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zoom RSS 良心を信じる意志の力−ロバート・レッドフォード

<<   作成日時 : 2009/12/11 05:58   >>

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ロバート・レッドフォード

1937年8月18日生まれ
アメリカ、カリフォルニア州サンタモニカ出身

コロラド大学を1年で中退したレッドフォードは、画家になる夢を追うべくヨーロッパへ放浪の旅に出る。しかし現実は厳しく、たった1年で挫折すると、彼は旅先で知り合ったローラと58年に結婚、アメリカに帰国する。
帰国後は、舞台美術の勉強のために演劇アカデミーに入学しなおすが、当時から際立った美貌を買われて俳優志願に転向。1959年にブロードウェイ・デビューを果たす。デビュー後しばらくは鳴かず飛ばずで、テレビのホラー・シリーズもの「ミステリー・ゾーン」などに出演して糊口をしのいでいた。
1962 年に映画「戦場の追跡」で映画界にも進出。以降舞台出演の傍ら、「サンセット物語」(1965)や「雨のニューオリンズ」(1965)、「裸足で散歩」(1967)、「白銀のレーサー」(1969)などに立て続けに出演し、さわやかなハンサム・ガイとして人気を得るようになった。

しかしなんといっても彼の名声を決定付けたのは、ポール・ニューマンと共演した1969年製作の「明日に向かって撃て!」。映画は世界中で大ヒットし、主題歌「雨に濡れても」はスタンダード・ナンバーになったほど。この作品の出演料で、レッドフォードはユタ州コロラドの田舎町に『サンダンス・プロ』という製作会社を設立する。
その後の彼の活躍は、まさしく“最後のハリウッド二枚目スター”の名にふさわしいもの。アメリカン・ニューシネマの旋風が吹き荒れる中、スクリーン上ではグレゴリー・ペック以上に清廉潔白なイメージを崩さず、一貫して“良心の人”“正義の人”を演じ続けている。

●主な出演作品

2007年「大いなる陰謀」
2006年「シャーロットのおくりもの」(声の出演)
2005年「アンフィニッシュ・ライフ」(未)
2004年「二重誘拐」
2004年「セイクレッド・プラネット 生きている地球」(ナレーション)
2003年「アメリカン・ニューシネマ 反逆と再生のハリウッド史」
2003年「ポール・ニューマン 永遠のクールハンド」(TVムービー)
2001年「スパイ・ゲーム」
2001年「ラスト・キャッスル」
1998年「モンタナの風に抱かれて」(兼監督&製作)
1996年「アンカーウーマン」
1993年「幸福の条件」
1992年「スニーカーズ」
1990年「ハバナ」
1986年「夜霧のマンハッタン」
1985年「愛と哀しみの果て」
1984年「ナチュラル」
1980年「ブルベイカー」
1979年「出逢い」
1977年「遠すぎた橋」
1976年「大統領の陰謀」(兼製作)
1975年「華麗なるヒコーキ野郎」
1975年「コンドル」
1974年「華麗なるギャツビー」
1973年「スティング」
1973年「追憶」
1972年「大いなる勇者」
1972年「候補者ビル・マッケイ」
1971年「ホット・ロック」
1970年「お前と俺」

彼は俳優としてスターの王道を突き進んでいながら、一方では映画製作、監督といった裏方の仕事にも並々ならぬ力を注いでいた。1976年の「大統領の陰謀」では、サンダンス・プロとして初めて製作も手がけ、そして1980年ついに「普通の人々」で監督デビューも果たしたのである。ジュディス・ゲストの原作を丹念に映像化したこの作品で、彼は繊細で品格のある作品を創りだす演出家としての力量を見せつけ、見事アカデミー監督賞他主要部門の賞を獲得した。
翌年1981年、サンダンス・プロを母体にして、ユタ州パーク・シティにサンダンス・インスティテュートを設立。彼の主催でこの年から始まったサンダンス映画祭は、若い映画人に作品発表の場を与え、メジャーな映画製作会社とは趣を異にする“インディペンデント映画”を広く世に知らしめようという意図を持っている。現在ではこの映画祭は高い権威を得、毎年優秀なインディペンデント映画を送り出している。ハリウッドの大手スタジオやスター達もわざわざユタ州詣でに来るほどで、近年メジャー映画とインディペンデント映画の垣根はますます低くなる傾向にある。…

ところで、ここで白状しますと、私は俳優としてのレッドフォードにはあまり魅力を感じません。なんというか、あまりにも清潔すぎて、無味無臭のようなイメージがあるからです。まあ、なにも汚れ役をすることだけがいい俳優の条件だとは思いませんが、彼が演じるキャラクターはいつもいつも、アメリカ人が理想とする人間像からぶれないのです。言ってみれば、いつでも観客が安心して観ていられるヒーローなのですね。ワンパターンで、そんな役柄ばかり演じてきて役者として飽きないのかなと不思議に思っていたわけです。
ところがレッドフォードの監督作を観て、彼がなぜ“清廉潔白であること”に固執するのかがわかってきました。この人は、本当に人間の“良心”というものを信じているんです。ますます混沌とする現代社会において、あらゆる意味でモラルは低下する一方であり、良心に基づいて行動するという当たり前のことすら難しくなっています。こういった現状を憂い、社会に対してこの危機感を訴えていくため、彼はあえて人間の“良心”を喚起する題材を撮り続けているのですね。監督デビュー作となった「普通の人々」で、アメリカの中産階級の家族の崩壊を描いたのも、「ミラグロ/奇跡の地」でアメリカにおける異文化の衝突を描いたのも、全ては、人間は最終的にあらゆるしがらみを超えて己の“良心” に従って生きるべきだという、彼の明確なメッセージを伝えるためであったのです。
物質的には豊かでも、今を生きる人間の精神面は荒廃しているともいえる現在、そんな真面目一本槍な思想は到底“クール”だと受け入れられないでしょう。今は、何事もシニカルに構えて捉えることが主流なのですから。しかしだからこそ、モラルの基本に立ち返ろうと訴えるレッドフォードの愚直なまでに一途な行動は、イバラの道であるわけです。生半可な意識では持続できないと思いますよ。
実はもう一つ、私が彼の監督作に魅了された理由があります。1988年に製作された「ミラグロ/奇跡の地」において、主演に据えたラテン美女ソニア・ブラガといい仲になっちゃったというゴシップ。これが原因で、彼は長年連れ添ったローラ夫人と離婚することになります。ちょっと不謹慎ですが、いやーレッドフォードも生身の男だったんだなあと、その存在を妙に身近に感じたものです(笑)。それに彼は、私の大好きな俳優を多数自作に起用してくれるのですよ。「普通の人々」ではドナルド・サザーランド、「ミラグロ/奇跡の地」ではクリストファー・ウォーケン、「クイズ・ショウ」ではレイフ・ファインズ、「モンタナの風に吹かれて」ではサム・ニール、ダイアン・ウィースト…。映画好きの好奇心をくすぐるような、心憎いキャスティングを施してくれます。

彼は映画製作の世界においても、メジャーに対抗するインディペンデント映画の祭典「サンダンス映画祭」を主催しています。ハリウッドのメジャーな製作会社の作る作品が軒並みレベルを下げてしまっているのは、他でもないハリウッド自身のモラルが低下しているためであると世に問うためです。サンダンス映画祭では、パーク・シティ中のホテルや公共施設を簡易上映会場とし、運営はほとんどがボランティアによって行われます。誰でもボランティアに参加でき、8時間働けば、映画祭開催期間中無料でどの映画も観放題という特権を得られます。こういった部分にも、レッドフォードという人となりがにじみ出ているような気がしますね。
また、彼は環境問題にも積極的に取り組み、“E85”という、トウモロコシなどの穀物から抽出されるエタノールを85パーセント含有するクリーンな混合燃料を、石油に代わるエネルギー源として使用する運動を推進しています。その活動の一環として、彼は有名な生トーク・ショーにも出演し、石油からの脱却を訴える熱弁を振るいました。彼の姿勢に感化されたハリウッド・スターも多く、レオナルド・ディカプリオなども環境保護運動に熱心に関わるようになったそうです。

●フィルモグラフィー(監督・製作)

2007年「大いなる陰謀」監督・製作
2003年「モーターサイクル・ダイアリーズ」製作総指揮
2002年「ニューヨーク 最後の日々」製作総指揮
2000年「バガー・ヴァンスの伝説」監督・製作
2000年「舞台よりすてきな生活」製作総指揮
1999年「シビル・アクション」製作
1999年「ノー・ルッキング・バック」製作総指揮
1998年「モンタナの風に吹かれて」監督・製作
1994年「クイズ・ショウ」監督・製作
1992年「リバー・ランズ・スルー・イット」監督・製作
1992年「インシデント・アット・オグララ」(未)製作総指揮
1991年「ダーク・ウィンド」(未) 製作総指揮
1988年「ダルク家の三姉妹」製作総指揮
1988年「ミラグロ/奇跡の地」監督・製作
1987年「プロミスト・ランド/青春の絆」製作総指揮
1980年「普通の人々」監督

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「世間に対して機能しない人間になるのが怖いんだ」
レッドフォードは2002年アカデミー賞名誉賞を受賞しました。長年のハリウッドにおける貢献に対し贈られる同賞、大変名誉な賞なのですが、これを授与される側にとっては、なかなかに複雑な葛藤を生むものだそうです。彼も名誉賞授与の知らせを受けたとき、“第1線からは退け”という引退勧告と受け取ったそうですね。
彼が理想とする社会も、映画製作環境も、実現するのはまだまだ遠い未来のはなし。きっと彼にとっては、死ぬまで厳しい闘いの日々となるのでしょう。

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☆ ロバート・レッドフォード 自らを語る?
 1936年(37年の説もあり)8月生まれのレッドフォードと、1937年8月生まれのダスティン・ホフマン。先日、久しぶりにアクターズ・スタジオ・インタビューがあり、2005年に収録された二人の前編・後編がそれぞれ1本に纏められて、二日に渉って再放送された。どちらも見逃していたので、しっかりと録画してワクワクしながら見た。多感な時期に彼らの映画を沢山見たので、どちらも思い出深い俳優だ。 ...続きを見る
テアトル十瑠
2009/12/12 14:23
良心を信じる意志の力−ロバート・レッドフォード House of M/BIGLOBEウェブリブログ
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