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zoom RSS ソレルさんと探索する文豪の旅―「文豪の真実」Part4ノーマン・メイラーNorman Mailer

<<   作成日時 : 2015/11/28 11:17   >>

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エドワード・ソレル Edward Sorel氏は、2007年に急性腎不全で亡くなったノンフィクション小説家、ノーマン・メイラーをトリに選んでいます。それはきっとこの作家が、“アメリカ”という国の抱えるジレンマを体現するような人生を歩んだせいに違いありません。


アメリカを愛し、憎む故に挑発し、その光と影を生きた男。

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ノーマン・キングズレー・メイラー Norman Kingsley Mailer

1923年1月31日生まれ
2007年11月10日没
ニュージャージー州ロング・ブランチ出身

両親は共にユダヤ系。1939年にハーバード大学に入学すると、いくつかの習作を書き、18歳の時には既に最初の作品を発表している。戦争小説をものにすることを夢見、1944年陸軍に入隊。最も危険な任務の多い偵察部隊に志願し、レイテ島など主に南太平洋の戦場を転戦した。1945年8月15日終戦の声を聞くと、進駐軍として千葉県館山に上陸し銚子に移る。1946年には福島県小名浜に駐屯した後、同年5月に帰国の途につくまで銚子に滞在していた。帰国してからは、自身の従軍体験を下敷きに、架空の南太平洋上の島で展開される日本軍と米軍の攻防戦を描くノンフィクション小説「裸者と死者 The Naked and the Dead」を15ヶ月で執筆。1948年にそれが出版されるや、たちまち大反響を呼んだ。メイラー自身はフランスのパリ、ソルボンヌ大学へ向かうが、「裸者と死者」はベストセラーを記録する。後年映画化も実現した。しかし、小説の中には、兵隊が日常的に用いる卑語や隠語、他民族に対する差別用語なども頻出するため、国によっては発禁処分を課していることもある。だが、第2次世界大戦という戦争を虚飾も歪曲もなく公正に、かつ冷静に描写し、人類の愚行であると結論付けるこの小説が、最良の戦争小説のひとつであることは疑いようもない。
メイラーは、以降もノンフィクション小説に限らず、多彩な題材から挑戦的な作品を生み出し続けた。私生活は波乱万丈で、6度の結婚によってもうけた子供が9人もいる。2007年、ニューヨークのマウントサイナイ病院で息を引き取った。

私自身がメイラーの処女作にして傑作「裸者と死者 The Naked and the Dead」を読んだのは、遠い昔の学生時代。ベトナム戦争での実体験を映画化した、オリバー・ストーン監督の処女作にして傑作「プラトーン Platoon」の影響だった。戦争という極限状態に置かれた人間の、あるがままの愚かな姿を突き放して見つめるスタンスは、両者に共通するものがある。敵も味方もなく、1人1人の人間の内面から戦争の愚をあぶりだしてゆく筆致は、単純な愛国主義に疑問を呈している。古今東西を問わず、普遍的な共感を呼ぶのではないだろうか。


【ノーマン・メイラー Norman Mailer】

1949年。メイラーの「裸者と死者」はベストセラーとなり、彼はお上品な社交界の集まりにお呼ばれする。だがエレガントな人々がシャンペンを傾ける中、彼はTシャツに野球帽といったいでたちで登場。ちなみに、「裸者と死者」の中には、現在も放送禁止用語である4文字言葉にそっくりの発音である単語“fug”が頻出する。彼はこの単語で、猥褻法による規制を辛くもすり抜けたのだった。
1955年。新作「鹿の園」不評。「老人と海」を書き上げ、今やノーベル賞を悠然と待つばかりであったヘミングウェイに本を送り、正直な批評を願う。でも添えた手紙には、ついつい“fug”youと書いてしまった。
1960年。メイラーはニューヨークの市長選に出馬することに。ところが、その出馬表明パーティーの席上で、泥酔した彼はなにがあったか妻の胸をナイフで一突き。危うく殺しかける。もちろん市長選もへったくれもない。
1969年。ベトナム反戦行進に参加し、その経緯を綴った「夜の行進」でピューリッツァー賞を得る。メイラーは、万全を期して再度ニューヨーク市長選に躍り出る。めちゃくちゃな緊縮財政案をぶちあげ、またも泥酔してボランティアの選挙運動員を“甘ったれのブタ”呼ばわり。ブタたちは一斉にいなくなった。
1973年。メイラーは、小説のネタにでもするつもりだったのか、CIAのお歴々を招いたパーティーを主催。妻だの元妻だの愛人だの子供たちだのといったファミリーも出席していたのだが、相変わらず泥酔したメイラーは、マイクを握って下品なジョークを連発。本人はご満悦だったが、500人のゲストたちは一斉にいなくなった。
1983年。良からぬ筋とも関係のある、いわくつきの男ロイ・コーンのつてで、ランダムハウスと400万ドルの契約をゲット。「古代エジプト夜話」を上梓し、小説家メイラー健在也を示す。しかしメイラー先生、コーンの誕生パーティーでは、テレビカメラに自分の姿が映らないように、一晩中コソコソ逃げ回っていた。
1986年。アメリカン・ペンクラブの会長に就任。作家の殿堂入りは果たすが、権力の殿堂入りへの野望はくすぶり続けている。なんとかワシントンにコネを作ろうと、レーガン政権のシュルツ国務長官に、ペンクラブでの演説を依頼する。これに抗議した65名の会員を除名してまで!
1992年。老いたりと言えど、メイラーは相変わらず権力志向が高い。著書「ハロッツ・ゴースト」で、CIAを美化し称賛しまくる。挙句にCIA本部にまで赴き、“暗殺を認める”旨の宣言を行う。先生、アサシンになりたかったらしい。
2002年。80歳になろうとするメイラーは、自宅のバルコニーに深く座って遠くの海や雲を見つめている。今や彼の胸には様々な想いが去来していた。長い長い年月の間、彼の政治思想も変わっていったが、唯一己が核心は変わることがない。“マスターベーションで行き着くところは、結局は錯乱した愚行であるのだ”と。



日本軍が死守する南太平洋の孤島を奪うため、アメリカ軍が上陸作戦を展開する。その泥沼と化した戦いのいきさつを、戦地で戦う兵士の視点から追う。アメリカ軍の日本軍への総攻撃が始まり、終結を見るまでの経緯は一応フィクションとされているが、生々しい戦場の実態の記録であるという意味で、メイラー自身の体験譚であるだろう。
俗語や差別語が飛び交うことは前述したが、極めて映像的な描写も目を引く。登場する兵士達それぞれの過去や、故郷、愛しい人へ抱く想いといったバックグラウンドが、フラッシュ・バック的に挿入されるのだ。とりわけ日本人にとって印象深い部分は、アメリカ軍の総攻撃によって戦死した、日本軍将校イシマル少佐の遺留品である日記のエピソードであろう。イシマル少佐の日記を、アメリカ軍に所属する日系将校ワカラ少尉が目に留め、英訳するというくだりである。その中で、イシマル少佐がしたためた詩が引用されるのだが、これが実に哀切きわまる内容だ。こと注意すべき一句を抜粋する。

“今宵 われは思う
われは至高の存在、天皇を信ぜず
わが偽らぬ心の告白
われはまさに死なんとす。われは生まれ、われは死す
われは自問す―なぜか?”
―「裸者と死者」より引用抜粋

この部分はメイラー自身による創作であったそうだが、日本軍の士気の拠り所であった(とされていた)“天皇への絶対服従”思想の曖昧さを、彼は既に看破していたのだ。敗北より死を選ぶべしという日本人特有の滅びの美学など、戦場の狂気の只中では意味を成さない。日本人であろうがアメリカ人であろうが、理不尽な死を目前にすれば思うところは皆同じ、愛する家族や懐かしいふるさとへの思慕の情なのだ。戦争は、人をして等しくその存在のはかなさに思い至らせるのであろう。その意味で、戦争は人の行いの中でも最大の愚なのである。
 
