House of M

アクセスカウンタ

zoom RSS 「愛についてのキンゼイ・レポート Kinsey」―ビル・コンドン監督

<<   作成日時 : 2016/11/26 22:27   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

コンドンは、前作「ゴッドandモンスター」で映画界の注目を集めたあと、その作品でも苦楽を共にした作家クライヴ・バーカーの初期の傑作「血の本」シリーズを映像化するという企画に携わりました。しかし企画は頓挫。そこで、ボブ・フォッシー原作の舞台「シカゴ」(2002年)を映画化するロブ・マーシャル作品に、脚本家として参加したのです。この映画は興行的にも批評的にも大成功を収め、ミュージカル作品の脚色という難しい仕事をやってのけたコンドンへの評価をも改めて高める結果をもたらしました。


画像

(実際のアルフレッド・キンゼイ博士)

それからコンドン監督は、フランシス・フォード・コッポラの協力を得て、いよいよ自らのオリジナル脚本による作品「愛についてのキンゼイ・レポート」の映画化に取り組みます。世界初の、人間の性行動についての分類・統計レポート“キンゼイ・レポート”を作成した動物学者、アルフレッド・キンゼイ博士の伝記映画です。
監督は過去の自作において、自らが生み出した妄想に凌駕されそうになった人間がどのような行動をとるのかを見つめてきました。今回の作品「愛についてのキンゼイ・レポート」では、自ら進んで“研究”という名の実体のない化け物に人生を捧げた一人の男の生き様を描いています。

愛は測定することが出来ないが、それなしに科学を完成させることはできない。

「愛についてのキンゼイ・レポート Kinsey」(2004年製作)
監督:ビル・コンドン
製作総指揮:フランシス・フォード・コッポラ
製作:ゲイル・マトラックス
脚本:ビル・コンドン
撮影:フレデリック・エルムス
音楽:カーター・バーウェル
出演:リーアム・ニーソン(アルフレッド・キンゼイ)
ローラ・リニー(クララ・マクミレン)
ピーター・サースガード(クライヴ・マーティン)
ジョン・リスゴー(アルフレッド・シークイン・キンゼイ)
ティモシー・ハットン(ポール・ゲブハルト)
クリス・オドネル(ワーデル・ポメロイ)
ティム・カリー(サーマン・ライス)
オリバー・プラット(ハーマン・ウェルズ)
ディラン・ベイカー(アラン・グレッグ)
リン・レッドグレーヴ(最後にインタビューされる女性)他。

