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zoom RSS 恋と王冠の人生Part2―「レディ・ジェーン/愛と運命のふたり Lady Jane」

<<   作成日時 : 2014/04/09 22:15   >>

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エリザベス1世の父親ヘンリー8世が崩御した後、英国の歴史はどう動いていったのでしょうか。エリザベス1世に関係する作品をご紹介したいと思います。


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レディ・ジェーン・グレイ Lady Jane Grey

1537年10月12日生まれ
1554年2月12日没

暴君ではあったが絶対君主制を英国に築いたヘンリー8世亡き後、次の王位は、第3王妃ジェーン・シーモアとの間にもうけた唯一の王子エドワード(1537年 10月12日生まれ)に移った。母親ジェーン・シーモアは出産後すぐに亡くなっていたので、わずか9歳で即位したエドワード6世は、急進的なプロテスタント(新教派)であった伯父のサマセット公爵(エドワード・シーモア)の補佐を受けることになる。サマセット公は、摂政としての己の地位を盤石なものにするため、国内のカトリック(旧教派)信者を多数迫害したといわれる。それが、英国の宗教対立をさらに激化させることになってしまった。共に孤独な境遇だったためか、エリザベスは異母弟エドワードを随分可愛がっていたが、彼は非常に病弱だった。側近たちは、エドワード6世の早世に備え、英国国教会を急ピッチでプロテスタント中心とし、事前に次の王位継承者を遺言させた。なぜなら、順序からいえば、次の王位継承者は第1王妃キャサリンの娘メアリとなるからだ。メアリ王女は熱心なカトリック信者である。つまり彼女が即位すれば、国内の宗教勢力図が一気にカトリックに塗り替えられてしまう。それを阻止すべく側近たちが動き始めたわけだが、実は現国王の次の治世に王手をかけたのは、摂政サマセット公ではなかった。
1553年、15歳になったエドワード6世は病床に伏せっていた。崩御まで時間がない。ウォリック伯爵(のちのノーサンバーランド公爵ジョン・ダドリー)は、ヘンリー8世の妹メアリー・テューダーの孫にあたり、先王の最後の王妃キャサリン・パーが後見人を務めていたジェーン・グレイという少女に目をつけた。そして策略を巡らし、政敵であったサマセット公を謀反の罪で断頭台送りにした後、自身の四男坊ギルフォードとジェーンを無理やり結婚させてしまう。エドワード6世の次にジェーンを擁立し、自身は摂政としてその治世をコントロールしようとの企みだ。ジェーンの父親サフォーク公爵ヘンリー・グレイはプロテスタントであったし、我が娘が王位に近づくことにあえて反対もしなかったという。こうしてノーサンバーランド公は、死期の近いエドワード6世から、ジェーン・グレイへの王位譲渡の令を引き出すことに成功する。
エドワード6世が1553年7月10日に崩御すると、ノーサンバーランド公はジェーン・グレイの即位を宣言したが、この譲位にはやはり無理があった。ジェーン即位に異議を唱えるノーフォーク公爵が第1王位継承者メアリ王女を保護、彼女を旗頭にした反対勢力が猛攻を開始する。これまで弾圧されてきた多数のカトリック信者たちの蜂起もあり、メアリは1553年7月19日にサフォークで即位を宣言、王宮に乗り込んでジェーンとギルフォード夫妻を拘束した。ジェーンが王位にあったのはわずかに9日間。彼女は夫と共にロンドン塔に幽閉されることになる。
ノーサンバーランド公は大逆罪で処刑され、ギルフォードの兄弟たち―ジョン、アンブローズ、ロバート(後のエリザベス1世女王の最初の寵臣ロバート・ダドリーのこと)―はじめ、ダドリー一族も陰謀の連帯責任を問われて逮捕された。ジェーンは1554年2月12日、ギルフォードとともに断頭台に送られる。享年16歳であった。

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「レディ・ジェーン/愛と運命のふたり Lady Jane」(劇場未公開)(1985年製作)
監督:トレヴァー・ナン
製作:ピーター・スネル
原作:クリス・ブライアント
脚本:クリス・ブライアント&デヴィッド・エドガー
撮影:ダグラス・スローカム
音楽:スティーヴン・オリヴァー
出演:ヘレナ・ボナム=カーター(レディ・ジェーン・グレイ)
ケアリー・エルウェス(ギルフォード・ダドリー)
ジョン・ウッド(ジョン・ダドリー、ノーサンバーランド公爵)
マイケル・ホーダーン(ドクター・フェッケナム)
ジル・ベネット(エレン夫人)
ジェーン・ラポテア(メアリ王女)
サラ・ケステルマン(フランシス・グレイ、サフォーク公爵夫人)
パトリック・スチュワート(ヘンリー・グレイ、サフォーク公爵)
ウォーレン・サイアー(エドワード6世)
ジョス・アックランド(ジョン・ブリッジス卿)他。

