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zoom RSS 「夜と霧 Nuit et brouillard」−アラン・レネAlain Resnais監督

<<   作成日時 : 2017/02/21 11:00   >>

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“この地上に生きる者はすべて、この映画を見ねばならない。そうすれば、すべてはもう少し良くなるだろう…”―映画理論家アド・キルー Ado Kyrou「ポジティフ Positif」誌1956年5月号より


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「夜と霧 Nuit et brouillard」(1955年製作) (日本での初公開は1961年になってから)
監督 Director:アラン・レネ Alain Resnais
製作 Producer:アナトール・ドーマン Anatole Dauman
脚本 Text:ジャン・ケロール Jean Cayrol
撮影 Cinematographer:ギスラン・クロケ Ghislain Cloquet &サシャ・ヴィエルニ Sacha Vierny
音楽 Music:ハンス・アイスラー Hanns Eisler
ナレーション Narrator:ミシェル・ブーケ Michel Bouquet


ポーランドの南部風光明媚なリゾート地の隣にそれはあった。

青空の下に広がる広い広い草原。カラスが飛び、畑からは野焼きの煙が一筋、細く長く立ち上っている。しかしカメラが下に下がると、視界に鉄条網が入ってくる。緑も鮮やかな草原地から、爪がのびているようににょっきりと顔を出す鉄条網の柵。…ここはアウシュビッツ強制収容所だ。カメラは柵の横をゆっくりと通り、収容所内部へと入っていく。
これから私達は、収容所跡地をカメラを手に訪れる。建物は朽ちかけ、鉄条網にはもはや電流は流れていないけれど、かつてこの地面に流された大量の血は、いまだに雑草の下で黒くにごっているのだ。

1933年記録映像から。大勢のドイツ兵が、一糸乱れぬ機械的な行進を繰り返している。カギ十字の旗を先頭に、雄々しく腕を振り上げて。それを見つめるのは、視察用の車に立って敬礼のポーズを崩さないヒトラーだ。民衆はカメラに向かって手を振り続ける。ヒムラーの演説にのって子供達が太鼓を打ちたたく。全国民が、この帝国に協力する。ナチスが巨大な収容所の建設計画を立てると、業者は我先にとこの仕事に群がった。だだっぴろい草原に、思いつきとしか思えぬ珍妙なデザインの建物が雨後のたけのこのように建てられる。山小屋風、ガレージ風、日本風のものまで。収容所入り口も趣向が凝らされた。街角にあるような楽しげな看板までつけられたものまである。しかし人がここを通るのはただの一度きり。業者は、この収容所の真の用途を知っていたのであろうか。このとき、ここに収容されるはずのユダヤ人達は、いまだ自らの運命を知らずに生活していた。長いかまぼこのような形の収容施設は規則正しく並び、ここに住まう住人を今や遅しと待っていたのであるが。
そして、ワルシャワ、プラハ、ブリュッセルでユダヤ人たちは一斉検挙された。彼らは、着のみ着のままで粗末な貨車に貨物のように詰め込まれていく。その姿は、戦地から逃れようとする避難民にも似て。生まれたばかりの赤ちゃんをあやす女、貨車に乗る前からぐったりしている貧しい者、不安に顔をこわばらせる少女…。この膨大な収容者の中には、手違いや偶然でリストに加えられてしまった者もいた。ドイツ兵がリストをチェックし、貨車の外から扉が閉められ、しっかりと施錠される。貨車に押し込められた人々に飢えと渇きが襲い、窒息と悪臭が迫る。異常事態を悟った人々は、隙間から必死の思いで救助を請う手紙を落とす。もちろん体力のない者は次々命を落としていった。夜の中でも霧の中でも、貨車は走り続け、人々の輸送を続ける。

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現在の線路の跡。傷だらけの枕木に雑草が絡みついている。カメラが捉えるものは…いや私達がそこに見るものは…死体の山の傷跡か、虐待されて運ばれた囚人達の足跡か。線路の先には火葬場が待ち構えている。まさしくナチ好みの恐怖の演出。

