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zoom RSS 戦争のある考察―「六にんの男たち なぜ戦争をするのか?」

<<   作成日時 : 2012/05/31 23:37   >>

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「六にんの男たち なぜ戦争をするのか?」のお話をする前に、まずこの動画をご覧ください。

Just War - feat Gruff Rhys


この動画は、ロシア出身のアニメーターであるGarry Bardin(1941年9月11日生まれ)が1983年に制作した、マッチ棒を使ったストップモーション・アニメ作品「Conflict」が元になっています。それをテンポ良く編集し、バックにDanger Mouse and Sparklehorseというバンドの反戦ソング“Just War - feat Gruff Rhys”を流して、映像と音楽をマッチングさせたのがTorrey Meeksなるアーティスト。オリジナルは7分に及ぶアニメーション・フィルムそうです。しかし、編集が加えられたこの動画は、バックに流れる“Just War - feat Gruff Rhys”の60年代風ラブ&ピースなメロディと、マッチ棒を人間に見立てたシンプルな映像が物語る衝撃的な内容との落差が激しく、逆に映像のアイロニーが強調される結果となりました。まことに戦慄すべき作品ですね。

この動画のオリジナルである短編アニメ映画「Conflict」を共有しておきます。こちらもご覧になってみてください。戦争がどうして、どのようにして起こるのかが、非常にわかりやすく描かれております。

Conflict




「六にんの男たち なぜ戦争をするのか?」  
デイヴィッド・マッキー/作 中村こうぞう/訳 偕成社刊行

むかしむかしあるところに、六人の男達がいました。
彼らは平和に暮らすことの出来る土地を求めて、長い間歩き続けていたのです。
あるときようやく、よく肥えた土地を見つけ、彼らはそこに住み着いてせっせと土地を耕しました。

骨身を削って働いたおかげで、彼らは多くの作物を収穫することが出来、次第に金持ちになっていきました。そうなればなったで、今度は男達はどろぼうの心配をはじめました。せっかくの蓄えを盗まれてはかないません。彼らは高い塔を建て、いもしない敵を見張るようになったのです。なにか不審な物音がするたびに塔に駆け上ることに男達。でもそんなことをしていては働くこともままなりません。彼らは相談の結果、財産を守る番兵を置くことにしました。
六人の男達は、見るからに強そうなむくつけき六人の男達を雇いました。番兵は兜をかぶり、槍や剣を帯び、面倒なことが起こればすぐに出かけられるように待機します。
ところが、待てど暮らせど泥棒はやってきません。兵隊達はすることがないのでごろごろするばかりです。六人の男達はまたもや心配になってきます。日がな一日ぼんやりしていては、兵隊がいざというときに戦い方を忘れてしまうのではないか。それに、なにもしない彼らに給料を払うのも癪です。
六人の男達は、兵隊達に近隣の農場を襲わせることにしました。兵隊は戦うことが出来るし、男達にも新たな土地が手に入るしで、これは一石二鳥のアイデアでした。土地乗っ取りはあっという間に完了し、そこに住んでいた農民は逃げ出しました。しかしこうなると、男達はもっともっと土地を増やして金持ちになりたいという欲が湧いてきたのです。
そこで兵隊達は、男達の治める土地の近隣にある農場を全て占領するよう命令されました。火の手が上がり、弓矢が飛び、剣が振り下ろされ、兵隊達は農場を次々襲っていきました。抵抗して殺される農民、降参して男達の支配下に入る農民…男達はますます多くの土地を得ました。財産が膨れ上がるにつれ、男達はさらに大勢の兵隊を雇わねばならなくなりました。そこで大きな軍隊をつくり、最初に雇った六人の兵隊をこの軍隊の指揮官としたのです。
軍隊は高い塔を建て、兵舎を作り、常に訓練を絶やさず、さらに多くの土地に攻め入り、これを占領しました。そしてついに六人の男達は、この地方一帯を川のところまで全て治めることになりました。

