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zoom RSS 「魔法にかけられて」…いたのは誰?

<<   作成日時 : 2012/03/18 09:40   >>

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それは、ディズニー史上最も“アリエナイ”魔法。

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「魔法にかけられて」(2007年製作)
監督:ケヴィン・リマ
製作:バリー・ソネンフェルド&バリー・ジョセフソン
脚本:ビル・ケリー
撮影:ドン・バージェス
プロダクションデザイン:スチュアート・ワーツェル
衣装デザイン:モナ・メイ
編集:スティーヴン・A・ロッター&グレゴリー・パーラー
作詞作曲:アラン・メンケン&スティーヴン・シュワルツ
音楽:アラン・メンケン
音楽監修:ドーン・ソーラー
ナレーション:ジュリー・アンドリュース
出演:エイミー・アダムス(ジゼル)
パトリック・デンプシー(ロバート・フィリップ)
スーザン・サランドン(ナリッサ女王)
ジェームズ・マースデン(エドワード王子)
レイチェル・カヴィ(モーガン・フィリップ)
ティモシー・スポール(ナサニエル)
イディナ・メンゼル(ナンシー・トレメイン)
サマンサ・アイヴァース(ナンシー)
声の出演:ジェフ・ベネット
ケヴィン・リマ

プリンセス・ジゼルが暮らすのは、おとぎの国アンダレーシアだ。そこで愛らしい動物たちと歌って暮らす心優しい彼女は、白馬に乗った王子様と運命の出会いを果たすことを夢見ている。おとぎの国では、王子様と永遠の愛を誓うことこそが最大の幸福であるからだ。ある日怪物に襲われかけたジゼルは、アンダレーシア国の王子エドワードに救われた。果たして運命の出会いが2人に訪れる。一目惚れの威力は恐ろしく、たった今出会ったばかりであるというのに、2人は見事なハーモニーで愛のデュエットを歌い、なんと明日結婚する約束を交わすのだった。いくらなんでも性急すぎやしないか。いや、おとぎの国ではこれが当たり前の展開なのだ。ところが、エドワード王子の継母で魔女の顔も持つ女王ナリッサは、王子とジゼルが結婚することで王位を奪われることを恐れ、策略をめぐらせる。エドワードとジゼルの結婚式当日。老婆に化けたナリッサはジゼルに近づき、人を疑うこと知らぬ無垢な彼女を巧みに言いくるめて井戸の中を覗かせる。その井戸はおとぎの国とは正反対の、夢も希望もない地獄へと繋がっていた。老婆に井戸の中へ突き落とされたジゼルは、文字通り世界中で最もタフで不条理な街、現代のニューヨークに放り出されてしまったのだ。

ニューヨークのマンホールから街の中に出てきたジゼル。右も左もわからぬ彼女に、道行く人は冷淡だった。そりゃそうだ。この街では、目の前で殺人が行われても警察に通報する人間は少ない。ましてや、ふわふわの純白のドレスを引きずりながら、やたらお上品なしゃべり方で右往左往する頭のおかしげな女のことに構っていられるわけがないだろう。愛するエドワードの待つ城へ急ぎたいのだが、誰も助けてくれない。ここが一体どこなのかもわからない。ニューヨークのど真ん中で途方に暮れるジゼルを救ったのは、1人の少女であった。
さすがはお年頃の女の子である。モーガンはジゼルを一目見て、彼女を本物のおとぎの国からやってきたプリンセスだと見抜いたのだから。とても離婚訴訟専門のリアリスト弁護士、ロバートの娘だとは思えない。ディズニーによる子供達の洗脳は、末端にまできちんと行き届いているのだろう。美しくファンタジックなアニメによって、子供たちに女性と結婚と愛情の古典的概念を知らず植えつけていくディズニーこそ、ある意味最大にして最強の洗脳組織であろう。“ディズニーはファシズムだ”という意見は、あながち間違ってはいないといえる。

さて、娘モーガンの懇願に負け、ジゼルを自宅に保護する羽目になったロバート。うれしいとき悲しいとき…感情が高ぶると歌わずにはおれず、“永遠の愛を誓う”などと目を輝かせてのたまう天真爛漫なジゼルに、ロバートは当初うさんくさげなまなざしを向ける。はっきり言えば、どこかの精神病院から脱走してきた患者かもしれないとまで考えた。長年弁護士を務め、窮地に追い込まれた人間の醜さを見続けてきた彼は、自身も離婚を経験し、恋愛ですら単なる手続きのひとつにしか思えない。ナンシーというキャリア・ウーマンの婚約者もいるにはいるが、彼女との結婚をぐずっているのも、もはや愛情になんら夢を抱かなくなってしまったせいなのだ。だから娘モーガンにも、冷静な目で現実を直視することを教え込んできた。それなのに。全く他人を疑わず、怒りも感じず、ひたすら人の善意と愛を信じる夢見がちなジゼルは、その純真さでたちまちモーガンの心を捉えてしまった。
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身元が判明次第、ジゼルをとっとと家から追い出すつもりであったロバートは、娘のためにやむをえずジゼルとの同居を決める。家のカーテンからヒラヒラ・ドレスを縫い上げたり、ロバートに恩返しをしようと、動物や昆虫たちを歌で召喚して家事を行うジゼル。尤もここはニューヨークであるから、彼女がいくら美しい声で歌っても、集まってくるのはドブネズミやらゴキブリなどであるのだが。しかしながら、どこまでもマイペース、かつやることなすことハイテンションなジゼルに振り回されるうち、ロバートの冷め切った内面が少しづつ変化し始める。

その頃エドワード王子もまた、愛しいジゼルを取り戻さんとアンダレーシアからニューヨークへやってきた。ここは、予想した以上に魔物が闊歩する危険な場所だ。一刻も早く姫を捜さねば。王子は従者ナサニエルと共に、早速腰に帯びた剣を振り回し、雄々しくニューヨークの怪物(バス)に戦いを挑むのであった。片やナサニエルといえば、王子に絶対の忠誠心を誓ってはいたものの、その一方で女王ナリッサにも報われぬ恋心を秘めていた。彼は、王子がジゼルと再会して幸せになってくれることを祈りつつ、ナリッサから密かに命じられたジゼル抹殺の使命にも添わねばならない。だが、エドワードは従者の胸の内など知る由もなく、ナサニエルは1人悶々と苦しむしかなかった。
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次第に天真爛漫なジゼルに興味を掻きたてられるロバート。そしてジゼルもまた、今まで見たこともない種の人間である超現実主義者ロバートを徐々に受け入れていく。モーガンも父親の変化に気づき、またナンシーも婚約者とジゼルの関係の微妙な変化に不安を覚える。ついにエドワードはジゼルを発見するが、そのときジゼルの王子への感情にはただならぬ違和感が生まれていた。王子様との永遠に続く愛を信じて疑わなかった彼女の中に、初めて疑念が持ち上がるのである。おとぎ話の愛と現実世界の恋の違いに戸惑うジゼル。もちろんジゼルとエドワードの様子を見つめるロバートの胸にも、本来ならありえない感情がくすぶっていた…。ジゼルとエドワード、ロバートの関係はどうなるのか。はたまた、彼らの周りでほとんど蚊帳の外状態であるナンシーの立場はどうしてくれるのか。いっこうにジゼルを抹殺できないことに苛立ったナリッサ御大が、自ら実体化しニューヨークに乗り込んできたとき、街そのものがありえない非現実的恐慌に襲われてしまう。果たしてジゼルはナリッサの呪いを解き、ニューヨークに平穏を取り戻すことが出来るのか。そして彼女はどういった人生の選択をするのだろうか。

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ウォルトディズニースタジオホームエンターテイメント
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今やアニメーションの主流は、精巧なCGに移っている。ディズニーが数々の名作を送り出してきた、昔ながらのセル画によるアニメーションは絶滅の危機に瀕していると考えてもいい。天才ウォルト・ディズニーを創始者に頂くディズニー社も、そうした時代の流れに押し流されるように、セル画アニメの映画製作を中止している。また、CGアニメ映画においても、従来のディズニーのお家芸ともいえるおとぎ話的プリンセス・ストーリーを廃し、時代の気分を反映した内容になっているのだ。
そんな中で登場したこの「魔法にかけられて」。そもそも実写とアニメの合成というのは、古くは「メリー・ポピンズ」「錨を上げて」などのミュージカル・コメディから1988年の傑作「ロジャー・ラビット」まで、優れた作品を生み出してきた伝統ある技である。しかし「魔法にかけられて」では、従来のように単なるアニメと実写の合成技術が用いられているのではなく、発想を転換して一捻り加えられたアイデアが光っているのだ。…というか、ディズニーの歴史と伝統あっての、それなくしては成立不可能な“禁じ手”的アイデアによって、作品全体が支えられているといえよう。
冒頭のおとぎの国アンダレーシアの描写は、セル画アニメである。美しい自然、心優しい動物たちに囲まれて心も顔も清く正しく美しく成長したお姫様ジゼルが、白馬の王子様と結ばれるまでの流れは、昔懐かしいとすら感じさせる“ディズニー・ワールド”そのもの。その歯が浮くような非現実的な世界観はさておき、流れるような色彩とイマジネーションの洪水には酩酊感を覚える。CGアニメにはないサムシングを感じ取ることができるのは、さすがはディズニーの底力であろう。

問題は、ジゼルが魔女によって追放される“地獄”が、現代のニューヨークだという設定だ。しかもジゼルは、現実世界にやってくれば当然生身の女の身体になるわけで。おとぎ話の世界観を保持したままの普通の生身の女が、現実世界の尺度で一体どのように見えるのか、そのカルチャーギャップを徹底的に笑い倒そうというのが、この作品のひとつの狙いだ。…いかがだろう。恐ろしいほど自虐的ではなかろうか(笑)。私など、エイミー・アダムスが怪演するディズニー・アニメ・プリンセスそのままのジゼルの一挙手一投足に、笑うどころか薄ら寒いものまで感じてしまった。おとぎ話とは、現実ではないからおとぎ話なのであって、それを無理やり現実世界に引っ張り込むことが、果たして“逆転の発想”などと言えるのだろうかと思ってしまう。おとぎ話の概念と現実世界の概念が大きく異なるのは当たり前なのだから。つまりジゼルは、従来の伝統的なディズニーが築き上げてきた世界を象徴する人物で、彼女が現実世界で浮けば浮くほど、ディズニーの抱えるアンビバレントな苦悩が浮き彫りにされるような気がしてならない。もはや、永遠の愛だのなんだのという概念は崩れ去ってしまった、あるいは、今更古式ゆかしいおとぎ話に夢を託すような人間などいやしないのだと、ディズニーは自らに言い聞かせているのだろうか。
ジゼルの友達リスのピップが、現実世界ではしゃべることができずに苦闘するとか、ジゼルがカーテンからドレスを作ったり、森の動物たちを召喚するつもりが、ネズミやゴキブリを集めてしまったり、感情が高ぶるとミュージカルせずにはいられないなど、数々のセルフ・パロディ(おまけにジュリー・アンドリュースがナレーションを務めている!)は、同じくおとぎ話を題材にパロディ・ネタを盛り込んで大ヒットしたアニメ「シュレック」シリーズへの、ディズニーなりの返答のような気もする。自虐ネタのように見せかけて、実はしっかり老舗アニメの矜持を保とうとしている姿勢がうかがえて苦笑してしまう。

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だが結局は、浮世離れしたジゼルが現実世界の人間たちを変え、彼女自身もまたおとぎ話の固定観念から脱却し、真の幸せがなにかを悟るという筋立てに落ち着く。その様は、ディズニーが自身の過去の栄光と決別しようとするかのようであり、実のところ、一旦は空に向かって振り回した剣を納めるべきところに無難に納めたとも取れる。良くも悪くも、子供達の夢のために存在する“ディズニー”の、これが限界点であったか。映画自体、ジゼルとロバートのみに焦点を絞りすぎ、ロバートの婚約者ナンシーとエドワード王子のキャラクターの掘り下げにまで手が廻らなかった感が強い。彼らをもう少し丁寧に描写しておれば、いささか唐突にも思えるラストの大団円が、思わずニヤリとさせられるほどシニカルな色合いを帯びただろう。まあ、プリンセス・ジゼルが最終的に“怒り”によって自己を解放するという流れが、昨今珍重される“リアルな”映画への、ディズニーなりのささやかな意趣返しであると見よう。

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ジゼルを怪演したエイミー・アダムスは、元々は舞台でミュージカルをやっていた女優さんだ。お姫様ぶりっこするにはいささかトウが立っているかもしれないが、歌の上手さは折り紙つき。ミュージカル作品「ヘアスプレー」において、本筋とは全く関係ないところで異様に輝いていたジェームズ・マースデンも王子役で大健闘していた。道理で彼ら2人ともに、歌唱は難しいアラン・メンケンの楽曲を見事に歌いこなせていたはずだ。しかし彼らの凄みは、その歌の上手さ以上に、なにもかもを吹っ切ったかのような突き抜けた演技。作品PRのために来日したパトリック・デンプシーもインタビューでもらしていたが、彼らの演技に迷いや羞恥心が残っていれば、作品全体がダメになる危険性があったのだ。ジゼルもエドワードも、あくまでも正当な“おとぎ話”を象徴していなければならない。リアルな演技が評価される昨今、その対極にあるかのような役柄をうそ臭くなく演じるのは、かえって難しかったのではないかと思う。その意味では、アダムスにもマースデンにも“がんばったで賞”を謹んで進呈したい。

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そして、そんな彼らを陰から支えたデンプシーの“普通っぽさ”が、色気の増した40代でも健在であったことに心から安堵した。酸いも甘いも嫌というほど味わって、経験と年齢が彼の童顔を実に良い按配に変えていたと思う。セクシーさも現実味を欠くほど過剰にならず、かといって彼が隣の席に彼が座ろうものなら、その存在感に舞い上がるほどのオーラを放つ。普通じゃない2人の役者を引き立たせつつ、自らの魅力もいやらしくない程度にアピールする技も、役者としての腕のよさを感じさせる。こんなにありえない物語を、観客の側にぐっと近づけてくれたのは彼の功績だろう。おかげで、“めげずに前向きに生きてみるのもいいもんだなあ”と、ちょっぴり楽しげな気分に浸らせたもらえた。「キャント・バイ・ミー・ラブ」の負け犬高校生は、一皮も二皮も剥けてこんなに魅力的な男になったのだ。私にとってはこれこそが一番の“魔法”であったといえる。

魔法にかけられて オリジナル・サウンドトラック
エイベックス・エンタテインメント
2008-03-05
サントラ

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●収録曲
1. 真実の愛のキス/エイミー・アダムス
2. 歌ってお仕事/エイミー・アダムス
3. 想いを伝えて/エイミー・アダムス
4. そばにいて/ジョン・マクラフリン
5. エバー・エバー・アフター/キャリー・アンダーウッド
6. 魔法の王国、アンダレーシア/サントラ
7. 魔法の井戸の中へ/サントラ
8. ジゼルを送るロバート/サントラ
9. ナサニエルとピップ/サントラ
10. ジゼルを探すエドワード王子/サントラ
11. 舞踏会の準備/サントラ
12. ナリッサのテーマ/サントラ
13. クライマックス/サントラ
14. 魔法にかけられて〜組曲/サントラ
15. ザッツ・アモーレ/ジェームズ・マースデン
16. 真実の愛のキス(日本語)/木村聡子
17. 歌ってお仕事(日本語)/木村聡子
18. 想いを伝えて(日本語)/木村聡子
19. そばにいて(日本語)/小西のりゆき

この映画のもうひとつの狙いは、なんといっても“歌”だ。劇中では、ミュージカル・シーンに突入しようものなら必ず誰かに阻止される憂き目に遭ったが、CD で聴き返してみると、名作曲家アラン・メンケンの楽曲は相変わらず素晴らしいことがわかる。映画は、逆説的に歌の良さを強調していたのである。個人的には、やはり衝撃的な映像(笑)とメロディのミスマッチ感が面白かった“歌ってお仕事”と、自己陶酔しまくりつつ王子が歌う“ザッツ・アモーレ”が印象に残る。ここで思い出したが、動くアニメーションではないかと思うぐらい、ナサニエルというキャラクターにぴったりハマっていたティモシー・スポールも名演であった。リスのピップなどよりも可愛いと断言できる。得がたい個性の持ち主だろう。

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