記録映像から。闇に沈む収容所入り口。ここをくぐった人々は、別世界―またの名を地獄―を目にする。庭に一堂に囚人が集められ、衛生上との名目で素裸にされる。老いも若きも男も女も子供も全てだ。そして皆丸坊主にされ、腕には数字を記した刺青が施され、粗末な縞々の囚人服には、家畜のように分類された番号を縫い付けられる。意味不明の序列を示す胸の飾り。囚人服の背中にも、“夜”と“霧”の分類が施される。胸の飾り…赤い印は政治犯を、緑の印は刑事犯を意味する。序列は緑が赤の上。その上にいるのが“カポ”と呼ばれる連中…ドイツ人の刑事犯だ。さらにカポの上には、ナチ親衛隊がいる。その頂点に君臨するのは所長。だが収容所内でいかなる不正が横溢しようとも、所長は無関心だ。

現在の収容所跡地。青空の下でいちょうの葉が黄色に色づく。その横には打ち捨てられた建物が。この収容所を設計した人間は、その真の用途を知らなかった。収容された人達にすら理解できなかった。それを私達にきちんと把握できるだろうか。カメラは木造の宿舎の中に入っていく。中には3人用の寝台がある。…だが言われなければ寝台とはわからない。まるで家畜小屋の様相だからだ。ぼろ木で慌ててこしらえたような粗末な木の台。囚人は与えられる食べ物を急いで食べ、そこで一晩中怯えながら眠った。その恐怖を果たして映像で表現しうるのだろうか。カメラは無言で答える。私達の手をとり、かつてここで生き、死んでいった囚人の惨劇の現場へと、ゆっくりといざなっていくのだ。
レンガでつくられた穴のようなねぐら。ここで人々はわずかな毛布を奪い合い、各国語でののしりあい、少しでも競争相手を減らそうと密告しあった。天井まで届く狭い穴倉の列の脇を通りながら、私たちは過去を見、聞く。単なる物置小屋にしか見えないここも、実際の真実からは程遠いのだ。だが私達には、その目に見えるものを透かして、過去を窺い知ることができる。カメラは青い雑草で覆われた納屋、作業場、馬小屋をなめるように見せていく。ただの荒地。抜けるように青い秋の空はあまりに明るくて下界にはまるで無関心。

記録映像から。月がぽっかりと夜空に浮かぶ。人々は眠る時間だ。だが度重なる点呼の号令と、耐え難いシラミの痒みに、睡眠は度々中断された。一つの寝台に4〜5人が折り重なるように身を横たえている。毎朝早くに点呼を行うが、夜の間に死者が絶え間なく出るため、毎日人数が変わる。ご丁寧に広場に設けられた楽隊の奏でる行進曲にのって、生き残った者は重労働に向かわされる。冬、凍りつく雪の中でもき、真夏の猛暑の中でも働く。巨大な建設現場でスコップを手にする囚人達。大きな石を運ぶ者。荷台に乗せられ移動する囚人達。収容所内に作られた用途不明の巨大な階段建設で、何千人もの囚人が命を落とした。地上に場所がなくなると、工場は地下へと拡大していった。地下に設けられた広大な工場。大きな機械が入れられた。ドラ、ローラなどふざけた名前をつけられた巨大な鉄の塊だ。空気も濁ったこの工場で、やせ衰えた囚人達は親衛隊の冷酷な監視の目を恐れながら必死で働いた。ほんの少しでも彼らの興を削ぐことがあってはいけない。囚人は連帯責任をとらされるからだ。一日の労働を終え、点呼と検査を執拗に繰り返し、囚人達はようやく収容所内へ解放される。疲れ切った身体に鞭打って、宿舎まで歩いて戻る。毎日労働が終わるたびに、死者の数が増えていく。カポは大きな表に死者の数字を書き込んでいった。
人々はやがて、生き残るためにはどうしなければいけないか、本能で悟るようになる。例えば食事。たとえ具のない薄いスープでも、1さじ余計に飲めば1さじ分だけ命が長らえる。弱肉強食の世界が展開される。弱い者はスープの皿を奪われ、自分の分の配給を口にすることができない。1皿のスープを分け合うように飲む囚人達。皿を持つ者は、他者に奪われないように両手でしっかりと抱え込んでいる。皿を持つ力も残っていない者は、地面につっぷし、やがては泥の中に埋まっていくのだ。記録映像の中の鉄条網はピンと張り、血液のように高圧の電流を常に流し続けている。雪に半ば埋もれる長細い宿舎の群れ。