インディアナ大学の動物学助教授アルフレッド・キンゼイ博士(ニーソン)は、3人の助手たち―クライヴ・マーティン(サースガード)、ポール・ゲブハルト(ハットン)、ワーデル・ポメロイ(オドネル)―のインタビューの練習台になっている。これから、前代未聞の性の実態を調査するための面接聞き取り調査が始まるのだ。そのため彼らは、面接を受ける人間が自分の性の履歴について正直に答えられるような独自の面接テクニックを練り上げた。
キンゼイは、インタビューに答えながら自分の過去を思い返していた。父親(リスゴー)はエンジニアを職業としていたが、ボランティアで日曜学校の教師も務めていた。非常に潔癖かつ厳格で、どんなささいな不道徳も許さない人間であった。そんな父に反発したキンゼイは、野生動物の観察に心の慰めを見出していた。また、ボーイスカウトに入る年齢になると、性衝動に悩まされるようになる。いずれは生物学を学びたいという願いと自慰している事実を父に隠し、父の命令どおり工科大学に進むが、やがて自分の気持ちを偽るのが嫌になる。父ときっぱり決別してボードン大学に移り、昆虫を専門に研究生活を開始した。
ボードン大学卒業後、ハーバード大学で博士号を取得し、インディアナ大学で生物学の助教授の職を得たキンゼイは、やがてタマバチという興味深い昆虫の研究にのめりこむようになった。タマバチは一つとして同じ固体がない。皆その形体が異なっているのだ。違っているのが当然のタマバチは、父親とは全く違う人間である自分の存在証明のような気がしていた。
やがてキンゼイは、彼の講義に熱心に耳を傾ける一人の女学生クララ(リニー)と出会う。クララも無類の昆虫好きで、当時としてはめずらしく自由な考えの持ち主でもあった。二人はすぐに親しくなり、キンゼイは彼女にプロポーズした。クララは一度はそのプロポーズに躊躇したものの、やがて結婚を承諾する。結婚後初夜を迎えた二人。実は二人とも文字通り“初めて”であったため、初夜はうまくいかなかった。結婚報告のためキンゼイの実家を訪れていたとき、突如ひらめいた彼は、専門家に相談することを思いつく。こうして医師の指導の下、彼らは夫婦生活を素晴らしいものにすることに成功した。
キンゼイは学内で同じような悩みをもつ学生達の相談にのるようになった。彼らの性についての知識があまりにも貧弱なものであることに愕然とするキンゼイ。また、キンゼイの評判を聞いて、学生達の間からも性についての講座を開いてくれるようにとの要望が高まり、ついに学長(プラット)は『結婚講座』の開講を許可する。性行為に関しての率直で論理的な講義は大評判を呼び、学生達が教室からあふれるまでになる。しかし学生達がキンゼイに投げかける質問は、あまりにも広範囲に及ぶため、いかな彼でも到底すべての質問に答えることはできない。彼は、いかに性に関しての学術的分野が未開拓であるかを思い知らされる。そこで、あくまで科学的なアプローチで、性行動の実態調査を始めようと決意した。結婚講座を受講していた学生マーティンはキンゼイに心酔していたため、ある日キンゼイに呼び止められたのをきっかけに、自ら進んでその調査の助手を買って出た。
彼らはまず手始めに、講座の受講生を対象に、様々な性行動に関する質問をアンケート方式で行った。しかし統計をとるにはサンプルの絶対数が足りず、また紙に書かれた質問には、いくら匿名でも正直に答えにくいという不具合が明らかになった。そのため、キンゼイとマーティンは、直接対象にインタビューする形式で実態調査を行うことにした。こうして新しい学問の分野に夢中になっていくキンゼイは、家庭内でも性の話題をオープンに話し合うことを義務付けた。キンゼイとクララ夫婦の間の二人の娘はそんな父親に理解があったが、一人息子だけは反発し、かつてのキンゼイ自身のように家を出て行ってしまった。
マーティンとキンゼイは暇を見てはインタビューの旅に出た。シカゴでは同性愛者が集うクラブに出かけ、率直に性の話を聞く。彼らの多くは、やはりキンゼイを奇異の目で見たが、中には同性愛者であるために辛い経験をしたことを語ってくれる者もいた。同性愛の経験を持つマーティンは、性になんの偏見も持たないキンゼイにますます惹かれ、彼をベッドに誘う。キンゼイも未知の体験に惹かれ、ついにマーティンと関係を持ってしまう。帰宅したキンゼイは、妻クララに正直にすべてを話した。クララは、性の研究にのめりこむあまりパートナーの愛情をも研究対象にするような夫の態度を非難した。確かに“結婚”は古くからある慣習で、伴侶を裏切るなかれという道徳観は古いのかもしれないが、そこには“愛情”も存在することを忘れてはいけないからだ。
キンゼイの性に関しての研究は、性について書かれた文献や性具などの収集にまで及ぶ。財政的援助を必要としていた彼に、学長はロックフェラー財団のグレッグ博士(ベイカー)を紹介した。グレッグ博士は、性的倒錯や同性愛など“特殊な”性嗜好についての言及を避けることを条件に、援助を約束する。そしてスタッフを新たに2名加えて、いよいよ全米規模で性行動の実態調査とその分析が始まった。
そのころ、キンゼイの母が亡くなり、彼は実家に戻った。相も変わらず家族に威圧的で横柄な父親とは、顔を見ればけんかになる彼だった。ところが、無理やり父親に性に関するインタビューを試みたところ、彼にもやはり過去に辛い経験があったのだ。その反動で依怙地になった彼の姿に、キンゼイは憐れみすら感じる。

画像

全米各地を廻って、人種も年齢も職業も様々な人々1万8千人に、350に渡る性行動に関しての質問を行った調査結果がついに結実する。1948年に、男性版「キンゼイ・レポート」が出版されたのだ。これは、学術書としては異例の20万部を超えるベストセラーとなり、一躍キンゼイ博士の名前は全米に轟くことになった。レポートによると、多くの人々が婚前交渉や婚外交渉、同性愛の経験を持ち、慣習で戒められているはずの自慰行為すらほとんどの人間が経験済みであった。もちろん道徳的見地からレポートを非難する者もいたが、それ以上にこのレポートがアメリカに与えた衝撃は大きく、これで古いタブーは打ち破られるかと思われた。勢いに乗って、キンゼイはこのレポートの女性版もすぐに発表したいと宣言する。その後は性犯罪者などについての調査結果もレポートにまとめたい、と。
男性版レポートの欠点を改善した上で、その5年後ついに女性版「キンゼイ・レポート」が出版される。ところが今度は、マスコミや世論は手のひらを返したように激しいバッシングを浴びせた。清教徒たちの国であるアメリカ社会には、いまだ女性の性の開放を許す土壌は育っていないのである。いわれのない差別や中傷に憤るキンゼイであったが、このときから彼の周囲では次々とトラブルが発生していった。FBIはキンゼイと助手たちに共産主義の疑いをかけて身辺調査を始め、テレビで糾弾されたグレッグ博士は、ロックフェラー財団は今後いっさいキンゼイたちの研究援助をしないことを明言した。また、キンゼイと助手たちは互いにパートナーを交換してセックスを行い、それぞれの性生活にどんな影響を与えるかを実地に調査していたが、そのことが思わぬ事態しを招いてしまった。研究中に結婚したマーティンの妻と、ゲブハルトが“調査”の域を超えて本気で好き合ってしまったのだ。おまけにキンゼイが講演を行っても、新しい科学の分野を開こうとする自分に対しての世間の非難を声高に訴えるばかりの内容に終始するために、賛同者もいなくなってしまった。過労と鎮痛剤の摂りすぎによって、ついにキンゼイは倒れてしまう。志半ばで研究を打ち切らざるを得ない状況に追い込まれた彼は、絶望する。次々と起こされる裁判費用のため破産状態のキンゼイは、スーパーマーケットのオーナーに援助を頼むが、関わりを避けたい彼らに断られる。
大勢の性に悩める人々を開放したかったのに、世間を性に対して余計に保守的にしてしまったと、自分を責めるキンゼイ。妻のクララだけは、そんな彼のそばを片時も離れず支え続けた。
そして援助なしで独自で面接調査を進める彼の前に、一人の女性(レッドグレーヴ)が現れた。彼女は突然同性愛に目覚め、家庭も失い自殺まで考えたが、キンゼイのレポートを読んで勇気付けられたと話した。あなたは命の恩人だと。
キンゼイはマーティンのインタビューの最後にこう答える。
「愛というものは測定することができない。だから分析のしようもないので、科学には不要だと考えていたが、それは間違いだと思うようになったんだ」

愛についてのキンゼイ・レポート [DVD]
松竹
2006-03-30

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ商品ポータルで情報を見る


実は鑑賞後に最も痛切に感じたのが、“時間が足りない”という事実です。

まず、キンゼイ博士の少年時代から生物学者となるまでのエピソードに、上映時間の約半分の時間が費やされています。異様なほどに厳格であったエンジニアの父親との確執を中心に、よくコンパクトにまとめあげたなと思いますよ。
それから後は、彼が新妻クララとの初夜に失敗したことをきっかけに、その当時口に出すこともタブーであった性行動全般についての研究にのめりこみ、「キンゼイ・レポート」を発表するまでに至る年月の描写です。実は、この映画のメインとなるべき後半の描写が問題なのです。
キンゼイ博士というエキセントリックな人物像を描写するに当たり、あまりにも有名な彼の特異なエピソードの紹介に、やや重心を置きすぎた感があります。たとえば彼は研究を長く続けるため、意識の覚醒を持続させるためにバルビツール剤を服用していたそうですが、そうした学者として決して光の当たらない陰の部分にまで、もう少し踏み込んで言及した方がより作品としての説得力を増した結果になったかもしれませんね。
また、多くのエピソードを持つ人物を描く場合、個々のエピソードを魅力的に活写するのはもちろんのこと、それぞれが微妙なつながりを保ち、互いに影響を与え合いながら、一つのクライマックス―この作品の場合はキンゼイ博士という人間の本質―に向けて昇華する必要があります。そうして始めて、観客はカタルシスを得る―つまりキンゼイ博士という人間の真髄を知る―ことができるのですね。この作品では、博士の人となりを語るはずの個々のエピソードが、バラバラのまま、ただ時系列に沿って並べられているだけという印象が拭えません。せっかくの魅力的なエピソードが未消化のまま、とにかく時間内に映画を終わらせるために、事実を羅列しただけで精一杯だったように感じられるのです。結局映画では、キンゼイ博士の“研究バカ”っぷりだけが妙に強調されただけで、その本質にまで触れる事ができなかったわけですね。

