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zoom RSS リメイクすべきかせざるべきか…「スルース Sleuth」の憂鬱

<<   作成日時 : 2016/06/08 15:55   >>

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実は、この1972年の傑作ミステリー映画「探偵<スルース> Sleuth」のリメイク版「スルース Sleuth」が劇場公開された時、事前にあまり大きな期待はしていませんでした。なぜなら、アンソニー・シェーファー Anthony Shafferの傑作舞台劇を映像化したオリジナル版の出来があまりにも素晴らしく、二転三転する2人の男の命がけのコン・ゲーム、その果てにあった予想外の結末に至るまで、全てが完璧であったからです。完璧な作品をわざわざリメイクする必要があるのか?

しかし、劇場に足を運んだリメイク版「スルース Sleuth」(2007)を観て、脚色を担当した名ライター、ハロルド・ピンター Harold Pinterがなぜ敢えてリメイク企画に参加したのか、なんとなくわかってきた気がしました。

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「探偵<スルース> Sleuth」(1972年製作)
監督:ジョセフ・L・マンキウィッツ Jiseph L. Mankiewicz
製作:モートン・ゴットリーブ
製作総指揮:エドガー・J・シェリック
原作戯曲:アンソニー・シェイファー Anthony Shaffer
脚色:アンソニー・シェイファー Anthony Shaffer
撮影:オズワルド・モリス
美術:ケン・アダム
音楽:ジョン・アディソン
出演:ローレンス・オリヴィエ Laurence Olivier(アンドリュー・ワイク)
マイケル・ケイン Michael Caine(マイロ・ティンドル)
アレック・コーソーン(ドップラー警部)
イヴ・チャニング(マーガリート・ワイク)他。

世界的に著名な推理小説作家アンドリュー・ワイクは、自分の私有地の中に作った特別あつらえの迷宮庭園で、1人の男を待ち構えている。果たしてその男マイロはやってきた。しかし、ワイクがテープレコーダーに向かって小説のプロットを吹き込んでいる声は聞こえども、マイロには彼の姿が一向に見えない。それそもそのはず、この迷宮庭園はワイクだけが知る仕掛けを知らねば、永遠にワイクのいる場所まで辿り着けないからくりになっているのだ。マイロは内心呆れるが、ワイクは得意満面でマイロを屋敷に招じ入れる。
ワイクがマイロをわざわざ己の城に呼びたてたのには理由がある。マイロが自分の妻マーガリートと不倫関係にあったからだ。マーガリートは夫であるワイクを捨て、若くてハンサムだが労働者階級から成り上がった美容師マイロと結婚することを望んでいた。特権階級の出身で、しかも小説家として世界的に成功を収めた、誇り高く支配的な男ワイクにとって、それは耐え難い屈辱であった。いくら愛情はなくなっても妻は自分の正当な所有物であり、彼女が自分に対して反逆することは、彼の哲学の中では許されないのである。そこでワイクは、己の傷ついた自尊心をなだめるため、ある策略をめぐらせた。マーガリートは親戚の家へ遊びにいって留守だし、今日は召使夫婦にも特別に休暇を取らせてあった。準備は万端というわけだ。

