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zoom RSS 「普通の人々 Ordinary People」―ロバート・レッドフォードRobert Redford

<<   作成日時 : 2016/08/02 11:41   >>

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「今生きていることを感じろ」
「辛いだけだ」
「いや、快い」
「なぜわかる」
「…友達だからだ」


「普通の人々 Ordinary People」(1980年製作)
監督:ロバート・レッドフォード Robert Redford
製作:ロナルド・L・シュワリー
原作:ジュディス・ゲスト「普通の人々」
脚本:アルヴィン・サージェント
撮影:ジョン・ベイリー
音楽:マーヴィン・ハムリッシュ
出演:ドナルド・サザーランド(カルビン・ジャレット)
メアリー・タイラー・ムーア(ベス・ジャレット)
ティモシー・ハットン(コンラッド・ジャレット)
ジャド・ハーシュ(タイロン・C・バーガー医師)
エリザベス・マクガヴァン(ジェニン・プラット)
ダイナ・マノフ(カレン)

冬。パッヘルベルのカノンを背景に、紅く色づく木の葉が風に吹かれて舞い落ち、川面は次第に冷ややかさをを増していく…。あくまで絵画のように美しいシカゴ郊外の風景。コンラッドは夢の中で神への感謝を捧げる歌を無心に歌っている。ハレルヤ、ハレルヤ…皆で合唱する夢はいつも悪夢に摩り替わる。

カルビン・ジャレットは有能な弁護士だ。妻ベスとは結婚して21年になる。子供にも恵まれ、シカゴ郊外に洒落た家を建て、妻とは一緒に芝居や映画を楽しむ余裕もある。典型的なアメリカの中産階級の幸せに、唯一翳りを落とすのは17歳になる息子コンラッドである。
今夜も観劇して遅く帰宅した夫婦は、コンラッドの部屋からまだ明かりが漏れていることに気がつく。だが、ベスはそ知らぬ様子で自室に引きこもってしまう。カルビンは、コンラッドがまた不眠症に悩まされているのを気に病み、そっと様子を伺った。コンラッドも父に余計な心配をかけまいと、目の下にひどい隈を作りながら何でもない振りをする。
結局一晩中まんじりともしなかったコンラッドは、翌朝の朝食を食べる気力も起こらない。カルビンは彼を気遣うが、ベスは息子が自分の料理を食べないとみるや、皿ごとゴミ箱の中に押し込んでしまう。そして息子に声もかけずにさっさとゴルフに出かけてしまった。ベスのコンラッドに対するよそよそしい態度は今日に始まったことではない。母が視界から消えた途端にほっとした表情を見せるコンラッドは、しかし、なんとか彼の日常を健康なものにしようと心を砕く父にも本心を見せることなく、高校に向かった。カルビンは、たった1人ぽつねんと食卓に残される。これはジャレット家では毎朝繰り返されている珍しくもない光景であった。
コンラッドは、所属している高校の水泳部の仲間と共にいても、授業中でも、心ここにあらずといった状態だ。思案した結果、彼は昨晩父に勧められた新しい精神分析医バーガー医師を訪ねる決意を固める。
ジャレッド家の夕食の風景。なにもかも完璧にしつらえられた調度品の中で、美しく磨き上げられた高価な食器と共に供せられる料理。普通なら家族が食卓を囲む際に出るような日常的な会話―子供の学校での出来事など―は、ここでは全く話題にもされない。ベスが嫌がるからだ。彼女がコンラッドに関心を向けるのは、彼のシャツが破れているのを見つけるときだけ。カルビンは、むっつり黙り込む息子と自分のことしかしゃべらない妻の間に挟まれて、なんとか両者に共通する話題を見つけようと苦慮する。だが彼の努力が報われた日はない。夕食後、浅い眠りの中で、コンラッドはまたも兄の悪夢を見る。
コンラッドはバーガー医師の診察所を訪れた。狭い雑居ビルの一角にあるその診療所は薄汚く、医師が1人で切り盛りしているような有様だった。あからさまに不審を抱くコンラッド。医師の質問にも邪険に答える。彼はカミソリで手首を切り、病院に4ヶ月間入院していた。退院して1ヵ月半になるが、状況は…本人も周囲も含めてあまり好転しているとは言いがたい。コンラッドは、退院してから周囲との摩擦はなにもないと言い張るが、医師は彼の嘘を見抜いていた。なぜなら、彼が医師の元にやってきたのは、母ではなく父の負担を軽くしたいためだと説明したからだ。コンラッドが自殺に追い込まれた直接の原因は、兄バックと一緒に乗っていたヨットが事故で転覆し、兄だけが亡くなってしまったことだったが、医師は彼と家族との関係に問題の根源を見出していた。コンラッドがかたくなにその事故当時の模様について口を閉ざす様子から、医師は治療の長期化を宣言する。
その日の夕食時、相変わらずベスとカルビンだけが会話している合間を縫うようにして、コンラッドはバーガー医師のことを話した。息子が自主的に医者にかかりはじめたのを知り、カルビンは大いに喜ぶが、ベスは途端に表情を硬くする。コンラッドが週2日の通院を彼女に隠していたからだ。余計な金もかかる。結局ベスが息子に訊ねたのは、診療所の場所だけであった。

心身ともに疲弊の極みにあるコンラッドは、水泳部でも当然思うように記録を伸ばせない。彼の事情を知っているコーチは、嫌々彼を部に置いてやっているという態度が見え透いている。コンラッドが投薬治療やショック療法を受けたと聞くや、汚らわしいものでも見るようなまなざしで彼を見遣る。
ある日学校の廊下で、コンラッドは同じ合唱団に所属するジェニン・プラットという少女から声をかけられる。言葉を交わすのはこれが初めてだ。彼女はコンラッドの声を素晴らしいと褒める。
ハロウィーンの夜。ベスはクリスマスを夫婦2人水入らずでロンドンで過ごそうとねだる。一日でもコンラッドと顔を合わせたくない。彼女は息子の治療より、以前通りの生活を送ることを優先する。息子の意見など関係ないのだ。しかしカルビンは、不安定な状態の息子を残して旅行に出ることに躊躇する。
ベスはコンラッドのシャツを買ってきた。彼は不在だ。彼女は、今も生前のままにしてある亡き長男バックの部屋に、吸い寄せられるように入っていく。スポーツ万能でハンサムで陽気だったバック。彼の部屋にはトロフィーが所狭しと飾られている。彼女は目を閉じ、しばし長男の思い出に浸った。そこに突然顔を出したコンラッド。ベスは驚き一瞬本気で怒る。だが慌てて取り繕うように彼に言葉をかけた。コンラッドもなんとか母に調子を合わせようと努力するが、せっかくかみ合い始めた何気ない会話も、母のほうから突然ぷつんと断ち切られてしまう。

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カルビンはベスに引きずられるように、彼女の友人の誕生パーティーに出席した。ハイソな人々が集まるパーティー。顔に笑顔を貼り付け、らちもない世間話に花を咲かせる。社交のために、ホストのおもしろくもない冗談にも笑わねばならない。陽気に歌い踊り楽しむベスの傍らで、カルビンは早々に酔っ払い、知人にコンラッドの近況を聞かせていた。ところがベスは、カルビンが他人にコンラッドの話をしたことを許さない。コンラッドの問題は家族の秘め事だと吐き捨てて憚らないのだ。息子のせいで家族のプライバシーが侵害されるのは、彼女にとって屈辱以外の何物でもない。
コンラッドは、バーガー医師の前では常にいらいらしている。自身の問題を直視しようとせず、楽な方へ逃げようとするコンラッドを捕まえ、医師はあえて鎮静剤を出さないと宣言した。すると突然、コンラッドは水泳部のコーチに怒りの矛先を向け、水泳をやめたいと口走る。医師は彼に自分の本心を見据えるよう促す。彼は重い口を開いて病院に戻りたいとつぶやいた。病院には心置きなく話せるかけがえのない友達がいたから。カレンだ。
コンラッドは久しぶりにカレンと再会する。退院して以来だ。彼女は元気そうだった。学校の演劇部で「千人の道化師」を上演するのだという。なんと彼女が部長だそうだ。2人は内輪のジョークを言い合い、コンラッドは沈んでいた気持ちを慰められる。しかし彼が病院を懐かしむと、たちまち彼女は動揺し表情を変えてしまう。病院は所詮病院、現実とは違う。現実をきちんと見なければと、まるで自分に言い聞かせるようにつぶやいた後、彼女は愛くるしい笑顔で生涯最高の新年にしようとコンラッドを勇気付けた。
寒い庭でぼんやりと考え事をするコンラッド。ベスはためらいつつ息子に声をかけた。コンラッドは、当たり障りのない会話をしようとするベスを遮り、突如昔の思い出を話し始める。兄バックが、隣の家にいたような小犬を飼うようせがんだことだ。バックのことを持ち出されたベスはコンラッドから距離を置こうとする。しかしコンラッドは思いつめた口調で、バックが猟犬を欲しがっていたことを言い募った。さすがに子供じみた態度を反省した彼は、夕食の支度をするベスを手伝おうとするが、母は無表情のままそれを拒否した。友人からの電話には快活に答えるのに、その背中は無言で息子を拒絶している。母の笑い声は、かつてバックのジョークに大笑いしていた彼女を思い起こさせる。コンラッドも、次から次へと繰り出される兄のジョークに釣られて笑ったものだ…。
コンラッドは母とコミュニケーションできないことをバーガー医師に訴える。そして混乱する意識の流れのまま、バックの死の直後の父の様子を語り始めた。彼は兄の死の現場に直面したにも拘らず、奇妙に冷静な気持で父の悲嘆にくれる様を観察していた。兄が死んだというのに悲しくなかったのだ。だがその時心の奥底で感じていたことを口にすることは、まだできなかった。

一方カルビンは古い友人に悩みを打ち明けていた。コンラッドを気遣うのがまるで習慣のようになってしまったこと。それなのに息子とはますます距離を感じるばかりだ。友人は、どんなに心配してもいずれ子供は巣立っていくし、そうなればもう他人も同然になってしまうと慰める。そうだろうか。帰宅する間中、彼は幼い頃のバックとコンラッドを思い出していた。セーターを取ったの取らないのと、些細なことで上を下への大騒ぎをしていた2人。そして、コンラッドが人知れず手首を切り、死にかけたあの夜のこと…。
コンラッドは水泳部のコーチに直談判に行く。コーチは特別待遇を認めてやっていることに感謝しろと言わんばかりだ。なぜ手首を切って人生を台無しにしてしまうのだと。何も知らない人間に筋違いの説教をされるのは心外である。コンラッドは退部するとだけ言い置いてその場を立ち去った。水泳部の仲間は心配するが、腫れ物に触るかのような彼らの気遣いが、今のコンラッドには重荷であった。ついぶっきらぼうに彼らを突き放してしまう。
彼が退部したことを告げたのは、結局バーガー医師だけであった。両親にはとても言い出せない。父は余計な心配をするし、母は小言を言うだけだ。医師は問題の根本から逃げようとするコンラッドをわざと追い詰めていく。彼に怒りの感情を呼び覚まさせ、反撃させるためだ。自己抑制するためには、まず自らの感情をうまく発散させる必要がある。自己嫌悪を恐れて感情を押さえつけている彼には、怒りの感情を露にすることは難題だ。しかし医師はあえて彼を挑発する。コンラッドは、ここへきて初めて激しい“怒り”の感情を医師にぶつけたのだった。人の感情とは、決して楽しいものとは限らない。
カルビン達はベスの両親の家を訪ねた。皆で記念撮影したが、ベスは絶対にコンラッドの隣に来ようとはしない。頭にきたコンラッドはついに大声を上げてしまう。初めてのことだった。途端にその場が凍りつく。ベスは母親にさえも体面を繕うため、コンラッドの問題を学校のせいにした。もうお手上げ、息子のことは医者に丸投げしている。なにも理解していないベスの母親は、とにかく厳しく接すれば大丈夫だと見当違いのアドバイスを娘に与えた。
合唱団の練習後。ジェニンはまたもコンラッドの声を素晴らしいと褒め称えた。コンラッドは有頂天になり、帰る道すがら彼女と他愛もない話をしながら、久方ぶりに軽やかな気分を味わう。そしてしばし逡巡した後、思い切ってジェニンの家に電話をかけてみる。デートの誘いだ。うれしいことに、彼女からOKをもらった。