現在の宿舎内の映像。外気が筒抜けの部屋の中央に長細い箱が置かれ、上に無数の穴がぽつぽつ開けられている。これが便所だ。ただの穴。隠すこともできない。スープは利尿剤となり、囚人達は夜中に何度もここを訪れることになる。ここに入所した囚人は、ほどなく血尿が出ることに驚かされるが、やがてはそれが当たり前の状態になる。それでも生きねば。便所はやがて“闇市”と化していく。囚人達が出会い、互いに情報を交換し合う場となったのだ。そして密かに結社ができ、抵抗組織が作られていく。恐怖に苛まれながらも、囚人達はここで新たな“社会”を生み出していく。彼らの生への渇望がそれを支えたのだ。少なくとも、ナチスの間抜けな標語―“清潔すなわち健康。労働が自由を生む。義務を果たせ。シラミが死を招く”―よりは正常な社会だ。
所内には交響楽団があった。動物園まで!極めつけがヒムラーの温室。宿舎を幾棟も連ねたほどの広大さを誇っている。広場に立つ樫の木はゲーテゆかりのもの。…一体これらは誰のためなのだ!その一方で、所内に作られた孤児院は冬を迎えて出入りが激しくなっていた。まだ幼い子供達が棟から力なく出てくる。彼らにも労働があるからだ。そして怪我人専用の棟からは、松葉杖を付いた人々がぞろぞろと出てくる。彼らに出来る労働をこなすために。鉄条網から透かして見える“向こう”の光景は、どこまでも美しく静かだ。囚人達がかつて住んでいた平穏な世界。すぐそこに、ある。だがそれは実際の距離とは比べることができないほど、遠い存在だ。

現在の収容所内。すぐ近くに見える世界が囚人にとって幻想であったように、今カメラが入り込んでいるこの監視塔から見下ろす光景も幻なのだろうか…。カメラは、監視塔から見える下の世界―広場から囚人の宿舎まで見通せる―をぐるりと私達に提示する。きっとここからは、囚人は蟻のようにちっぽけに見えたことだろう。だからこそ親衛隊は、ここから面白半分に囚人めがけて発砲したのだ。

記録映像では、親衛隊の銃に追われたのか、鉄条網にへばりついて即死した囚人の姿が映っている。あるいは鉄条網のそばで眠るように息絶えた者達…。彼らは鉄条網の外の世界を夢見ながら目を閉じたのであろうか。囚人と共に閉じ込められている親衛隊にも、日を追うごとに不満が募ってくる。だからどんなささいなことであろうと、気に障ればすぐに囚人に罰を与えた。ストレスのはけ口を囚人に向けたのである。全員を素っ裸にして一列に並べ、長時間かけて点呼を繰り返す。囚人の身体は栄養失調のためにやせ衰え、あばら骨が浮き出し、お腹だけが不自然にぽこりと飛び出している。親衛隊が数人がかりで囚人をいたぶる画像も残されている。少しでも目立つことをすれば、絞首台が待つ。木の枠にするりと伸ばされた丸い輪っか。西部劇に出てくるような原始的な処刑台だ。ブロック11と呼ばれた中庭は高い塀がめぐらされ、外からは見えないようになっていた。銃殺場だからだ。塀の隅に映る絞首台の影。その塀の向こうでは銃殺が行われ。あちこちに死の匂いが立ち上っていく。闇にまぎれて頻繁に出発する輸送トラック。…私達が考えるのは、そのトラックが何を運んでいたかということだ。親衛隊たちの無聊を慰めるために殺されていった、囚人達の遺体と断末魔の恐怖の叫び。怨念。呪いにまみれた魂。

だが人々は抵抗を続けた。たとえ肉体は果てても魂は消えない。囚人達は密かにキリスト像をこしらえ、屋根裏に隠した。箱を作り、メモを残した。収容所内で何が行われたのか、その詳細な記録。この記憶を風化してはならないという執念、生き延びてここを脱出したいという夢。聖書も作られ、人々は神にすがった。気力のある者は、カポの不正と対抗するため政治組織まで作った。目に怒りの光を宿す囚人のポートレイト。監視の目を盗んでメモを廻す。弱り始めた仲間を守り、わずかな配給の食糧の中から食べるものを分け与える。眼窩が落ち窪み、立つ力も失せた男に毛布を被せてやり、親衛隊に見つからないようそっと助け起こしてやる。だがいよいよ最後には、彼らを“医務室”に運んでいくことになるのだ。

現在の医務室の建物。レンガ造りのいたってごく普通の病院然とした佇まい。だが中には、地獄への扉が開かれていた。

ここに収容された囚人には、紙でできた包帯が巻かれた。どの傷にも全く効き目のない同じ薬を塗りたくるだけ。骨と皮ばかりになった患者には食事は全く与えられず、飢え切った彼らはその包帯まで食べた。ついに餓死した患者はあまりにやせこけているために年齢がわからず、中には何かに驚いたように目を剥いたまま死んでいる者もいた。…その目に最後に映ったものは地獄であったのか。