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ワイクはマイロにマーガリートを譲る代わりに、ある提案をする。それは、この屋敷にある高価な宝石をワイクの指示する通りに盗み出して欲しいというものだった。なにしろマーガリートは底なしの浪費家だ。しがない美容師に過ぎないマイロには、到底彼女を満足させられるだけの金を与えられないだろう。そこで、警察と保険会社を欺いて2人で狂言の宝石強盗を仕組み、マイロはそれを闇のルートで捌いて17万ポンドの現金を得る。ワイクは宝石にかけた保険金をまんまとせしめ、愛人ティーアとのんきに暮らすという寸法だ。そう、ワイク自身にも愛人ティーアがおり、彼としては離婚訴訟だけは避けたいところなのだ。
突拍子もない、まるでワイクの書く小説のような筋書きに、最初は呆れるマイロであったが、現金17万ポンドは抗し難い魅力だった。ついにマイロはワイクの取引に応じる。ワイクの屋敷の中には、奇怪なからくりや不気味な電気仕掛けの人形などが所狭しと並んでいた。普通の神経の持ち主には到底耐えられないオブジェの数々が目を引く。問題の宝石は、ダーツボードの真ん中にダーツを命中させると蓋が開く仕掛けの中にあった。ワイクはマイロを地下室へ連れて行き、ピエロの変装をさせる。そして梯子を立てて窓を外から割らせ、本物の強盗らしく部屋の中を荒らさせ、宝石を手に取らせた。その輝きに思わず顔をほころばせるマイロに、ワイクは冷ややかに銃口を向けた。そう、これでワイクには、宝石強盗を射殺する正当な理由ができたわけだ。ワイクは、妻も宝石もただで赤の他人にくれてやるようなお人良しではない。誰に対しても冷酷で非情な支配者であるのだ。ワイクが本気で撃つらしいと知るや、マイロは恥も外聞もなく命乞いをした。そして、ワイクがマイロの頭に狙いをつけて発砲した瞬間、マイロは階段を転がり落ちてそのまま動かなくなった。
2日後の夜、ワイクが1人で食事をとっていると、ドップラー警部と名乗る禿げ上がった初老の男が訪ねてきた。失踪したマイロの件について質問があるという。警部によると、マイロがワイクの屋敷を訪問した夜、近所で銃声を聞いたという住人がいたのだそうだ。しかも警部はワイクからの招待状を持っていた。まごうことなきワイクの筆跡である。ワイクはなにがなんだかわからぬまま、警部の詰問に晒されることになった。警部はワイクの庭に土を掘り返した跡があることを責め、また、階段のところに血痕があることから、ワイクをマイロ殺しの犯人と決め付けたのだ。そんなばかな!ワイクは慌てて警部に真相を打ち明ける。あの晩、マイロに向けて撃った銃は空砲だったのだ。ワイクの演技が真に迫っていたので、本当に殺されると勘違いしたマイロが気絶したに過ぎない。ワイクはただ、妻を寝取った男に屈辱を与え、無様に命乞いする有様を見て溜飲を下げたかっただけなのだ。しかし警部は有無を言わせずワイクの首を押さえつけ、署に連行すると恫喝した。哀れなほど震え上がるワイクを見て、突如警部はかつらや付け髭を剥ぎ取る。なんと警部に変装していたのは、マイロその人であった。“ドップラー警部”なる者に一抹のうさんくささを感じつつも、ワイクはそれがマイロの変装だとは見抜けなかった。そのあっぱれな策略に、脅された恐怖も忘れてすっかり感心するワイク。1 度目のゲームはワイクの完勝。2度目のゲームはマイロの大幅リードだ。たぬきときつねの化かし合いに変わりつつあった2人の心理合戦は、彼らが奇妙な乾杯を交わすことでいったん終わったかに見えた。
ところがここでマイロが驚くべき告白をする。ワイクの愛人ティーアを絞殺したというのだ!そして彼女の遺品を4つ、ワイクの留守中にこの屋敷の中に忍ばせておいたと。しかも既に警察には通報済みであり、あと15分で彼らが踏み込んでくる手はずになっている。早く遺品を捜しだして処分しなければ、当然ティーア殺しの犯人はワイクということになってしまうだろう。ワイクは慌てて愛人宅に電話するも、逆に彼女は殺されたと知らされる。愕然とするワイクにマイロは傲然と言い放った。自分はワイクによって死ぬほど恐ろしい目に遭わされた、今度はワイクが死の恐怖におびえる番だ。血相を変えて部屋中を這いずり回るワイクを愉快そうに眺めながら、マイロは遺品の隠し場所のヒントを与えていく。果たして、宝石、靴、付けまつげ、ストッキングを発見し、それを全て暖炉に放り込むワイク。そろそろ警察が来る頃だ。ワイクは取り繕って玄関に向かうが、誰もやってこない。唖然とするワイクの顔を見て、マイロは大笑いする。実はティーア絞殺云々は、マイロがワイクの小説を参考に考えた筋書きだった。それをティーア本人の協力を得て、本物そっくりに演じて見せたというわけだ。ティーアはワイクを侮蔑していた。ワイクは金は持っているものの、男性的な魅力はからっきし持ち合わせていない男だから。唯一の弱点である肉体的な部分で侮辱を受けたワイクは取り乱し、銃をマイロに向けた。今度は実弾が火を吹き、マイロは倒れ臥す。その直後、屋敷の外でパトカーのサイレンが鳴り響いた。マイロが言っていたことは本当だったのだ!同じ“ゲーム”を3度も行うことは出来ない。ワイクは泣きながらその場に立ち尽くす。

