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zoom RSS Madonna's picture book―「ヤコブと七人の悪党」Part1

<<   作成日時 : 2014/02/15 22:03   >>

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“この本は、偉大なる師、バール・シェム・トヴの逸話をもとに書かれました。どんな人でもエゴを抑えれば天国の門を開くことができるのです。影の後ろには光があるということを、決して忘れないで下さい”―マドンナ・ルイーズ・チコーネ


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バール・シェム・トヴ(バアル・シェム・トーヴ)
Baal Shem Tov

1700年生まれ
1760年ごろ没

18世紀にポーランドで勃興した、ユダヤ教団内におけるユダヤ教復興運動(又は神秘主義運動、敬虔主義運動ともいう)、ハシディズムの始祖。ユダヤ教信者は“ベシトのバール・シェム・トヴ”と呼び、別名をイスラエル・ベン・エリザーという。
従来のユダヤ教の教えでは、神の存在に近づくためには、ひたすら勤勉に教義を学ばねばならなかったが、バール・シェム・トヴは、個人的な神秘体験(天使の姿を見た、神の姿を見た等の幻視)こそ最も重要であると説いた。選ばれた少数のラビによるミクラー・ラビ文学の研究より、大勢の信者による祈りを重視するという考え方だ。当然、こういった考え方は当時としては異端で、従来のユダヤの教義を守ろうとする人々と、鋭く対立した時期もある。しかしながら一般的には、ハシディズムが興ったとき、それは瞬く間にユダヤ教内の宗派を超えて信者に広く浸透し、東欧ユダヤ教徒の実に半数近くがハシド派(ハシディズム派)に転向したという。 ハシド派は勃興当初から、独自に開発した典礼とシナゴーグ(シュティブル)を持ったが、ユダヤ教から離反することはなかった。
しかし、第2次世界大戦中のナチス・ドイツによる大弾圧や、戦後の東欧諸国の共産化を経て、ハシド派にとっては厳しい時代が続く。それでもハシディズムの火は消えず、イスラエル建国に尽力した人々の間で脈々と受け継がれていった。彼らの宗派は、現在、イスラエルで“超正統派”と呼ばれている。バール・シェム・トヴの曾孫で、超正統派の一派ブレスラウ派の始祖であるラビ・ナフマンの墓所は、現在ではハシディズム巡礼のメッカとなっている。ちなみにアメリカでは、改革派、保守派、正統派の3宗派が主流であるといわれる。
ともあれ、ハシディズムは、今日においても活発に活動している宗派であるといえる。特にルバビッチャー・ハシディームの活況は目覚しいものがある。
バール・シェム・トヴの説いた教えを具体的に知る手段としては、1997年に出版された『THE PATH OF THE BAAL SHEM TOV』(DAVID SEARS、JASON ARONSON 共著)がある。これは、バール・シェムの教えを体系的にまとめ、ユダヤ教徒の立場から解説を加えた書籍である。もっとも、バール・シェム自身が著した書物は現存しないので、逸話のほとんどが伝聞に頼った形となっている。“あらゆるものが神聖である”という汎神論や、輪廻転生論までを説いていたことから、バール・シェム自身、かなり柔軟な思想の持ち主であったことが伺える。


ヤコブと七人の悪党
ホーム社
マドンナ

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「ヤコブと七人の悪党 Yakov and the Seven Thieves」
マドンナ・リッチー/作 ガナディ・スピリン/絵 角田光代/訳
(集英社刊行)

昔々のお話。

美しい自然に恵まれた村に、ヤコブという靴職人が住んでおりました。彼には妻のオルガと1人息子のミハイル少年がいましたが、ミハイルは重い病に臥せっており、余命いくばくもない状態です。ヤコブとオルガは、大事な息子を治癒してくれる名医と妙薬を求めて方々を巡りましたが、結果は無残なものでした。ミハイルの青ざめた額には汗が噴出し、黒い巻き毛はもつれ、つぶらな瞳は重たげに閉じられたまま。今にも死の天使に導かれ、旅立ってしまいそうです。そんな息子の様子に耐えかねたヤコブとオルガは、息子を救うためにはもはや奇跡にすがるしかないと思いつめました。
ヤコブは家中にあるだけのありったけのお金をかき集め、村はずれに住むという老いた賢者を訪ねました。深い雪よりも蒼白な顔色のヤコブは、緑色の瞳をくりくりさせた少年パベルと、聞く者の気持ちを安らかに鎮める声をもつ老人に迎えられました。
事情を聞いた老人は、ヤコブ夫妻とミハイルに深い哀れみを寄せ、なんとか神のご慈悲にすがってみようと決意します。なぜなら、老人にも、最愛の息子を亡くすという痛みがどんなものかがよくわかっていたからです。今は息子の代わりに、息子が自分に遺してくれた孫パベルに愛情を注ぐことができますが、ヤコブはそうはいきません。かけがえのない息子はたった1人しかいないのですからね。
なけなしの謝礼を持ってまで自分を頼ってきたヤコブの親心とミハイルを救うため、老人はその夜一晩中渾身の力をこめて神に祈りを捧げました。ところが、老人の祈りが届いたのは天国の門の前まで。後はどれほどがんばっても、門の鍵をこじ開けることは叶わなかったのです。やはりミハイルは、天に召される神のご意思に従うしかないのでしょうか。翌朝老人からそれを聞いたヤコブは、今までの緊張の糸が切れたように泣きじゃくりました。ヤコブの絶望は、奔流のように老人の心の中に伝わってきます。なんとかしてやらねば、ミハイルだけではなくヤコブすら病みついてしまうかもしれません。老人は考えた挙句、あることに賭けてみようと密かに決意しました。ひとまずヤコブをなだめて自宅に帰し、パベルに不可思議なことを命じました。町で嫌われているどろぼうやスリやかっぱらい、悪党どもを残らず見つけてここにつれて来いというのです。悪ければ悪いほど結構だというのですから、パベルが首を捻るのも無理はありません。
集められた悪党は全部で七人。彼らの方も、村外れに暮らす不思議な賢者の噂を耳にしていて、興味津々だったのですね。服のボタンがはちきれそうなほど肥え太った、毛むくじゃらで乱暴者の極悪人ウラジミール。鍵開けの名手を自認する、不気味に痩せたヘビ男サットコ。子供や老女ばかりを狙う、裸足のひったくり小男ボリス。他人の馬や羊を勝手に盗んでしまう、鼻が曲がるほど臭い男パーシャ。少年のように男装して、ホラ話を吹きながらご婦人の財布をすってしまうおてんば娘ベトラ。木の義足を付け、他人の家やトウモロコシ畑に放火するのが大好きな放火魔イワン。毎日ただぼんやりと寝て過ごすだけのトラ男、イーゴル。
ひとところに集められた悪党達は、みなてんでに好き勝手なことをして騒いでしまいたが、賢者が語り始めると森奥の湖面のように静かになりました。しかし、ヤコブの息子を救うために一緒に祈って欲しいという賢者の頼みを聞くや、みな一斉に狐につままれたような面持ちになってしまいました。こんなどうしようもない悪党である自分たちに、真剣に頭を下げて頼みごとをする人間なんて、今まで誰もいなかったのですから当然ですよね。賢者が、自分たちのスリやかっぱらいの技術でなくて、お祈りの力を借りたがっているとわかると、悪党達はなにか不思議な、特別なことのために自然と頭を垂れました。ひょっとすると、天使が目の前に現れるかもしれない。
ウラジミールもサットコもボリスもパーシャもベトラもイワンもイーゴルも、お祈りの仕方なんぞ知りませんでしたが、みな胸に手をあて、目を閉じて心からミハイルの快復を祈りました。一晩中まんじりともせずに、賢者と七人の悪党達は他人の息子のために心を1つにしたのです。

あくる朝。夜も明けきらぬうちに、ヤコブが賢者の家のドアをたたきました。そう、今までの苦労が嘘のように、ミハイルが元気に回復したのですね。まさに奇跡が息子の上に出現したことに狂喜したヤコブは、パベルの瞳の色と同じ美しい緑の靴を持ってきていました。そして、賢者の節くれだった手に感謝を込めてうやうやしくキスをすると、踊るように家に帰っていったのです。
ここでパベルは、疑問に思っていたことを老人に問いました。天国の門を開けるために、なぜ札付きの悪党達を連れて来たのか、ということです。もっと心根の良い人と一緒に祈ってもらった方が、早くに天国の門の鍵は開いたのではないでしょうか。
賢者は答えます。彼らは確かに悪党ですが、善人たろうと生きている私たちだって、間違いを犯すこともあるわけです。彼らは、過ちを犯している私たちの姿そのものであるといってもいいのですね。人間が奇跡を願うとき、まずは自らの過ちを正すことから始めねばなりませんが、賢者は今回それを、彼ら悪党達の胸に眠る良心に託したということなのです。
パベルは納得し、ヤコブがあつらえてくれた真新しい靴に足を入れました。そのとき、実はもう1つ小さな奇跡も起こっていたのです。玄関先に照れくさそうに立っていた小男ボリスが、昨夜密かに盗み出していたパベルのサンダルを返しに来たのですね。生まれて初めて“ごめんなさい”という言葉を口にしたボリスに、パベルは赦しという名の施しを与えることにしました。パベルには新しい靴があるのですもの、サンダルをボリスにあげると、ボリスはまたも生まれて初めて“ありがとう”という言葉を口にすることができました。


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説明不要のポップ・アイコン、マドンナ。彼女が著した5冊の児童書のうちの3冊めにあたるのが、この「ヤコブと七人の悪党」です。
実は当初は、この本を読むことになろうとは思ってもみませんでした。私は特に彼女のファンでもないですし、名を成したアーティストが片手間にやっているサイドワークにまで高いお金を費やすほど、心身ともに余裕もありませんしねえ(笑)。しかし今回だけは、悩んだ末に購入に踏み切りました。イラストを担当しているのが、大好きなガナディ・スピリンだったからです。彼のアートワークについては別の機会に触れるとして、ここでは、“作家マドンナ”の作品を考えてみたいと思います。

まず、このお話の基になったといわれるバール・シェム・トヴについて、冒頭に簡単にご説明しておきました。
バール・シェムを偉大なる師と称していることから、マドンナ自身が、彼の興したハシディズムに傾倒しているだろうことは容易に推測できます。どんなに堕落した人間であっても、純粋に願う気持ちさえあれば、神はいつでも赦してくださるとするこの道徳的なお話は、マドンナ自身の哲学というよりも、そのハシディズムという独特の宗教思想が彼女をして書かせしめたものだと思うのです。
バール・シェムの“万物に神が宿る”考え方、“因果応報”“輪廻転生”にまで及ぶ極めて仏教的な思想、どれをとっても、ユダヤ教の範疇には収まりきらないものですよね。しかし少なくとも日本人である私にとっては、理不尽なまでに厳しい神への献身を問い、いささか寛容性を欠くような面を持つキリスト教よりかは、とっつきやすいと感じられました。まあもっとも、宗教の解釈を巡っては難しい問題も内包されているので、ここではその是非を問うようなことはいたしませんが。

マドンナ自身が巻頭で述べているように、どんな人間にも奇跡を起こすチャンスがあるというメッセージは、宗教の枠組みを超えて普遍であります。このお話では、社会からも見捨てられた存在である七人の悪党どもが、見ず知らずの他人の子供のために一心に祈ることでそれが実現するわけですね。
人は皆、光溢れるところでその恩恵にあずかりたいと願っています。しかし、日のあたる場所の後ろには常に影ができるように、その恩恵からはじき出されてしまう人間もまた確かに存在するのです。とはいえ、光と影が一心同体であるならば、影から抜け出して日の光を浴びることも可能ではないのか。このストーリーは、そんな希望をわかりやすく読者に伝えるものなのですね。

賢者たる老人が体現する“聖性”と、悪党達が象徴するところの“俗性”も、光と影同様、人間を形作るものとして切っても切れない関係にあります。ために、“悪”を“悪であるから”という理由だけで社会から切り離してはいけないわけですね。老人がパベルに教え聞かせる言葉は、清も濁も併せ持つ人間のサガを、簡潔に言い当てているといえるでしょう。聖俗混沌とするのが人間ならば、“悪”の一面を自らの内に取り込んで尚、より良く生きようと前進することこそ、人間らしい在り方ではないのか。なんだか実生活でそれを実行しているにも見える(笑)マドンナの書いた言葉だと思うと、奇妙な気分になってきますが、確かに納得のいくメッセージではありますよね。

これはまた、過ちに陥りがちな子供に、親がどう接すれば良いのかという指標をも示していると思われます。子供はしょっちゅう悪さをするものですが、この“悪いこと”をなぜ“悪いこと”だと判断するのか、親はその価値観の基礎をきちんと説明しなければならないと思うのですよ。ただ単に“ダメ!”と怒るだけでなくね。日々の生活の中で、聖と俗を決定せしめる真理はなにか、親も子供と一緒に考えること。さらに、人間が相反する側面を持つ矛盾した存在であるのと同様、社会もまた矛盾に満ちたコミュニティーであることを、親は子供に伝える義務があるとも感じますね。白黒はっきりつけることができない世の中では、善悪の境界も曖昧模糊としたもの。この世を生き抜く上で、価値観の選択を迫られる瞬間は何度もあると思われます。その都度なにを選択すべきかは、結局そのときにならないとわからないものではありますが、判断の基礎を築くのは親の役目だとしみじみ実感しますね。このお話に登場した悪党達に大小の奇跡が起こったように、結局最後は、人間の持つ善意をどれだけ信じられるかにかかっているような気もするのです。


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