House of M

アクセスカウンタ

更新情報

zoom RSS 「それぞれのシネマ Chacun son cinema」Part1 映画へのラブレター

<<   作成日時 : 2016/05/30 16:41   >>

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

「それぞれのシネマ Chacun son cinéma もしくは Chacun son cinéma ou Ce petit coup au cœur quand la lumière s'éteint et que le film commence(それぞれの映画館、あるいは光が滅び映画が始まるときの胸のこのときめき)」は、2007年に、カンヌ国際映画祭60周年を記念して製作された、フランスを含む24の国と地域によって合作されたオムニバス映画です。“映画館”をテーマにした3分間の短編映画であり、カンヌに縁のある映画作家たちが一堂に会したことでも話題を呼びました。

それぞれのシネマ ~カンヌ国際映画祭60回記念製作映画~ [DVD]
角川エンタテインメント
2008-07-04

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ商品ポータルで情報を見る


「夏の映画館 Cinéma d'été 」
監督:レイモン・ドパルドン
エジプト、アレクサンドリア。夏の夜には、家族や友人と連れ立って多くの人々が映画館に集まってくる。照明が落とされると、観客でごった返す館内は、これから始まる映画への期待で熱気がいや増すのだ。そこには、映画に寄せる純粋な敬意と夢が満ち溢れているといってもいいだろう。映画と観客との幸福な、なにものにも換え難い時間である。

「素晴らしき休日 One Fine Day」
監督:北野武
見渡す限り田んぼと畑しかない田舎町に、一軒だけある小さな映画館。真昼間から仕事もせずにぶらぶらする初老の男は、受付で切符を買うと、誰も客が入っていない映画館のまん前に陣取る。「はじまりま〜す」映写技師の呑気な声と共に、みすぼらしいスクリーンは映像を結んでいく。ところが、ほどなくしてフィルムが止まってしまう。なにかトラブルがあったらしい。寸断の後、再び映画が始まったが、またしてもトラブル発生。今度はフィルムに火がついている!映写技師は煙に巻かれて大慌てだ。レコードが針飛びするかのように、たびたび中断してしまう映画に、男は呆れつつタバコをふかす。そうこうするうち、映画はエンドクレジットになり、男は狐につままれたような面持ちで映画館を後にする。そして、田んぼと畑ばかりの小道をとぼとぼ歩いていった。
劇中で上映されていた作品は、おそらく北野監督の「キッズ・リターン」とお見受けする。ポカばかりの映写技師と、浮浪者のような客との間で交わされる無言の会話。客である男が、上映された映画を既に何度も観ていて、全て心得ているのだとしたら、この男と映写技師との間には一種の共犯関係が存在するとも考えられる。映画好き同士がイタズラを仕掛けあっているかのような、なんともユーモラスな空気が楽しい。

「3分間 Trois minutes」
監督:テオ・アンゲロプロス
ジャンヌ・モローは、かつて映画「夜」で共演したマルチェロ・マストロヤンニのことが忘れられないでいる。彼女は、3分間だけ滞在する目的で、ある映画館に足を向ける。薄暗く、狭い映画館のくすんだスクリーンの前には、マストロヤンニとおぼしき人影がうなだれ、うずくまっていた。息を呑むジャンヌ。彼女は呆然としながらも、今は亡きマルチェロの幻影へ思いの丈を語リ始めた。彼女の口から流れ出す言葉は、「夜」で彼女自身がしゃべった台詞。しかしそれは、役柄を離れたジャンヌのマルチェロへの愛を雄弁に伝えていた。だが無情にも3分間はあっという間に過ぎ去り、愛しい幻影は彼女の前から消える。
老いたりといえど、モローの存在感は格別である。アンゲロプロスという映画作家は、本来メタファーや長回しを多用し、ことさら作品を難解にする傾向があるが、この作品は全く異なる味わい。映画ならではのファンタジックな夢をモチーフに、「蜂の旅人」で組んだ今は亡きマストロヤンニ(1996年12月19日没)へオマージュを捧げている。映画館という特別な空間で3分間だけ実現した、モローとマストロヤンニの再共演。夢のあとには、それが幻のように掻き消える虚しさが、ほろ苦く私たちの胸を包んでいく。

「暗闇の中で Dans le noir 」
監督:アンドレイ・コンチャロフスキー
巨大な倉庫のごとき映画館には、しかしたった1人の客しか座っていない。初老の女は、涙をこらえながらタバコを取り出し、今しがた終了した映画の余韻に浸っている。だが、上映途中で映像にトラブルがあった。わずかの上映ミスも逃さぬ厳しさで、彼女は映写技師にその旨を伝えると、客席の中でセックスに興じるけしからぬ男女を睨み据える。最近では、映画館で映画を観る若者が減った。逆に、ここを安上がりな売春宿と勘違いしている輩が増えたのだ。こんな行為は映画への冒涜以外のなにものでもない。だが彼女はため息をひとつつくと、ようやくコトを終えたカップルが出て行くのを見計らい、大好きな「フェリーニの8 1/2」を上映するよう手配した。切符受付には“上映終了”の札を出すのも忘れない。大きなスクリーンで名画を堪能するひとときは、彼女にとって至福の時間なのだ。誰にも…そう他の観客にも、邪魔されたくはない。
若者の映画館離れが叫ばれて久しいが、これは個人的には、昨今の映画の質の低下と無関係ではないと思っている。優れた映画をたくさん観て“映画を観る力”を養う努力を怠っている私たちにも、当然非があるだろうが。私もつい先日、映画館でしこたま酒を飲んで酔っ払っている(もちろん映画なんぞ観ちゃいない)男に遭遇した。いや、そんなことは家なり店なりでやってくれ。酔いつぶれてしまっては意味がないだろう、せっかく大きなスクリーンの前でひとときの夢を見ようとしているのに。

「映画ファンの日記 Diaro di uno spettatore」
監督:ナンニ・モレッティ
さあ、フォーカスだ!
ボクの映画館初体験は、大島渚の「儀式」だった。子供の頃母親に連れられて観た映画、大人になって観た映画、自分に息子が生まれ、彼と一緒に観た映画。そうそう、意外に思われるかもしれないが、ボクは息子にせがまれて「マトリックス」も観てるんだ。若い頃はトリュフォーなんかもよく観たが、「ロッキー・ザ・ファイナル」も大好きだ!あのテーマソングを耳にするだけで燃え立つようだ。…時代も移り変わり、今はなくなってしまった映画館もある。ボクの映画への見方も変わっただろう。でも今でも、映画を愛する気持ち、映画への好奇心は一向に衰えることがないんだ。
私は、カメラ…すなわち観客…に向かって、己の考えをとうとうと語るモレッティ独自の手法が、実はあまり好きではない。パルムドールを獲得した「息子の部屋」にしても、描こうとするテーマへの過剰なまでの思い入れに、逆にしらじらと醒めてしまったものだ。だが今回は、自身と映画との関わりをカメラに向かって語るという、極めてシンプルかつてらいのない素直な演出に、映画好き仲間と酒を片手に談義しているような暖かな雰囲気も感じられる。なかなか好ましい一遍だと思う。

「電姫戯院 The Electric Princess House」
監督:ホウ・シャオシェン
かつての映画館は、幼い子供の手を引く観客でごったがえし、活気に満ちていた。中には度々映画館で遭遇するために、映画館で知り合いになった者もいた。映画館にはひっきりなしに新作がかかり、海外の映画も観ることが出来た。スクリーンの中に広がる未知の世界への、胸苦しいまでの憧憬と純粋な興奮。自分はこんな時代に育った。ところが今ではどうだ。あれほどいた観客は、映画館からすっかり姿を消してしまったようだ。館内には、フィルムが廻るカタカタという音が虚しく響いている。
日本人の私が観ても、なにやら懐かしさを覚えるセピア色の映像。くすんだ色合いの世界であっても、昔の映画館には目にも鮮やかな夢があった。そんな原体験が今の自分の血肉になっているわけだが、なにごとも変わらぬものはなく、映画館も映画を巡る状況も昔とは様変わりしてしまったというのが現実だ。映画は観客に夢を与える前に、商売の道具になり下がった。シャオシェン監督は、非常にストレートに昨今の映画事情を憂う作品を作り上げている。ここには、今後の映画界を担う人間としての、彼自身のひそかな決意も見て取れる。

「暗闇 Dans l'obscurité」
監督:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
真っ暗闇に沈む映画館とは、ある種の人間にとって願ってもない商売の場となる。手荷物があることも忘れ、一心にスクリーンを凝視する観客は、スリに財布をすられても気がつかないからだ。客席の下に身を潜め、息を殺して隙のある客の荷物を探る手。その手が目当ての獲物に触れたとたん、それは別の手によって捕まえられた。気づかれたのか?!だがスリの手を握った柔らかい手は、その悪行をなにもかも知った上で、それを慰撫するように握っているのだ。
ダルデンヌ兄弟は、奇しくもクローネンバーグが審査委員長を務めていたカンヌで、最初のパルムドールを「ロゼッタ」によって得ている。以降彼らは、シネマヴェリテの伝統を頑なに守りつつ、常に社会の底辺に生きる人々にコミットする作品を発表し続けた。なんらの修飾をも持たない彼らの演出法はシンプルそのものであり、だからこそ人間の本質を抉ることができるのだろう。この「暗闇」では、ともすれば苦い結末に終わることの多い彼らの作品の中では珍しく、とてもストレートに“赦す”ことの重要性を訴えている。憎しみと罰だけでは悪はなくならない、時には、それを過ちとして赦すことも必要なのだと言いたいかのようだ。

「アブサーダ Absurda」
監督:デヴィッド・リンチ
後ろの席からスクリーンを見る男女。スクリーン上には奇妙な小人が登場し、様々な映像が残像のように現れては消えていく。やがて、スクリーンを見つめる男女に似た男女がスクリーンに映し出され、巨大なハサミが客席に向かって飛び出してきたかと思うと、ジョギジョギとスクリーンと客席の間の境を切り裂いてしまう。「誰が彼女を殺したかわかってる…」スクリーンを見ていた女は男の豹変に驚き、男はハサミで女を切り裂いて殺してしまった。…スクリーンには、たった今までそれを見つめていたはずの女が現れ、夢の中の出来事のようにくるくるとターンする。「私はダンスが好きだったの…」
さて、リンチ監督は、今や“リンチ・ワールド”という独自のカテゴリを確立した映画作家である。たった3分の映像であっても、リンチ臭はたちどころに濃厚にたち込め、私たちは息も出来ないほどの幻覚に誘われる。スクリーンを見つめるという行為は、スクリーンの中の幻想と観客の側のファンタジーがいっときだけ溶け合うことを意味するのだろう。映画館という空間は、現実と幻想がその境界線を失う特殊な場所であるのだ。リンチは、記憶と現実の混濁、圧倒的で暴力的な死とあまりに脆い生を、映画館の中で溶け合わせてみせた。それは、永遠に覚醒することのない悪夢にも似た、暗い快楽を私たちにもたらしてくれる。

「アナ Anna」
監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
とある映画館では、ゴダールの「軽蔑」が上映されている。暗闇の中で、涙を流しながらスクリーンを凝視する娘アナ。彼女の隣では、彼女の手を握りながら語りかける青年が控えている。青年は、今スクリーン上で起こっている出来事を逐一アナに語っていた。周囲に憚るように小声で、しかしとても優しく。アナは、そんな青年の言葉を聞いているのかいないのか、ただ黙って大きな瞳を潤ませつつ、呆然と唇を半ば開いているのだ。零れ落ちそうに大きな瞳、大きな鷲鼻、分厚い唇。その様子はスクリーンに圧倒され、放心しているようにも見える。やがて彼女は1人映画館外へ出た。憂鬱な表情でカバンの中を探り、タバコを取り出す。少し遅れて彼女の傍にやって来た青年に、アナは問う。「映画はモノクロだった?それともカラー?…」青年は一瞬ためらった後、優しく彼女に答えた。「カラーだったよ」アナは青年の肩に縋って、今度こそ声をあげて泣き始めた。
イニャリトゥ監督の姿勢は常に直情的だ。それは彼の諸作品を観れば明白。「アモーレス・ペロス」「21グラム」「バベル」。描こうとするテーマへ、一直線に、妥協することなく己のパワーの全てを賭けてぶつかっていく。その熱さは、もちろん観る者の感情を激しく揺さぶるのであるが、時として余裕のなさを画面上に露呈してしまい、情熱の空回りに帰してしまうこともある。また、複数の出来事を高い位置から俯瞰しつつ描き、最後にそれを集約してゆく演出は、この映画作家の得意とするところだ。実はこの「アナ」でも、最後の最後にある秘密が観客にわかるように仕掛けられていて、それがカタルシスを生み出す。
つまり、アナは冒頭の様子からみても、相当な映画好きだとうかがえる。だが彼女の目は、その映像を映し出すことがないのだ。だからこそ、青年は彼女の横で映画の解説をしていたのであるし、アナが最後に彼に色を訊ねたことも納得がいく。大好きな映画をむさぼるように観たいのに、見ることができない辛さ。アナが視力以外の全感覚を研ぎ澄ませてスクリーンに対峙する姿は、“映画の持つパワー”あるいは“映画の未知の可能性”といったテーマ以上に、映画好きを自認する私たちの胸を突く。見ることが出来、聞くことが出来る幸せに胡坐をかき、私たちは日頃からこんなに真摯に映画に向き合っているだろうか。映画を生かすも殺すも観客の“眼力”。本当に映画を愛し、その未来を憂うのであれば、映画とは真剣に対峙するべきだろう。アナの涙を見ていると、少し己の居住まいを正したくなる。

「映画を見る En regardant le film」
監督:チャン・イーモウ
中国の田舎町に、ある日大きな荷物を乗せたバンがやってきた。バンからは、見たこともない機械が次から次へと下ろされていく。それは映画を上映するための機材一式であった。大きくて真っ白な布がひらりと広げられ、映写機が設置される。村で初めて上映される映画のための準備の模様を、興味津々で見守る子供たち。彼らの目には、一様に抑えがたい興奮と好奇心が輝いている。目の前で繰り広げられるお祭りにも似た喧騒は、映画が始まると本物の魔法のひとときに早変わりする。私たちは、子供の頃に感じたこの感動と興奮を決して忘れることはないだろう。


にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
ナイス

にほんブログ村

「それぞれのシネマ Chacun son cinema」Part1 映画へのラブレター House of M/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる