも守ろうとするところからです。もっと言うと、その「約束」を忘れさせない存在であるアシタとの出会いからです。
イゴールはアシタと交流を持ち、自分にはない故郷の伝統をかたくなに守っている彼女に感化されていきます。そしてアミドゥとの約束を守ることを優先し、今まで服従してきた父親の世界から段々と離れていくのです。
そうなっていくことで、彼は知らず知らずのうちに「自立」し、「自我」を持ちます。自分が父とは異なる考えを持ち、違う生き方ができるのだと感じていくのですね。
それは、一方では父の言いつけに背くことになります。父ロジェは、息子に指輪を贈ったり、息子の心変わりを察知するや暴力に訴えたり、懐柔するために彼に女をあてがったり、といろいろ働きかけます。息子を支配し、思い通りに動かそうとするだけのように見えますが、彼としては、「全部おまえのためにやってるんだ」という叫びは、半分本心と言ってもいいでしょう。「お父さん」と呼ばれるのを嫌ったロジェですが、心の底では、自分と息子の生きる道を確保しておきたかったのです。なぜなら、まっとうに生きようにも、自分たちの住まうコミュニティでは最低の金しか手に入らず、いい暮らしができないから。

社会の底辺で生きる若者が、ある出会いをきっかけに変わり始め、自らを見つめなおすことで新たな人生の一歩を踏み出すというストーリーは、次の作品の「ロゼッタ」にも引き継がれていました。
「ロゼッタ」の場合は、少女ロゼッタが母親のような負け犬人生からの脱却を図ろうと、仕事を求めてあがきます。始めは仕事を得るためなら、卑怯なまねも厭わなかった彼女ですが、気のいいリケという少年と出会うことで変わっていきます。
人の痛みというものを理解するようになるのです。最終的にロゼッタは、自分の非を認め、謝罪し、あの母親にすら歩み寄ろうとします。そうして新しい人生の一歩を、彼女はやっと踏み出したわけですね。
同じことがイゴールにも言えますでしょう。イゴールはアシタに、アミドゥの身に起こった真実を話すことで、ようやくアミドゥとの“約束”を本当の意味で果たします。このとき、彼は父の支配する世界とは完全に決別し、自らの意思で人生を歩き始めたのですね。つまりイゴールにとって、“約束”には単なる人と人の間に交わされる契約以上の意味が込められているわけです。彼が本当の意味で“約束”を果たすことは、すなわち成長の階段を一歩上がるに等しい。
映画はその後のイゴールを追いませんが、観客は、これから先経験するであろう困難を、彼が乗り越えていくことを信じて止みません。アシタは彼を許さないかもしれません。でも、ひとつの壁― 父親の支配―を乗り越えたイゴールには、新しい力が宿っているはずです。彼は新しい道を切り開けるでしょう。
おそらくこのことこそ、ダルデンヌ兄弟が映画にこめたメッセージでしょうね。人はきっかけさえ与えられれば変わることが出来るのだ、と。誰の心にも、その潜在能力があるのだ、と。
彼らが一貫して描くのは、社会の底辺に追いやられている人たち。作品全体から受ける、対象との距離感とは裏腹に、ダルデンヌ兄弟の作るシーンを見ているとただならぬ空気を感じます。無名の役者のたたずまい、背景、それを陰から支える音楽―そういったものの過剰な装飾を限界までそぎ落とした映像。役者の肉体の間の空気に、あたかもスパークするかのようにテーマへの答えが現れる瞬間をカメラが待ち構えているように見えるのです。それは恐ろしいほど緊迫した空気といえます。
それは、カメラが作り出す虚の世界と監督が追う真実が交錯するはざまに、一瞬だけ姿を現す人間の真理を待つ空間でもあるのです。

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主人公を演じた当時無名のジェレミー・レニエはその後、2005年に発表された「ある子供」でも恋人の間にできた子供を売ろうとする青年役で主演。成長した姿を見せてくれました。また、イゴールの卑劣な父ロジェ役で、フランス映画界にはなくてはならない名脇役オリヴィエ・グルメが登場。彼は、後の「息子のまなざし」でも、実子を殺害した少年と対峙する難しい役どころを好演しておりますね。

ダルデンヌ兄弟の描く世界を嫌う人も多いことは知っていますが、今私が必要とするものが彼らの映画にあるのも事実なのです。なんなんでしょうね、映画に救いを求めるだなんて馬鹿馬鹿しい限りだとは思います。それはわかってはいますが、劇中のイゴールやロジェ同様不完全な人間である私にとって、こうした世界観が欠かせないのも事実なのです。

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