そして今も残る外科病棟。レンガ造りの本物の医院のように見える。

ここには、丸っこい顔にまん丸の眼鏡をかけて、不気味な笑みを浮かべる親衛隊の医者が待ち構えていた。怪しい魔女のような風貌の看護婦。冷ややかなスチールでできた手術台は異様に綺麗に整頓され、各種の手術用具や機械も揃っている。囚人はこの上で無意味な切開手術や、手足の切断手術を受けるのだ。石でできた手術台もあった。枕元には、すぐ水が流せるように水道の蛇口まである。また別の手術台には、ギロチン台のような首を通して固定する板が付いている。その板のすぐ下には樋が…樋の下には下水口が…。映像に映るのはこれだけであるのに、私たちはここで何が行われたかを容易に想像できる。したくはないのだが、してしまう。太いボルトで逃れようもなく固定された哀れな囚人の首を、カポまでが寄ってたかって切り刻む様を。そこからあふれるように流れ出す血液を、その樋が下水に落としていったであろう様を。手術台のそばの机には分厚いゴムの手袋とタオルが。血なまぐさい匂いが何十年もの時を経て、今の私達にまで伝わってくるようだ。
化学工場からはカプセルに入った各種の毒物が送られてきた。囚人はあらゆる毒物を投与された。腕が焼け爛れたようになった囚人の映像。あるいは去勢されるのを不安げに待つ囚人の様子。がりがりになった足の甲に、燐をかけられ骨まで浮いて見えるぐらい爛れてしまった囚人。人体実験の犠牲になったのは男性ばかりではなく、女性もそうだ。袖をまくり傷跡を見せる女性。彼女が受けた傷は一生消えることはない。
囚人は、所内に到着すると身分証を取り上げられた。身分証は保管され、それに基づいて何カ国にもまたがる何万人もの囚人の名簿が作成された。死ねば名前に赤い線が引かれ、リストから消される。だがリストは膨大。尚増え続けている。囚人が人数を調べるのだが、いつも計算が合わない始末だ。カポは実際には手を染めずに命令するだけ。カポは、あてがわれた個室にお気に入りの囚人を引っ張り込むこともあった。その個室の映像。ユダヤ系囚人の家畜小屋とは比べ物にならない居心地のよさ。机には花まで飾られている。ベッドは備え付けだ。
収容所の隣にあった所長の官舎。優雅な邸宅では着飾った婦人達が愛犬を抱いて読書している。それを見守る軍服姿の夫。彼らは、そこで一般の駐屯地と同じ暮らしを送っていたようだ。チェスに興じ、カクテルには客を呼んで談笑する。

今も残るカポ用の売春宿。そこで春をひさいだ女囚達は、それでも豊富に食料が与えられる特権を生かして、他の仲間にパンを分け与えた。収容所内には、次第に街と同じ機能が整えられていく。病院、娼館、宿舎、監獄まで揃った。その監獄の窓には鉄格子がはめ込まれ、さすがに陰鬱な雰囲気が漂う。ここは、収容所内にあって尚恐ろしい場所であった。カメラは監獄の下部を映し出す。狭い各独房の下には、穴が開けられていた。その中で執拗な拷問を受ける囚人の断末魔の悲鳴をわざと外に洩らすためだ。私たちは、穴で静止する映像を見ながら、かつてここで繰り広げられたであろうむごい拷問の様子を否応なく想像する。

1942年。記録映像には、収容所を視察するヒムラーの一行が映っていた。背広を着込んだ取り巻きを従え、彼はこう言ったそうだ。「生産的に処分しろ」と。それを受けて、技術者は迅速に処分するシステムを考え出す。ヒムラーの見守る下で、すぐに設計図が引かれる。続いて詳細な設計図の映像。それに基づいて作られた模型。…これは何かと考えるまでもない。ガス室だ。施行に当たったのは囚人自身。自分達が送られる死の建物を自分達で建設するという恐ろしい皮肉。

緑濃い木々に隠れていた“火葬場”がゆっくりと姿を現す。外見だけは見事なできばえだ。今や観光客がこの前で記念撮影するぐらいなのだから。

しかし記録映像には、もうもうと煙を吐き、片時も休まずガス室送りにする囚人を運び続けた列車の映像が。こうして送られてきた囚人の中から、今度は誰をガス室に送るか“選別”が行われるのだ。列車には、収容所にたどり着く前に息絶えた人々の死体が打ち捨てられた。生き残った者は強制労働に服従するか、もしくは死の部屋へ行くかだ。皆殺し直前の様子を撮影した写真。親衛隊が取り囲む中で、女も男も老人も子供も皆裸にされ、一列になって追い立てられる。ついに大量の毒ガスが搬入された。

現在のガス室。外観は、他の建物同様普通だ。レンガの太い煙突が目に付くぐらいか。カメラは私達をガス室内部に導く。とたんに冷気がまとわりつき、周囲の温度が零下にまで下がったような錯覚が起こる。内部には単なる飾りもののシャワー室がある。昼間でも日が差さず薄暗い内部を通り抜け、カメラは鉄の扉を捉える。囚人がここを通ったあと、がっちりと閉められ、施錠されたのだ。さらに横に移動したカメラの目は、ガス室内部を除き見る穴を見せてくれる。かつてここから親衛隊が中の様子を覗き見たのであろうか。錆付いた鉄の扉、鉄格子付きの穴…いよいよ私たちはガス室の中に入った。“天井に残る爪あとを見落としてはならない。硬いはずの天井に…”というナレーションに従うように、カメラは石造りの天井に残された無数のひっかき傷をなめるように見せていく。ガスにまみれ苦しみにもだえる人間の指先が、血を流すのも厭わず、救いを求めて天井をかきむしる様が脳裏に映る。

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続いて古いフィルムに映し出されるのは、折り重なるようにして死んだ囚人の山…山…。あまりに死体が増えたため、火葬場が足りなくなってくる。まだ煙を上げている遺体。炭化し、それはかろうじて人の形を保っているにすぎない。最早性別など分かりようもない。ひときわ小さな炭の遺体。子供のものであろうか。それでもまだ火葬場の外には、薪と一緒に折り重ねられた遺体の山がうず高く積み上げられた。半分骸骨と化した、腐りかけの遺体が。

今も冷ややかな空気の中でひっそり佇む火葬場。生産性が向上した炉が新たに建設されていたのだ。カメラは、炉の中から鉄の火かき棒が飛び出したままの様子を映す。ぽっかり口をあけた悪魔の口から鍵爪が飛び出しているようにも見える。

記録映像は、遺品が山となって残された様子を伝えている。無数のめがね、櫛、化粧品、くつ、衣服など。すべて回収され再利用される。ドイツ軍にとってこれも貴重な物資となったのだ。そして女囚から刈取られた毛髪。はじめ私たちは糸くずが絡んでいるだけかと錯覚するが、カメラがその毛髪の山を上へ上へと追っていくにつれ、それがとてつもない大きな山を形成していることに気づかされる。つまり、それだけの数の女性がここで命を落としたのだ。これらはどうなったか。なんと海外に売られていったのだ。そしてその後毛布に加工された。綺麗に丸められた毛布の映像。私達の耳には、無数の女性達の苦悶の悲鳴が聞こえる。
火葬場から出た骨はどうなったか。扉を開けると、中から燃え尽きた骨が出てくる。そして無造作に積まれた骨の山。ナチスは、骨を野菜の肥料に使ってみた。広大な野菜畑にまかれる人骨。
燃やされていない死体からは何を作るか。大きな箱のふたを開けると、腐りかけの遺体が出てくる。あちこちに皺が寄った遺体は、並べられ、首を切断された。切り離された首は籠の中に放り込まれ、身体の部分からは油を抽出して石鹸を作る試みが為された。はがされた皮膚は…画面には、帽子のデザイン画が映る。もう充分だ。
1945年、収容所は拡張された。今や人口10万人を誇る一大都市だ。囚人達は立派な労働力と見込まれ、それに目を付けた企業が収容所に介入し、親衛隊ですら入り込めない企業都市となっていった。シュタイヤー、クルップ、ファルベン、ジーメンスなどに、“私設収容所”が続々と作られていったのだ。
広大な私設収容所の偉容。だがこれらの経済力をもってしても、ドイツは敗北した。最早囚人を火葬する石炭すらない。打ち捨てられた死体の山が道路をふさいでしまう。ようやく戦争が終結し、連合軍がこの地獄に到着した。彼らの見たものは…。
やせ細った死体の山。カメラにはただただ死体が映し出される。どこまでも果てのない死体の山。目を開けたまま亡くなった女性、うつ伏せで死んでいる子供。連合軍はブルドーザーでこの死体の山を掻き分け、掘った穴に落としていく。これはゴムでできたおもちゃではないのだ。本物の死体がブルドーザーによって穴に落とされていく。まるで工事現場の泥のように。…私達は目を閉じることも許されず…ただその場に呆然と立ち尽くすのみだ。底知れない地獄の入り口に、見えない手によってじりじりと追いやられるのを感じながら。