画像

でも、この作品に対する世間の評価が低い原因として挙げられる、『なにが言いたいのかわからん』という疑問は解消できるような気がしています。なぜなら、コンドン監督がキンゼイ博士という人間を通して本当に主張したかったことと、一般の観客がこの手の作品に求めるカタルシスが、ほんのちょっとずれていただけにすぎないと思うからです。
劇中にも出てくるキンゼイ博士の言葉が、コンドン自身の主張を端的に表しているでしょうね。曰く、
『人間の行動や嗜好は、皆それぞれ異なるのが当たり前だ。異性愛もあれば同性愛もある。また道徳的な観点から異常だと断罪されている様々な性行動―婚前交渉や婚外交渉など―も、ごく当たり前のものだ。しかし社会の制約によって皆が同一に“正常”になりたがり、自らの本質を裏切るはめに陥るのだ。慣習に忠実なあまり願望や欲望を抑えすぎると、それは間違った強迫観念になる』
それゆえ、多くの観客にはいささか不要ではないかと感じられた描写に、時間と労力が費やされました。同性愛などの保守的な社会の偏見を受けやすい性嗜好についてのキンゼイ博士の聞き取り調査が劇中で詳細に語られましたし、博士とバイセクシュアルの愛弟子と妻とのオープンな三角関係、博士が弟子達に推奨したパートナーを交換しての婚外交渉の顛末も然り。一見センセーショナルを煽るようなこれらのことがすべて、人間を含め動物の自然な在り方だとする主張の裏には、従来の古い慣習や道徳観に替わって新しい道徳観を作ることが急務だというコンドン自身の強い願いがあると感じます。
同性愛も含めた人間の自然な願望を古い慣習や道徳観が押さえつけてきたことで、どれだけ多くの人々の自尊心が傷ついたか。自らも同性愛者であるコンドンは、実はそのことを最も訴えたかったのではないかと思います。キンゼイ博士の最後の面接調査の対象が、同性愛に目覚めた結婚経験のある女性だったのは象徴的でしょう。
しかし観客は無意識のうちに、この作品が最終的に人間固有の“感情”論に帰結することを望んでいます。自分の欲望に忠実に生きることで、多くの人間を傷つけてきたであろう性欲旺盛な男が登場するに至って、キンゼイ博士が提唱する性の開放を勘違いする危険なエゴイストもまた、この社会に多く存在する事実が突きつけられます。博士自身も己の科学の在り方―“性”の単純化―に自信をなくしかけます。同時にコンドンも、結局人間の性は“愛”という感情を抜きにしては語れないという至極ありふれた結論で映画を終えてしまったわけです。なにか、観客の無言の圧力に屈したような感じがしますね。最終的に世論のバッシングに屈したキンゼイ博士と、コンドン監督がだぶって見えて仕方ないです。
ラストの、博士と妻クララの森の中での会話シーンをどうとらえるか。これを蛇足と感じた方もいたでしょう。でもまあ、元々キンゼイ博士は昆虫学者なのですから、あれを彼の原点回帰と考えてもいいんではないでしょうか。あれで再び彼が研究者としての情熱を取り戻した、と。
その後のキンゼイ博士は、世間から誤解されたまま不遇のうちに残りの人生を過ごしたそうです。しかしながら、研究者は一生なにかしら研究し続ける性を持っています。映画監督という人種もまた、どんな逆境に晒されても表現することをやめない性を持つのかも知れません。


にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村




最新キンゼイ・リポート
小学館
ジューン・マコーバー ライニッシュ

ユーザレビュー:

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 最新キンゼイ・リポート の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 3
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い
「愛についてのキンゼイ・レポート Kinsey」―ビル・コンドン監督 House of M/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる