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zoom RSS もうひとつの戦争―「ローズ・ブランチュ Rose Blanche」

<<   作成日時 : 2015/11/20 14:57   >>

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“Justice is a temporary thing that must at last come to an end; but the conscience is eternal and will never die. 正義とは最終的に終わってしまう仮初めのものだが、良心は永遠であり決して死に絶えることはない。”− Martin Luther マルティン・ルター


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ローズ・ブランチュ (世界・平和の絵本シリーズ (2))
平和のアトリエ
クリストフ・ガッラス

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「世界・平和の絵本シリーズA ローズ・ブランチュ Rose Blanche」
文:クリストフ・ガッラス Christopher Gallaz、ロベルト・イノセンティ Roberto Innocenti
絵:ロベルト・イノセンティ Roberto Innocenti
訳:ロニー・アレキサンダー、岩倉務
監修:中野孝次、永井一正  (平和のアトリエ刊)

ローズ・ブランチュは、赤いリボンが良く似合うごく普通の女の子だ。彼女が住むドイツの小さな町にも、戦争の影はひたひたと押し寄せてきている。ある寒い冬の日、トラックが町にやってきて大勢の兵隊を乗せていった。町に残る女子供は皆、赤にカギ十字の紋章の入った旗を掲げ、兵隊たちに手を振っている。その群集の中に、もちろんローズもいた。
外套を羽織って登校するローズのすぐ脇を、ドイツ軍の戦車がすさまじい排気ガスと轟音を撒き散らしながら走ってゆく。町の人々は、戦車に踏み潰されぬよう、道の端に身を寄せ合って立つ。今ではすっかり見慣れた光景だ。ローズの母親は、娘が戦車に轢かれないか心配でならない。なにしろ兵隊たちときたら、一時もスピードを緩めずに戦車を走らせるのだから。戦争が激しくなり、町の光景も変わった。ローズが見つめる川の水面には、寒々しい有刺鉄線の影が映るようになった。

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ローズの住む家の玄関からは、トラックがどこかに向かって走っていく様子がよくうかがえた。ここのところ、トラックは頻繁に行き来している。一体どこに向かって走っているのだろう。ある日、一台のトラックがエンジントラブルを起こし、急停止した。ローズが見ていると、そのトラックの中から1人の少年が飛び出してきたではないか。彼は逃げようとしているらしい。しかし、それを遮るように立っていた市長が彼の首根っこを捕まえると、トラックに連れ戻してしまった。少年は怯え、両手を上げて震えている。色鮮やかなカギ十字の腕章をつけた市長の方は、ぶくぶく太った体躯を反り返らせ、脂ぎった顔にニヤニヤ笑いを浮かべていた。ライフルを少年に突きつけた兵隊は、市長に礼を述べる。次の瞬間には、少年のほかに大勢の人たちを乗せたトラックは、乱暴に走り出していた。空は息も詰まるような灰色だった。
町中には、普段と変わらない光景が広がっている。自転車や耕運機が置かれた広場で子供たちがワイワイ遊んでいた。しかしローズは、たった今見たトラックの行き先を突き止めようと、脇目も振らずに走り出していた。ローズは、町の境を過ぎて暗い森の方へと歩いていった。雲は重苦しい灰色で、道に所々溜まった水も凍りつく寒さだった。ローズは歯を食いしばり、森の中の小道を進む。すると突然目の前に、電気の流れる鉄条網が広がった。思わず立ちすくんだローズは、鉄条網の向こう側に、黒と白の囚人服を着て骸骨のように痩せこけた幼い子供たちが立っているのを見た。お腹をすかせた子供のために、ローズは持っていたパンを鉄条網の向こうへ差し出した。しかし彼らは、まるで蝋人形のように長屋の前から動こうとしない。夕日が丘の向こうに沈もうとしていた。
寒く陰鬱な冬。ローズは家でほとんど食べ物を口にしなくなった。それなのに、学校には、可能な限りたくさんのお弁当を持って行くのだ。ローズはだんだんやせていった。ローズだけではない。町の人々も深刻な食糧難のせいでやつれ、密告が横行したために、お互いに疑心暗鬼に駆られるようになったのだ。そんな中、相も変わらずぶくぶくと太っているのは市長だけであった。ローズは、毎日食べ物を学校かばんの中に隠し、あの鉄条網の向こうで待っているだろう子供たちに持って行く。ローズが来るのを待つ子供の数はますます増え、彼らは日を追うごとにやせていった。胸に黄色の星をつけた子供も混じっている。

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雪で凍った道路がぬかるむ頃、疲弊したドイツ兵たちを満載したトラックは、かつてとは反対の方向に向かって走り去っていった。ライトを消し、夜陰に乗じて何者かに追われるように。ある日、町の人々は、持てる限りの家財一式を抱えて逃げ始めた。混乱する群衆の中には、怪我をして足を引きずる兵隊の姿も見える。ローズもまた、その日姿を消した。学校かばんの中に食べ物を詰め、あの森の中の鉄条網に向かったのだ。
かつて鉄条網のあった場所はことごとく破壊され、木の長屋もなにもなくなっていた。ローズはかばんを落とし、その場に呆然と立ち尽くした。どんよりと霧がかかった視界の隅に、1人の兵隊がライフルを抱えて現れた。ローズは小さな胸に手を当て、祈りを捧げるように鉄条網にクロッカスの花を一輪添えていた。彼女は兵隊に気づかず、兵隊もよもや少女がこんな場所にいるとは夢にも思わず、彼女を敵兵と認識した。銃声が、周囲に立ち込める霧を切り裂いたのは、その直後のことだった。
その頃町には、新たな戦車とトラックが、排気ガスと轟音を撒き散らしながらやって来ていた。しかし、彼らが身につける軍服も話す言葉も、今までとは違う。彼らはドイツ軍を打ち負かした連合軍の軍隊なのだ。平和になった町で、ローズの母親は娘の帰りをずっと待ち続けた。
かつて収容所のあった場所にはクロッカスの花が咲き乱れ、放置された鉄条網にもつる草が絡まるようになった。川には水が溢れ、若葉をいっぱいにつけた木々の間では、鳥がさえずっている。春はどんなところにも等しく訪れる。たとえ、ローズが最期の祈りを込めたクロッカスの花が枯れ、しおれてしまっても。


興行的には残念な結果に終わったトム・クルーズ主演作「ワルキューレValkyrie」(2008年)は、第2次世界大戦末期、ヒトラー独裁の狂気に疑問を抱き、彼を暗殺しようと立ち上がったドイツ軍将校シュタウフェンベルク大佐たちの勇気ある行動を明らかにした作品です。大佐とその同志たちがどのような運命を辿ったか、ここでは触れないでおきますが、彼はドイツでは伝説的なヒーローと認識されている人物です。
一昔前の戦争映画では、“ドイツ=ナチス=極悪国家”とみなした単純明快な図式が定番となっていましたが、昨今の映画界は、さすがにもう少し成熟した思考を作品にもたらすようになったのですね。ナチスという全体主義に染まってしまったドイツの中にも、他の国家と同じように混乱と痛みがあり、独裁によって押さえつけられた“良心”があちこちで悲鳴を上げていたのだ、ということがよく伝わってきます。ロマン・ポランスキー監督が、ユダヤ人としての自身の戦争体験を映像化した「戦場のピアニスト The Pianist」(2003年)でも、心あるナチス将校を印象的に登場させていましたね。
こういった風潮は、単に、ナチスという戦禍に対する解釈が年月と共に変化した結果だというだけではありません。今や陰湿なテロリズムに姿を変えた“戦争” そのものが、否応なく私たちに自省を促し、その認識を変えてしまったからだと思います。頻発するテロは、更なる悲劇と暴力を生み出す種子となり、誰かがそれを止めない限り永遠に続いていく暴力の連鎖を完成してしまいます。また、異質なものに対する恐怖や憎しみ、破壊衝動は、誰の心の中にも存在する本能であり、それこそが全ての“暴力の連鎖”の胚なのです。過去に起こった大規模な戦争も、元を辿れば同じ起源に行き当たるはずですね。

この絵本は、戦争の愚を次の世代に伝える平和運動に従事する人々によって、制作された作品です。他にも、世界各地で見聞された戦時中のエピソードが多数、絵本になっているようですね。戦争という事象を市井レベルで多面的に見ることのできる、非常に興味深いシリーズです。また、絵本という形態は、子供たちに戦争と平和の意味をわかりやすく伝える上で有効でありましょう。ですが、これらの作品を手にとって最も深い感慨を覚えるのは、やはり私たち親の世代だと思われます。

この「ローズ・ブランチュ Rose Blanche」には、絵本を子供に読み聞かせている親御さんの子供たちと、ちょうど同じぐらいの年代の少女が登場します。私たちは、彼女の視線を通じて、ナチスがドイツの人々にもたらした苦しみを知るわけですね。ロベルト・イノセンティによる緻密なイラストの効果は絶大で、彼女の住む小さくて平和だった町が、ナチスの台頭と衰退と共に重い影に覆い尽くされていく様を、恐ろしいほどリアルに伝えています。どのページにもローズの姿が小さく描かれ、赤いリボンをつけた可愛らしい少女が、彼女たち市民の日常を蹂躙する戦車や兵隊たちを静かに見つめるのです。ドイツという国家をナチスと同一視することの危険性が、ここからもうかがえます。
ある種の諦念と共に受け入れられた戦争は、徐々に彼女の顔から子供らしい表情を奪い、ある日を境に彼女を後戻りできない運命に引き込んでしまいました。強制収容所に連行されるユダヤ人の子供を目撃したローズは、ナチスによるユダヤ人狩りと市民の密告が横行する中、自らの危険も省みずある行動に出るのです。母親にも内緒で、自分が手に入れられるだけの食べ物を、密かに収容所の子供たちに運ぶという…。冷静に考えれば、強制収容所の有様と比して、たかが少女1人が運ぶ食べ物など、囚われの身になった人々には何の足しにもならなかったとは思います。彼女1人で、全ての人々を救うことなどできはしません。それでも彼女は、危険を冒してでも、収容所までパンを運ばずにはいられなかったのです。私たちが心に留めておかなくてはいけないのは、ローズを突き動かした衝動でありましょう。彼女には、自分がナチスに隷属する立場であり、従って収容所内のユダヤ人とは決して相交わらない人間だという意識などありませんでした。ドイツ人である前に1人の人間として、同じ人間に、しかも困窮する人間に、手を差し伸べたかっただけなのです。しかしその純粋な衝動こそ、私たちが“勇気”と呼び習わすものでした。

ドイツの陰鬱な冬と、ナチスの没落が重ねあわされた描写は、重い石を呑まされたような痛みを読者にもたらします。ひとつの時代が終焉する間際、最後のあがきのように人々が狂気に踊らされる様子は、体制に阿り、醜く肥え太った市長の姿に集約されています。誰しも、圧倒的な力を持つ権力に屈する誘惑には勝てないはず。カギ十字の腕章をつけて目をぎらつかせる市長と、収容所の子供たちのための食べ物を抱え、命を削るローズが同じページに描かれています。ぜひ絵本を手にとって、彼ら2人を比べてみてください。正反対の生き方を実践する彼らは、共にドイツ国家を形成する国民であり、“ナチス”の一部でもあるのです。ローズのように、体制にではなく己の良心に従う生き方が如何に困難か、この後彼女が悲劇的な最期を迎えたことからも実感できるはずですね。

“この世を動かす力は希望である。やがて成長して果実が得られるという希望がなければ、農夫は畑に種をまかない”−マルティン・ルター

しかし戦争は終わり、春の訪れと共に、敗戦国となったドイツにも新たな時代が到来しました。収容所は連合軍によって破壊され、囚人たちはどうなったのか結局わからずじまいです。ローズの良心も、その勇気ある行動も、一見すると無に帰したように思えますが、彼女の遺したクロッカスの花がやがて種を落としたように、彼女の魂は次の世代への確かな橋渡しとなるはず。ルターの言を借りれば、つまり、ローズという少女が体現するものは、“希望”という名の平和への強い意志に他ならないというわけですね。

1人の少女が身をもって示した“希望”の尊さ。しかしながら、これをこの世を動かすパワーに変えられるかどうかは、ひとえに私たちの意志に懸かっていると思います。


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