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収容所は解放された。ナチス親衛隊、女看守達は連合軍に連行されていく。だが残された囚人達は?自分達を痛めつけた連中が連行されるのをぼんやりと見やる彼らに、真の意味での解放は訪れるのだろうか。やせ細り、うつろなまなざしをしばたかせてカメラを見る人々。
戦犯裁判の模様。カポもナチス将校も、皆口をそろえてこう言い抜けた。「我々は命令に従っただけ。だから自分には責任はない」と。…では、責任は一体誰にあるのだ。囚人達は、死して尚無残な辱めを受けた。動物のように大きな穴に放り込まれて埋められて…。

今その地には雑草が生え、廃墟と化した収容所には冷たく濁った泥水が流れている。カメラが生臭い泥水を延々と映し出すのを見つめながら、私達もまた、戦争はまだ終わっていないという気を強くする。火葬場は廃墟となり、ナチスは過去の遺物となりつつある。だが朽ち果てた収容所には、今も尚何百万という霊がさまよっているのだ。倒れた壁の隙間から、穴の開いた屋根の中から、折り重なる瓦礫の下から、彼らは今も救いを求めて泣き叫んでいる。それを見つめる私達には、次の戦争を防がねばならないという使命が課せられているのだ。カポ、ナチス将校は、今も私達の隣にいる。民族浄化、同化政策、テロリズムと名前を変えた彼らが。

カメラは次第にこの惨劇の現場から離れていく。だが忌まわしい記憶を揺り動かすこの映像が遠ざかっていくことで、私たちは安心感を取り戻してはいけない。これは、別の世界で起こった特殊な出来事なのではなく、今も尚世界中で続く戦争という名の病巣の一つにすぎないのだ。
私達の心は依然として“その歴史の現場”に取り残されたまま。映像が暗転し、意識が現実世界に覚醒してきても、少なくとも私達の人生の一部はもう以前と同じではいられないだろう。そして、人間の歴史の暗部を垣間見ることで変質してしまった自身と、これからどのように向き合っていくべきか。深く考えることをこの映画は強制するのだ。

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ジャン・ケロールのテクスト、ミシェル・ブーケの抑制されたナレーション、なにより雄弁なるギスラン・クロケとサシャ・ヴィエルニの流麗なカメラワーク。これらが三位一体となって、現実に起こった忌まわしい歴史を冷徹に私達に伝えてくれます。それはその使命以上の崇高さをまとい、死せる人々への荘厳な鎮魂歌の次元にまで達していると言えるでしょう。この作品は、映像に明らかな意図を持たせてナチス、ひいては人間の中に眠る戦争という名の病巣を名指しで弾劾した、最初のドキュメンタリー作品なのです。
淡々と積み重ねられる当時の収容所の記録映像や貴重な写真、それと拮抗するように映される現在の収容所内部の模様。その狭間からぎりぎりと立ち昇ってくるものは、純然たる恐怖であります。現在の廃墟と過去の収容所の映像を行き来することで、過去に起こった悲惨な出来事を今の観客にダイレクトに“感じさせる”ということ。過去の歴史を知る以上に、理不尽な暴力への本能的な恐怖心を引き起こすのですね。話を聞くだけではとても想像しがたい、秘められた人間の残虐性への恐怖。
だからこそこの作品は、製作から何十年からたった今でも色あせることなく、戦争のもたらす悲劇を訴えることができるのでしょう。30分あまりの映像は、単なるドキュメンタリーの枠を超え、観た者の人生を変えてしまうほどの計り知れない影響力を持つに至ったのです。全世界に衝撃を与えたこの作品は、1956年度ジャン・ヴィゴ賞、フランス・シネマ大賞を受賞しました。なお脚本を担当したジャン・ケロールは、実際にホロコーストを生き延びた作家です。レネは、彼の参加なしにはこの作品を製作するわけにはいかないと決意していたそうですね。

ともあれ、この作品で、レネ監督は商業映画作家への第一歩を踏み出しました。


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