House of M

アクセスカウンタ

zoom RSS 幻想と恐怖の残像―「アッシャー家の末裔 La Chutte de la Maison Usher」

<<   作成日時 : 2015/09/18 12:04   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

サイレント映画が可能にした、これは映像表現芸術の頂点を極める作品である。


“沈黙は二重であった。単純な沈黙は恐れなかった。だが運命に突然心の底の影を見つめさせられたら、孤独感が生むその沈黙の中の魔のささやきに耐えうるか?”

「アッシャー家の末裔 La Chutte de la Maison Usher」(1928年製作、1997年復元)
監督:ジャン・エプスタン
原作:エドガー・アラン・ポー
脚色:ルイス・ブニュエル&ジャン・エプスタン
撮影:ジョルジュ・リュカ&ジャン・リュカ
美術:ピエール・クフェール
衣装:フェルナン・オクリース
助監督:ルイス・ブニュエル
音楽:塚本一実
出演:シャルル・ラミ(ロドリック・アッシャーの友人)
ジャン・ドビュクール(ロドリック・アッシャー卿)
マルグリート・ガンス(マデリーン・アッシャー)
アベル・ガンス他。

大荷物を抱えた老人が、足元も覚束なげに陰鬱な沼地を歩いている。彼は古い友人であるロドリック・アッシャー卿から不安に満ちた手紙を受け取り、急ぎアッシャー家の領地へ向かっているところなのだ。
ロデリックは、アッシャー家最後の末裔だ。しかも妻マデリーンの健康状態が思わしくなく、代々続いた名家は今まさに断絶の危機を迎えようとしていた。そんな諸々のプレッシャーが、繊細な友人の精神を圧迫しているのかもしれない。老人はやむなく、村の宿屋で馬車を用立てることにした。ところが馬車引きたちは、呪われたアッシャー家の敷地に入ることさえ嫌がる。老人は大金を積み、ようやく1台の馬車の客となった。
妖気漂う霧に覆われた沼、死神が鎌を振り上げているかのような不気味な枯れ木の林、晴れ間の見えることなどないどんより曇った空、常にじめじめと不快な湿気が襲う地面、おまけに初冬とは思えない底冷えのする寒さ。身体のあちこちにがたがきている老人には、辛い土地だ。馬車がアッシャー家の屋敷に近づくにつれ、何かのまがまがしい気配を感じるのか、馬が落ち着きを失っていく。つんのめりながら慌てて走り去っていく馬車を見送りつつ、老人は、満面の笑顔のロデリックの抱擁に迎えられることになった。
久しぶりに来客をもてなすアッシャー家の屋敷は、しかし広間の中にさえ隙間風が吹き込み、枯葉が舞うほどに荒廃していた。使用人も執事を除いてほぼいなくなり、憔悴したロデリックと健康を病んだマデリーン、マデリーンの主治医しか屋敷内を行き交う者もいない。老人は、大広間に所狭しと飾られたアッシャー家の女主人たちの肖像画を眺めながら、没落した名家の哀れを思った。当主ロデリックのいる間には、大きなキャンバスが立てかけられている。それはマデリーンの見事な肖像画だ。ロデリックもまた、アッシャー家に課せられた奇妙な伝統に則り、妻マデリーンの肖像画を描いている最中であるのだった。老人は、マデリーンの肖像画を見事とは思えども、そのあまりにも生気を帯びた表情に身震いするものさえ感じた。絵は一瞬確かにまばたきし、嫣然と微笑んだようにも見えるのだ。
画像

