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zoom RSS 人生とは「モンティ・パイソン/人生狂騒曲 The Meaning of Life」だPart2

<<   作成日時 : 2014/09/18 21:47   >>

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まー、人生、こんなモンだわ。つんつん。


どのような題材を取り上げても、モンティ・パイソンのスケッチ(コント)の根底には、既成権力へのすさまじい反発と、そんな権力に唯々諾々と従うしか能のない我々一般市民への容赦ない嘲笑があります。結局彼らのお笑いとは、これに尽きるわけですね。聖杯伝説を茶化した「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」でも、そのものずばりキリストの生涯をおちょくった「ライフ・オブ・ブライアン」でも、彼らは世界にはびこる“既成概念”を心底嫌悪し、モラルを打破することに無上の喜びを覚えていたのです。

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モンティ・パイソンとは、エロ・グロ・ナンセンスというお笑いの極北地点に到達した最初のコメディ集団であります。彼らが「空飛ぶサーカス」という異色コメディ・シリーズを作らなければ、その後の「サウスパーク」など、数々のフォロワーは生まれてこなかったに違いありません。しかも今もなお、パイソンズを凌駕するような異能は現れていないことを考えると、つくづく彼らはお笑い界のティラノサウルスであったのだなあと思いますね。お笑いの系統図を塗り替えた突然変異体にして、一代で絶滅してしまった最後の巨大な才能。パイソンズの残したスケッチを見ると、現在の英国お笑い界の火を守る「リトル・ブリテン」や「ミスター・ビーン」シリーズ(これも終了してしまったが)も、実に可愛らしいものに思えますよね(笑)。

さて、6人のオリジナル・メンバー・パイソンズとしては最後の映像作品になってしまった「人生狂騒曲」ですが、今回は、メンバーの1人エリック・アイドルの吹き替えを長年担当されていた、声優広川太一郎さんを偲ぶ意味で、全て日本語吹き替え版で鑑賞いたしました(笑)!いやー、面白いのなんのって。
私自身は、洋画は必ず字幕版で鑑賞したい人間なのですが、パイソンズの作品は別ですね。テレビシリーズ「空飛ぶサーカス」の頃からパイソンズの面々の吹き替えをされていた広川さん、グレアム・チャップマンの吹き替えの安原義人さん、ジョン・クリーズ担当の納谷六朗さん、テリー・ジョーンズ担当の飯塚昭三さん、マイケル・パリン担当の青野武さん、テリー・ギリアム担当の飛田展男さんが、皆変わりなく勢ぞろいしてくれていて、本当に嬉しい限りです。日本の声優界のことはあまりよく知りませんが、きっとどなたでも彼らの声は一度ならず聞いたことがあるはず。彼ら自身の声も、パイソンズに劣らず非常に個性際立っておりますよね。ひょっとしたら、様々なキャラクターを演じ分けるパイソンズ以上に、その役柄の特徴を上手く私たちに伝えてくれているのではないかと思います。
この作品は、最初から予算をかけて劇場映画用に製作されたものですし、ハナっからレイティングはきっちり“R”です(笑)。もちろんそれを承知で、パイソンズはテレビでは出来なかった過激きわまるスケッチも余すところなく披露してくれているわけですね。当然のなりゆきで、広川さん始めベテラン声優陣たちのアテレコもすさまじいものになってます(笑)。確認しましたが、英語音声以上に過激な部分もありました(大笑)。作品自体は、日本では劇場公開が見送られましたから、それへの腹いせもあったかも。

パイソンズのお笑いの中には、英国の歴史や社会事情をある程度知っておかなければ理解できないものも確かにあります。ですから、コントに解説を加えることも時には必要でしょうが、まあ普通は、それほど虚しい作業も他にありませんよね(笑)。パイソンズの歴史やお笑いの真髄に関しては、解説本や伝記本の類が出版されていますのでそれらを紐解いていただくとして、ここでは、素朴な一市民の目から、パイソンズ流“人生論”へのツッコミを試みたいと思います。

