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zoom RSS 壊れた天使―ピア・アンジェリ Pier Angeli

<<   作成日時 : 2016/07/01 11:11   >>

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生涯で愛した人はただ1人、ジェームズ・ディーンよ…。


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ピア・アンジェリ Pier Angeli
本名:アンナ・マリア・ピエランジェリ

1932年6月19日生まれ
1971年9月10日没
イタリア、サルデーニャ島カリアリ出身

ピア・アンジェリは美術学校を卒業した後、16歳のときにイタリア映画でデビューしている。ネオ・レアリスモ勃興にも深く貢献したレオニード・モギー監督作「明日では遅すぎる」(1950年・ヴィットリオ・デ・シーカ監督も俳優として出演)で主役の少女を演じ、作品への評価とともにスターの道を歩み始めた。翌年MGM社と契約して「赤い唇」(1952年)などに助演し、その清潔感溢れる美貌を武器に、清純派女優としてハリウッドでも活躍した。双子の妹マリサ・パヴァンも女優で、元々ピアがキャスティングされていた「バラの刺青」(アンナ・マニャーニの娘役)で代役を務め、見事オスカーの助演女優賞にノミネートされている。
ハリウッドに来た当初はカーク・ダグラスと恋愛関係にあり、婚約まで交わしていたが、やがて「エデンの東」を撮影中だったジェームズ・ディーンと知り合いって激しい恋に落ちる(ダグラスとは1953年の「三つの恋の物語」で共演)。ところがこの恋は、敬虔なカトリック教徒であったピアの母親の妨害に遭う。ディーン家はクェーカー教徒であったのだ。この宗派の違いの壁は越え難く、結局ピアも母親に背いてまでディーンとの結婚に踏み切る勇気がなかったという。ディーンとの世紀の恋が破れた失意のせいか、ピアはMGMから離れてパラマウントやコロンビアを転々としたが、当初ディーンが主演する予定であった「傷だらけの栄光」(1956年)でMGMに復帰、代役のポール・ニューマンと再共演を果たした(2人の初共演作は1954年の「銀の盃」)。

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1954年、歌手のヴィック・ダモンと結婚して息子をもうけたものの、5年後には離婚した。彼らの結婚には当初から不穏な空気が漂っており、離婚直前には息子の親権を巡って泥沼の裁判劇を繰り広げたという。奇しくも最愛のディーンは、彼らの結婚期間中に自動車事故で亡くなっている。
1957年の「葡萄の季節」ではメル・ファーラー、ミシェル・モルガンと共演し、1958年の「僕はツイてる」ではダニー・ケイと共演を果たしたが、その後ピアのキャリアは下降線を辿る。ハリウッド映画がどんどん過激化していくのに、戦前・戦中の清く正しいイメージのままの彼女は取り残され、その清楚な美貌も時代遅れとなってしまったのだ。
1960年代から70年にかけて、ピアは英国とヨーロッパを拠点に女優として活動を再開する。しかし残念ながら、この期間に彼女が出演した作品には見るべきものはほとんどない。熱演を披露した、リチャード・アッテンボロー監督による『The Angry Silence』(1960年)、スチュアート・グレンジャーと再共演し、ロトの妻を演じた史劇「ソドムとゴモラ」(1963年)、脇役ではあったが戦争映画「バルジ大作戦」(1965年)ぐらいか。ヴィック・ダモンと離婚後は、イタリア出身の名高い音楽家アルマンド・トロヴァヨーリ(「黄金の七人」「特別な一日」等)と再婚し、自身もボーカル・アルバムを1枚リリースしたりするも、結局結婚生活は再び破綻。実はピアは、映画「ゴッドファーザー」にキャスティングされており、当初の予定通りこれが実現していれば、彼女のキャリアも息を吹き返していただろう。だがそうなる直前に、彼女は逝ってしまった。2度の結婚の破綻による鬱症状、女優人生の行き詰まりからくる神経症などに悩まされていたが、直接の死因は、遺作となった映画「吸盤男オクトマン」(ハリウッド復帰作)撮影中に医者から処方されたトランキライザー(精神安定剤)を服用し、アナフィラキシー・ショック状態に陥ったことだと発表された。だが実際は、バルビツールの過剰服用による自殺であったようだ。享年39歳。遺体はフランスに埋葬された。

●フィルモグラフィー

1971年「吸盤男オクトマン」(未)
1970年『Quell'amore particolare』
1970年『Nelle pieghe della carne』
1970年「暴力シンジケート/乱射!白昼のマシンガン戦争」(未)
1969年『Addio, Alexandra』
1968年『Kol Mamzer Melech』
1968年「キング・オブ・アフリカ」
1968年「敵中降下作戦」(未)
1966年「地獄の落日・ガンマン無情」(未)
1965年「殺し屋専科」
1965年「バルジ大作戦」
1965年『Berlino - Appuntamento per le spie』
1964年「バンコ・バンコ作戦」
1961年「ソドムとゴモラ」
1961年『Ammutinamento, L'』
1960年『The Angry Silence』
1960年『Moschettieri del mare, I』
1959年『SOS Pacific』
1958年「僕はツイてる」
1957年「葡萄の季節」
1956年「傷だらけの栄光」
1954年「銀の盃」
1953年「君知るや南の国」
1953年「三つの恋の物語」
1952年「赤い唇」
1950年「明日では遅すぎる」

ピア・アンジェリに関しては、バイオグラフィー、画像、映像共に充実したファン・サイトがあります。彼女に興味を持たれた方はこちらへどうぞ。Pier Angeli Multimediaです。

彼女が映画の都ハリウッドに降り立ったとき、わずか18歳。ハリウッドでまず最初に彼女が強制されたことは、イタリア風の長い名前を英語風に変えることでした。次から次へと“明日のスター”が大量生産されていくハリウッドで、英語も上手く話せぬイタリアの美少女は、アイドルではなく1人の女優として生きようと必死でもがきます。その楚々とした美貌と世間知らずなおっとりした雰囲気からは想像もつかぬほど、彼女の内面では現実と理想のギャップが激しく葛藤し続けていたのだそうです。少年少女の淡い性への憧れを描くイタリア映画で、甘酸っぱくもほろ苦い思春期の挫折を体現したピアは、その映画で共演した名匠デ・シーカ監督も惚れ込むほどのスター性を持った女優でした。若くして既に大女優になる可能性を秘めていた彼女が、ろくに下積みも経験せぬままハリウッドに “売られ”ていったことを危惧したのもこの名匠。残念ながら、この危惧は後に現実となってしまいますが。

嵐の真っ只中に放り込まれるがごときのハリウッド人生と、古風で頑迷な、まさにイタリア人そのものの母親との確執との間で板ばさみになる彼女に、運命は更なる試練を与えました。ジェームズ・ディーンとの衝撃的な恋ですね。ディーンその人が愛したカーレースのごとく、すさまじいスピードで恋に落ちてしまった2人にとって、やはりピアの母親はやっかいな障壁となります。最愛のジミーをとるか、母親をとるかと迫られ、ピアは泣く泣く母親に従ったといいます。公にはされなかったこの時期の彼女の苦悶は、ピアに関する唯一と言っても差し支えない伝記本『Pier Angeli: A Fragile Life』により、窺い知ることができます。日本にも多いはずのピア・ファンのために、日本語版が発売されることを切に望んでやみません。この本では、彼女が最初に婚約をしたカーク・ダグラスとの関係や、デビー・レイノルズとの友情秘話、そして謎に包まれた死の真相にも迫ります。