また、キャンバスに向かうロデリックの様子も尋常ではない。高熱を発しているにもかかわらず、何かに取り憑かれたように絵筆を振るい、晩餐の食卓に向かう友人の存在すら、ともすれば忘れてしまうほどだ。ロデリックの肖像画を見つめるまなざしは歓喜と愛撫に満ち、まるで生きた妻がそこにいるかのよう。だが実際の妻はというと、肖像画が生気を帯びれば帯びるほどに活力を失い、今や立っているのがやっとの状態である。主治医が処方する様々な薬も全く効を奏していない。遠方の友人が到着した夜の食卓にも、マデリーンはついに姿を見せなかった。夫妻の様子と、火が消えたような屋敷内にただならぬものを感じた老人は、ロデリックに休息するよう促す。だがロデリックは、自分よりも年長の友人の身体をいたわりつつも、追い立てるように彼を就寝前の散歩に放り出すのだった。
アッシャー家領地の地図を携え、老人は仕方なく屋敷の外を散策する。外套の襟を立てても身体に染み入る寒さ、絶えず吹き付ける木枯らし、瘴気が漂うごとくの霧、始終不安げに水面を乱される沼…。外から眺めると、屋敷は中に人が住んでいるとは思えないほど荒れ果てている。まるで墓地の様相だ。沈痛な面持ちで辺りを眺めた老人の目に、小さな黒犬の姿が映った。ここに来て初めて見る生き物の姿。彼は口笛を吹いて犬を呼んでみたが、犬は怯えたように一目散に走り去っていった。
屋敷内では、ロデリックが熱に浮かされたようにキャンバスに向かっている。広間には落ち葉が舞い、本棚に乱雑に積み上げられた書物が風に促されて滑り落ちる。冷え切った室内に置きっぱなしの家具や置物には、みな一様に埃が降り積もっている。なにもかもが死に絶えたような中で、無数のロウソクが溶け崩れるのも厭わず妻の肖像画制作に没頭するロデリックのみが、異様な生気を発散していた。マデリーンは、夫に絵を描くのをやめて欲しかった。しかしその切実なる願いは、熱に浮かされたような夫の耳には届かない。彼女のふらつく顔には、一瞬骸骨、あるいは石像の幻影さえ浮かび上がる。もはや自力で立つ気力も残っていないマデリーンにできることといえば、可能な限り長くキャンバスの前に佇むこと。それも、肖像画の完成が間近な今、風に吹き消されるロウソクの炎のごとしの運命である。ロデリックが、妻の生命をキャンバスに焼き付けるように最後の一筆を振るったその瞬間、マデリーンは床の上に崩れ落ちた。
老人が広間内に戻ってきた。彼の目に飛び込んできたのは、ついに完成した妻の肖像画を愛しげに見つめるロデリックの姿だった。絵を抱きしめんばかりの熱狂に浮かされる友人を、老人は懸命になだめる。ふと、2人の足は床に転がっているものにつまづいた。なんとそれは、変わり果てたマデリーンの身体である。妻の亡骸を抱きかかえたまま、半狂乱になって広間内をふらつくロデリック。彼の叫びに呼応するかのように、広間には強い風が吹き込み、重いドレープを引きずるカーテンが捲くれ上がる。ぐずぐずに溶け落ちたロウソクは、まるでマデリーンの尽きた生命のようであった。
画像

