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zoom RSS 「おおきなやかたのものがたり」―青山邦彦

<<   作成日時 : 2014/02/11 22:07   >>

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数年前、街全体がひとつの美術館のごときパリに住んでいた頃のこと。家を出て数分も歩けば、何百年と月日を経過した由緒正しい建物にごく当たり前に遭遇しておりました。そのような建築物を日常的に目にすると、やはり歴史を背負った重みを感じることが出来ますね。本日は、そんな“建物”が主人公になったという、非常に珍しい絵本をご紹介します。

もう立派な建物じゃなくてもいい。この子達にとって一番の家になるぞ!

おおきなやかたのものがたり
PHP研究所
青山 邦彦

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「おおきなやかたのものがたり」
文と絵:青山邦彦 (PHP研究所刊行)

あるところに、大きな館がありました。

青いレンガの屋根、まぶしいほど真っ白な壁、瀟洒な飾り窓、大きくて重い玄関の扉、そして館の前に広がる、贅を尽くした壮麗な庭園…。この館には金持ちの貴族が住んでいたのです。館の中では、飽きることなく贅沢なパーティーが催され、美しく着飾った客人が館の見事さを誉めそやすたび、館はとても満足でした。
「そう、ぼくは立派なやかたなのさ!」

しかし年月が過ぎ、館には想像もつかない時代の変遷を経て、やがて館には住む人が居なくなりました。辺りで一番の建物だった館の周囲には、小さくてみすぼらしい家がたくさん建ち並ぶようになり、街が形成されていきました。いつのまにか、館は、街の片隅でひっそりと佇む幽霊屋敷になってしまっていたのです。
ある日のこと、つる草や雑草が伸び放題になっていた荒れ果てた館に、男の人がやってきました。彼は、この立派な建物を有効活用しようと考えていたのです。やがて館に工事の手が入るようになりました。大勢の職人によって、外壁も内装も、新品同様に作り変えられてゆきます。不安だった館は、立派なホテルに生まれ変わった自身の姿を確認して驚きました。森の中にある美しいホテルはたちまち評判を呼び、たくさんの宿泊客を集めるようになりました。再び大勢の人たちの顔を見られるようになった館は、心底喜んだのです。

しかし、館が喜んだのもつかの間、数年後にはホテルもなくなってしまいました。すると、今度はコックさんが館を買い取り、レストランに作り変えたのです。庭には白いテーブルがいくつも出され、ホテルのときよりももっと多くのお客さんでにぎわうようになりました。
でもまた数年後には、レストランもなくなってしまいました。今度は、パン屋さん、おもちゃ屋さん、ケーキ屋さんなど、館の中にたくさんのお店ができました。館の飾り窓には、お店ごとに色とりどりの天幕が張られ、庭だった場所には風船や軽食を売る屋台も置かれるようになりました。街の人たちは、皆ここで買い物を楽しみ、しばしの憩いを取るようになったのです。
それ以降、館は様々に姿を変えてゆきながら、たくさんの人たちが集う場所になりました。玄関前のポーチは広くなって、昼下がりのひととき、管弦楽団が優雅な演奏を行います。庭にはレンガが敷き詰められ、屋外の客席が設けられました。もう貴族のパーティーは開かれないし、大勢が館の中に泊まることもなくなりましたが、館は毎日が楽しくてたまりません。自分が街になくてはならない立派な建物であることに、誇りを持っていたのですね。
ところがある日、ポーチで大道芸を披露していた芸人が、誤って火を舞台の屋根に燃え移してしまいました。土台は古い建物である館は、あっという間に炎に包まれていきました。泣き叫ぶ館の悲鳴は人々には届かず、やっと火が消し止められたときには、館は骨組みだけを残したボロボロのお化け屋敷のようになっていたのです。気味悪がって誰も寄り付かなくなった館は、悲しくなりました。もう立派な建物ではなくなってしまったのですから。