ピアのキャリアは、ジミーとの恋が破れたと同時に、石が坂道を転がり落ちるように下降線を描き続け、二度と浮上することはありませんでした。女優としては忘れ去られた存在ではありますが、「明日では遅すぎる」「傷だらけの栄光」の2作でスクリーン上に残した、どこか侘しげな翳りを帯びた湖面のごとき美の残像は、観る者の胸をかき乱さずにはいられないのです。ハリウッドで夢潰えた俳優は数多いですが、若くして壊れてしまったピアの悲劇が際立つのは、その鮮烈な美貌の印象があまりにも強いせいでしょうね。

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「明日では遅すぎる Tomorrow Is Too Late」(1950年製作・日本公開1952年)
監督:レオニード・モギー
製作:ジュゼッペ・アマート
脚本:アルフレッド・マシャール&レオニード・モギー
脚色:パオラ・オジェッテイ&オレステ・ビアンコリ&ジュゼッペ・ベルト
撮影:マリオ・クラヴェーリ&レナート・デル・フラーテ
音楽:アレッサンドロ・チコニーニ
出演:ヴィットリオ・デ・シーカ(ランディ先生)
ロイス・マックスウェル(アンナ)
ガブリエル・ドルジア(夏期林間学校の先生)
アンナ・マリア・ピエランジェリ(ミレッラ)
ジノ・レウリイニ(フランコ)
アルマンド・ミグリアーリ(校長)
ラウロ・ガッゾーロ(ミレッラの父)他。

幼馴染のミレッラとフランコ。子供の頃から小犬のように一緒に遊んでいた2人だったが、15歳のお年頃になった今、お互いを“異性”として意識し始める。学園内の芝居に出演することになった2人は、芝居の稽古を通じて急速に心を通い合わせていった。カトリックのモラルが社会を支配していた当時のイタリアの片田舎で、若い男女が同じ舞台に立つことは異例であったが、若者に理解あるランディ先生の奔走で実現なった。ランディ先生は、思春期の少年少女たちの好奇心を闇雲に押さえつけるのではなく、彼らに正しい性知識を教えることで幸福な男女関係の大切さを理解させられると信じていたのだ。
周囲の大人たちが心配したような問題も起こらず、無事学園芝居も終り、学校は夏の休暇に入った。ミレッラとフランコもサマー・スクールに参加し、夢のようなひとときを送る。だが嵐がやってきたある日、2人は仲間とはぐれてしまった。心ならずも2人きりになり、夜を明かすことになったミレッラとフランコは当惑する。翌日、無事教師たちに救助された2人であったが、教師たちのみならずお互いの両親たち、同級生たちにまであらぬ疑いをかけかられる。窮地に陥ったのはミレッラとフランコだけではなく、少年少女の交流を積極的に進めていたランディ先生も同様だった。濡れ衣を晴らすことすら許されず、フランコからも引き離され、両親からも疎まれるようになったミレッラは絶望し、湖に身を投げる。すんでのところでそこに駆けつけたのは、ランディ先生であった。

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残念なことに、ピアの無色透明で壊れ物のごとき美貌が冴える処女作「明日では遅すぎる」は、現在DVDで観賞することはできません。内容自体は、今にして思えば、随分素朴な印象のある青少年ものの悲恋メロドラマではありますが、そのベタ過ぎるストーリーに妙な説得力をもたらしていたのが、ピアの類稀なる美しさだったというわけです。“イタリア美女”という言葉から勝手にイメージされる、グラマラス、驕慢、華やかといった要素は、彼女の美貌には見当たりません。澄んだ湖面のように穏やかな美しさ、そこに石が投げ入れられて激しい波しぶきが起こるように、その表情に苦悶と哀しみの色が広がっていく様は、思わず引きこまれてしまうほど。ただ弱々しいだけでなく、その裏に硬質なダイヤモンドの強い輝きを放つからこその求心力だといえるでしょう。フランコと交わす晴れやかな笑顔と、物語後半に見せる暗い絶望のまなざしはあまりに対照的であり、ミレッラが味わった哀しみの深さを感じさせて胸が痛みますね。
無理解な大人たちに責めさいなまれ、太陽に向かってすくすく伸びるはずであった若木が無残にも手折られてしまう様子をかなりリアルに描写した本作は、また、当時のイタリア社会の若者たちの鬱憤をも象徴していました。戦後、時代の変遷によって若者世代と大人世代の間に相互理解の壁ができ、古くから続いていた家族制度をも脅かしていた様子を察することができますね。また、ミレッラがコミュニティからはじき出されていく様には、人間の中にある“異分子”への排除意識、差別意識には変わりがないことも暗喩されます。今にして思えば、ミレッラの悲劇とピア自身のその後の人生の悲劇が重なるようで物悲しいですね。生涯ディーンを愛し続けた彼女の慟哭が伝わってくるようです。


傷だらけの栄光 [VHS]
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「傷だらけの栄光 Somebody Up There Likes Me」(1956年)
監督:ロバート・ワイズ
製作:チャールズ・スクニー
原作:ロッキー・グラジアノ&ロウランド・バーバー
脚色:アーネスト・リーマン
撮影:ジョセフ・ルッテンバーグ
音楽:ブロニスロー・ケイパー
主題歌作詞:サミー・カーン
主題歌歌唱:ペリー・コモ
出演:ポール・ニューマン(ロッキー)
ピア・アンジェリ(ノーマ)
エヴェレット・スローン(アーヴィング・コーエン)
サル・ミネオ(ロモロ)
アイリーン・ヘッカート(ママ・バーベラ)
ハロルド・J・ストーン(ニック・バーベラ)他。

ミドル級世界選手権保持者であったロッキー・グラジアノの伝記を、名匠ロバート・ワイズ監督が映画化した作品です。ニューヨークのスラムに生まれ育ったロッキーが貧しい環境から身を起こし、苦労を重ねながらボクサーとして頂点に立つ様子を追った伝記ものですが、元はロッキー役にジェームズ・ディーンがキャスティングされていたように、全体的に「理由なき反抗」のボクシング版のような印象を受けます。ピアの役柄は、影になり日向になりしながら夫ロッキーを支え続ける妻。彼女の清らかな美貌には、こうした一歩引いた健康的な演技がよく似合いますね。ワイズ監督の演出も序盤からスピーディーであり、ロッキーの試合のシークェンスの迫力と相まって、非常に見応えがあります。ペリー・コモの主題歌もテーマによく合っており、単なる伝記映画に留まらぬ面白さが満載ですね。主演のニューマンにとっても、またピアにとっても代表作のひとつに数えられるでしょう。


イタリア (紙ジャケット仕様)
EMIミュージック・ジャパン
2004-09-29
ピア・アンジェリ

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「イタリア Italia」
●収録曲
1. ヴォラーレ
2. ルナ・ロッサ
3. アモーレ・バチャミ
4. ナ・ヴォーチェ,ナ・チターラ,エ・オ・ポコ・エ・ルナ
5. ヌ・クアルト・エ・ルナ
6. アネマ・エ・コレ
7. トレロ
8. セイ・ユー・ウィル・ノット・フォゲット・ミー
9. スーヴェニール・ディタリー
10. リターン・トゥ・ミー
11. アジョ・ペルデュト・オ・スォーノ
12. アリヴェデルチ・ローマ

暑い季節になると無性に聴きたくなるのがピアの歌です。正直、テクニック的に優れているとは言い難いものですが(笑)、母国語で歌われる甘い声は、なかなかの癒しを与えてくれます。これはルーレットに残されたピアの唯一のアルバムであり、若々しく美しいピアのポートレイト紙ジャケット復刻版のCDです。
イタリア語であるためか、ピアのボーカルにも女優魂が炸裂、曲によって変幻自在に変わります。“ヴォラーレ”などでは明るく茶目っ気に溢れ、また“ルナ・ロッサ”などのバラードではしっとりした情感を醸しだすなど、多彩な表現は見事です。

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