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zoom RSS 女と男とイタリアの街の物語−「昨日・今日・明日 Ieri, Oggi, Domani」

<<   作成日時 : 2016/04/09 20:22   >>

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イタリアの空の下、男と女は生きる。

「昨日・今日・明日 Ieri, Oggi, Domani」(1963年製作)
監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
製作:カルロ・ポンティ
脚本:エドゥアルド・デ・フィリッポ&ヴィラ・ヴィラ&チェザーレ・ザヴァッティーニ
撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽:アルマンド・トロヴァヨーリ
出演:ソフィア・ローレン(アデリーナ/アンナ/マーラ)
マルチェロ・マストロヤンニ(カルミネ/レンツォ/ルスコーニ)
アルド・ジウッフレ(パスクアーレ)
ジョヴァンニ・ルドルフィ(ウンベルト)
ティナ・ピカ(ジョバンナ)他。


“ナポリのアデリーナ”

ナポリの下町に生きるアデリーナは、失業中の旦那カルミネと子供を養うため、闇でタバコを売りさばいていた。もちろん当局に発覚すれば罰金刑が課される。アデリーナも、滞っている罰金を支払わねばならないのだが、なにぶんない袖は振れない。そしてついに裁判所から督促状が届く。罰金は積もり積もって5万リラにも達しており、家財一式を没収される危機に瀕していた。ところがアデリーナは、それを見越してあらかじめ家財道具を友人の家に移動していた。当局の役人が手ぶらで帰るのを見届けて、カルミネはじめ近所の人々は大喜び。しかし弁護士のヴェラーチェ氏はあきれ返る。アデリーナがやっていることは明らかに犯罪だ。罰金の延滞ならまだしも、彼女は今度こそ警察に逮捕されてしまうだろう。泡を食ったカルミネは、商売中のアデリーナを呼び戻し、急ぎ弁護士の下へ行かせる。商売を邪魔されてカンカンのアデリーナは、臨月の大きなお腹を揺らしながら、弁護士に罰金の不当性を捲し立てた。旦那は除隊以来仕事にありつけないというのに、2人目の子供も生まれる。自分が働かねば、一家はどうやって暮らしていけばよいのか。いきなり怒鳴り込まれて呆然となったヴェラーチェ氏は、しかし彼女のお腹を見てにっこり微笑む。そう、イタリアには、妊娠中の女性は出産後6ヶ月までに限り、たとえ法を犯しても罪を免れるという法律があるのだ。

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それからというもの、アデリーナは逮捕を逃れるため、カルミネに日夜頑張らせて妊娠し続ける。出産して後6ヶ月までは猶予があるので、それを計算しつつお腹が空になることのないようにしたのだ。カルミネの親友パスクアーレ夫妻には子供がないため、いきおい、パスクアーレがアデリーナ家のベビーシッター助っ人役を度々買って出ることになった。元々多産系に生まれついたアデリーナは、休むことなく子供を産み続けても一向に老けることなどない。精気を絞りとられているカルミネが、増え続ける子供の夜泣きと世話についに不眠症に陥り、やつれ果てていくのと対照的に、アデリーナの方は今を盛りと咲き誇る薔薇のようである。密かに彼女に焦がれていたパスクアーレが、つい想いを抑えきれないほどに。しかしアデリーナの夫への愛情は揺るぎなく、それはカルミネとて同じであった。
だがとうとう命運の尽きるときがくる。というより、カルミネの精力の尽きるときがやってきたのだ。子種を仕込まねばならないというのに、連日の妻へのご奉仕と子育ての疲れから、カルミネは栄養失調になった。この数年ではじめて、アデリーナは腹ボテでなくなる。それはつまり彼女が警察に逮捕されることを意味する。本来の罰金刑と延滞刑もろもろを合わせると、彼女の刑期は相当に長くなりそうだ。ピンチに陥ったアデリーナは、思い余ってパスクアーレに妊娠の“助っ人”をしてくれるよう頼む。突然の僥倖に我を忘れたパスクアーレだが、いざとなるとアデリーナにはとても浮気などできなかった。やはり彼女が愛するのは、なんといっても甲斐性なしのカルミネだけなのだ。
生まれたばかりの赤ん坊と下から2番目の娘を連れ、アデリーナは潔く刑務所入りする。子連れの受刑者なので、彼女が入るのは特別な房だ。そこには、彼女の他にも乳飲み子を連れた女が溢れていた。世話係のシスターはお人よしだし、房の仲間は皆気のいい女達ばかり。売春、警官をぶん殴った者、警官に罵詈雑言を浴びせた者。罪状は皆様々だったが、厳しい現実にもかかわらず彼らはタフであった。アデリーナは、ふるさとの下町同様そこでも皆から愛され、助け合いの精神に支えられる。一方カルミネの方は、下町一帯の人々から寄付金を募っていた。街頭で客を取る娼婦も、屋台の親父も皆一丸となって、アデリーナを釈放するのに必要な金を集めるため客から余分の金を要求した。こうして集まった寄付金は、ようやくアデリーナの罰金額に到達したが、まだまだ彼女を釈放するまでには至らない。数年分の延滞金も加算されているからだ。ヴェラーチェ氏は、新聞記者にこの出来事を伝え、世論を動かすよう働きかける。そして大統領にも嘆願書を提出した。カルミネは夜ごと、パスクアーレと共にアデリーナが収監されている刑務所に出向き、子供たちが元気でいること、皆が釈放に向けて頑張っていることを歌で伝えた。アデリーナはそのときだけは房から出してもらい、廊下の鉄格子にへばりつくようにして歌に聴き入る。確かに刑務所生活は気楽なものだが、彼女とて恋しいのは子供たちであり、夫カルミネであるのだ。
なかなか受理されないことで有名な嘆願書だが、ヴェラーチェ氏がマスコミを動かしたおかげで、大統領はアデリーナ釈放に許可のサインを行った。寄付金は今や、罰金に延滞金を上積みして支払ってもお釣りが来るほど集まっている。そしてついにアデリーナが待ち望んだ釈放の日がやって来た。その日は新聞記者の一群も刑務所周辺に押し寄せ、彼女が大きくなった子供2人の手を引いて、カルミネと子供達が待つ車に乗り込む瞬間を感動的に報道した。車はそのままアデリーナの家がある下町通りまで向かう。なんとそこはまるでお祭り騒ぎのように飾り付けられており、アデリーナは近所の人々の歓呼に迎えられた。彼女はそのまま、歓喜に沸く仲間達の中を笑顔で凱旋したのである。
バカ騒ぎから一夜明けた。まだ夜も明けきらぬ頃、仕事仲間がタバコの仕入れにアデリーナを誘いにきた。だがさすがのアデリーナもくたびれ果てている。それに、頼りになる弁護士先生がカルミネに職を探してくれてもいる。仕事再開は明日からでもいいだろう。ナポリの下町の空を太陽が赤く染めていく。もうすぐ夜明けだ。明るい日差しは家々にも刑務所にも降り注ぎ、等しく照らしてゆく。どんな境遇であっても人の希望が消えることのないように。


“ミラノのアンナ”