テューダー朝の時代にはこうした悲劇が数多く起こり、尊い血が大量に流されました。絶対君主制が確立してしまったせいで、その権力の甘い汁を吸おうと無数の陰謀が画策されたからですね。また、ヘンリー8世が押し進めた宗教改革(英国内の宗派をプロテスタント化する試み)によって、プロテスタントとカトリックの対立が激化したことも、国内の権力闘争の混乱に拍車をかけました。
その中でも、権力を欲する大人達のエゴに翻弄され、わずか15歳で傀儡の王に仕立てられ、たった9日間で王位を追われることになった、レディ・ジェーン・グレイの悲劇は際立っています。彼女を取り上げた海外のサイトが多数あることからも伺える通り、あまりにドラマチックな彼女の生き様は後世の人々の哀れを誘い、その後多くの小説や映画、絵画などの題材になりました。
この作品は、著名な舞台演出家トレヴァー・ナンの映像作で、現在ティム・バートン監督のパートナーとなっているヘレナ・ボナム=カーターの映画デビュー作にあたります。英国演劇界の層の厚さというべきか、歴史の深さというべきか。主演の2人(ヘレナ・ボナム=カーターとケアリー・エルウェス)が当時殆ど無名であったにも関わらず、脇を重鎮が固めることで作品におのずから気品と重みが加わりました。
混乱する英国王位を巡る血なまぐさい陰謀、あるいは英国史上最も荒廃した時代とも言われる当時の民衆の生活の厳しさとは対照的に、共にまだ幼いジェーンとギルフォードのままごと遊びのような夫婦生活が、後の彼らの悲劇を思うだに哀切です。それは文字通りほんの束の間の幸せだったのですが、結婚当初から彼ら夫婦は心を許し合っていたわけではありません。

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ジェーンは本の虫で、頭は良かったかもしれませんが世間知らずで頑なな性格。常に不機嫌に頬を膨らませた子供でした。対するギルフォードは、史実でも指摘されていますがかなりの放蕩息子だったようで、見るからにネンネのジェーンとの結婚を渋ることしきり。対照的な性格だった彼らは、政略結婚を無理強いされた運命を呪い、当然のことながら衝突を繰り返します。ですが、傀儡ではあっても共に王座に就くという環境の激変を経験すると、一寸先は闇、周囲は敵ばかりという宮廷内で、次第に結束を深めていくのですね。また、民衆の悲惨な生活ぶりを生まれて初めて知ると、そうした状況を変えられる力が自分たちに備わっているという自覚が、やがて彼らをして国王としての責務に目覚めさせたのだと、説得力をもって描かれています。ミドルティーンの子供達が、歴史の荒波にもまれつつも、なんとか自らの足で立とうと成長していく姿は、生命力に満ちた若芽にも似て美しく、また愛おしいものです。特に、試練を乗り越えるたびに花が開くように美しくなるジェーンと、たくましく頼りがいある男になっていくギルフォードの変化が、若いヘレナとケアリーの素の姿に重なって、非常に新鮮に感じられました。
綿密な時代考証に則った、豪奢な美術背景や衣装が素晴らしいのは言及するまでもありません。また、華やかで薫り高い宮廷生活と、その裏で幾重にも張り巡らされる権謀術数の醜悪さの対比、また、激化する宗教闘争と、その犠牲になる民衆の悲劇の対比を効果的に織り交ぜることで、ドラマに普遍性が加わっています。確かに描かれる時代は中世のお話ですが、現在でもこれと構造を同じくする悲劇は世界のいたるところで起こっているわけで、それを思うといたたまれない気持ちになりますね。
しかし、ようやく夫婦として身も心も結ばれ、彼らが周囲の思惑から自立して新たな第一歩を踏み出そうとした矢先、第1王位継承者メアリ王女がカ、トリック信者の一斉蜂起を背景に迫ってきます。ジェーンとギルフォードを、権力への駒として自在に動かそうとした人々の目論見も、もろくも崩れ去ったわけですね。若き夫婦になんの咎もないのではありますが、このような結果になるであろうことは、歴史を知らずとも薄々感じ取れます。筋書き通りにいかないのが歴史の深遠さでありますし、一国家がまとめられていくまでには、貴卑の別を問わず多くの人々の血が流されるもの。ロンドン塔に幽閉され、公開処刑場に引っ立てられていく黒衣のジェーンの悲愴さは、営々と流れていく国家の歴史の陰にひっそりと咲いた花を思わせますね。
断頭台の上でジェーンが最後につぶやいた言葉は、愛する夫の名前“ギルフォード”でした。直後、一羽の鳥が空高く飛んでいくショットがあるのですが、肉体を離れた彼女の魂が、引き裂かれた夫の元へ羽ばたいていったのでしょうか。死の間際になってようやく、彼女は女王ではなく1人の少女に戻ったのだと思います。


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ロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されている「レディ・ジェーン・グレイの処刑」(デラローシュ作)。実際は彼女の死刑執行は屋外で行われ、映画でもそれを踏襲しています。


ぱっと見には機嫌の悪いマルチーズのようにも見える(笑)ヘレナ、これがデビュー作と思えないほどのしなやかで美しい演技でした。ケアリーと並んで、ジェーンとギルフォードの生の輝きと死の哀れを、実に鮮やかに体現していましたね。この作品を観ていたアイヴォリー監督が、「眺めのいい部屋」のヒロインに彼女を抜擢したのも頷ける話です。

さて、メアリ1世として即位したメアリ王女ですが、彼女は敬虔なカトリック信者としてプロテスタント粛清に乗り出します。実はメアリという人は、即位するまで、辛うじて王位継承権は有していたものの、父王ヘンリー8世には疎まれ続けるという不遇の生活に甘んじていました。キャサリン・オブ・アラゴンの娘でありながら、母親が父親と離婚した後は、その身分も庶子に近い扱いであったそうです。また、アン・ブーリンがヘンリー8世の王妃として権勢を振るっていた頃には、異母妹エリザベスに臣従するよう強制されてもいます。誇り高いスペイン王室の血筋と、英国内での低い扱いの落差の間で葛藤したメアリは、父王とその後の英国の政治体制が一様にプロテスタント化していくことに我慢ならなかったのでしょう。

結婚相手として婚約を交わしていたスペイン王太子フェリペ(後のフェリペ2世)の圧力もあって、やむなくジェーンとギルフォードの処刑を断行したメアリ1世は、極端なカトリック復帰政策を掲げます。プロテスタントによる政治運営システムが完成しつつあったというのに、それを白紙に戻そうとする彼女には当初から風当たりが厳しかったようですね。臣下たちの反対を押し切ってフェリペとの結婚を決定した暁には、ケント州でエリザベスの即位を求めてトマス・ワイアットが反乱を起こしています(1554年)。ワイアットの乱は鎮圧されたものの、危機感を強めたメアリは、妹エリザベスがこの反乱を画策したと断じて彼女にロンドン塔への移動を命じました。そしてフェリペとの婚姻を急ぎ、プロテスタントの指導者を300名も処刑し、“ブラッディ・メアリ(血まみれメアリ)”と揶揄されるようになります。大きな犠牲を払ってまでフェリペと結婚したものの、夫の国スペインとフランスの戦争に英国を巻き込んでしまう結果になりました。夫の要請にしたがってメアリはフランスに派兵しましたが、大敗を喫し、領土カレーを失う羽目になったのですね。国内にあってはプロテスタント弾圧で恐怖政治を敷き、対外的には唯一の領地を失うなど、メアリ1世の治世下では、英国がもっとも荒廃した暗黒時代であったと評価されるのも無理からぬことです。

自身の女王としての信用度が急落していたことを知ってか、あるいは妹エリザベスへの積年の恨みからか、常に彼女に対して断頭台行きをちらつかせては苛め抜いたと言われます。メアリ1世は即位から5年余りで卵巣腫瘍を発病し(毒殺説もある)、失意の中、死の直前になってようやくエリザベスを後継者として指名しました。メアリ1世の命日1558年11月17日は、長らく国民の祝日として祝われましたが、同時にエリザベス1世女王が国民からの重い期待を背負って誕生した日ともなったのです。芳紀25歳の若き女王エリザベスには、英国の政治経済の建て直し、宗教闘争の鎮圧という数々の難題が押し寄せることになります。


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