荒れ果てたまま放置され、月明かりに不気味なシルエットを浮かび上がらせる館には、街で泥棒をして生き延びている宿無しの子供たちが住みつくようになりました。天井が落ち、煤と長年の埃で汚れた館内では、子供たちが持ち寄った盗品を集め、盗んだ食べ物で食事しています。その荒んだ雰囲気に、館は心底いやな気持ちになりました。その後も子供たちは、館を根城にして街で暴れていましたが、ある日、制服姿の警官が大勢館に踏み込んできました。館に寝泊りしていた宿無しの子供たちを逮捕するためです。広い館中で警官と子供たちの追いかけっこが始まりました。すばしこくあちこちに隠れる子供たちを捕えようと、警官たちは細いはしごを登ったり、屋根の梁によじ登ったりと、必死です。逃げ回っていた子供たちは、やがて全員捕まってしまいました。泥棒の被害に遭った街の人々は、皆カンカンです。
「泥棒の隠れ家になるなんて、こんな建物は取り壊してしまえ!」
館がいよいよ自分の運命の尽きたことを悟ったとき、教会のシスターが人々の前に進み出ました。親がなく、頼る当てもない子供たちを自分が引き取り、この建物を子供たちの家として作り直すというのです。
工事が始まりました。でも、ホテルやレストランに生まれ変わったときと違い、工事にかけられるお金はあまりありません。材料はありあわせのものですし、大工さんも少ししか居ないので、シスターも子供たちも総出で作業を手伝いました。
そしてついに、館が子供たちの家になるときが来ました。シスターと子供たちは、完成した家を見て喜びましたが、彼らを心良く思わない街の人々は鼻でせせら笑います。壁にはひび割れが走ったまま、レンガで吹かれた屋根はガタガタ、窓枠も薄汚れた木がいびつな形のままむき出しです。
「なんだ、あのおんぼろ屋敷は!」
館も粗末な姿の自分に、恥ずかしくて消え入りそうな気持ちになりました。こんな風になるなら、いっそ取り壊された方が良かったかもしれません。
でも子供たちは、自分たちで作ったドアや部屋を自慢し、大喜びです。子供たちは自分の部屋を毎日熱心に掃除しました。館の周りには、たくさん花も植えました。台所では、シスターと子供たちが皆の食事を作るため、暖炉に火を起こしています。たちまち、館中においしそうなスープの匂いが漂いました。
館は、遠い遠い昔、たくさんの召使たちが掃除や庭の手入れをしていた頃を思い出しました。もちろん、それに比べれば子供たちの手入れはへたくそなものでしたが、館は不思議と暖かい気持ちになっていたのです。こんなに心から大事にされたことが、今まであったでしょうか…。
やがて館は決意しました。街一番の立派な建物になるのではなく、この子供たちにとっての一番の家になる、と。そしていつまでも、子供たちを見守り続けました。


画像


元建築設計士という変わったバックグラウンドを持つ絵本作家、青山邦彦氏。彼の作品はこちらとこちらでご紹介してきましたが、この「おおきなやかたのものがたり」も、“建物”に限りない愛着を抱く氏の真骨頂ともいうべき作品でしょう。

以前の記事で、絵本界広しといえど、建物そのものを物語の主役に据えた絵本などはそうそう見かけないというお話をしたと思います。あれからいろいろ思い出してみたのですが、映画の世界でも、建物という無機物が主人公になった作品は、およそホラー映画ぐらいしか思い当たりませんでしたね(笑)。
ことほどさように、建物に出入りする人間ではなく、建物に着眼した作品というのは珍しいわけです。しかし、今作を読んでいただければわかるように、ひとつの建物がたどった歴史の変遷は、つまるところ、そこに集う人間の歴史の変遷を物語ることになります。青山氏が、緻密な技法を駆使して三次元的広がりの中に描くある館の情景は、時代の移り変わりとともに変わっていく世相を如実に反映しているのですね。
今作における挿絵は、絵本作品でよくとられる常套手段、 “擬人化”といった安易な方法を選択していません。極めて写実的に、しかもうっとりするほど美しく、ひとつの建物の外観と内装を描き切ります。絵の中に登場する人物は、その時代に応じた衣装を身に着け、時に優雅に、時に生き生きと建物内を闊歩しますが、壮麗な建物の中では顕微鏡で覗いたような頼りないサイズしか与えられておりません。挿絵の視点が、あくまでも館のそれに合わせてあるためですが、ある意味これは、人間の住まう世界を一段高いところから見つめる神の視点に相当するでしょう。
しかし、建物は、その中に人の生活を内包してはじめて生命を与えられるように、今作の館の絵も、人の変遷に従ってその外観も色合いでさえ微妙に変えていきます。そして火事の後、人の行き来が途絶えてからは、館全体がまるで墓場のように死に絶えてしまうのです。そんな歴史の中で、館そのものが自らの意志を持つようになるわけですが、建物に対してこうした発想が働くこと自体、非常に新鮮な感動を覚えますね。
現在地球上に残されている古い建物群と、もしも会話ができるとしたら、人間とともに歴史の荒波を潜り抜けた感慨を訊ねてみたい気もします。長い長い時間を人間と分かち合う中で、彼らはひょっとしたら、人間という生き物の本質を理解したかもしれませんよね。今作の館が神の視点を与えられていたように、年月のしみ込んだ建物には、なにか人を圧倒する力が備わっているものなのです。
今作の館は、最終的に子供たちのための家として生きることを選択しました。今、地に足をつけて踏ん張っている建物も、私たちが毎日の暮らしの中で彼らを大切にしていけば、私たちに確かな安らぎを与えてくれるのではないでしょうか。目には見えないでしょうけど、建物に守られて生きた私たちの生の証は、きっとそこかしこに刻み付けられるはずです。私たちと建物のそのような関係をこそ、“家”と呼ぶのではないかなあと考える次第です。



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