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zoom RSS 人は時間と記憶の波間を漂う―アラン・レネ(Alain Resnais)

<<   作成日時 : 2014/03/02 22:58   >>

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ヌーヴェルヴァーグ最後の生き証人、伝説的な映画監督にして、死の直前まで一生涯現役の映画監督であり続けた不屈の名匠アラン・レネ監督が、3月1日に亡くなりました。享年91歳。映画界で、堂々たる生き様を見せてくれたレネ監督ですが、ご本人はいたって謙虚で勤勉なお人柄だったそうです。映画作家としての幕引きも、本当に鮮やかであったのではないでしょうか。
また一つ、映画界の巨星が光を失いました。映画史の未来に続く道筋にまた一層の影が落ちますが、私たちは彼の映画を愛し、彼が愛した映画にも敬意を払い、その魂が映画の神の御元に帰っていくまで、光を掲げることにいたしましょう。

先ごろ亡くなったエリック・ロメールは、フランソワーズ・トリュフォーやジャン=リュック・ゴダールらと共に“ヌーヴェルヴァーグ”の立役者となった映画作家でした。アラン・レネも、そのヌーヴェルヴァーグ期に登場したシネアストであり、またロメール同様、高齢をものともせず旺盛な創作意欲を映画にぶつける“生涯現役”の映画監督でありますね。
第62回カンヌ国際映画祭では、86歳の高齢の身ながら、新作がコンペティションに選出されたアラン・レネ。彼は、今回特別賞として設置された生涯功労賞を授与され、授賞式会場を埋め尽くした人々から敬意と愛情のこもったスタンディング・オベーションを受けました。

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彼が“セーヌ左岸派”と呼ばれていたヌーヴェルヴァーグ時代から、実に40数年の月日が経過しております。浮き沈みの激しい映画界で、世界的な知名度とそれに恥じない才覚を常に作品に示し続けた功績は、深い賞賛に値すると思われます。受賞のコメントの中で、“映画は監督がたった1人で作り上げるものではありません。多くのスタッフとキャストの協力あってこその作品なのです。私にこの功労賞が与えられるなら、私の作品で共に働いてくれた彼らスタッフのことも同時に称えてください”と述べておられたのが、非常に印象に残っています。彼らしい謙虚な言葉ですよね。


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アラン・レネ Alain Resnais

1922年6月3日生まれ
フランス、ブルターニュ地方モルビル県ヴァンヌ出身
2014年3月1日没(満91歳)

生家は薬局だった。幼い頃から本や漫画に没頭し、やがて自らカメラを手に取り映画の世界に耽溺するようになる。1940年にパリに出て来た彼は、ルネ・シモンに演技を学ぶ。そして21歳のときに念願の映画高等研究所(IDHEC)に入学し、映画製作のノウハウを学んでいく。卒業してすぐ、戦禍によって 1945年から兵役に付かざるを得なくなり、1年間の軍隊生活を経験後除隊。その後は16ミリで美術界における短編ドキュメンタリーを多数試作する。 1948年に撮った「ヴァン・ゴッホ」でアカデミー賞短編賞を受賞、1955年には、世界で初めてアウシュビッツ強制収容所内部の映像を明らかにした「夜と霧」で一躍名を知られるようになる。1959年には初の商業用長編作品「二十四時間の情事」で世界的な評価を高めた。
難解ながら魅惑的な映像世界は、ヌーヴェル・ヴァーグ全盛期のフランスにおいて、アニエス・ヴァルダ監督らと共に“セーヌ左岸派” とあだ名されるまでになった。「二十四時間の情事」ではカンヌ映画祭国際批評家連盟賞などを受賞、次の作品である1961年の「去年マリエンバードで」も、ヴェネチア映画祭金獅子賞を受賞し、フランス映画界のみならず世界的な名匠の地位を確固たるものにする。
初期の短編映画製作時代から営々と続いていた、自身の中の戦争に対する執心を、1965年の「戦争は終わった」、ベトナム戦争を扱った1967年の「ベトナムを遠く離れて」の完成により一旦は治め、以降は多彩なジャンルに熟成された才を発揮した。
1997年の「恋するシャンソン」ではセザール賞作品賞を受賞し、80歳代を迎えた今も意欲的に映画製作に取り組み続けている。

●フィルモグラフィー

2014年『Aimer, boire et chanter』
2012年『Vous n'avez encore rien vu』
2009年『Les herbes folles(Wild Grass)』(カンヌ映画祭コンペティション部門出品)
2006年『Coeurs(Private Fears in Public Places)』(ベネチア映画祭コンペティション部門出品)
2003年「巴里の恋愛協奏曲(コンチェルト)」
1997年「恋するシャンソン」
1995年「スモーキング/ノースモーキング」(未公開)
1989年「お家に帰りたい」
1986年「メロ」
1983年「人生は小説」
1980年「アメリカの伯父さん」
1977年「プロビデンス」
1973年「薔薇のスタビスキー」
1968年「ジュ・テーム、ジュ・テーム」
1967年「ベトナムから遠く離れて」
1965年「戦争は終った」
1963年「ミュリエル」
1960年「去年マリエンバートで」
1959年「二十四時間の情事」(別タイトル「ヒロシマ・モナムール」)
1958年「スチレンの唄」(短編)
1958年「アトリエ15の記憶」(短編)
1956年「世界の全ての記憶」(短編)
1955年「夜と霧」(短編)
1954年「彫像もまた死す」(クリス・マルケルとの共同監督・短編)
1950年「ゲルニカ」(短編)
1950年「ゴーギャン」(短編)
1948年「ヴァン・ゴッホ」(短編)