クリスマスが近い。カルビンとコンラッドは居間に飾りつけるもみの木を買ってきた。父子が2人でクリスマスツリーの準備をしていると、ベスが冷ややかにコンラッドを睨みつける。彼女はコンラッドが1ヶ月も前に水泳部を辞めたことを、友人伝に知ったのだった。息子が勝手にクラブを辞めたこと、しかもそれを親に黙っていたことに憤慨している。そして今まで胸に溜め込んでいた不満を爆発させた。コンラッドがそんな振る舞いをするのは母への面当てであり、母を傷つけたいからだと。彼女は息子の言い分を聞きもせず、息子の嘘を信用し友人の前で恥をかかされた屈辱を言い募った。だがコンラッドも負けずに言い返す。ベスの怒りの原因は、彼の嘘自体ではなく、自分の知らないことを他人が先に知っていたことであるにすぎないと。また、彼が入院中ベスが一度も見舞いに来ず、海外旅行にうつつを抜かしていたことも暴く。売り言葉に買い言葉、ベスはついに決定的な一言を叫ぶ。「バックなら病院になど入院しない!」
ベスはカルビンに、これ以上コンラッドの横暴を許さないと宣言する。コンラッドの立場を考える余裕のない独善的な妻に、カルビンは息子を理解してやろうと諭す。だがベスは、真一文字に口を引き結び、その場を一歩も動こうとしない。仕方なくカルビンは1人で息子に対峙した。コンラッドは、自らの怒りの発露が引き起こした事態に打ちのめされる。彼は父に謝罪し、母とは断絶してしまっていることを訴えた。カルビンは、息子と母親の間にある軋轢には全く気がついていない。それでも精一杯2人の間を取り持とうとする父に、コンラッドはなにも言い出だせなかった。
荒んだ気持のまま、コンラッドはバーガー医師に向き合う。母がなぜ自分に対し怒り続けているのか。母はなにもかもが完璧でないと我慢ならないのだ。掃除のヘタなメイドを即刻クビにしたぐらいだ、間違いをしでかした自分を決して許さないだろう。医師はコンラッドに、ベスの愛情の限界値を教える。ベスは自殺未遂を起こしたコンラッドを嫌っているわけではなく、愛情の表現が下手なだけなのだ。またカルビンは、単なる責任感からコンラッドを構っているのでもない。子供を気遣う親の本能のようなものだ。それが愛情というものだ。
ある朝、家族の問題でストレスの極致にあったカルビンは、ジョギングの途中で昏倒する。息子と妻の間に挟まれて、彼自身も限界であった。躊躇しながらも、彼はバーガー医師の診療所の扉をたたく。医師の前で、彼は驚くほど饒舌に家族のことを語っていた。コンラッドは強く賢い子であったので、自殺しかけた後ですら放っておいたことに責任を感じていること。ベスとコンラッドが反発しあうのはおそらく2人が似た者同士であるから。彼らはバックの葬儀で涙を見せなかった。にも関わらず、ベスはバックにのみ特別に派手な愛情表現をしていたのだ。結婚して21年、自分は妻とはうまくやっているつもりだ…。
帰宅後カルビンは初めてベスに心の中のわだかまりを話す。バックの葬儀の前、愛する息子が亡くなるという非常事態であるのに、ベスはカルビンのシャツの色に文句をつけた。普通ならばそれどころではないだろうに、なぜ。ベスはそれには答えることは出来なかった。
カルビンはベスにもバーガー医師のところへ行くよう勧めた。問題解決のために、家族皆でカウンセリングを受けてみるのだ。ベスは、何も知りもしない人間にあれこれプライバシーを嗅ぎ回られるのはごめんだとつっぱねる。自分はもう変わりようがないし、完全ではないが今のままで満足だと。家族の問題は自分達で解決するのだと雄雄しく宣言する一方で、クリスマスは夫婦2人だけで過ごすことを強く望む。コンラッドを両親に押し付けて、ヒューストンの兄の所でゴルフ三昧しようというのだ。結局ベスに押し切られる形で、カルビンはクリスマスをベスと2人で迎えることに同意してしまった。
コンラッドはジェニンをデートに誘った。2人でボウリングを楽しんだ後、ハンバーガーをぱくつく。彼は、今まで誰にも話したことのない、自殺のときの状況を彼女に打ち明けた。真摯な表情のジェニンに誘われるように、自然と口をついて出てきたのだ。“その時”は、まるで大きな穴に吸い込まれるような感覚で、実際怖くはなかった。妙に新鮮な気分であったほどだ。…ところがこのあやうい告白は、酔っ払った水泳部の連中の乱入によって中断されてしまう。コンラッドにとっては人生をかけた大事な一瞬であったが、その後は続きを語れるような状況ではなかった。彼は言葉少なくジェニンを家まで送り届ける。

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カルビンとベスはヒューストンのベスの兄の所で過ごしている。コンラッドは水泳部の試合をこっそり見にいった。結果はひどいもの。むしゃくしゃしていた仲間達の1人が、コンラッドの姿を認めると、ジェニンをダシに喧嘩を吹っかけていく。コンラッドは躊躇なく相手に殴りかかる。実際他の連中が2人を引き離さなければ、とんだ騒ぎになっただろう。コンラッドは身を案じる親友にも、ついに辛い胸の内をさらけ出せなかった。
帰宅後思い立って、彼はカレンに電話をかけた。ところが電話口に出てきた彼女の父親は、カレンが自殺したと告げる。ショックを受けたコンラッドの脳裏に、バックのヨット事故の様子が突如生々しく蘇る。自殺未遂後、その記憶はずっと封印したままであったのだ。天候が悪化し、為す術もなくヨットを転覆させてしまった兄弟は船底にすがりつく。2人は波に飲まれないよう互いの手をしっかり握っていた。ところがバックは突然その手を離してしまって…。
コンラッドは発作的にバーガー医師のところに電話をかけていた。今すぐに会って欲しいと。医師の顔を見た途端、彼は怒涛のように押し寄せてくる罪の意識に押しつぶされそうになる。あの時、手を離したのはわざとじゃない、バックから離してしまったのだ!でも何かが起これば、誰かが罪を贖わねばならない。バックが溺れてしまったのは、結局、手をこまねいてなにもできなかった自分のせいなのだ…。医師は興奮するコンラッドに静かに告げた。事故を予測することは誰にも出来ないし、バックがコンラッドの手を離してしまったのも、コンラッドの方が強かったからに他ならない。亡くなったバックにだって責任の一端はある。事故とはそういうものだ。
コンラッドは、兄を愛していたが故に自分を責めることをやめられない。カレンをも自殺から救うことが出来なかった罪悪感も。カレンを失ったことが、コンラッドの抱えてきたたった一つの間違い―自分だけがヨットに残ってしまった、自分だけが生き残ってしまったという罪悪感―を、彼に思い起こさせたのである。これから先の人生、それを認めつつ生きていくことは苦痛を伴うが、生には苦しみがつきものだ。しかし今生きていることを実感するのは快い感情でもある。コンラッドは自らの苦痛の原点とついに向かい合うことが出来た。あとはこれを乗り越えていくだけ。彼はバーガー医師と友情を固く誓い合った。

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翌朝、彼は照れくさそうにジェニンの家の前に立っていた。後味の悪かったデートでの出来事を謝り、改めて彼女の気持ちを訊ねに来たのだ。もちろんジェニンとてやり直したい気持に偽りはない。彼らは仲直りし、コンラッドは彼女の家で朝食をごちそうになることにした。

ベスはゴルフ漬けの日々ですっかり機嫌を直していた。カルビンは、次はコンラッドも一緒に家族で休暇を過ごそうと提案する。だがこのごく当たり前のことが、彼女には我慢がならない。たちまちつんけんした態度で、妻のことは二の次で、息子のことしか頭にないカルビンの最近の態度を責め立てる。カルビンもカルビンで、ベスの自己本位の考え方を非難した。ベスはその通りだと居直り、自分は正直なだけだと言い抜ける。自分にとって他人も同然のコンラッドに愛情を示すなんてことは、金輪際できないと。しかし狭量で頑固な妻もまた、長男バックを亡くしたことに深く傷つき、立ち直れないでいるのだ。バック亡き後、幸せなど二度と戻ってくるものかと泣き喚く彼女を見て、カルビンは息子と母親だけではなく自分達夫婦の間にも、越え難い亀裂が出来ていたことにようやく気づいた。
帰宅した両親に、おやすみを言うコンラッド。彼は初めて自ら、母親に親愛を示す抱擁をしてみせた。しかしベスが息子の身体を抱き返すことはない。ただ放心するのみだ。
真夜中、カルビンは1人台所で嗚咽していた。ベスは恐る恐る声をかける。彼は妻に、ついにたどりついた結論を打ち明けた。ベスは美しく、気まぐれで、慎重なくせに頑固で弱く、独り善がり。今まで本心から夫を愛していると告げたこともないだろう。彼女は己とバックだけを愛し、バックの死と共にその少ない愛情も永遠に葬られてしまったのだ。もう彼女の魂はここにはない。今頃それに気づくとは、自分の人生はなんと虚しいものだったか。カルビンはベスに別れを告げた。ベスは黙って荷物を詰め、慟哭を飲み込んで、居場所のなくなった我が家を後にした。

長い夜が明けた。母親がいないことに気づいたコンラッドは、庭で1人たたずむ父親を見つけた。父子は初めて本心を吐露する。コンラッドを強い子供だと信じ込んでいたカルビンは、彼と触れ合うチャンスも作らず無関心ですらあった。コンラッドもコンラッドで、自制心が先にたち素直に両親に甘えることをしなかった。
だが今までもこれからも父を愛し、尊敬する気持には変わりがないと伝える息子を、カルビンは涙ながらに抱きしめるのだった。

普通の人々 [DVD]
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
2008-10-24

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自らを、ごく“普通”の人だと信じて疑わぬ、全くもって“普通でない”物語。

私が初めてこの作品を観たのは、情緒不安定な10代でした。両親というのが、常に兄の顔色を伺っているくせに、私には厳しい人達。思うようにならない兄への不満を私にぶつけていたようです。そんなわけで、当時私が異常に共感を抱いたのが、生きることに絶望して自殺未遂するコンラッドの役どころ。思えば、彼に感情移入する余り、彼と対立する母ベスを自分の母親と重ね合わせ、欲求不満を解消していたフシもありますね(苦笑)。でも皮肉なことに、自分もベスと同様息子を2人持つ身となった今では、作品に対する見方も随分変わりました。

80年代。世の中にモノが氾濫し、目先の快楽を追及する刹那的で享楽的な文化がはびこるようになりました。その中で、家族はこうあるべきという古い道徳観念も崩れ、家族の絆そのものが危うくなる時代に突入したのですね。この作品は、経済的にも社会的にも恵まれた環境にある、いわゆるアメリカのマジョリティーを形成する典型的な一家族の実態を、冷酷に解体してみせてくれます。監督の厳しい視線は、父親、母親、傷ついた息子全てに容赦なく向けられ、社会を構成する最も重要で基本的な人間関係である“家族”の関係が、いかにもろいものかを執拗に描いていきます。

ジャレット家は、一家を牽引するようなカリスマ的な魅力に溢れた長男バックを、不慮の事故で亡くしてしまいます。家族にとって更に不幸だったのは、その死の現場に次男コンラッドが居合わせたこと。親にとって、自分よりも先に子供を葬らねばならないのは、考えうる最悪の不幸です。おまけにその死にもう1人の血を分けた子供が関わっていたとなると、親のジレンマは倍増するでしょう。命からがら生還した子供に向かって、「お前がもう1人のかわいい子供を殺したんだ」とは口が裂けても言えないでしょうし。

バックを溺愛していたベスとて、コンラッドが事故から無事生還した事実を喜んでいないわけではありません。彼女はバーガー医師やカルビンが言うとおり、愛情表現が下手なだけで、自分でも気づかないほどの深層心理では、コンラッドにもバックと同様の愛情を抱いているはずです。劇中でも、彼女がコンラッドに向けるなにげない表情から、それが読み取れるようになっています。ただ、母親だからといって万能ではありませんし、無条件に子供に分け隔てのない愛情を注げるかというと、必ずしもそうではないのが現実ですよね。子供が成長して自我をもち、独立した人格を備えるようになってくると、まず通過儀礼として、親に徹底的に反発する段階を迎えます。人それぞれでしょうが、多かれ少なかれ親はここで、自分と相性の良い子供とそうでもない子供がいることを否応なく思い知らされます。親も、子供が自分とは別の人格を持った一個の人間なのだと理解する必要があるわけです。その上で、親は改めて子供と一対一で向き合っていかねばならない。ところがベスの場合、コンラッドに対してこの段階を踏まえる前に、バックの事故死という悲劇に見舞われることになりました。コンラッドと同じ目線で向き合う以前に、彼を愛するバックの命を奪った仇と見てしまったのですね。親としての子供への礼儀から、口にははっきり出さないまでも、このわだかまりがコンラッドへの愛情を示すことの障害になってしまいました。あるいはもし、バックが生きていたら、ベスとコンラッドの関係はどうなっていたでしょう。力強い存在のバックが緩衝材となり、時間はかかってもコンラッドとベス、カルビンそれぞれの間に、正常な大人同士の関係性が生まれていたかもしれません。

コンラッドがベスと似た者同士であったことも災いしました。コンラッドは、母親がバックの死の責任を自分に求めていることを感じ取っています。そして自分でも、兄を死に追いやったのは自分だと思い込もうとしました。母親も、時には父親さえもバックの死という事実を受け止めかね、その悲しみから逃れるために、コンラッドを問題児に仕立て上げている面があるからです。特にカルビンにはその傾向が強いのではないでしょうか。コンラッドを腫れ物に触るように扱っているのは、バックの死を正面から受け止める勇気がなかったことを隠すため。本当の意味でその身に兄の死の事実を背負っているのはコンラッドです。両親の苦しみを軽くするためにも、彼は全ての責任をかぶる覚悟で手首を切るに至ったわけです。コンラッドにとっても、そう信じ込んで死に臨んだ方がはるかに気が楽だったでしょう。兄の死は本人にも責任の一端があったのだと考えて、周囲の偏見にもめげず一から人生をやり直すより、自身をスケープゴートにした方が自尊心は痛まないし簡単ですから。監督は、バーガー医師を通じて、被害者であるはずのコンラッド自身にも、間違った思い上がりがあることを指摘しています。自殺という行為が決してヒロイックなものではなく、単に生きることの困難から逃げる手段でしかないこと。また、兄の死に責任を感じるのは、実は彼にとって己のエゴを守ることに他ならないこと。母親ベスは確かに独善的でそれを隠そうともしませんが、コンラッドもこの点において母と同じぐらい独り善がりであるわけです。

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さて、カルビンの存在は、この家族の問題を最終的に観客に明らかにする役回りでした。彼は世の多くの父親と同様、家族間の人間関係の実態に鈍感でした。いえ、考える必要もなかったはずです。バックが生きていれば。バックという、幸せな一家を象徴する人間がいなくなって初めて彼は、家族の絆が一皮剥けば赤の他人同士のそれと同じであることを理解します。“幸せなアメリカの家族”という幻想がもろくも崩れて一番衝撃を受けたのは、実のところ、カルビンだったでしょうね。父親が家族を守り、母親がそれを手助け、息子達が力を合わせるという、昔ながらの神話を信じていたのに、母親と息子はとっくの昔にバラバラの存在になっていた。なにより、愛という揺るがない絆で結ばれていたはずの妻が、バックの死と共に自分の目の前から消えてしまっていた皮肉。彼女はバックの死に耐えられないほど脆弱であった故に、バックを思い出させるコンラッドの存在を恐れ、ひたすら逃げ続けていたのですね。
カルビンは最後にようやく、バックの死を謙虚に受け入れなければ、コンラッドと向き合うことも永遠に不可能だと思い至ります。そして、ベスとの絆を取るのか、コンラッドとの絆を取るのか、究極の選択を迫られた末、未来の可能性を賭けて息子と生きることを選んだのです。それは彼にとってもコンラッドにとっても、全くゼロからのスタートであります。しかしカルビンは、自身の弱さをコンラッドに露呈することで、今一度、“親と息子”ではなく“対等の立場”で息子と対峙することができました。一旦はバラバラになった絆をもう一度作り直すには長い時間がかかるでしょうが、希望は失われないでしょう。
結局この物語の登場人物の中で、最も哀れなのはベスでしょうね。コンラッドを疎むことで辛うじて保たれていた魂の均衡は、夫の決別の言葉によって粉々に打ち砕かれてしまったのですから。自業自得だとは言え、あの後抜け殻になった残りの人生を彼女がどうするのか、同情を禁じえません。

これほどまでに“家族”の在り様に肉薄した作品も、そうそうないでしょう。父親、母親、子供、それぞれの心の軌跡を克明に追いながら、彼らが家族に対し抱いている葛藤や欺瞞すら浮き彫りにしていくのです。全体的にピシリと抑制の効いた、節度ある演出のおかげで、観客は生々しい物語の背後にある普遍的なテーマ―家族とは何なのか―に、無理なく帰結できます。家族の神話が崩壊した今だからこそ、親と子という枠組みを超えて、お互いがお互いを理解しようと努力すべきではないのか。そうすることが、“家族”という関係を新たに一から築き上げる礎になるのではないか。あえてハリウッド式ハッピーエンドを見せなかったのも、そうした監督のメッセージを観客一人一人に届ける意図があったと思われます。

また、ティモシー・ハットン、ドナルド・サザーランド、メアリー・タイラー・ムーア、三者三様に緊迫感に満ちた素晴らしい演技ですね。中でもサザーランドは、その特異な風貌からアクの強い役柄を演じることが多い俳優ですが、ここでは、誠実で少々気弱な父親像を印象的に作り上げていました。常に死の淵を覗き込んでいるかのようなコンラッドの不安定さを全身全霊で支え、作品に忘れがたい余韻を醸し出すことに貢献しています。
ともあれ、大方の予想を裏切って、難しいテーマに取り組み、知的でアーティスティックな演出手腕を披露したレッドフォード監督は、この作品によって1980年度のアカデミー賞を監督賞などの主要4部門で獲得しました。これに力を得た彼は、この後いよいよ監督業、製作業に本腰を入れ始めることになります。

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