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原作はアンソニー・シェーファーの大ヒット戯曲であり、それを映画用に脚色したのも本人です。1972年版の監督は、「イヴの総て」でオスカーを獲得した名匠ジョゼフ・L・マンキウィッツ。人と人の織り成す複雑な愛憎劇、心理ドラマを得意とする方でしたが、これが最後の監督作品となりました。最初から最後まで2人の人物しか登場しないという異常なシチュエーションを牽引したのは、老推理作家ワイクを演じたローレンス・オリヴィエと、ワイクの妻を寝とった美容師マイロに扮したマイケル・ケインです。
この作品は、もはや老い果てた男と若さしか頼るもののない男の、己の自尊心を賭けた対決の皮肉な顛末を描いています。二転三転する先行き不明のストーリーの恐怖感、物語の根底に巣食う上流階級(ワイク)と労働者階級(マイロ)の階級闘争構造、当初は全く相容れない世界の人間であったマイロとワイクが、いつのまにか同じ穴のムジナと化していく不条理…。1人の女を巡って2人の男達が争い、丁々発止の心理的駆け引きを繰り広げるというシンプルなプロットに、実に様々な隠喩、暗喩をちりばめたゴージャスな作品でありました。
実はこの作品に関しては、オリジナル映画版を鑑賞後に戯曲も読み、何度振り返っても面白さの色褪せないクオリティーに惚れ惚れしていたのです。元々が舞台劇で、練りに練られた台詞はどれも完璧。登場人物は2人だけしかいないわけですから、観客に説明を要する部分は台詞に頼らねばなりません。しかしながら台詞は、2人の腹の探りあい状況の解説だけではなく、イギリスらしいブラックなユーモアとウィットにくるまれ、ワイクとマイロの背景にある階級間差別構造といった社会的病巣まであぶりだしてみせます。

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もちろんそれだけではありません。子供同士が必死にお気に入りのおもちゃを取り合う様子が滑稽であるように、ワイクがことさら自分流のゲームに固執するのを半ばあざ笑うかのような演出が、度々見受けられるのです。ワイクの住む世界とは、己の作り出した犯罪・推理小説の世界観と同義です。それを象徴するのが、出口のない迷宮庭園であり、リモートコントロールできる等身大の不気味な水夫人形であり、要塞のような屋敷であるのでしょう。彼は自分の妄想の世界に生きており、誰ともそれを共有することがありません。完全に自己完結した孤立した人間であるのです。そこへ、マイロというごく普通の男が入り込むことによって、ワイクの世界が混乱します。ワイクは、自分の生み出す小説を神の立場で自在にコントロールしてきたように、マイロをもコントロールできるものと思い込んでいました。ワイクがマイロに仕掛けるゲームが、完全なプロットを持ちつつも非常にエゴイスティックだったのはその所以ですね。ワイクの誤算は、マイロがワイクと同じ気質を持っていたことでした。当初こそワイクのマインド・コントロールに屈したマイロでしたが、彼もまたワイク同様、エゴイスティックなゲームを支配する魅惑に憑りつかれてしまったのです。
映画後半には、ゲームの主導権は完全にマイロに移ってしまいますよね。彼らが互いに仕掛ける“ゲーム”とは、どちらかが完全に敗北するまでThe Endとはなりません。しかしながら彼ら2人ともが、自分の負けを認めることは絶対にできない状態に追い込まれてしまいます。なぜか。それもまた子供じみた、“自尊心”のせいなのです。ワイクもマイロも自身の自尊心を曲げることが出来ません。つまり、“男の嫉妬は世界を滅ぼす”のではなく、“男のちんけな自尊心は己を滅ぼす”というわけですね。ワイクもマイロも、最後にはマーガリートの存在はどうでもよくなってきます。相手に死の恐怖を味わわせて屈服させることだけがゲームの目的となり、その一方向的な支配権を巡る戦いは、結局両者の自滅を誘うのです。映画は、そんな彼らの様子をあざ笑う含みも持っているのですね。

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マンキウィッツ監督は、小道具として用意された様々な仕掛けのトリッキーさを上手く活用しながらも、ワイクとマイロの心理戦を正面からがっちり描きあげていました。その正攻法の演出が効を奏し、とかくこの手のミステリーにありがちな“一回限りのトリック・ネタもの”に堕しないスリルが持続しますね。また、密室状態で進行する2人の男の物語は、“相互理解”といった交流を必ずしも望まなくなった現代人の、病んだ深層心理をもうかがわせます。なんともはや、やるせない気分に陥りますよね。
名優2人の、タイプの異なる濃密な名演を得、同傾向の戯曲の映画化群の中でもこの作品は格別の地位を誇ります。その年のアカデミー賞主演男優賞に2人揃ってノミネートされたことが、この名品の孤高を物語りますね。ミステリー好き観客をも一杯食わせるトリッキーな展開は、「情婦 Witness for the Prosecution」に勝るとも劣らず、ストーリー運びの緊迫度にいたっては、ひょっとしたら「ダイヤルMを廻せ! Dial M for Murder」を上回るやもしれません。

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「スルース Sleuth」(2007年製作)
監督:ケネス・ブラナー Kenneth Branagh
原作戯曲:アンソニー・シェイファー
脚色:ハロルド・ピンター Harold Pinter
撮影:ハリス・ザンバーラウコス
プロダクションデザイン:ティム・ハーヴェイ
音楽:パトリック・ドイル
装置:セリア・ボバック
出演:マイケル・ケイン Michael Caine(アンドリュー・ワイク)
ジュード・ロウ Jude Law(マイロ・ティンドル)

ケネス・ブラナーによるリメイク版は、ワイクとマイロの2人芝居で進行する点といい、プロットといい、基本的な設定はオリジナルを踏襲しています。現代的な変更が加えられている部分といえば、ワイクの屋敷のインテリアが、小さなリモコンひとつで操作できるハイテク構造になっていることと、マイロの職業が売れない俳優であることぐらいか。しかし最大にして重要な相違点は、脚色を担当したピンターの狙いか、作品の焦点が先の読めないストーリーテリングの妙ではなく、2人の男達の内面に結ばれていることでしょうね。なぜ、1人の女のために命を賭けてまで腹の探り合いをしなければならないのか。彼らの戦いの本質が時間の経過と共にどう変わっていったのかを、明らかにしようとしているようです。

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そのため、2人の顔の表情のクローズアップが執拗に繰り返されます。私自身はあまり感心しなかったのですが、彼らの戦いを、台詞ではなく微妙な心理の変化を追うことで表現しようとする意図はわかりました。オリジナル版でも、推理ドラマ的要素以上に心理ドラマの側面は強かったと記憶しますが、リメイク版ではその傾向をもっと押し進めています。思わぬ事態で彼らの内面が思わぬ方向に変化していくことこそが、テーマになっているようなのです。また、マイロが役者だということで、彼の言動が一体どこまで演技なのかわかりづらいという点も、ポイントだと思いますね。オリジナル版では、ワイクとマイロの世界観は最初から最後まで交わることはありませんでした。彼らは同じような支配志向は持っていたかもしれませんが、その心までが交わることは絶対になかったのです。ですから、お互いに相手を理解しようとは思いません。相手を出し抜くことは考えるが、理解しようとはしなかったのです。

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ところがリメイク版では、映画後半、彼らの内面が危うげに歩み寄ってしまいます。マイロが同性をも惹きつける魅力に溢れているという新しい設定が、ここで生かされることになるのですね。つまりこれが、現代的…ピンター的「スルース」の解釈なのでしょう。ピンターという人は、逃げ場なしの不条理な状況に追い込まれた人間がもがく姿を、冷め切った視線で時に滑稽に描き出す作風で名声を得ました。以前ここでご紹介したジョゼフ・ロージー監督の「召使」でも、その手法をあざといばかりに発揮していましたね。そのブラックユーモアには、彼を称えて特に“ピンタレスク”と名前が冠されています。リメイク版を観ていてつくづく感じたのは、この作品が「探偵<スルース>」をピンタレスク色に染め直したものであると同時に、後年のピンターの作品に顕著だったリリカルでウェットな側面をも併せ持つものだということです。ワイクとマイロの関係が、支配・被支配の一方的なものから、お互い似た者同志だという奇妙な連帯感へ、そして最後には、マイロに主導権がありつつも相互依存関係にまで発展するという流れが、なんとなくピンターの1970年代の作品を思わせるのです。オリジナル版は、トリックのための新たなトリックの連鎖でミステリー映画の名作になったわけですが、リメイク版では、男達の自尊心の危機と1人の女への愛情が絶えず天秤にかけられており、“ラブ・ストーリー”のニュアンスが強調されていたと感じました。

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ラブ・ストーリーといえば、ワイクとマイロの間に同性愛的演出までなされますが、この展開はやや唐突。解釈も中途半端で残念でした。妻マギーはワイクの元に戻るというオチに変わり、ワイクがマイロを殺める動機が弱くなってしまったのです。最後にマイロがワイクを性的に侮辱したのがいけなかったのか、彼の真の弱点である孤独を突いたから殺される羽目になったのか。まあつまりは、マギーが戻ればワイクもマイロという新たな執着の対象を失いますし、マイロも散々苦労した挙句愛していたマギーを失うという、両者にとって実に皮肉な結末に帰してしまいます。ワイクの銃弾は、思うに任せない現実へ打ち込まれた、彼の怒りであったのでしょう。

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マイケル・ケインもジュード・ローも好演でしたが、ジュードのキャラクターが全面に出ていたのは、彼がプロデュースも兼ねたせいでしょうかね。ブラナーの演出とワイクの屋敷の美術は、モダンさとハイテク装置に若干頼りすぎのきらいがあり、全体的に少々のチープ感が漂ってしまいました。カメラは「Jの悲劇 Enduring Love」のハリス・ザンバーラウコスで、天上から2人の俯瞰ショットを撮ったり、警備システム映像と現実の映像を切り返したりして工夫を凝らしていたのですが…。私自身は、この作品を純然たるミステリーではなく、互いに孤独な男達の捩れたラブ・ストーリーだと捉えています。おそらく観る人にとって解釈は様々でしょう。作品の力点をミステリに置くかそれ以外の部分に置くかで、作品に対する評価も激変すると思われます。こればかりは、ピンターにも予想できないことかもしれません。

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