主治医が呼ばれたが、彼にできることはマデリーンの死を確認することだけだ。だが、磁気療法の信奉者で神秘主義者でもあるロデリックは、妻の死を受け入れられない。まだ生きているかもしれないと泣き叫び、マデリーンの棺に釘を打つことすら許さなかった。老人はロデリックをなだめすかし、執事、主治医、老人とロデリックの4人でマデリーンの野辺送りを行うことになった。
薄絹のシフォンに包まれ、白い花がらのドレスを着せられたマデリーンの亡骸は、まるで花嫁のように美しかった。4人は彼女の棺を担ぎ、陰鬱な森の中を抜け沼を船で渡る。彼ら葬送の列を導くように、ロウソクの幻影が現れては消える。森の中でもひときわうら寂しい一角に、アッシャー家の墓所はあった。じめじめとした冷たい墓所の中で、マデリーンの棺についに釘が打たれる。老人は涙に暮れるロデリックを外に引きずり出し、2人の男は互いに身体を支えあいながら、とぼとぼと来た道を引き返していく。彼らを見送ったのは、交尾の真っ最中の2匹のガマガエルだけであった。
魂の抜け殻となったロデリックは、今もなお亡き妻の幻影に囚われている。屋敷も、去っていったマデリーンの残像に支配されているようだ。だが肖像画は二度と微笑むことはなかった。老人はロデリックの精神状態が心配で、なおも滞在を続けている。ロデリックはしかし、一心になにかを待っているようだった。彼は常時神経を研ぎ澄まし、些細な物音にも敏感に反応する。大きな柱時計が時を刻む音、甲冑の置物が震える音、本棚から本が崩れ落ちる音、打ち捨てられたロデリック愛用のギターの弦が突如切れる音…。広間には一層強い風が吹き込み、嵐の到来が間近なことを告げていた。暖炉に赤々と火が起こされるが、とても寒さを凌ぎきれるものではない。老人は、虚空を見つめ続けるロデリックの心を落ち着かせるため、古い書物を読んで聞かせる。しかしロデリックの目には、老人には窺い知れぬ熱情が灯っていた。
嵐がやってきた。突風が広間に吹きつけ、禍々しい瘴気が床を這い、屋敷内を蹂躙する。その頃、野辺に置かれた棺が風に煽られ地に倒れた。その拍子に蓋が開き、中から純白のヴェールが流れ出る。ヴェールは舞い、辺りを彷徨い、それに導かれるようにマデリーンが棺の外に出た。ふらふらした足取りながら、風の後押しを受け、彼女は帰るべき場所に向けて着実に歩を進めてゆく。
広間の暖炉の炎が突風によって周囲に引火し、火は瞬く間に屋敷中に広がっていった。マデリーンの肖像画も炎にのまれてしまう。慌てふためいた老人が、心ここにあらずといったロデリックを外に連れ出そうとしたその瞬間。ロデリックは突如叫んだ。「私にはわかっていた!」
彼の視線の先には、ついに死の闇から蘇った妻が立ち尽くしていた。老人は腰を抜かす。我々はマデリーンを生きたまま埋葬してしまったのか。だがロデリックだけは妻が戻ってくることを確信していたようだ。2人はしっかと抱き合う。屋敷のあちこちから火の手が上がっている今、猶予はない。老人はロデリック夫妻をせきたて、執事共々屋敷が崩れ落ちる寸前に外へ逃げ延びた。屋敷は炎を吹き上げながら崩壊し、いともあっけなく沼に飲み込まれていく。死体が土の中で朽ちていくように、まるで屋敷などはじめからなかったかのように。妖火が飛び交う中、辛くも屋敷の呪縛から逃れたロデリックとマデリーンは、たった今目覚めてお互いの存在に気づいたように、固く抱き合うのだった。

アッシャー家の末裔 (トールケース) [DVD]
アイ・ヴィー・シー
2003-06-20

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ商品ポータルで情報を見る




映画とは“フォトジェニーphotogenie”の連なりである。

画像

ジャン・エプスタン(ジャン・エプスタイン) Jean Epstein

1897年3月25日生まれ
1953年4月3日没(パリ)
ポーランド、ワルシャワ出身

フランス人の父親とポーランド人の母親の間に生まれ、スイスからリヨンへ移り住んだ。若い頃は科学を学び、1920年には初の著書『La Poésie d'aujourd'hui, un nouvel état de l'intelligence(今日のポエジー、知性の新しい様相)』を著した。1921年には、ルイ・ドゥリュックと共に『Bonjour cinéma(映画よこんにちは)』を上梓している。文学の方法論を映画に還元する考え方は、早い時期から持っていた模様。
1922年には映画会社パテ社と契約を交わし、ワインのドキュメンタリー・フィルム 『Les Vendanges』と実在の科学者の伝記映画『Pasteur』で映画作家として独り立ちした。1923年の作品『L'Auberge rouge』はバルザックの原作小説から想を得たが、同年の1923年『Coeur fidèle』で初めてオリジナル脚本を用いた。この『Coeur fidèle』は愛と暴力に関してのシンプルな物語であり、彼はたった一晩で脚本をものにしたという。撮影中には、エプスタンはアベル・ガンス監督のサイレント映画『La Roue』に強い影響を受け、同映画で試みられていた撮影技法―リズミカルな編集とクローズアップの効果的な導入など―を取り入れている。
1925 年のこと、後に映画界の巨匠となる若きルイス・ブニュエルが、スペインからパリに出てくる。彼はフリッツ・ラングの作品に感化されて自らも映画監督を志し、当時のフランス映画界で脚光を浴びていたエプスタンの助手となった。そして、エプスタンの 2つの作品『Mauprat』(ジョルジュ・サンド原作・1926年)と「アッシャー家の末裔」(エドガー・アラン・ポー原作・1928年)で助監督として働き、撮影現場の実際を学ぶことになる。1920年代のエプスタンは、フランスのアヴァン=ギャルド派によって提唱されていた映画理論“フォトジェニー論”に則った、実験的かつ独自の美学を纏う作品を製作していたのである。
エプスタンはその後も精力的に映画製作を続けたが、1930年には、アベル・ガンス監督の作品『La Fin du monde』で助監督を務めている。また、1920年代のドイツ映画から受けた影響で、1930年代から40年代にかけては、彼はブルターニュに関する膨大な数のドキュメンタリー映画を撮った。ブルターニュが擁する島々の姿を捉えた一連のドキュメンタリー映画は、彼に改めて映画の方法論について再考を促すことになったという。Ouessant島で撮影された『Finis Terrae』、Sein島で撮影された『Mor vran』、Hoëdic島で撮影された『L'Or des mers』、Belle-Ile島で撮影された『Le Tempestaire』、また、世界で初めてブルターニュ語で撮影されたフィルムとして有名な『Chanson d'Armor』などがそれである。エプスタンとブルターニュの関係は別ちがたく、彼は『L'Or des mers』、『Les Recteurs et la sirène』という2つの小説もブルターニュ語で上梓している。批評家としても知られたエプスタンであるが、彼の批評は初期のモダニスト雑誌『L'Esprit Nouveau』で読むことができる。
1953年4月3日、パリで逝去。享年56歳であった。
2005年8月、アメリカのKino Internationalによって再生産・再発売されたDVDコレクション『Avant-Garde: Experimental Cinema of the 1920s and 1930s』の中に、エプスタンの中篇映画『La Glace à trois faces』(1927年)と短編映画『Le Tempestaire』(1947年)も収められている。