アンナは大富豪の奥方だ。しかも憂鬱だ。今日は日曜日だというのに、昼間から愛車のロールス・ロイスのハンドルにかじりついている。それというのも、分刻みのスケジュールのせいだ。有力議員の葬式、演奏会、お偉方との晩餐会、義母との昼食会、孤児院への訪問、美容院とドレスの仮縫いの往復…。どれもこれも、ミラノ有数の大企業家である夫絡みの行事ばかり。おかげで、最近モノにした愛人と逢瀬を楽しむ暇もありゃしない。アンナは、仕事の鬼であり出世欲の権化であり金の亡者であるところの夫を、心底軽蔑していた。今も夫は商談のため遠い異国の地にいるのだ。アンナは無聊を慰めるため、スケジュールの合間を縫って愛人レンツォの元へ急ぐ。
いつも真面目くさった仏頂面の、売れない作家のレンツォ。アンナにとって、彼は華やかな社交界ではついぞ見かけぬタイプの男であった。上昇志向の気取った金持ち男ばかりを見慣れていたマダムの目には、彼は純真でお人よしで可愛いペットのように映るのだ。だからとても新鮮。昨晩別れた時よりさらに困ったような顔をして、レンツォはアンナに微笑んでみせた。中古の小型車を運転してきた彼は、急な呼び出しに幾分面食らいつつも、アンナの車に乗り込む。行き先を決めずにドライブを始めた2人だが、アンナはその驕慢な性格そのものの酷い運転をする。停車する際には、構わずゴンゴン前の車両に突っ込んでいくのだ。整備も万全な彼女の愛車は、そこらへんの雑魚車にぶつけたところで傷ひとつつきはしない。当然お尻をぶつけられた方の車の持ち主は烈火のごとく怒るが、アンナの宝石だらけのいでたちと、その車のメーカーを見てすごすごと退散していく。そんな有様を目の当たりにし、レンツォは改めて居心地の悪い思いをした。なんといってもアンナは、ミラノでは知らぬ者のいないほど有名な企業社長の夫人であるのだ。無一文に等しい自分が、こんな金満マダムと釣り合うわけがない。気まぐれなアンナが運転の交代を要求し、仕方なくレンツォは緊張をこらえて慣れない外車のハンドルを握る。

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豪華なドレスと宝石で身を飾りながらも、2人一緒になれるのなら金などいらないと夢見心地の彼女。そんな女に、いかにその心の奥底まで金にまみれているかを今更諭したところで、埒は明かない。だがアンナは、とりあえず目下のところのぎゅうぎゅう詰めのスケジュールと、退屈なパーティーの繰りかえしの毎日に膿んでいた。2人でこのままどこかへ逃避行し、馬車に乗って小さなホテルを探し、誰にも邪魔されず愛に浸るのだ…。馬鹿馬鹿しいと思いながら、しかしレンツォはその甘い光景を脳裏に思い描いた。それで、つい前方への注意を怠ってしまった。ロールス・ロイスは最高240キロまで出せる車だ。このままでは、前方に立ちはだかっていた花売りの少年をはねてしまう。レンツォは焦ってハンドルを切りすぎ、路肩の作業車に突っ込んでいった。幸い、助手席のアンナに怪我はなかったが、どうやらショックで現実に目覚めたようだ。彼女の大事な愛車の前方部分は無残にも壊れ、前タイヤが焼け焦げている。怒り狂ったアンナは、レンツォに罵詈雑言を浴びせ、気が動転している彼がものの役に立たないとわかるや、さっさと見限ってしまう。しかも彼が少年をよけようとハンドルを切りこそねたことをなじり、そんな子供など轢いてしまえばよいのだと吐き捨てた。さすがのレンツォもそこまで侮辱されては立つ瀬がない。アンナが通りがかりのフェラーリを止め、運転していた紳士に車の点検を頼む間中、彼らから距離を置いていた。アンナと紳士は、小型車しか知らない者にこんな高級車のハンドルを任せるなど、愚の骨頂だと笑い合う。文字を読めぬ者にダンテの“神曲”を講じるようなものだと。紳士は車好きらしく、手馴れた様子で応急措置を施すと修理人を呼んだ。
「貴女とはどこかで会った気がする」
「ええ、会っていますわよ。夫のパーティーかどこかでね」
アンナはレンツォに車の見張りを言いつけると、いそいそとフェラーリに乗り込んだ。金満マダムとフェラーリ。お似合いだ。レンツォは花売りの少年と共に、爆音を上げて走り去る車を見送った。車のラジオから、今日の株式市場を伝える放送が流れる。それを背に、レンツォはとぼとぼとハイウェイを歩いていった。

“ローマのマーラ”

マーラは豊満なボディと美貌で男たちを虜にする娼婦だ。客は、国会議員から有数の大企業家までよりどりみどり。今日も、彼女の上得意であるボローニャの社長御曹司ルスコーニの来訪を受ける。だが彼以外にも、彼女に熱い視線を注ぐ者がいた。向かいの家に住む信心深い老女ジョバンナの孫息子、ウンベルトである。
父から命じられた仕事の用向きのため、ルスコーニが汗をかきかきマーラの家を後にすると、マーラはテラスで塀越しにウンベルトと言葉を交わす。ウンベルトは神学校の生徒で、毎日12時間も勉学に励んでいるという。実はマーラの甥も同じく神学生であり、マーラは生真面目なウンベルトに親近感を覚えた。それに彼女の守護聖人は聖モーリロ。娼婦に身をやつしているとはいえ、根は信仰を大事にする女なのだ。マーラの、見かけの派手さにそぐわぬ心根の優しさに恋したらしいウンベルトは、彼女をデートに誘う。神学生の制服を脱いで普通の背広に着替えるとまで意気込むのだ。しかしさすがのマーラも、将来有望な神学生とどうこうなるのはためらわれる。彼の誘いを軽くあしらうが、ウンベルトは本気だ。そうこうするうち、ウンベルトの祖母ジョバンナが彼らの会話を邪魔立てしにきた。大事な孫にまで手を出すとはけしからんというわけだ。ジョバンナはマーラの身持ちの悪さをののしり、ここから追い出してやると息巻く。マーラも身に覚えのない屈辱にカンカン。その後ルスコーニの再訪を受けたマーラだが、はらわたが煮えたぎる思いでルスコーニを相手にしなかった。逆にウンベルトを誘惑して、あのいけすかないババアの鼻を明かしてやると鼻息も荒い。マーラが全くもって相手にしてくれないことにヘソを曲げたルスコーニは出て行ってしまった。

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一晩中、外で恨みがましくマーラのアパートの窓を見上げていた彼は、しかし翌日マーラに膝をついて詫びを入れる。仲直りしたマーラとルスコーニの下に、あのジョバンナが苦渋に満ちた面持ちでやって来た。マーラは眦をけっして追い返そうとしたが、老女は突然泣き崩れる。慌てたマーラはジョバンナを招きいれ、興奮のあまり窓から身投げすると叫ぶ彼女をようようなだめた。事情を聞くと、どうやらウンベルトがマーラに惚れ込んでしまい、学校を辞めると言い出したものらしい。たった1人の孫息子の突然の反抗に絶望したジョバンナは、苦痛を耐えてその要因となったマーラに助けを求めに来たのである。マーラは仕方なく、自分が娼婦であることをウンベルトに言って聞かせるよう助言した。だが初恋に盲目の青年の耳は、祖母がなにを言っても馬耳東風であるという。そこでマーラは、大損害になるのを承知で、1週間商売を休止する誓いを立てる。ウンベルトが学校に戻るための聖なる願掛けだ。マーラの気立ての良さと寛大な申し出に感動したジョバンナは、性悪女と罵倒した相手だとも忘れ、すっかり意気投合してしまう。マーラもまた、孫の行く末に心を痛める老女をいたく気に入る。いきなり同盟を結んだ女2人に、半ば居場所を奪われる形になったルスコーニは面白くない。マーラが祭壇を作るための買い物をする間、玄関のドアに“留守中”の札を下げるなど、小細工に余念がない。
街中に出たマーラは、ウンベルトが後をつけてきたのに気づき慌てる。そして、あの手この手で彼が学校に戻るよう策を弄するが、直情的な青年はそれでも意志を曲げない。マーラが帰宅すると、青い顔のジョバンナがテラス越しにマーラに助けを乞うていた。そのただならぬ様子に、マーラは急いで向かいの家に入っていく。なんと、ウンベルトが外人部隊に入ると言い始めたのだ。マーラに振られたと思い込み、自棄になったらしい。ルスコーニにも加勢させて、皆で必死に青年を止める。ウンベルトが今だマーラを娼婦だと信じたくない様子なので、マーラは自分の口から真相を説明し、ささいなことで将来を棒に振らないよう説得した。失恋の痛手に泣きじゃくりつつ、ようやく思い直したウンベルトを残し、マーラとルスコーニはそっとジョバンナの家を後にした。
夕方。神学校に向かうバスに乗り込むウンベルトと、それに付き添うジョバンナ老夫妻の後姿をテラスから見送ったマーラは喜びもひとしおだ。ルスコーニも、これでようやく邪魔者がいなくなったと清々する。2人は、良いことをしたという高揚感のままベッドで燃え上がる…はずであったが、ここへきてマーラがあの禁欲の誓いのことを思いだした。ルスコーニは、またもお預けを食わされるとわかり荒れ狂うが、一度立てられた誓いはあくまで神聖で、反故には出来ない。おまけに、結局父の会社の契約をまとめることができなかったルスコーニにしても、他に行き場所などない。ボローニャに帰るに帰れず、ルスコーニはしぶしぶマーラと共にマリア像の前で祈りを捧げる羽目になる。こうしてローマの夜はふけていくのであった。

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1964年度アカデミー賞の外国語映画部門を受賞した、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の会心作です。同年のゴールデン・グローブ賞でもサミュエル・ゴールドウィン賞を授与され、キャリアを通じてコンスタントに作品を撮ってきたデ・シーカ監督にとっても、ひとつの節目となる作品でありますね。
主演のソフィア・ローレンは、デ・シーカ監督の作品「ふたりの女」(1960 年製作)で演技開眼し、アカデミー賞はじめカンヌ映画祭、NY批評家協会賞、英国アカデミー賞など、主要映画賞で女優賞を獲得しています。デ・シーカ監督とローレンのコンビはその後も話題作、良作を量産し続け、イタリア映画界きっての名コンビと謳われることになります。実際彼らはそれ以前からの旧知の仲で、1955年の「バストで勝負」では共演者として一緒に仕事もしています。実は、もう1人の主演マルチェロ・マストロヤンニは、デ・シーカ監督作に出演するのはこの「昨日・今日・明日」が初めてでした。しかし面白いことに、ローレン、デ・シーカが共演した「バストで勝負」(マリオ・カメリーニ監督)には、マストロヤンニも出演しているのですよね(笑)。奇しくも役者としては見知っていた3人が、初めて監督・役者の間柄で顔合わせしたのが、この艶笑譚だったというわけです。余談ですが、デ・シーカ監督は俳優としても多くの出演作をもち、1957年の「武器よさらば」ではアカデミー賞助演男優賞にノミネートの栄誉に浴しているほどです。「昨日・今日・明日」の世界的な成功により、デ・シーカ監督、ローレン、マストロヤンニの黄金トリオは、「ああ結婚」(1964年)、「ひまわり」(1970年)などの名作を世に送り出していきます。

この「昨日・今日・明日」では、ローレンとマストロヤンニが3つの異なるエピソードで、それぞれ背景と役柄を変え、男と女の様々な愛の形をコミカルに演じます。なんといっても作品の最たる魅力は、イタリアを代表する名優2人の達者な演技。演技というより、むしろ至高の芸と評したい趣ですね。