男達に支配されたくない農民達は、危険な川を渡って向こう岸に逃げていきました。そして川の向こうで土地を耕し、ようやく平和に暮らせるようになったのです。でも、六人の男達の軍隊がいつ攻めてくるか、心配でたまりません。そこで農民達は、再び占領されないようにするため、協力して2つのグループを作りました。1つが兵隊として土地の警護をしている間、もう1つのグループは畑を耕すのです。グループは交互にそれぞれの役目を行い、敵の攻撃に備えました。
六人の男達が川岸に1人の番兵を立てると、川の向こう側でも同じように1人の番兵を立てます。
しばらくは何事も起こりませんでした。暇でしょうがない川岸の番兵は、ある日川に飛んできたカモを戯れに弓で狙いました。川向こうの番兵も同じように弓でカモを狙います。ところが2人の弓矢は狙いをそれ、うなりながら川を飛び越えて向こう側へ飛んで行ったのです。すると、双方の番兵とも、自分が弓で狙われたのだと勘違いして、突撃のラッパを吹いてそれぞれの軍隊に知らせたのです。
川を挟んで双方から、武装した軍隊が押し寄せてきました。そしてあっというまに大戦争が始まったのです。軍隊はやがて川を乗り越え、弓矢を放ち剣で切り合い、鉄の棍棒で打ち合い、すさまじい戦いが幾日も続きました。折り重なっていく死体の山。
そしてようやく戦いが終わったとき、生き残った者といえば…。

ただ川の両岸に、六人の男達が立ち尽くしているだけでした。川の両岸に呆然と立っていた男達は、やがてそれぞれ反対方向に立ち去り、平和に働いて暮らすことの出来る土地を求めて歩き始めたのでした。

六にんの男たち?なぜ戦争をするのか?
偕成社
デイビッド=マッキー

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ごく細いペンで描かれたものと思われる、ひょろっとしたシンプルな絵。まるで子供が描いたようなゆるやかな1本の線。それが形作る素朴でユーモラスな人間たちは、ただ平和に豊かに暮らしたいという願いを持っていただけでした。ところが、その願いの裏に巣食う物欲と傲慢さは、次第に取り返しのつかない混乱を招いていきます。金と権力を欲すると、それを失うことを恐れて実在しない敵の存在におびえ始めるのですね。おびえる余りに他の人間をを襲って支配していく。そしてひと時の安寧を得、次の瞬間には、益々膨れ上がった富を維持していくために、さらに多くの人間を襲っていき…。富と権力の悪循環に陥っていくわけです。人間がなぜ戦争をするのか、人間が持つ二面性―平和を願いながらもヒステリックに争いに駆り立てられていく―や、矛盾―富を持てば持つほどありもしない不安に苛まれ不幸になっていく―を、この絵本は実にシンプルに解説しています。

過去の人類の歴史が語っているように、人間は支配を受けると必ずそれに反発する抵抗勢力を作り出します。六人の男達の際限ない支配に対抗するため新たにできたコミュニティも、“自衛のため”という建前のもと、大きな軍力を持つようになるのですね。こうして、“平和な暮らしを守るため”に軍隊まで率いるようになった六人の男達と全く同種のコミュニティが、2つできてしまいました。
軍隊が2つ睨みあっていれば、双方の間に戦争が起こるのも時間の問題です。一羽のカモを射損じたというたわいない出来事が、双方の軍隊と国民を全滅せしめるほどの悲惨な事態につながるとは、まっこと戦争とはなんと皮肉に満ちた無益な行為であることでしょう。今現在世界中で火種の尽きない各種の戦争も、元をただせばほんのささいなきっかけが原因であるかもしれないのです。それが長年の間にこじれにこじれ、そこに世界各国の政治の思惑が絡みつき、もう後戻りできない状態に追いやられてしまったのかも…。それを思うと、この絵本が提示する1つの結論は、人類にとって単純かつ深い示唆に富んだものだといえるのではないでしょうか。
無意味な戦いが終わって、結局六人の男達はなにもかもを失い、またあてのない旅に出ます。ここで、物語が再び絵本の冒頭に戻っていくことが暗示されるのですね。この世界に生を受けて以来何千年もの間、同じ過ちを繰り返している人類の歴史そのものをあざ笑うかのようなラストです。

デイヴィッド・マッキーの線描は、平和だった人々がなんでもないことで疑心暗鬼になり、暴力の連鎖に陥っていくほど、丸みをなくしごつごつ尖っていきます。軍隊や、彼らの戦い振りを描写する絵は、まるで人間とは思えない角ばった形を積み重ねたもの。シンプルであるが故に、弓矢が飛び交い、兵隊たちが入り乱れて殺しあう様が、恐ろしいほどの迫力を持って見る者に迫ってくるのですね。戦争が終わったことを示す死体の山も、押しつぶされそうな曇天の下に無造作に描かれており、さながらピカソの「ゲルニカ」を思わせる威力があります。残された六人の男達の背は丸められ表情も悄然としたまま、その目はどこを見ているのかわからないほどうつろです。混迷を極める現在を生きる私達のまなざしも、ひょっとしてこの男達と同じなのでしょうか。


画像

デイヴィッド・マッキー

1935年イギリスの南デボン州生まれ
現在南フランス、ニース在住

プリマス美術専門学校、ホーンジ美術学校在学中から風刺漫画を描き始め、卒業後はロンドンに出て「パンチ」誌や新聞にイラストを提供する。1964年に初の絵本『TWO CAN TOUCAN』を出版した。代表作となった「ぞうのエルマー」のシリーズは、世界20カ国以上で読まれているベストセラーである。また絵本のみならず、アニメーションの製作も手がけている。他の作品に、「さんびきのかいじゅう」、「まほうつかいとドラゴン」など。レイモンド・ブリッグズの「スノーマン」に対するアイロニカルな『Snow Woman』など、未邦訳、未紹介の作品にも、社会問題や時事問題を絵本の世界に盛り込んだ意欲的な作品がある。

せかいでいちばんつよい国
光村教育図書
デビッド マッキー

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また、「六にんの男たち」に対する著者自身の回答的作品に、「せかいでいちばんつよい国」(光村教育図書刊行)も上梓されています。これは、“人々に平和な国を提供するため”に侵略戦争を重ねるという、1人の独裁者の顛末を描いた風刺作品です。その矛盾に満ちた生き方を通して浮かび上がる、人間のエゴの愚かしさ。この絵本は、今まさに迷走する社会を映し出す鏡のようでありますね。興味をもたれた方はぜひ一度手にとってみてください。

人間はなぜに様々な大義名分を掲げ、戦争をするのか。戦争をせずにはいられない生き物なのか。人間が戦争を起こすきっかけは、先に挙げた動画のように、ごくごく些細な小競り合いです。それを、“皆殺し兵器”のスイッチを押すまでに拡大せしめるのは、いつも人間の原始的な闘争本能なのです。“戦争を終わらせるために原子爆弾を落とす必要があった”などという詭弁が吹っ飛ぶほど、人間の持つ闘争本能は莫大にして根源的。そして、時代の空気が荒むにつれ、理性による闘争本能のコントロールは困難になり、剥き出しになったそれが社会を益々暴力的に退化させていきます。今、私たちの社会を覆う不透明な不安や焦燥感は、私たち皆が持っている闘争本能を容易に目覚めさせるでしょう。目の前にいる獲物に安易に飛びかかるのではなく、“今何を為すべきか”を常に自問しなければ、いずれ私もあなたも足元を掬われてしまいます。

あなたが、無益な戦いに明け暮れた“六にんの男達たち”や、最後には全てが焼け落ちてしまったマッチ棒のようになりたくないのなら、持てる闘争本能を別のものに変換する必要があります。簡単なことではありませんが、それが出来るのは、あなたや私のような社会を構成する一人一人の人間だけだと思います。


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