●フィルモグラフィー

1922年『Pasteur』
1922年『Les Vendanges』
1923年『La Montagne infidèle』
1923年『Coeur fidèle』
1923年『La Belle nivernaise』
1923年『L'Auberge rouge』
1924年「蒙古の獅子」
1924年「滴たる血潮」
1924年『L'Affiche』
1925年『Les Aventures de Robert Macaire』
1926年『Mauprat』
1926年『Au pays de G. Sand』
1926年『Le Double amour』
1927年『Six et demi onze』
1927年『La Glace à trois faces』
1928年「アッシャー家の末裔」
1929年『Finis terrae』
1929年『Sa tête』
1930年『Le Pas de la mule』
1931年『Notre-Dame de Paris』
1931年『Mor vran』
1932年『L'Or des mers』
1933年「装へる夜」
1924年『La Châtelaine du Liban』
1934年『Chanson d'armor』
1934年『La Vie d'un grand journal』
1936年『Cuor di vagabondo』
1936年『La Bourgogne』
1936年『La Bretagne』
1937年『Vive la vie』
1937年『La Femme du bout du monde』
1938年『Les Bâtisseurs』
1938年『Eau vive』
1938年『La Relève』
1939年『Artères de France』
1947年『Le Tempestaire』
1948年『Les Feux de la mer』

―日本版Wikipediaと英語版Wikipediaにおけるジャン・エプスタンの解説ページより。

エプスタンの残した作品で現在も観ることが叶うのは、ほんの数編にすぎない。だが彼の感性が、映画的というよりはむしろ文学の領域に深く根ざしていることは伺える。彼は、フランス、アヴァン=ギャルド派が隆盛を誇った頃の映画理論家であったそうだが、サイレント映画のひとつの到達点にも挙げられる「アッシャー家の末裔」は、前衛的な斬新さよりポエティックな美しさの方を強調した作りになっているのではないだろうか。その意味では、この作品も、アヴァン=ギャルド派の旗印であったフォトジェニー論(可視化された映像によって、対象の持つ潜在的な美が顕になるとする映画理論)に正しく則った映画であったのだろう。