まず、“昨日”のお話である“ナポリのアデリーナ”は、ナポリ下町の喧騒が背景です。貧しい生まれから身を起こし、厳しい経済環境を戦いぬいてきたローレンの地が透けて見えるようなヒロイン、アデリーナを巡る物語です。失業中の旦那と子供を養うため闇でタバコを売りさばくアデリーナは、これぞイタリアのおっかさん、ブラーヴォ!マンマ!と感嘆するほどの女傑。そのきっぷのよさ、あけっぴろげなセクシー振り、どんな人間の心も開いてしまう明るさ、面倒見の良い姐御っぷり、情に篤く旦那に一途に操を捧げる純真さ、当局に収めるべき罰金を滞納しても横柄な警察権力に媚びることなく、罪を逃れるためなら万年腹ボテも辞さないパワー。どれをとっても、イタリア男、いえひょっとしたらあらゆる男たちが理想とする女像、マンマ像を体現していますよね。
こんな完璧な女がいれば、男なんぞ、絢爛と咲き誇る薔薇の茎にくっついているアブラムシ程度のものでしかありません(笑)。ですから、アデリーナが愛する旦那カルミネは、どこまでも果てしなく情けない男なのですね。アデリーナを孕ませて除隊して以来、女房を稼がせて自分は職にも就かずブラブラ三昧。彼が旦那の矜持を保つのは、ベッドの上でのご奉仕のみという体たらくです。社会の下層部に位置し、生活苦にあえぐ労働者階級の中では、そんな生活光景も珍しいものではないのでしょうね。くすんだような色合いの下町の情景にすっかり溶け込んだマストロヤンニが、このカルミネを地ではないかと思うほど自然に演じていました。しかしこの人は実際には、天下のプレーボーイ俳優として鳴らした実績の持ち主。にもかかわらず、女房のヒモのごとき男を巧みに演じてしまうのですから、さすがは役者というべきか。というより、マストロヤンニが演じたからこそ、アデリーナが決してカルミネを見限らないというストーリーに説得力が付加されたともいえますね。このカルミネという男、作品を観る限りでは、女房を愛する以外に特筆すべき魅力はないよいうに見えます。ついに投獄されたアデリーナを救うのも、直接的には街の人々の善意と奔走でありましたしね。アデリーナは、周囲の人間にそれだけの働きを捧げさせるほどのカリスマを持っていますが、カルミネは逆に、恋女房と周囲の人間の助けなしには生きられないような男なのです。にもかかわらず、結局はそのどうしようもない男を、しっかり者で美人で操の堅い完璧な女が愛してしまうのですから、男と女の関係とは皮肉なものです。現実にも、このような凸凹男女関係は珍しくありません。傍から見ていて、お互いにどこが良くてくっついているんだろうと不思議に思うカップルだっています。まっこと男と女の関係性には、いかなる科学をもってしても解明できない謎がありますよね。
アデリーナは多産系の女で、コトをいたせばすぐ子宝を授かるという設定が、いかにもイタリアのおっかさん風味で面白いです。そんな庶民の代表的な女を、天下のセクシー女優ソフィア・ローレンが嬉々として演じてしまうのですから贅沢な話です。しかし映画をご覧になればわかるように、この作品自体が、母なる女ソフィア・ローレンという大女優に捧げられた賛歌となっているのです。女の中の女である彼女が、イタリアを象徴する三種三様の女像を体現する様に、私たち観客は四の五の言わず魅了されていればよいのではないでしょうかね(笑)。個人的には、3つのエピソードのうちこのお話が最も面白かったですし、大好きな一遍です。逮捕を逃れるために、絶えず妊娠し続ける女だなんて!このワン・アイデアだけで、ユニークな笑いが約束されたも同然です。もっとも、今では考えられないほどのおおらかさではありますが。ローレンもアデリーナを生き生きと演じており、貫禄すら感じさせます。「ふたりの女」でオスカーを取ったという自信が、その演技からにじみ出るよう。彼女を中心にナポリの下町の風景が闊達に描写され、この作品のもうひとつの見所となっていますね。考えてみれば、アデリーナは人々の善意によって完全な自由を得ますが、7人もの子供を抱える厳しい生活状況にはなんら変わりがありません。明日からまた、警察の目をかい潜りながら闇タバコを売りさばく暮らしが始まるのです。ひょっとしたら、再び投獄される危険もあるわけですよね。でも明日もやはり、昨日と今日と同様、太陽は昇ります。現実は変えようがないけど、明日はきっといい日になるはず。そんな庶民の雑草のごときたくましさこそ、このお話の真のテーマであるかもしれません。

次の“ミラノのアンナ”ではうって変わり、華やかなイタリア社交界で生きる大金持ちの夫人がヒロインです。爪の先まで金に漬かるような贅沢な暮らしに倦んだ彼女が、ちょっと毛色の変わったタイプの男を愛人にするお話ですね。アデリーナのエピソードが輝いていただけに、内容はかなりトーンダウン気味ですが、思うに任せぬ男女の恋愛がシニカルに描かれた短編でした。
女は贅沢に慣れ倦み、傲慢を傲慢とも思わぬ手に負えない有閑マダムです。そんな彼女の性格は、車の運転の仕方で上手く表現されていましたね。停車するたびに、前方を走る大衆車のオカマを掘りまくるのですよ。それでも彼女は文句ひとつ言われないのですから、そりゃつけ上がるわけだ(笑)。男は貧乏な無名の作家。夫の金と名誉に胡坐をかく女の手綱を握るには、いかにも頼りない男です。ですから2人の恋愛は、女が一方的に男を好きなようにコントロールするという関係ですね。お話は、女アンナと男レンツォの、車上での互いの腹の探りあいに終始します。その割に、画面にさほど緊迫感が生まれないのは、やはり屋外に設定された背景の選択ミスでしょうか。ローレンのワガママ奥様振りにも、いまひとつ精彩が感じられません。マストロヤンニは相変わらず情けなさマックスで(笑)、困ったような泣き笑い顔が妙にハマッていましたが。
しかし、結局レンツォがアンナの大事な愛車をぶっ壊してしまうところから、ローレンの調子が戻ってきます。それまでは、2人で過ごす愛の夕べを夢見てうっとりしていたぶりっ子奥様が、ものの見事に豹変するのですね。「このバカ、トンマ、マヌケの役立たず!」と好き放題に愛人を罵倒し、愛車のためなら人の命も鼻にも引っ掛けない図々しい態度。まるで下町のおっさんのような下品な啖呵です(笑)。またそれがローレンの美貌に似合っているんですから困りますよねえ。最終的にアンナは、フェラーリを操る同じ階級の紳士と意気投合し、哀れなレンツォを捨て去ります。気まぐれな子供が、新しいおもちゃを与えられても、飽きればさっさと捨ててしまう様に似ていますね。要は、身の丈に合わぬ恋愛は求めるべきではないという苦い結末が、レンツォの自嘲の笑みと共に提示されるのです。
アンナのゴージャスな衣装を、クリスチャン・ディオールが担当したことでも話題を呼びました。また、前編のナポリの生命力に溢れた光景とは異なり、どこまでも続くハイウェイをとぼとぼ歩いていくレンツォの後姿は、悲しいほど生気のないものでありました。

そうですね、最後のエピソード“ローマのマーラ”は、黄金のハートを持った娼婦と、ろくでなし男の恋愛模様と形容できるでしょう。古くから繰り返されてきたモチーフですが、そこに純情な神学生の一目ぼれ騒動を絡めて新鮮味を出そうと工夫されています。しかしながら、ひとつのシーンに無駄が多いためか、演出にスピード感が欠けてもたつき気味。このストーリーならば、生真面目で思い込みの激しい神学生と、そんな彼に惚れられて窮地に陥る娼婦マーラの騒動にテーマを絞った方がよかったでしょうか。でもそうなると、マストロヤンニの出番がなくなっちゃいますね(苦笑)。
マーラという人物が、高級娼婦という職業とは裏腹に信心深く、思いやりに溢れ、誇り高い女であることが繰りかえし描かれます。彼女は、金のためにやむなく、大企業の社長のドラ息子のご機嫌取りもしなければなりません。ローマに住む女が娼婦を営んでいるというのは、ある種のメタファーのようです。というのも、ローマという街は、イタリアにおける “老いた高級娼婦”のような都市だと言い習わされているのですね。今は貧乏ではあるけれど、かつての栄華をその優雅な街並みに留め、従って誇りも矜持も高く、決して金に媚びないという気風があるのです。ここで描かれるマーラも、そんなローマという街が持つ雰囲気そのものといっていいでしょう。
しかし、彼女の目下の愛人ルスコーニは、俗物なんだけど根は単純でお人よし、しごく扱いやすいタイプの人間ですよね。惚れた女のためなら、ちぎれんばかりに尻尾を振って、どこまでもついてくるのですから(笑)。マーラは、甘やかされることに慣れたボンボン、ルスコーニのつむじを曲げさせないよう、うまくコントロールしながら利用します。またルスコーニの方も、マーラにいいように支配されるのを喜んでいるわけです。カップルというより、いいコンビと呼ぶべきか (笑)。でも、恋を知らない一途な神学生ウンベルトは違います。彼は恋愛の駆け引きを知らぬがゆえに、あらゆるタイプの男の扱いに長けたマーラですら、手こずる相手となったのです。確かにマーラは百戦錬磨の娼婦ですが、立場の違いはわきまえています。神に仕える身の、将来ある若者を堕落させるのは彼女の流儀に反するのですね。しかし、ちょっとした息抜きのつもりで交わした会話がデートのお誘いに発展し、やがて青年の一生に一度の恋に変貌。意志の固い青年であるのが災いし、ウンベルトはマーラを想い詰め、人生を棒に振ろうとしてしまうのです。ウンベルトを誘惑したことで、険悪な関係になった祖母ジョバンナとマーラが、彼を一時の気の迷いから目を覚まさせようと右往左往するうち、女同士の固い絆を結んでしまうくだりは可笑しかったですね。そうそう、他にもこういうお話がありました。例えば「悪魔のような女」。極悪非道な男の正妻と愛人が、一致団結して諸悪の根源たる男を葬ってしまうというストーリーでした。本来対立しあうべき女たちが、共通の利害によって、1分後には手のひらを返したように手を組んでしまうという皮肉。この辺りの心理の変化って、単純な男性諸氏にはうかがい知れないものじゃないでしょうか(笑)。でもね、よくあるんですよ〜、こういうことは(含笑)。
さて、無事ウンベルトを元の生活に戻し、平和となったマーラの身辺。しかしウンベルトのために誓った禁欲を実行するため、ルスコーニまでがせっかくの夜をマリア像の前でお祈りして過ごす羽目になる最後のオチは、なんだか微笑ましいものでした。このエピソードでのマストロヤンニは絶品で、最盛期のジム・キャリーばりのハイテンションな演技が連続します。己の欲望に忠実すぎ、周囲の状況が読めないあんぽんたんを、こんなに愛らしく表現できる人もそういないでしょうな(笑)。3エピソード中、これぞイタリア男というべきマストロヤンニの真骨頂が、最も色濃く出ているのはこのお話です。マーラがルスコーニの前でストリップに興じるシーンでの彼は… (絶句)。まあ、一度観てみて下さい(笑)。ちなみにこのシーンでローレンが披露するストリップは、わざわざパリの有名クラブの舞台監督に仕込んでもらったものだとか。

また、もうひとつの主役というべきは、それぞれのエピソードの舞台となる街並みの描写ですね。全てのエピソードは、街を広角に捉える空撮から始まり、物語の余韻を持たせながらの空撮に終わります。“ナポリのアデリーナ”では明るい日差しに照らされるナポリの雑多な街並みを生き生きと、“ミラノのアンナ”では曇りがちな空の色に沈む大都会ミラノの様子をクールに、“ローマのマーラ”では古都ローマの街の様子を格調高くストーリーに織り込み、男女の愛の物語を華やかに彩っていますね。情景描写に冴えをみせるデ・シーカ監督らしい演出です。男と女がいれば、そこになんらかのドラマが生まれるものですが、ドラマがさらなる厚みと深みを獲得するためには、イタリアならではの街の表情が不可欠とでも言いたげですよね。


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