アラン・レネ監督が映画作家として独り立ちした頃、フランスは、映画の既成概念を打破しようとする“ヌーヴェルヴァーグ”ムーヴメントで沸き立っていました。彼自身、「二十四時間の情事」の脚本を故マルグリット・デュラス女史に依頼するなど、ムーヴメントと無縁の存在ではありません。初期長編時代では、天才的カメラマンであるサシャ・ヴィエルニの手を借りて過去と現在を自在に行き来する幻惑的な映像を駆使し、その実ドラマそのものはクライマックスを迎えることなくどこにも収束していかないという、極めてつかみどころのない不安定な作品を発表していました。作品全体から受ける印象は抽象的なアート。レネ作品の中で描かれる人間は、ゆらゆらと時間の波間を揺れながら、過去の記憶が今目に見えている現在世界にどのような影響を与えているのかを身をもって示していきます。それを見つめる観客もまた、いつのまにか映像世界の中に取り込まれていて、登場人物と共に不条理極まりない現実への認識を体得していくのですね。つまり彼の作品には、当時のフランスに蔓延していた“時代の空気”が如実に反映されていたわけです。
しかしレネ監督の本質は、そうしたヌーヴェルヴァーグとの関連性においてではなく、別の視点からも語られるべきだと思いますね。彼の名前を世界に知らしめた作品「夜と霧」でも顕著であったように、カメラワークによって過去と現在を往復しながら次第に浮かび上がってくるものは、戦争という過去の過ちが現在を生きる人間の本質をどう変えたかということです。過去に起こった出来事とは、その場で終わってしまうのではなく現在を形作る基礎となるのではないか。と同時にその記憶は、人間の本質をも変容せしめる力を持つのだということ。レネ監督は、映像によって“現実”への独自の解釈を押し進めながら、同時に“人間性の変化”を描くことに執心し続けているのではないでしょうか。
近年の作品群では、“戦争の記憶”が過去と現在の世界、人間の本質にどういった影響を与えたのかという大命題に終止符を置き、より広い意味での過去と現在のせめぎあいに焦点を当てています。初期作品にあったような、抽象的な舞台背景や不条理な物語展開で観客を煙に巻くという姿勢はあまり見られません。過去の記憶が現在の人間関係をどう変えるのかをわかりやすく描くことによって、ダイレクトに“人間とは何か”というテーマを追及しているのです。映像マジックはあくまで二次的なもの、作品中に描写される男女間の複雑な感情であるとか、異文化の衝突といった題材も、実はレネ作品の本質― 人間性を解き明かす―のために用意された手がかりでしかありえません。
個人的には、人間の肉体や精神の変容を通じて人間の本質に迫ろうとする、デイヴィッド・クローネンバーグ監督と同種の匂いを感じる監督ですね。現実への冷ややかで醒めた目線、人間性のシニカルな認識、ブラックなユーモア感覚…。クローネンバーグ監督もレネ監督も、老いてなお旺盛な創作意欲を燃やし続けています。願わくば、彼らが最後まで研ぎ澄まされた感性を持ちえますように。

余談ですが、“セーヌ左岸派”について少し追記。
パリは、セーヌ河の川下に向かって右手側が右岸、左手側が左岸に大きく分けられます。もともと歴史的に見て、パリは左岸側のほうから文化的・経済的な発展を遂げたそうで、古い建造物は左岸側に集中しています。エッフェル塔や凱旋門、サクレ・クール寺院なども左岸側にありますね。対して右岸側は、やや時代が下ってから栄え始めた比較的新しい新興地なのだそうです。そして昔から、左岸に住む人たちには裕福な者が多く、右岸に住む人たちは貧しい労働者が多いとも言われます。パリは1区を中心に、渦巻状に外側に向かって区が広がっていく構造ですが、その区の数字が小さければ小さいほど歴史的に古い街であり、つまりは高級住宅街であるという法則があるのです。左岸側には小さな数字の区が多くあり、右岸側には数字の大きな区―近年になって新たに建造された新興住宅街― が多い。右岸側は同じパリでも周縁部に属するのですね。
レネ監督が“セーヌ左岸派”の代表格とみなされたのは、彼の作品に共通してある頭脳的メカニズム、同時期に存在した“カイエ・デュ・シネマ派”より理論的で具体的な映画作法に起因します。アヴァンギャルドと一口にいっても様々なタイプがあるわけで、文学や他ジャンル映画からの雑多な引用を用いて、混乱した映像をそのまま叩きつけるようなゴダールタイプの作家もいれば、その対極にレネ監督のような作家もいたのです。ヌーヴェルヴァーグの中でもコアな“カイエ・デュ・シネマ派”よりも、観客に高い認識力を求めるといった意味で、レネ監督の作品群は、右岸より高学歴な人々の多い左岸寄りだとされたのでしょう。

しかしながら、ある時期を境に、レネ監督の作風は変容します。語り口はもっと穏やかになり、一般性を獲得した風にもうかがえます。作品のテーマも、もっと身近で観客にも馴染みのあるものに緩やかにシフトしてゆきました。近年の作品群は、アヴァンギャルドな演出法に隠れていた彼の作家としての本質を、よりわかりやすく提示するようになったと言い換えてもよいでしょう。娯楽作品を撮るようになったからといって、彼が魂を娯楽性に売り渡したと考えるのは、早計というものです。デビュー以来彼が保持し続ける映画作家としての核も、暗に追い続けるテーマも、実は変わりがないのだと考えています。


今願うのは、未公開だった最近作を速やかに劇場公開していただくことと、過去の名作をもう一度振り返る回顧展のような企画を立てて欲しいということですね。


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