「クリムゾン 老人は荒野をめざす」

この短編作品がオープニングに置かれている理由は明白。パイソンズのエロ・グロ・ナンセンス喜劇への扉を開く勇気があるかどうか、ここで今一度観客に問うているわけです。監督は、パイソンズではシュールきわまるアニメーションを担当していたテリー・ギリアム。この短編の出来は素晴らしく、アイデアの奇抜さ、発想の面白さ、壮大なイマジネーションの展開等において、後の「バンデッドQ」や「未来世紀ブラジル」、「バロン」といったギリアムの諸作品の雛形となっています。近年の高齢化社会を明らかに意識した上での、痛烈な皮肉が小気味よいですね。“海賊じじい”として生まれ変わった老人達が、資本主義という荒野を雄々しく蹴散らしていく様に感動しかけた頃合を見計らって、すべてをオシャカにしてしまうパイソンズ流ダーク・ユーモア。まずはこれで軽くウォーム・アップしておかないと、その後の本編は耐え難いシーンの連続と化すでしょう。
ここで、性欲・食欲・権力欲といった人間の煩悩を純正培養し、大鍋で極限まで煮しめたような猛毒性のお笑いを想像してみてください。そんなもんはお笑いとは言えないし、そもそも想像もつかないわという方への再度の警告です。そんなあなたは、このオープニングだけご覧になってください。ギリアム節の魅力に大いに満足されることでしょう。

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レストランの生け簀で飼われているお魚ちゃんたち。よく見ると、顔はパイソンズのメンバーです(笑)。懐かしいですね、人面魚。彼らが劇中時々現れては、狂言回しの役割を担います。ぬくぬくと生け簀の中で安眠をむさぼっていても、いずれは人間に食われる運命の彼ら。考えてみれば、大きな社会の歯車にすぎない人間だって、このお魚たちと似たような運命を生きているだけではないのか…。ああ、生きるって…一体なんなんだろうねえ。

パート1:出産の奇跡

神聖なる生命の誕生の感動も、パイソンズにかかってはエロとグロと悪意の総本山になってしまいます。最初のコントは、一番わかりやすい類のものかもしれません。要は、最も尊ばれるべき存在であるはずの妊婦も赤ちゃんも、パイソンズの世界では最も悲惨な目に遭わされる存在になるという可笑しさですね。でもさあ、これは現状への皮肉でもなんでもないですよ?私は費用がバカ高い病院で2人子供を産みましたが、私がこれらの病院から受けた扱いは、パイソンズの産婦人科医と本質的に同じだったと思いますもの(笑)。1人目の子供の出産の時には、見習い看護婦連中の研修の実験台になったんですよ!今更ながら、腹が立ってきました。
さて、本編のクライマックスは、早くも次のコントでやってきます。宗教観とモラルの欺瞞をおちょくり、その神聖なる思想世界を嬉々としてあからさまな性の領域と合体させてしまう力技は、パイソンズが最も得意とするコントなのですね。
まずは、“第3世界の出産”のお話の舞台が、英国ヨークシャー州になっていることに大笑い。こらこらこら!そんなことやってると、北部の荒くれ男ショーン・ビーンが怒るぞ(笑)!余談ですが、このコントの主役、子沢山夫婦の旦那を演じているマイケル・パリンは、なんとショーンと同じヨークシャー州シェフィールドの出身です(笑)。
…敬虔なカトリック信者にもかかわらず、というよりそれ故に、産めよ増やせよと常軌を逸した数の子供を作り続ける貧しい労働者夫婦。しかし彼らは、失業してこれ以上家族を養えないからといって、神からの大切な授かりものである子供たちを研究施設に売り飛ばす人間なんですよ。そんな人間が、ただ唯一カトリックだけが正しい宗教であると壮大に歌い上げるわけです。

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宗教をおちょくることがおかしいというなら、この子沢山夫婦の行動は狂ってはいないのか。キリスト教という巨大な支配組織が信者に強いている教えの矛盾を突き、それに隷属させられているとも知らずに神の奇跡を信じざるを得ない民衆の哀れ。子供を金のために死なせるのが、全て神の御心だと声高らかに歌い上げるシーンは、ご丁寧にも名作ミュージカル「オリバー!」のまんまパクリになっています。パイソンズは、カトリックと同時にあの名作の陰に潜む欺瞞をも、血祭りにあげたかったのでしょうね。恐るべきグランギニョール。生命って、本当になんなんだろうとつくづく考え込んでしまいます。最後に登場するプロテスタントの中年夫婦には、一見すると論理的に思えるけれど実は大したことはなんにも語っていない演説が得意の(笑)グラハム・チャップマンと、女装なら任しとけのエリック・アイドルが扮しています。彼らの会話も挑発的。

パート2:「成長と学習」

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次にパイソンズの餌食になるのは、学校組織ですね。学校も今まで散々彼らの標的になってきましたが、映画ということでカリカチュアがより過激にグレードアップしています(笑)。高圧的で権威主義の権化である寄宿学校の校長を、この手の役柄は十八番のジョン・クリースが演じています。
パイソンズのコントでは、通常正しいとされる世界観が異常とみなされ、異端とされる世界観が正常とみなされます。ここでも、権威の象徴たる教師が意地悪でマニアックな変態として描写され、若くて未熟なはずの生徒たちが実に真っ当な神経を持った常識人として描かれていますね。しかしながら、自分たちの価値観を生徒たちの都合おかまいなしに強制する教師連中は、なにもパイソンズのコントだけに生息するものではありませんよねえ?違いますか?PTAや教育関係者の方々がご覧になったら、卒倒すること間違いなしのコントです。

パート3:「お互いに戦うこと」

教育という名の下に、とんでもねえ学習を積み重ねた子供たちが、長じてどうなったか。ここでは成人した人間が、いかなる行動をとるのか考察します。そう、お互いに殺し合いをするようになるんですね(笑)。

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戦争や軍事組織も、権威主義の象徴としてパイソンズの槍玉にあげられてきましたが、ここでもその精神は健在です。第2次世界大戦下、激戦地の塹壕で繰り広げられる奇妙な人情劇は、コントの中で唯一まともな世界観の持ち主であった大尉(テリー・ジョーンズ)をも、狂わせてしまいます。戦場で上官に心の篭もったプレゼントをする行為が、果たして狂気であるのか否か。パイソンズは、戦場で人間らしい行動を取る彼らが次々と敵の銃弾に倒れていくブラックなオチで、戦争そのものへの嫌悪感を露にしています。
「フル・メタル・ジャケット」のリー・アーメイを彷彿とさせる鬼軍曹を、マイケル・パリンが好演するコントはもっとわかりやすいですね。今や誰も軍隊教練を真面目に捉えちゃいないのですよ。
ナポレオン時代の英国陸軍が舞台のコントでは、「炎の英雄シャープ」シリーズでもおなじみの(笑)レッド・ジャケットが登場します。命がけの戦いに苦しむ彼ら下っ端兵士達も、人の死を屁とも思っていない冷血上官に振り回されるのみ。皮肉な状況です。ここでは、軍医役で出てくるグラハム・チャップマンがいい味を出していますね。彼は元々医者志望で、大学でも医学を修めた秀才なんですよ。そういえばパイソンズの面々って、ギリアム以外は皆オックス=ブリッジ (オックスフォード大学とケンブリッジ大学という英国を代表する大学機関)出身なんですよね…。普通の人間ならばね、そんな名門を出れば、もっとエリートの道をまい進しようと野望を抱くモンでしょ。ところが彼らは、揃ってこんな下品きわまるコントを演じているわけで(笑)。人生ってわかんないですよね。

〜映画の折り返し地点へようこそ!〜

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ここで、まるで「徹子の部屋」の徹子さんのような女性司会者が登場し、ある映像を見せてくれます。この「魚を捜せ」が、またラリっているようなシュールな映像でしてね。「空飛ぶサーカス」でギリアムが制作していたようなアニメを、そのまんま実写化したような内容です。この映画が紹介される際に結構引き合いに出される映像なんですが、中身は全くありません(笑)。

パート4:「中年」

本編の監督を担当しているマルチ・タレント、テリー・ジョーンズは、実はジェフリー・チョーサーや十字軍研究でも知られるインテリです(もちろん真面目な、専門的研究です・笑)。そんなジョーンズの趣味のせいか、ごく庶民的でお気楽な中年夫婦が、これまでの人生でまったく縁のなかった哲学的会話に挑戦するというコントが展開されています。“人はなぜこの世に存在するのか”なんて、一瞬たりとも考えたことのないような人間に、哲学を強要する可笑しさ。ちなみに、この夫婦を演じているのが、私が個人的に一番好きなコンビであるパリン(夫)とアイドル(妻)でして。彼らはさしずめ、ドリフターズにおける加藤茶と志村けんのようなイメージですね。両者共に達者ですから、間の取り方も絶妙。これはおそらく、この人たちにだけしか出来ないコントでしょうね。

パート5:「生体臓器移植」

人生において何一つとして成し遂げていない人間が、中年になってふと我に返る瞬間があります。“大したこともしていないまま、年をとっていくだけの人生で果たしてよいのだろうか”と。そんなとき、人はどんな行動をとるのか。ある人は小金をためて遊興に精を出し、またある人は突如ボランティアに目覚めてみたりもするでしょう。善意でドナーカードに登録したり、献血を行ったり。かくいう私も、献血に精を出しておりますが、ここで悲惨な目に遭うのはそんな善意の人たちです。

死後、自分の肝臓を移植に使ってくださいと登録するのが、肝臓ドナーカードの意味です。本来は、その登録者が亡くなった折に移植を行うもの。ところが、このコントの男が登録した会社は超悪徳でした。まだ生きている人間の肝臓を取りに来るのですから!ここは映画の中でもゴア度の高いシークエンスですが、せっかくの庶民の善意も、会社の“資本主義”の下では容易に捻り潰されてしまうという、狂気じみた諧謔が感じられますね。しかも、この男の妻までも、ちょいと気の効いた歌を聴かされて、簡単に大事な肝臓を取られてしまいます。哀れな庶民は、資本主義の犠牲になって生きるしかないのか。この悪魔の“肝臓提供社” は、そのまま全体主義を強要する国家体制のメタファーとなっています。
ここで、肝臓提供社が肝臓提供者を篭絡するために派遣するのが、アイドル扮するエンターテイナー。彼は、ひたすら銀河の大きさを数え上げる「銀河の歌」を歌い、獲物に生きる意欲を失わせる役目を担っているのです。この「銀河の歌」が結構いい歌だけに、その目的が余計恐ろしいですね。中年の危機とは、ふと己の人生の残りに思い至って、いっとき判断を迷ってしまう魔の瞬間であるのでしょう。
このコントの最後には、冒頭に出てきたクリムゾン終身雇用会社の海賊じじいたちが乱入します。このように、パイソンズのコントは、細切れのエピソードが微妙に他のエピソードと絡み合っている演出が施されています。メビウスの輪のようにぐるぐると円環していくエピソード群は、さながら終りのない人生論の追及に似ていますね。

パート6:「晩年」

中年の危機を脱した人間が、次に見舞われる災厄が晩年ですね。双六なら“あがり”が目前。死を身近に意識し始めた人間が、一体どのような行動を取るのか…。

ここでは、死ぬまでに少しでも多くの食物を口に入れようと、狂気じみた食欲に従う男クレオソート氏が登場します。パイソンズ好きの中でも、このコントだけはダメっていう人が多いんですよね(笑)。それほどえげつないです。容赦ないです。人間の数ある煩悩の中でも、食欲と性欲というのは、最も根源的で動物的なものですよね。パイソンズは、普段は取り澄ました人間の裏側に潜むそんな2大煩悩を、白日の下に曝してしまいます。本当はね、私たちは誰だって、クレオソート氏のようになってしまう可能性があるんですよ。人間とは、実に簡単に理性を失ってしまう弱い生き物なんです。

パート6B:「人生の意味」

クレオソート氏を手玉に取るウェイターとクレオソート氏の間には、擬似主従関係が存在します。客であるクレオソート氏が主で、ウェイターはそれに仕える者というわけですね。でも実際は、店を仕切っているのはウェイターたちです。店の中では、ウェイターたちこそが主として君臨しているわけですね。そんな彼らにも”人生の惑い”はあります。閉店して店内を清掃するときなどに、ふと自分の人生はこのまま客にへつらうだけで終わっていいものか、不安に陥るのですね。清掃婦のマリアが到達したシンプルな人生論も、結局は頭に汚物のバケツを被せられることでジ・エンド。ウェイターのガストンが披露してくれるお母さんとの逸話が、唯一人生の真理に近い部分を突いている気もするのですが、肝心のガストン自身は、しがないウェイター業に身をひさぐ自分を信じてなどいないわけです。

パート7:「死」

人生って何だろう。答えが出るようで永遠に出ないこの難題は、人をして堂々巡りの苦悩に陥らせます。そしてその人生の終りは、ある日突然、思ってもみない事情と方法で、私たちの身に起こるのですね。
荒野の中の一軒家で、取り澄ましたお上品な連中がパーティーを楽しんでいました。イギリス人の品の良い夫婦が、アメリカからの来客をもてなしているのです。しかし彼らは皆、揃いも揃って気取り屋の俗物ばかり。死神がやってきて彼らの命を天上に誘おうとしているにもかかわらず、己のエゴをむき出しにするばかり。死神もキレますわな(笑)。

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死はもっと厳粛に扱われるべきだ。性差別ジョークで死刑の判決を受けた男であっても、食中毒でぽっくり逝ってしまった鼻持ちならない似非セレブ連中であっても。生前の行いがどうあれ、死は等しくどんな人間の上にも訪れ、訳隔てなく天国への道を示してくれます。人間は、あらゆる意味で真に平等なる社会を作ろうと声高に叫び、また努力もするものの、結局のところエゴに打ち勝つことが出来ずに挫折します。良く生きようと頑張っても、冷酷な社会から無慈悲な仕打ちを受けてしまえば、簡単に人生を踏み誤ってしまう。人間は馬鹿で哀れです。人生なんて、あゝ無情です。でも考えてみれば、欠陥だらけの人間により良い社会なんて作れるはずがないのですよ。性懲りもなく無駄な努力を続ける人間を心底哀れんで、神様はあらゆる人の死を丁重に扱ってくれるのです。

天国の大宴会場には、人生の一場面を演じてくれた全ての登場人物が集結しています。人体実験の犠牲になった子供たちも、ズールー戦争で切り刻まれた兵士も、第2次世界大戦で愛する上官とケーキを食うことができなかった兵士たちも、生きたまま肝臓を奪われた夫婦も皆。生きている間には碌なことがなかった彼らも、こうして死してはじめて素敵な経験が出来るのですね(笑)。まさしく天国こそパラダイス。“極楽浄土”は、キリスト教にも仏教にも共通する思想だと思うのですが、それは言い換えれば、現実がそれだけ悲惨だということでしょう。私たちが、意思の疎通もままならない世界中の人々と共有できるのは、唯一 “チョー悲惨な現実”のみ。それでも生きていかねばならないのです。“生きる意味”というのは、そんなクソったれな世界で少しでも心地良く生きるために考え出された、人間の方便だったのですね。

「人生狂騒曲」は、メンバー個々の才能と特性を生かしつつ、モンティ・パイソンという集団の総決算となった作品だと思われます。彼らの有終の美を飾った映画は、カンヌ国際映画祭ではパルム・ドールこそ逃したものの、審査員特別賞を獲得しました。この後、メンバーはそれぞれの道を歩んでいくことになります。
実は、私が持っているDVDには、映画が始まる前におじいちゃんになった現在のエリック・アイドルが登場し、前口上を述べる映像が収録されています。アイドルは、彼らの長編映画「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」をミュージカルに完全移植し、その年のトニー賞の作品賞まで取ってしまいました(主演はティム・カリー、アイドルは作詞と作曲を担当)。老いたりといえど、その音楽の才能とお笑い精神は健在ということですね。前振りでも1人しゃべくり漫談を披露し、相変わらずのエンターテイナー振りでした。

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そして今年、故グレアム・チャップマンが天国で見守る中、なんとパイソンズ(−1)が再結成、ゲストも交えて再結成ライブを敢行。チケットは瞬時で売り切れたとか。いや、そりゃモンティ・パイソンだぜ?!メンバー全員、公演中におっ死んでも可笑しかないほどご高齢になったとはいえ、伝説ですもんね。いつまでもお元気で毒を吐きつつ、力一杯世にはばかってくださいませ。


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