脚本は、エドガー・アラン・ポー原作「アッシャー家の崩壊」を中心に、同じくポーの「楕円形の肖像」「リジイア」の内容を付加して、エプスタンと当時彼のアシスタントをしていた若き日のルイス・ブニュエルが書き上げた。実はこの作品のレビューもいくつか読んだが、結局そのどれもが、アヴァン=ギャルド派と関連付けての映画の技術論に終始している。いわく、カメラの多彩なポジショニングやアングルの変幻自在ぶり、アッシャー家屋敷内外の寂寞とした情景を物語る、ゆるやかなパンと多用されたスローモーション技術、二重焼きによって高められる幽玄とシンボリックなイメージ…など。確かにこの時期、サイレント映画で表現されうる技術は出尽くしていたであろうし、技術論に長けたエプスタンが可能な限りの映画手法に挑戦しようとするのは当然の流れだ。「アッシャー家の末裔」でも、その後のホラー映画やサスペンス映画などに強い影響を与えたと思われる、印象的なショットが連続していた。屋敷を見上げる老人の視線と同じ位置にカメラを据えることによって、陰鬱が周囲を圧倒するかのような演出や、肖像画が密やかにまばたきしたりするショット、死ぬ直前のマデリーンの顔がスローモーションによって骸骨や石像の顔と交錯する、今で言うところのモーフィング、あるいは、マデリーンの亡骸を抱えてふらつくロデリックを、ローアングルで走りながら映し出す手法、マデリーンの野辺送りシーンで、燐火のようなロウソクの炎が背景と茫漠と重なる様、蘇ったマデリーンのまとうヴェールが風にゆっくりとたなびく美しいショット、嵐によって解き放たれた瘴気が、落ち葉を散らかしながら屋敷内の床を這う様を象徴したローアングルのすばやいショット…。このような映画技術は、現在では当たり前のように用いられているわけだが、それらを“映画的美”の領域にまで昇華せしめたエプスタンの功績は、確かに大きいと思う。

画像


だがそれだけでは、この作品を味わう上では片手落ちのような気がしてならない。この作品が言葉なく伝えようとするものの本質は何だったのだろう。劇中クライマックスにおけるアッシャー家崩壊シーンは、かなりのスペクタクルだ。物語の背景である沼や森を執拗に捉えるショットを重ねることで、観客を恐怖へと誘うゆったりとした演出が、ここで一気にカタルシスに到達するのだ。静と動のバランス感覚も絶妙だが、いざ、映画全体を覆う陰鬱なイメージの確たる姿を突き止めようとすると、とたんに思考が停止してしまう。心もとない焦燥感、実体が掴めないはがゆさ。思い出されるのは“恐怖のイメージ”の断片のみ。様々なイメージの断片が浮んでは消え、浮んでは消え…。さながら、識域下に深く沈んだ過去の記憶の断片を手探りで探す作業のようだ。
恐怖、不安、悲しみといった感情は、こと人間の本能に深く根ざしている。誰しも、己の深層心理にあらかじめ巣食っている恐怖の概念と真っ向から対峙したいとは思わないだろう。恐らくこの作品は、それをそのまま映像にしてしまったと思われる。つまり、この映画の本質を理解するには、己の識域下の闇を明確に解析することが必要となるわけだ。恐ろしい映画を観る以上に、ひょっとしたらそれこそが真の“恐怖”であるのかもしれない。だから私達は、この作品の全体像をいつまでたっても把握できないのだろう。
積み重ねられた姿なき恐怖の残像は、終盤あっという間にかき消されるてしまう。人が逃れ出た後のアッシャー家の屋敷は、実にあっけなく崩壊するのだ。遠景で捉えられるその模様は、まるでミニチュアのおもちゃのよう。鬼火は、黒幕に取り付けられた電球がチカチカしているだけであるし。それまでの丹念で繊細な演出とはそぐわない安っぽさだ。意識下に封じ込められた“姿なき恐怖”の実像なんて、本当はたいしたものではないのさとでも言いたげである。エプスタンのシニシズムであろうか。それとも、私達が恐怖と呼ぶものの大半が、人間の意識の中で増幅されていくメカニズムを象徴しているのか。恐怖の本体は、実は私達の心の中にこそあるものだと思ってしまう。
屋敷が焼け落ちてはじめて、ロドリックとマドリーンは正気を取り戻す。ひょっとしたら、ロドリックの描いた肖像画がマドリーンの命を奪ったのではなく、アッシャー家自体が妖気漂う沼に生気を吸い取られていたのかもしれない…。アッシャー家の当主が代々妻の肖像画を描いて、その生命を生贄にしていたのも、沼に潜むこの世ならざるものがそれを要求していたからかもしれぬ。そして、その“この世ならざるもの”の正体とは、実は人間が最も容易に屈してしまう悪魔…つまり孤独だったのではないか。そんなことを思わせるラストであった。


にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
幻想と恐怖の残像―「アッシャー家の末裔 La Chutte de la Maison Usher」 House of M/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる