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zoom RSS 「イル・ポスティーノ Il Postino」―マイケル・ラドフォード監督

<<   作成日時 : 2017/05/13 22:08   >>

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いつか来た詩の道。

「イル・ポスティーノ Il Postino / The Postman」(1996年製作)
監督:マイケル・ラドフォード Michael Radford
製作:マリオ・チェッキ・ゴーリ&ヴィットリオ・チェッキ・ゴーリ他
原作:アントニオ・スカルメタ『バーニング・ペイシェンス』
脚色:アンナ・パヴィニャーノ&マイケル・ラドフォード&フリオ・スカルペッリ&ジャコモ・スカルペッリ&マッシモ・トロイージ
撮影:フランコ・ディ・ジャコモ
音楽:ルイス・エンリケ・バカロフ
出演:マッシモ・トロイージ(マリオ)
フィリップ・ノワレ(パブロ・ネルーダ)
マリア・グラッツィア・クチノッタ(ベアトリーチェ)
リンダ・モレッティ(ローザ)
ロナート・スカルパ(電信技師ジョルジョ)
アンナ・ボナイウート(マチルデ)
マリアーノ・リジオッロ(ディ・コジモ議員)

1950 年代のイタリア、ナポリ沖合いにある小さな島。切り立った崖から見渡す海はどこまでも青く美しい。しかしそこでは人々が従事する産業すらなく、島の男達は漁師になって獲ったわずかばかりの魚を売ることで生計を立てるしかない。まだ空が明けきらぬうちから古びた漁船を出す男達。その中にはマリオ(トロイージ)の年老いた父親もいた。
ところがマリオ青年自身は風邪を理由に、今日も海に出ることをさぼっている。彼は水道すら引かれていないボロボロの自宅で、アメリカに渡った友人から届いたはがきを飽きもせず見つめている。そして夢見るようなまなざしで、アメリカの豊かな生活を想像してみるのだった。そんな息子の姿を見て、父親は嘆息する。
「マリオ、お前は漁師が嫌いなのだろ。どこででもいいからとにかく仕事をしろ。もう子供ではないんだから」

週末。島にひとつだけある映画館では、週に一度上映されるニュース映画が流されていた。島の人たちの数少ない娯楽である。とくに今夜は映画館には満員の客が詰めかけていた。だれもがビッグニュースをこの目で見ようと胸をわくわくさせていたのだ。それは、チリ出身の偉大な天才詩人で政治家でもあるパブロ・ネルーダ(ノワレ)が、この島に滞在することが決定したからだ。彼は熱心な共産主義者で、支持者のために議員にまでなった人物だが、その思想のため、チリ政府から逮捕状が出されてしまった。逮捕を免れるため、ネルーダはイタリアに亡命先を求めた。イタリア政府とチリ政府の協定によって、彼は許可なく島の外に出ることはできないが、島に滞在する限りは、自由に生活することができる。島の人々は、このニュースに沸き返った。なにしろ、ノーベル賞候補にまでなった世界的な著名人が名もない島にやってくるのだから。映画は、テルミニ駅に到着したネルーダを熱狂的に出迎える美しいイタリア女性たちを映し出していた。彼は、こと情熱的な愛の詩で有名である。ダンディなネルーダは若く美しい妻マチルデ(ボナイウート)を持ち、世界中の女性ファンの心をときめかせていた。マリオはその模様を苦笑いしながら観ていた。

ネルーダが島に到着してしばらくたったある日のこと。島で一つきりの郵便局に、配達人募集の張り紙が出される。偶然それを目に留めたマリオは、電信技師ジョルジョ(スカルパ)に、読み書きができ、自転車を持っていることからその配達人にやとわれる。毎日世界中から寄せられるネルーダへのファンレターが尋常ではない数になったため、特別にネルーダへの郵便物だけを配達する専属の配達人をおくことになったのだ。くれぐれもドン・パブロに失礼のないようにと繰り返すジョルジョ。彼はがちがちの共産主義者で、ネルーダに心酔しているのだ。マリオはファンレターに女性の名前ばかりを発見し、ただ女性に人気のある詩人なだけじゃないかと呆れる。ともあれ、マリオは新しい職を得た。収入はネルーダのくれるチップだけなのだが。

マリオはさっそく新しい制帽を頭になじませる。帽子をかぶったまま食卓に着く息子に、父親はなにか言いたげだ。マリオは毎日郵便局から、ネルーダ宛の郵便物を彼が住むところまで届ける。ネルーダの住まいは坂の上にあり、自転車で通うには大変だったが、マリオはこの未知の詩人に興味津々だった。できれば親しく声をかけたいのだが、ネルーダは無愛想でマリオに挨拶もしない。

きっかけをつかめないマリオはネルーダの詩集を買い、思い切ってそれにサインをくれるよう頼んでみたが、詩人は荷物の受け取りのような味も素っ気もないサインを書いてよこしただけだった。せっかく自分の名前を入れてくれるように頼んだのに、それすら省かれた。なんて冷たい人なんだとひとしきりくさるマリオ。仕方なく彼は、仕事の合間にネルーダの詩集を読みふける。そこには彼が今まで知らなかった言葉が詰まっていた。詩特有の隠喩表現。ネルーダが操る隠喩の数々はきらびやかで、情熱的だ。その意味するところを完全に理解できないまでも、マリオは自分の心がざわめきたつのを感じるようになった。もっと知りたい。
ある配達の日、いつものようにネルーダに郵便物を渡したマリオは、去りがたくその場に立ち尽くしていた。不審に思った詩人の視線を捕えた彼は、本で覚えたばかりの隠喩表現を並べてみる。それに隠喩で応えるネルーダ。マリオは無邪気に問いかけた。
「“いんゆ”ってなんですか?」
顔をほころばせた詩人は、隠喩の意味をマリオに教える。隠喩とは、何か話すとき他のものに例えること。空が泣く…雨が降ること。なるほど、これなら自分にも使える。マリオはネルーダの詩のお気に入りの表現をそらんじる。『人間であることに疲れる。理髪店の匂いに私は涙にむせぶ』詩とは説明できないものだ。詩を理解したければ、その表す情感を体験すること。詩を心で感じることだ。

言葉を交わすようになったマリオとネルーダ。ある日マリオはネルーダ宛の手紙の中に、ノーベル賞へのノミネートの知らせを見つけた。必ず受賞できるとネルーダを励ますマリオ。そしてたまらず、自分も詩人になりたいと打ち明ける。
「詩人になれば、あなたのようにおれも女性に愛してもらえるから」
そんなマリオにネルーダは不思議な教えを授ける。
「入り江に向かってゆっくり岸を歩きなさい。周囲を見ながらね。そうすれば隠喩が浮かんでくるさ」

詩人の教えの通りに夕暮れの海岸を歩き、言葉をひねり出そうと苦心するマリオ。しかしそう簡単には詩は書けない。ある日海辺でネルーダを見つけたマリオは、彼から水が出ないと相談を受ける。ここは貧しい島で、貯水槽はすぐに空になってしまう。タンカーがナポリからやってくるのも月に一度だ。物資は常に不足している。政治家は口約束ばかりで、島に水道を引く話も先延ばしになっているのだ。人々は、政治に抗議しても受け入れられない現実に、とうの昔にあきらめの境地に達していた。コミュニストらしく怒るネルーダ。そしてマリオを隣に座らせ、海をテーマに即興で詩を吟じてみせる。言葉はあふれ出し、詩人の声は熱を帯びる。マリオに感想を求める詩人。マリオはたどたどしく、言葉の真っ只中で揺れる小船のように感じたと答える。そう、それが隠喩だと指摘され、驚くマリオ。マリオはさらに問いかける。世界全体がなにかの隠喩になっているのだろうか、と。子供のように無知だと思っていた一青年から、おもいがけず詩作の根源に触れる質問を投げかけられ、うろたえるネルーダであった。

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マリオは島にたった一軒しかない食堂兼酒屋で、美しいベアトリーチェ(クチノッタ)という娘と出会う。彼女はそこの女主人ローザ(モレッティ)の姪であった。一目で恋に落ちたマリオは、初めて知る異性への狂おしい想いに戸惑い、ネルーダに相談をもちかける。彼女へ贈る愛の詩を書いて欲しいと懇願したのだ。シラノのようなまねはできないと断る詩人であったが、熱に浮かされたマリオは聞く耳を持たない。もし彼女と結婚できたら、立会人になってほしいとまで言い出す始末だ。

マリオはネルーダに1本のテープを届けた。テープというものを見たことがなかったマリオは、目の前でネルーダがテープを再生する様子を興味しんしんで見守る。それは、チリにいるネルーダの同志たちが、彼の誕生日を祝うためにひそかに録音したものであった。ネルーダの詩集「大いなる歌」を当局の目に触れぬよう極秘裏に出版したというのだ。それを記念して、同志達がみなで「大いなる歌」を朗読していた。涙する詩人。彼はかつて議員であった頃に、ある炭鉱夫と出会った話を聞かせる。炭鉱夫は過酷な労働のため、目は真っ赤に充血し、体中すすと汗で真っ黒であった。それでも人並みの生活を送れない現状を指し、これを詩にしろと言ったのだ。決意した詩人は「大いなる歌」を書き、抑圧される労働者の開放を詠った。テープの続きに、ネルーダは感謝の返事を吹き込む。そして、マリオにもなにか一言言うように勧める。あわてるマリオであったが、詩人に促され、ようよう「この島で一番美しいものは…ベアトリーチェだ」とだけしゃべった。

詩人に励まされ自分で詩を捧げようとするマリオであったが、いざ彼女を前にすると、口から出てくるのは詩人が妻マチルデ(ボナイウート)のために書いた情熱的な愛の詩であった。「君の笑顔は蝶のように顔に広がる」マリオから美しい詩を捧げられるうち、いつしかベアトリーチェの心は他の島の男にはない風変わりで優しい彼に惹かれていくのだった。しかしそれを快く思わない親代わりの叔母ローザは、ベアトリーチェが大切に持っていたマリオからの詩を取り上げてしまう。ローザは、貧しくて財産を持たないマリオを嫌っていたのだ。字の読めないローザは、島の教会の司祭に詩を読んでもらうと、その大胆で赤裸々な内容に烈火のごとく怒る。ネルーダの家にやってくると、二度とマリオをベアトリーチェに近づけないでくれと厳重に抗議した。詩人はマリオに、他人の詩を勝手に引用するのは感心しないと諫めるが、マリオは言い返す。
「詩とは書いた人間のものではなく、それを必要とする人間のものだ」

マリオの屈託ない言葉によって、またも詩の本質を突かれたネルーダは苦笑するしかなかった。
ローザの怒りにもめげず、ベアトリーチェとマリオはデートを重ね、やがて深く愛し合うようになった。結婚を決意する二人。結婚式の立会いは、マリオの願いどおりネルーダが務め、やがて食堂で新郎新婦の披露宴が催された。ネルーダも、もちろん妻マチルデと出席した。そこへ電報が届く。チリ政府のネルーダへの逮捕状が撤回されたというのだ。喜びに抱き合う詩人とマチルデ。詩人は立ち上がると、新郎新婦を祝う詩を披露し、さらにたった今愛する祖国へ帰ることが許されたとみなに報告した。一抹の寂しさをかみしめながら、そんなネルーダを見つめるマリオ。詩人は音楽に合わせ、新婦ベアトリーチェとタンゴを踊った。

別れの朝。最後の郵便物をネルーダに届けるマリオ。チップを出そうとするネルーダの手を止め、マリオは手紙をくれるように頼む。チリの政治状況は先行きが不明だ。荷物は残していくから後で送ってほしいという詩人の願いを、マリオは快諾した。お互いに寂しさをかみしめながら、しっかりと抱き合う二人。
「さようなら、マリオ」
大切な友人が去った家の中で、マリオは一人彼に贈られたノートを広げてみる。ベアトリーチェに捧げる詩を書こうとして、結局一つの言葉も書かれていないノート。まっさらなページを前に、詩人との思い出にひたる。
郵便局にいくと、ジョルジョがネルーダの近況を知らせてくれた。詩人は授賞式でロシアにいるという。新聞に、若き詩人ペルコヴィッチを祝福するネルーダの写真が載っていた。ならば帰りにこの島に寄ってくれるかもと期待を寄せるマリオだったが、彼は忙しい人間だ。世界中の同志たちと会わねばならない。とてもそんな時間はないだろう。

イタリアも選挙の季節を迎えた。島では以前からディ・コジモ(リジオッロ)が、言葉巧みに島民から票を集めようとしている。島に新しい仕事を誘致するから、コジモに1票を!コジモはローザの食堂にもやってきていた。島に引く水道工事のため、労働者が20家族島にやってくる。彼らの朝夕の食事を提供するようコジモから依頼されたローザは、大もうけができるとホクホク顔だ。うさんくさいものを感じたマリオだったが、ベアトリーチェを手伝って台所に立つことになった。
ある日、ジョルジョが再びネルーダの近況を知らせてくれた。詩人は今パリにいる。新聞に掲載された彼の談話を読むマリオたち。
「私はイタリアを愛した。世界で一番素朴な人たちと、誰にも邪魔されない幸せな生活を楽しんだ。しかし郷愁というものは、祖国にのみ持てる感情だ。でも私はイタリアの海岸、岩場を忘れないだろう。そこに咲き乱れる名もない花々のことを」
自分達のことには一言も触れないネルーダは薄情だと、頑是無く非難するローザ。
「エサを食べた鳥は飛び去っちまうんだよ」
ジョルジョ、ベアトリーチェ、マリオは肩を落とす。

イタリアの選挙結果は、全州でキリスト教民主党の勝利に終わりそうだ。ジョルジョは、奴らはきっと汚い手を使ったに違いないと憤慨する。闘いはこれからだと。共産党員は、闘うしかない。そして束縛を打破するのだ。…心情的にはコミュニズムに傾いているマリオだったが、島の未来には懐疑的だ。束縛を打破して、それから一体どうする。どこにいるかわかりもしないネルーダが、おれの話に落胆なんかするはずがないさ。
食堂では、ローザが絶望していた。コジモの約束した2年間の水道工事が、突如中止になってしまったのだ。彼女は2年間労働者達に食事を提供して得るはずの収入を当て込んで、借金までしていた。どうせ票目当てのエサとして、工事の仕事を島民の目の前にぶらさげただけだ。マリオはコジモに啖呵を切った。そして憂う。ネルーダが島にいれば、共産党は選挙に勝てただろうか。一方、ベアトリーチェは妊娠した。マリオは未来のない島を出て、チリで暮らそうと妻に言う。子供の名前はネルーダにちなんでパブリートだ!

感謝祭の日、チリから手紙が届く。胸をはずませながら封を切るマリオだったが、それはネルーダの秘書からの事務的な手紙であった。島に残した家財を、明記した住所に送ってほしいとだけ書かれていた。マリオには一言の挨拶すらない、そっけない紙切れ。怒りを隠せないベアトリーチェたちにマリオは言う。
「おれたちが彼に対してなにかしてあげたと思うべきではない。むしろ彼の世話になったのはおれの方だ。ネルーダは、きっとおれが詩人の器ではないことがわかってたんだよ。マリオは存在するに値する男か?詩人として無価値だし、共産党員としてもちっぽけだから、彼はおれのことを覚えてないんだ。郵便配達人としてなら覚えていてくれるだろうがね」
「でも、この子の名前はパブリートにはしないわ」

翌日、ネルーダの家に向かうマリオ。詩人の残したテープを聴く。マリオは、かつて彼に促され、テープに向かって島の美しいものを言ったときのことを思い出していた。マリオの顔に幸せな笑みが広がる。そして悟った。自分の中にある“詩”を書こう。この島の美しいものを、詩人の残してくれたテープに録音するのだ。それが自分にとっての詩となる。それをネルーダに捧げよう。彼が自分を覚えていてくれるかどうかなんて、関係ない。ジョルジョが、外でも音を録音できるようカセットを改造してくれた。また、マリオが島中の音を拾っていく間、助手も務めてくれた。こうしてマリオのマイク片手の“詩作”が始まったのだ。

作品番号1:カラ・ディ・ソットのさざ波。
作品番号2:大波。
作品番号3:岸壁の風。
作品番号4:茂みを通る風。
作品番号5:我が父の悲しい網引く音。
作品番号6:聖母教会の嘆きの鐘と司祭の声。「おーい、これでいいか!」
作品番号7:島の星空。
作品番号8:パブリートの心音。「よく聞こえる。パブリートの心音だ」「マリオったら!パブリートとは呼ばないったら!」

数年後、ふらりと詩人が島に戻ってきた。懐かしい食堂のドアを開ける。と、そこへ一人の少年が飛び出してきた。あの忘れがたい友人に面差しの似た…。
「君は誰?」
「パブリート!」
ベアトリーチェの声が響く。詩人はベアトリーチェと再会した。

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島の美しい音を拾い集めた後、マリオはナポリで開かれた共産党の大会に出席した。同志ネルーダに捧げる詩を壇上で読むためだった。きっと彼が誇りに思うだろう。…しかしそこに当局の警察隊がやってきて、大会を中止させようとした。集まった党員たちは興奮し、やがて暴動になってしまった。壇上へ上がろうとしていたマリオは暴動に巻き込まれ、亡くなってしまった。息子パブリートは彼の死後に生まれたのだった…。
マリオのテープを聴くネルーダ。
「親愛なるドン・パブロ。以前島の美しいものを言えと言っただろう?今、それがわかったんだ。だからこのテープを作った。良かったら友達と聴いて欲しい。あなたはきっと、おれとこの島のことを忘れないでいてくれるだろうから。あなたはここにいろんな素敵なものを残してくれたんだ。“パブロ・ネルーダへの歌”という詩を書いたんだけど…海の詩だ。あなたに捧げる。党大会に出て朗読するつもりだ。あなたの名前が出たらきっと拍手が起こるよ」

海岸を歩く詩人の脳裏に、共産党大会に出るマリオの晴れがましい顔が浮かぶ。警察隊と衝突する党員達…たちまち修羅場と化す大会…ついに朗読されることのなかった詩が風に飛ばされ、地面に落ちる。詩人はいつまでも浜辺に立ち尽くしていた。親友の魂を想いながら。

そしてその年
私を探して詩が訪れた
冬か河か
どこから来たかいつ来たのかわからない
声でも言葉でも
静寂でもなかったが
私が呼ばれた道から
夜の四方に伸びた枝から
不意に人から火の中から
またひとりになる時
顔のない私に
それは触れた


―パブロ・ネルーダ

エンド・クレジット―わたしたちの友、マッシモに捧げる


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さて、マイケル・ラドフォード監督の前作「白い炎の女」(1987年)は、公開当時には興行的に失敗しました。その痛手は思ったほど深かったようで、彼は英国を離れて生活を始めます。まずはフランスに、後にイタリアに落ち着きました。その間彼は脚本を書く傍ら、コマーシャルを撮ったりしていたようです。イタリアで暮らすうち、彼はかの地の天才的コメディアン、マッシモ・トロイージと厚い友情を培いました。そしてトロイージのたっての希望で、彼の念願の企画をラドフォードが監督することになったのです。

それは、チリ出身の世界的詩人パブロ・ネルーダと17歳の少年の物語を原作とするもの。原作者もネルーダと同じくチリの作家です。その原作は美しい小説であり、ラドフォードも当初はこのままなにも変えずにチリの映画にしたほうが良いのではないかと考えたそうです。
しかしトロイージは、自分の俳優としてのキャリアをこの企画に賭けていました。彼は元々コメディアンとして数々の作品に主演、監督も手がけるなど、喜劇俳優として他の追随を許さないほどの地位を築いていました。ですが、今一度、シリアスな演技もできる俳優としての認知度を上げたかったという希望があったそうです。そこで、トロイージの熱意に押される形で、イタリア映画界初の英国人監督によって製作されたイタリア映画が誕生することになったのでした。
ラドフォードの久方ぶりの映画製作には、様々な困難が立ちふさがっていました。まずは脚本。彼は英語やイタリア語を含め4ヶ国語を自在に操りますが、しゃべるのと脚本が書けるのとでは大きな違いがあります。自分で脚本を書く自信がなかったラドフォードは、イタリアきっての大脚本家に原作の脚色を依頼します。仕上がったそれを見たラドフォードは、あまりのできの悪さに意気消沈。結局トロイージと二人で最初の草稿を書き上げました。その作業過程で、ラドフォードとトロイージは、原作のテーマそのものを変えなければならない事実にぶち当たります。ラドフォードは長編映画処女作『Another Time, Another Place』撮影時の思い出から、原作を貫く本質を見出し脚色のテーマを決定しました。つまり、何らかの理由で日常生活を離れてどこか別の場所に行き、誰かに出会って交わりを持ったことが、自分には何の変化ももたらさなかったが、相手にとっては人生を変えるような転機となったということです。
もう一つの問題は、トロイージの健康状態でした。彼は重い心臓の病気を抱えており、本当はすぐにでも心臓移植を行わなければいけなかったのです。これについてはトロイージの強い希望で、移植手術を遅らせてでも撮影を開始することに決定。ここから、この「イル・ポスティーノ」という作品が完成に向けて動き始めたのでした。

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美しい地中海の風景も、よく目を凝らせば、荒れた波に浸食された切り立った崖に囲まれています。また、アッズーリ―地中海ブルー―は、確かに旅行者の目にはまばゆいばかりに輝きますが、長年その厳しい日差しに晒されていれば、肌には消えない皺も刻まれていくでしょう。私たちは旅行で訪れる地の風景をただ愛でるだけですが、そこで暮らす人たちにとってはひょっとしたら、その風景が厳しい生活を強いる抑圧になっているかもしれません。

青年マリオにとっての故郷の島は、明らかにそうでした。永遠に逃げ出せない貧しさの象徴。仕事もなく、人として最低限の生活に甘んじるしかない場。人民のためのはずの政治にすら捨て置かれた場。マリオはそんな島での暮らしに嫌気が差しながらも、現状を打破する行動を起こすことも出来ません。自分にはそんな力もないとあきらめてしまっているのですね。ただ、ここではないどこかの夢を見るだけ。そこに、自分とは異なる人生、文化、思想を持った異邦人がやってきます。
ネルーダは、すでに世界的な名声を得ている著名な詩人です。そんな自分をよく意識しているのか、自分のために働くマリオに対しても、多少尊大な態度をとりますね。彼にとっては、この島での暮らしもしょせん仮住まい。政治状況によっては、またどこか別の場所に亡命しなければならないかもしれません。せいぜい島の美しい海の風景が、祖国を想う心の慰め、あるいは詩の霊感を得る助けになるだろうぐらいにしか考えてないでしょう。
でもマリオにとって、ネルーダとの出会いは違います。彼との交流は、人生を根本から変えてしまうほどの啓示だったのですね。今まで知らなかった言葉の世界を教わり、真っ白だった彼の知識のノートには、新しい命ある“言葉”が次々と書き留められていきます。ノートが埋め尽くされると、マリオの心に彼だけの“詩”が生まれでようとしているのを感じます。それは、実は彼の自我の目覚めでもあるのです。詩作だけではない、ネルーダはマリオに、自分達の生活をよくするために政治に抗議するという行動も、身をもって教えていたのですね。きっかけは確かにネルーダの傾倒するコミュニズム思想でしたが、マリオに宿った言葉は彼の中で意味のある考えを形成し、彼は今度は自分の意志で、口先だけの政治家コジモに抗議したわけです。それは決してネルーダを意識した行動ではなかったと思います。
ネルーダの残したテープの中の、詩人が問いかけます。
「この島の美しいものはなんだい?」
これこそが、マリオの詠うべき“詩”であります。マリオは、自分の島にいながらも祖国チリに魂を残している詩人に、裏切られたような、嫉妬に近い感情を抱いていました。彼は詩人に対して、ただただ子供のように無心の憧れを向けていたのですね。しかしこのとき、彼は人生の抑圧の象徴でしかなかった故郷をもう一度見つめなおすべきだと悟るのです。
ネルーダに贈るために島中の音を集めていくうちに、改めて故郷の持つ美しさに気づくマリオとジョルジョの姿は素敵です。故郷の貧しさと住まう人々の無知は変えようがないけれど、それを愛する大切さは永劫変わりないはずです。テープを通じてそのことは、思いがけずネルーダの心をも動かしたでしょうね。
ネルーダと育んだ友情は、結局、友と家族と故郷を愛せよという普遍のテーマに回帰しました。だからこそ観ている私たちの共感を呼ぶのでしょうね。

ネルーダを演じるのは、フランスの名優フィリップ・ノワレ。彼はなんといっても「ニュー・シネマ・パラダイス」の映写技師アルフレード役で有名ですが、今回の大詩人ネルーダ役は大変印象的でした。詩人らしく情熱的で繊細な、でも自分の才能に自信を持った、ちょっととっついにくい人物像を憎めないチャームで演じています。マリオに詩を吟じてみせるときの高揚した表情、そして彼から意図せず隠喩を引き出したときの“してやったり”という表情。あるいはマリオに詩の本質を突かれて、“降参した”といわんばかりの苦笑…。マリオ役のトロイージの演技を引き立てると同時に、高みに導いているような素晴らしい演技でした。
ノワレとトロイージ二人の演技は、劇中のマリオとネルーダ同様、呼吸するように共鳴しあっていますが、実は、撮影時二人が一緒に撮影することはほとんどなかったそうです。というのも、トロイージの健康状態は悪化の一途をたどっており、一日の撮影スケジュールのうち、彼が現場にいられるのはほんの1時間ほど。それも、ほとんど歩くことができない容態だったため、できるだけ彼が座って演技出来るように、カメラアングルを調節したとか。

ラドフォード監督はもともとロケが好きで、美しい自然の豊富なイタリアで、今作のためにいくつもロケ先を確保していたのですが、そんなわけで急遽スタジオ撮影に変更した部分もあったそうです。トロイージとのコラボレーションは、しかし、非常に楽しいものであったと、後年監督は語っています。トロイージはコメディアンですから、シリアスな演技でもついやりすぎてしまう。アドリブを連発されて困った監督は、できるだけテイクを重ねないように、彼の演技を抑えることに終始したそうです。作曲家ルイス・エンリケ・バカロフ(フェリーニ監督の「女の都」など)によるピアノとバンドネオンの音楽は、軽やかでどこか郷愁を誘います。手付かずの自然を背景につむがれていく、平凡な人々の心の移ろいに慎ましやかに添えられているようですね。奇をてらった演出は何もないけれど、人間の機微を繊細に伝えるこの映画は、昔の日本映画を観ているような気にさせられます。

トロイージは劇中のマリオ同様、この作品に情熱を捧げました。そして、マリオが初めて1人で書いた詩を人前で朗読することができなかったように、トロイージもまた、映画の世界的な成功を知らずして世を去ります。映画のクランクアップ12時間後に、心臓疾患が原因で夭折。享年41歳でした。
しかし彼の魂は、マリオの無垢な笑顔と共に、永遠にフィルムに残されることになりました。ラドフォードもまた、かけがえのない親友を失った代わりに、この作品で世界的な評価を得ることになったのです。傷心を抱えてイタリアにやってきた彼は、かの地で癒され、映画への活力を再び取り戻しました。

「イル・ポスティーノ」のマリオとネルーダは、トロイージとラドフォードそのものであったのかも知れません。


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マッシモ・トロイージ Massimo Troisi

1953年2月19日生まれ
1994年6月4日没
イタリア、ナポリ出身

●フィルモグラフィー
1994年「イル・ポスティーノ」兼脚本 
1989年「スプレンドール」
1989年「BAR(バール)に灯ともる頃」 
1987年「ホテルコロニアル」(未)

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