また、メイラーは終戦後をしばらく銚子で過ごしているが、このイシマル少佐のふるさとも銚子であり、また彼の日記を感慨深げに読むワカラ少尉も、幼い頃を銚子で過ごしたという設定になっている。メイラーが銚子という町から受けた印象は、ワカラ少尉の少年時代の回想の弁を借りて語られていた。その描写は美しくもどこか物悲しく、若きメイラーの胸に強く刻みつけられた日本そのもののイメージでもあったのだろう。彼は後に「裸者と死者」を日本語に翻訳した山西 英一氏に手紙を書き送っている。

「日本は私が見た国のうちでもっとも美しい国でした」

「裸者と死者」の中では、登場するアメリカ軍の兵士達も日本軍の兵士達も、なんら美化、脚色されることなくその実態が描写される。戦争とは、一体どこまであらゆる人間を狂気に貶めるのか。メイラーは後年、ベトナム戦争勃発時に反戦運動に身を投じ、「夜の行進」を書き上げるが、生涯を通じて彼の意識からは戦争への嫌悪が消えなかったと思われる。
しかし、「裸者と死者」での鮮烈な文壇デビュー以降の彼の生き様はいかがなものだろう。矛盾するジレンマを抱えたアメリカという大国に抱く彼の愛憎を、そのまま反映したかのような無茶振りである。戦争を経験した者だからこそ、アメリカの政治に対する強い思いいれがあったのだろう。度重なる政治の世界への介入と、果てはCIAへの憧憬にも似た感情は、“アメリカを変えたい”と願う彼の純粋さの現われと考えられる。しかし、それが結局は叶えられないと悟ったとき、また、アメリカを変えようという彼自身の思い込みがそもそも虚栄であったと知ったとき、彼の脳裏にどんな光景が映っていたのだろう。戦地で死んでいった仲間の顔だろうか。あるいは、南太平洋の島で目にした水平線に沈む太陽の眩さだろうか。それとも、日本の港町の情景だったのだろうか…。


さて、これでソレル氏と共に探索する世界の文豪の生涯は終わりだ。

人は別の人に魅力を感じるとき、実像と見た目の落差に惹かれるものだといわれるが、槍玉に挙げられた天才達のそれはあんまりではあるまいか。残された作品や実績の神がかり的な素晴らしさに比し、奇天烈かつモラル無視の生き様には、ただ唖然とさせられるだろう。「文豪の真実」には、これ全編にわたって天才と狂気の狭間を危うく生きた彼らの魂の叫びが、ソレル氏の生々しいポートレイトによって蘇っている。凡人たる私たちは、芸術の誕生する瞬間の不可思議さに改めて感じ入るばかりなのだ。

そもそも人物風刺というのは、人間性一般への深い洞察力と愛着がなければ成り立たないもの。表面的には、面白おかしくおちょくっているように見えても、その実、対象への限りない理解が根底にあらねばならないと思う。ソレル氏が優れているのは、世界中の事象に対する幅広い関心と知識があるからこそなのだ。
まあ尤も、いかなソレル氏が優れた人物批評精神を持っているとはいえ、この「文豪の真実」たる挿絵本1冊を読んだだけで、 10人の文豪たちの全てを理解したと勘違いしてはならない。彼らの知られざる一面を踏まえた上で、改めて彼らの残した芸術に触れれば、私たちもまた新たな感動を覚えることができると思っている。

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文豪の真実
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「文豪の真実 Literary Lives」エドワード・ソレル Edward Sorel著Part1
「文豪の真実 Literary Lives」エドワード・ソレル Edward Sorel著Part2
「文豪の真実 Literary Lives」エドワード・ソレル Edward Sorel著Part3


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