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zoom RSS 誰もが俺たちを見つめてる―「ポリス インサイド・アウト」

<<   作成日時 : 2017/07/16 21:23   >>

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それぞれの旅の行き先が見えたとき、その旅は終わるんだ。

「ポリス インサイド・アウト Everyone Stares:The Police Inside Out」(2006年製作)
監督:スチュワート・コープランド Stewart Copeland
製作:スチュワート・コープランド Stewart Copeland
コメンタリー脚本:スチュアート・コープランド Stewart Copeland
撮影:スチュワート・コープランド Stewart Copeland
編集:スチュワート・コープランド Stewart Copeland &マイク・ケイヒル
音楽:ポリス
録音:ジェフ・セイツ
出演:スティング(アーカイヴ映像)
アンディ・サマーズ(アーカイヴ映像)
スチュワート・コープランド(アーカイヴ映像)
イアン・コープランド
マイルズ・A・コープランド三世
ポリス他。

『1978年、俺は「ザ・ポリス The Police」という名の売れないバンドのメンバーだった。バンドが少し有名になり、ようやく「スーパー8」という名前のキャメラを買えるようになった俺は、早速撮影を開始した。それからすぐに俺たちは入れ替わりの激しい音楽シーンのトップに上り詰めることになってしまった。バンドの人気がハジけて、急に世界中から注目されるようになったのは、まるで映画を観ているようだった。その映画の中では、「誰もが僕らを見つめていた(Everyone Stares)」んだ』―スチュアート・コープランド Stewart Copeland

元教員であり、仕事の傍らジャズバンドでプレイしていたベーシスト兼ボーカリストのスティング、プログレッシブ・ロック“カーヴド・エアー”ドラマーであったスチュアート・コープランド、ギタリストのヘンリー(アンリ)・パドゥバーニの3人が1977年にポリス(The Police)というトリオ編成のバンドを結成した。折りしもパンク・ムーブメントが爛熟していた当時、ポリスもその時流に乗った音楽性を目指していた。後に元後期アニマルズのギタリストであったアンディ・サマーズが加入し、一時的に4人編成となるが、パドゥバーニが脱退しトリオに戻る。英国内でデビュー・シングル“ロクサーヌ”を発表し、地道にライブ活動を続けていたものの、ロックの枠組みにレゲエやジャズの要素を貪欲に取り込んだ斬新な音楽性はなかなか理解されず、“ポリスは偽パンク”のレッテルを貼られてしまう。
このまま英国内に留まっていても芽がでないと判断した彼らは、スチュアートの兄弟達の力を借りて渡米、夢の国で夢を実現すべくライブ・ハウス廻りを始めた。小さなヴァンに機材とメンバーを詰め込み、旅から旅へ、安モーテルから安モーテルに泊まり歩く生活を続けた甲斐があって、ようやくアメリカ音楽界で名前が知られるようになった1978年、アルバム「アウトランドス・ダムール」でデビューを飾る。ライブハウス巡り、ラジオ局巡り、ショッピング・モールでのサイン会…。新人ロックバンドの経験するおおよそのドサ周りを経て、彼らは熱烈な固定ファンを獲得していく。メンバーのルックスも、すっきりと髪の毛を短くカットした“ニュー・ウェイヴ風”に改め、若く活力に満ちた刺激的でソリッドなロックを演奏する3人組の名前は、ついに故郷英国にも轟くようになった。

『あと3年くらいのうちに、ビートルズが作った世界的記録をすべて塗り替えるさ』

バンドが上昇気流に乗り始めると、メイン・ソングライターであったスティングは、数々の名曲を書き始める。1979年に発売された2枚目のアルバム「白いレガッタ」に収録された“孤独のメッセージ”が大ヒットし、アルバムもチャートの上位を駆け上ると、バンドを取り巻く事態は一変する。ライブも盛況、メンバーの演奏にも熱がこもり、ファン達を熱狂させることになった。メンバーには優秀なクルーがつき、事務所も構え、ツアー中に泊まるホテルもスィートに格上げ。バンドは世界制覇という壮大な夢に向けてさらなるガッツを見せる。
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しかし、ようやく成功の美酒を味わったのも束の間、今度はより良い売れるアルバム作りを目指さねばならないというプレッシャーが、バンドを襲い始める。軽やかであったスティングの作曲のペン先も鈍るようになるが、それでも彼らは1980年3枚めのアルバム「ゼニヤッタ・モンダッタ」を発表。“ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ”や“高校教師”などのヒット曲を生んだ。プレッシャーがのしかかるスタジオでのアルバム作りが終わると、すぐさまツアーに出発。あとはホテルからホテルへと泊まり歩く生活の中で、彼らは徐々に主体性を失い始める。バンドのクルーやスタッフに守られ、新聞1つ自分で買いに出ることもない毎日にスチュアートは違和感を覚えていた。1980年に初めて訪れた日本でも、彼らは自分達がもはや偶像と化しているという事実に砂を噛むような思いを味わうのだった。
狂乱のうちにツアー漬けの生活から解放されると、今度は新しいアルバム製作が待っている。人里離れた楽園のごとき孤島で製作が始まった「ゴースト・イン・ザ・マシーン」では、スティングはもはや落ち着いて作曲ができる状態ではなくなっていた。そして他のメンバーと一緒にスタジオ入りする機会も減り、徐々に己のエゴを前面に押し出すようになる。曲のアレンジなどにも、スチュアートやアンディの口出しを許さず独断で押し進め、1981年に完成したアルバムは、スティングの音楽嗜好が色濃く出たものになった。デビュー当時、メンバー達はお互いの個性や考え方の違いを認め合い、大人として足りない部分を補い合い、支えあう関係だった。だが今は、より良い音楽作りのためとはいえ、他のメンバーのアイデアを容赦なく批判し、足の引っ張り合いをする始末だ。メンバー間の団結力は既に弱まり始めていたのである。しかしヒット曲“マジック”も生まれ、アルバムセールスも相変わらず順調。傍目には、バンドのキャリアはひたすら上向いていたように見えたであろう。
そして1983年には運命の瞬間がやってきた。5枚目のアルバム「シンクロニシティー」が発売され、ビルボード誌アルバムチャート17週連続第1位を記録したのである。シングルカットされた“見つめていたい”は、ビルボード誌シングルチャート 8週連続第1位という記録を樹立。同年の年間チャート第1位にも輝いた。トリオの演奏は頂点を極め、彼らのアンサンブルもかつてないほど美しく調和した。その後に行われた世界ツアーでは、巨大なスタジアムに無数のファンの熱狂を集めた。派手な舞台演出にも支えられ、まさしくポリスが伝説的なバンドになったことを自他に確信せしめるものとなったのだ。だだっ広いステージ上では、スティングとアンディが離れて立ち、スチュアートは要塞のようなドラムセットに囲まれて黙々とスティックを振る。彼らは一様に孤独であった。“孤独のメッセージ”を歌う彼らは、絆の強さを誇るトリオであった彼らの魂は、皮肉にもそのとき本当にバラバラになったのである。
ポリスは1984年1月に活動停止を宣言した。スティングはソロ・アルバムを発表しながらハリウッドにも進出。アンディは写真家の道を模索した。そしてスチュアートは、己の人生を今一度振り返る時間が欲しかった。
1986年、新作アルバムを製作する為、再び3人は集まったものの製作は途中で頓挫。3年振りの新作は、かつてのヒット曲の焼き直しバージョン“高校教師'86” だけとなった。スチュアートは、“ポリス”という旅の終りを確信する。メンバーそれぞれが進むべき道を見出した今、もう3人でやれることはないのだ。
バンドは再び活動を停止し、3人は思い思いのソロキャリアを歩むことになる。スティングはソロ・アーティストとして大成功を収めた。アンディは写真家として名を成し、スチュアートは映画音楽の作曲家となった。バンドは1992年、スティングの結婚式を祝って一度限りの再結成を果たす。2003年にロックの殿堂入りをした際には、久々にポリスとして“ロクサーヌ”“孤独のメッセージ”“見つめていたい”の3曲を演奏した。

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この作品は、おそらく世界最強のトリオ・バンドであったポリスの元ドラマー、スチュアート・コープランドの手作りドキュメント・フィルムです。パンク、ニュー・ウェイブの洗礼を受け、70年代の終りに産声をあげたひとつのロック・バンドが、いかに時代を駆け抜け、消滅したかの記録ですね。

しかしながら、これは単に大人気ロック・バンドの裏側を暴いただけの、安っぽい暴露フィルムではないと思います。コープランドは、スーパー8で個人的に撮り溜めていた膨大な映像(トータルで50時間以上あったという)を新たに編集しなおし、映像に見合うサウンドトラックをつけ、自身が読み上げるコメンタリーのテクストを書き、1つの映画に仕立て上げたわけです。おそらく、当時バンドが置かれていたカオス状態の悲劇を心の中で整理し直すのに、解散から20年という年月が必要だったのでしょう。劇中の彼のコメントは大変冷静で、バンドの成功から空中分解に至るまでの、メンバー間にあった感情の変遷、彼個人が抱いていた様々な思い、バンドを支えていた周囲の人たちへの思い、そしてファンへの思いが正直に語られていたように感じます。
映像は全て彼の目線から見たもので、ツアーの舞台裏、ライブの前のサウンドチェック、ライブを目前に控えてメークするメンバーや、ツアーの合間、束の間の休息中のメンバーやクルー達のおどける素顔、はてはレコーディング中のスタジオ内の緊張した空気や、下積み時代のサイン会やら、クルー達のジャム・セッションを撮影したもの、今まさにライブの真っ最中という瞬間まで、ドラム・キットの後ろから黙々と撮影しているのです。そうそう、プロモーション・ビデオを撮影中のバンドを撮影しているひとコマ、なんてのもありました(笑)。

バンドのパフォーマンスを撮った部分は、残念ながら画質も悪く、なにしろドラムキットの後ろにカメラを固定しての撮影ですから、フロントに立っているスティングとサマーズのお尻しか見えない状態(笑)。ドラムの振動で画面はぶれるし、ステージ前で熱狂しているはずのお客さんの様子もぼやけて見えない。音は割れるわ、ひずむわ、ノイズはキンキン入るわで、いくらレア映像だといえ、決して満足のいく出来ではないのですね。
そうした映像の合間に挟まれる形で、ツアー中に見た国の風景などがコラージュされ、このフィルムがコープランドの個人史的な存在意義を強く持っていることが伺えます。まあ確かに、1つの映像作品として評価してしまえば、なんとも素人臭いアプローチに終始するとしか言いようがありませんが、個人的には微笑ましさを感じこそすれ、決して不快ではありませんでしたね。なぜなら、故意か偶然かコープランドが切り取って見せたものが、3人の若者が駆け抜けた青春の一瞬だけの輝きであったからです。実質ポリスが活躍していたのは5年間。彼らの“青春の輝き”はこの5年間に凝縮されるわけで、それがまばゆければまばゆいほど、それを失ったと知ったとき―バンドがついに音楽界で頂点に立ち、空中分解したとき―の苦々しさが普遍性をもって伝わってくるのです。

気難しく、カメラを向けられてもニコリともしないスティング、いつも人の良さそうな笑顔でジョークを連発するサマーズ、オタク気質で、いつも自分たちを観察し続けたコープランド。バックグラウンドも性格も嗜好もバラバラな彼らが、成功を目指して一致団結し、苦楽を共にしつつ純粋なる希望とパワーに溢れる様子は、後にやってくる必然のラストと対比され、観ていて胸苦しささえ感じられるほど。スティングが最後に自嘲気味につぶやく言葉が忘れられません。
『成功することを夢見て何年も頑張ってきた結果がこれだとはな…』
名声と引き換えに犠牲にされたものが、“俺たち自身の生命力、真髄だった”のです。それはあまりにも大きな代償でした。成功の具現化としてのスタジアム・ツアー、豪華な機材、莫大な金が、結局は彼らに解散を強いる皮肉。ポリスというバンドの輝きと終焉は、ある青春の輝きと終焉のメタファーであり、3人はそれぞれ独自の道を見出したことで、輝ける日々に別れを告げました。

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「ザ・ポリス/シンクロニシティー・コンサート」
監督:ゴドレー&クレーム
出演:ポリス
1983 年に行われたポリスのワールドツアーの中から、11月2日と3日にジョージア州アトランタでのライブを収めたものです。おなじみの大ヒット曲「見つめていたい」「孤独のメッセージ」「キング・オブ・ペイン」「ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ」など、ポリスの名曲が全15曲怒涛のようにパフォームされる様は、絶頂期にあるバンドだけが持つ気迫とエンターテイメントに溢れています。純粋に彼らのパフォーマンスを楽しみたいという向きには、こちらのDVDの方がお勧めかもしれませんね。

2007年2月11日にロサンゼルスのStaples Centerで開催された、第49回グラミー賞授賞式では、結成30周年を記念して再結成されたポリスが、オープニング・パフォーマンスとして“ロクサーヌ”を披露しました。

『俺たちがスタートして今年で30年だ。何かお祝いをするのはいいんじゃないかと思ってる。まだ具体的には決まっていないが、(ギターのアンディ・サマーズやドラムのスチュワート・コーポラントと)何をしようか話し合ってるところさ。自分がいたバンドをとても誇りに思っている。バンドを辞めたのは、ミュージシャンとして成長するため、バンドではできないことにチャレンジしたかったからだ』―スティング

『本当にいい感じだよ。俺達全員、ポリスの後にそれぞれ20年間もプレイしてきたんだから、今はポリスの初期の頃より良いプレイヤーになっているはずさ』―アンディ・サマーズ

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2007年5月28日、カナダのヴァンクーヴァー公演を皮切りに、バンドは再結成ワールド・ツアーをスタートしました。全公演を盛況のうちに終え、8月後半からスタートしたヨーロッパ・ツアーのチケットもソールド・アウト状態で、ポリス伝説がいまだ健在であることを証明してみせました。7月7日には、アル・ゴア元米副大統領(映画「不都合な真実」でおなじみ)が主催する、地球温暖化阻止を呼びかけるコンサート・イベントLive Earthにニューヨークから参加し、演奏の模様が各国のテレビで世界同時放映されました。そして、再結成ワールド・ツアーの最終地はアジアであり、 2008年2月頃来日の予定だとアナウンスされました。果たしてその通り、彼らは日本で往年の頃そのままの熱狂的なライヴを展開することになったのです。

1980年の初来日のときの映像をバックに、コープランドはこんなことを語っていました。

『俺達は象牙の塔の住人になり、人々は俺達自身ではなくて、俺達の象徴だけを欲しがるようになったんだ』

つまり、自分達が血肉の通う人間ではなく、単なる記号や概念だけの存在になってしまったことに恐れをなしたのでしょう。自分達のサイン色紙を嬉し泣きしながら受け取る若い女の子を眺めながら、彼らは頭の中でそんなことを考えていたわけです。
バンドが解散して20年。今の彼らは、自分達と、彼らの音楽を愛し続けてきたファン達をどのように捉えているのでしょうね。彼らの本音をちょっと聞いてみたい気もします。

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