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zoom RSS ソレルさんと探索する文豪の旅―「文豪の真実」Part1

<<   作成日時 : 2016/07/05 12:27   >>

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エドワード・ソレル Edward Sorel

1929年3月26日生まれ
ニューヨーク、ブロンクス出身

エドワード・ソレルは、アメリカが世界に誇るイラストレーター、グラフィック・デザイナー、そして何より風刺漫画家として知られる。著名な雑誌『The Atlantic』『The New Yorker』等の常連作家にして、そのイラストは『The Atlantic』、『Harpers』、『Fortune』『Forbes』、『The Nation』『Esquire』、『American Heritage』『The New York Times Magazine』等、錚々たる雑誌の表紙を飾った。あまり知られていないが絵本の挿絵も手がけており、うち3冊に至っては、彼自ら文章も綴っている。彼の個性溢れる作品群がまとめられたものとしては、おそらく『Unauthorized Portraits』(1997年刊行)が最も有名であろう。(この作品集は、1999年7月2日から2000年1月2日まで、ナショナル・ポートレイト・ギャラリーにて展示されていた。ナショナル・ポートレイト・ギャラリーの公式サイト内のこちらで、その模様を窺い知ることができる。ソレルの作品がたくさん掲載されているので、彼の特色を知るには最適のサイトである)


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「WOODY ALLEN」


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「AND THE OSCAR DOESN'T GO TO ....」

1998年にはワシントンのナショナル・ポートレイト・ギャラリーにて個展を開催し、その評判を得て、ニューヨークのグラハム・ギャラリーやデイヴィス&ラングデイル・ギャラリー、ワシントンのスーザン・コンウェイ・ギャラリー、ボストン・アート・ギャラリー、果てはドイツのミュンヘンにある Bartsch&Chariauギャラリーに於いても“ワンマンショー”(個展)を行った。彼は、イラストレーターあるいは漫画家として、アメリカ国内のみならずドイツでも多くの賞に輝いており、その数たるやとてもここに書き出せないほどである。そして2001年にはついに、漫画としては初めてニューヨークのアート・ディレクターズ・クラブの殿堂入りを果たした。
現在彼は、夫人のナンシー・コールドウェル・ソレル(作家)と共にニューヨークのハーレム地区で暮らしている。古今東西を問わず、時代を象徴する人物像のカリカチュアの腕は今も衰えることを知らない。よって、彼の絵筆の前に屈服した著名人の数は増え続ける一方だ。そして2007年、彼の作品集のひとつ『Literary Lives』が「文豪の真実」と題され、日本で初めて翻訳される運びとなった。

天才モラリスト、天才文学者を斬る!

彼の鋭いペン先のによって最初に斬り捨てられる文豪は、レフ・トルストイ、アイン・ランド、マルセル・プルースト。彼らの作品は、その多くが映画化もされていることから、映画好きにも馴染み深い名前であろう。
トルストイの「アンナ・カレーニナ」「戦争と平和」など、何度映画化、テレビドラマ化されたか分からないほどだ。アイン・ランド女史の大作「肩をすくめるアトラス」も映画化され、近々公開予定である。プルーストは、「スワン家のほうへ」が「スワンの恋」として映像化が実現。もっとも、出来上がった映画を観てみると、やはり元が長大な小説であるだけに、映画化は難しかったとみえるが。

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「文豪の真実 Literary Lives」(2006年)
エドワード・ソレル Edward Sorel:文と絵 藤岡啓介:訳 (マール社)

この作品は、ニューヨーク在住の名物風刺漫画家エドワード・ソレルが、その大胆不敵、才気煥発もはなはだしい彼独自の“カリカチュア”手法でもって、10名の世界的文豪たちの真の姿を描き出した挿絵本である。我々が神とも崇め奉る天才作家たちの狂気を孕んだ生涯が、情け容赦ないソレルの絵筆によって、今明らかになる。

【プロローグ】E.L.ドクトロー氏による、ソレル画伯へのオマージュ

彼は果たして、描く対象に敬意を払っているのだろうか?
描き殴ったとしか呼び様のない豪放磊落な(雑な)素描に、陰影やら皺やら(おそらく)といったものが、ぐちゃぐちゃの線で描き加えられて完成するポートレイト。余白には、所狭しと吹き出しやキャプションが書き込まれる。ミミズが風に傾いでいるようなひょろりとした文字が、子供の作文のごとしの文法でびっしり並んでいて…。しかし我々は、その読みづらいことこの上ない文字を必死で追わねばならない。なぜなら、彼が暴く大作家たちの真の姿は、後世に残った作品からは想像もつかないほど素っ頓狂であるからだ。


【レフ・トルストイ】

特に日本で心酔者の多い文豪、レフ・トルストイ。数々の名作小説とリベラルな思想で有名な彼は、元は伯爵家の苦労知らずのボンボンであった。クリミア戦争に行ったものの、士官であったためにたいした危険にも遭わず、結婚前には私生児を2人もこさえ、賭博で借金を抱え込むなど放蕩のし放題だった。しかし34歳の誕生日に、正しいキリスト教徒たらんと、生活を改める誓いを立てる。
キリストの教えに背く“ブルジョワジー”を嫌悪し、農奴を解放しようとするも、他ならぬ農奴自身の抵抗に遭ってあえなく失敗。18 歳のソフィアと結婚したが、12年後には夫婦仲はすっかりお寒くなっていた。「アンナ・カレーニナ」「戦争と平和」という屈指の傑作をものにし、印税からの莫大な収入によってトルストイは大金持ちの伯爵になる。しかしこれは彼が望んだ状況ではない。彼はあくまでも、私利私欲を捨てた求道者でありたかったのだ。
印税をもたらす小説を書くのを止め、宗教的・思想的な冊子を執筆する。清らかな魂を守るために禁欲を誓うが、ソフィアは結局13人目の子供を身ごもってしまう。トルストイの求道精神は留まるところを知らず、著作権の放棄、領地の解放、私財の放棄までを決意せしめる。ソフィアは怒り狂い、家庭生活、子供の生活、ひいては自身の生活を守るためにトルストイに罵詈雑言を浴びせかける。
1910年10月、愛娘に付き添われて家出を敢行するトルストイ。これ以上、拝金主義の妻の傍にはいられないからだ。しかしロシアの冬の寒さは老体には辛い。彼はあっという間に風邪をこじらせ、肺炎に倒れた。
トルストイは、あらかじめ決めておいた領地の中に葬られる。墓は土盛りだけで華美な葬式は行わないこと。これが遺言だった。彼が眠る場所の近くに、生涯彼が追い求めていた“普遍的な愛”の秘密が記された緑の枝が隠されているかもしれない。

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文豪トルストイの生涯を、その中で起きた特筆すべきトピックスだけを印象的にピックアップして、語り尽くしてしまう手際のよさ。たった数ページの間にその生涯の核となるものを描出する技は、もはや単なる風刺を超えた名人芸の域に達しており、感嘆するしかない。もちろん、ソレル氏の筆によるトルストイのイラストは、誇張はあるにせよ本人の特徴をよくよく捉えてもいる。
ソレル氏の飄々とした細ペンイラストの軽やかさと、シンプルな…しかし多分に辛らつな文豪への解説のユーモアに気をとられていると、その裏に隠された鋭い人物批評の眼力を見過ごしてしまいがちだ。トルストイという偉大な作家の本質を、自身の煩悩との終りなき戦いと価値観の異なる妻との終りなき戦いに集約してみせたのだから。尤も、トルストイ信者がこのシニカルきわまる風刺を目にすれば、卒倒するのは想像に難くないが。拙ブログ内のトルストイに関する記述はこちらこちら。私の愛する逸品「アンナ・カレーニナ」についての記事である。トルストイは歴史に残るヒロイン像をいくつも打ち立てている。だが彼の人生を見る限り、彼自身の生き様は「アンナ・カレーニナ」の語り部レヴィンそのものであり、複雑な女の性を見せるアンナ等のヒロイン像は、彼の思想と理想を具現化したものだったのではないかと思われる。


【アイン・ランド】

1926年。芳紀21歳のアリシア・ローゼンバームは、革命が起こってボルシェビーキの抑圧する故郷ロシアを捨てた。ついでに、いかにもユダヤ人風な名前も捨て去り、“アイン・ランド”と改名。大作家になって名をあげることを決意し、ニューヨークにやってきた。
1929年。ビザが切れる寸前、セシル・B・デミル監督の映画「キング・オブ・キングズ」でエキストラを志願したところ、現場で俳優の卵の美男子フランクに出会う。もちろんこのチャンスを逃すランドではない。即結婚だ。
1943 年。大著「水源」出版。ランドの信念“自由放任資本主義”を象徴する主人公ハワード・ロークの波乱万丈の物語だ。彼は名門大学を去り、孤独や貧困をものともせず己の私利私欲を満たす人生を歩み続ける。他者への貢献を偽善とし、欲望に忠実に生きることこそ美徳とする彼の思想は、ランド自身が唱える“超個人主義”そのものであった。ジャック・ワーナーは、この苛烈なキャラクターの主人公とランドをいたく気に入り、「水源」の映画化権を買い取る。
1950年。ランドは、秘蔵っ子のネーサンとバーバラの結婚式をお膳立てした。今や彼女の“自由放任資本主義”思想は、アメリカで確実に心酔者を増やしつつあったのだ。
1955年。ランドに心酔する者の中でもひときわ目立つネーサンはナサニエルと改名し、身も心も完全にランドの支配化に置かれた。このとき、ランド50歳、ナサニエルは25歳である。妻バーバラは、ついに愛人関係となった2人の情事を知るや逆上し、発狂寸前に追い込まれる。情緒不安定な妻と高圧的な愛人ランドの間に挟まれ、苦悩するナサニエルであったが、彼にはランドを捨てる勇気はない。
1958年。「肩をすくめるアトラス」出版。ナサニエルは「ナサニエル・ブランデン協会」を設立し、ランドの利己中心主義哲学、自由放任資本主義を唱えるカルト教義がここに正式に誕生した。ランドは今や“進め、奪え、誰にもやるな”を掲げたモーゼ。彼女の足元には全米、カナダから駆けつけた信奉者がひれ伏している。文芸評論家はこぞって、ランドの思想を単なる誇大妄想だと切り捨てるが、どっこい実際には彼女の元には講演依頼が殺到していたらしい。
1968年。ランド63歳。60の坂を越えても性の炎燃え盛るランドは、ナサニエルが若い愛人を作っていたことに大激怒。彼に破門を言い渡す。信者を1000人も従えるランドとて、加齢には勝てないのだ。
1982 年。憎まれっ子世にはばかり続け、ランド77歳でようやく永眠。800人からの葬儀参列者の中には、アメリカ財界の大立者アラン・グリーンスパンの姿もあった。棺の脇には巨大なドルのシンボルが立てられていたが、これはランドの化身でもあるそうだ。極めて簡潔にして明瞭な、自己表現であろう。

肩をすくめるアトラス
ビジネス社
アイン ランド

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アイン・ランドの名前をご存知の方は、日本には少ないのではないだろうか。実は私も彼女の代表作「水源」(邦訳既出、ビジネス社刊行)は未読であり、ここで彼女の生き様についてとやかく言える立場にはない。だが、運命の暗転、逆境をものともせず、ひたすら前へ前へと突き進む彼女の生命力には畏怖せざるを得ない。例えその思想に共感できなくとも、既に性別すらも超越した唯一無二の存在に成り上がったランド女史には、やはり一定の敬意を表すべきなのだろう。
ソレル氏も、ことこのランドと後述するノーマン・メイラーの章に関しては格別に力を入れていることがわかる。なぜというに、この2人の文豪は、文学者でありながら極端な政治活動にも従事したことで共通しているからだ。政治に深くコミットしようとする作家は忌み嫌われる。しかしソレル氏はあえてそんな彼らの生涯を深く掘り下げ、そこから“アメリカ”という国の本質をも明らかにしようと試みているのではないか。ランドはロシア人だが、彼女ほどアメリカ的資本主義を貫いて生きた人間もいないだろう。映画「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」の拝金主義の山師は、己の欲望に貪欲に生きた結果自滅したが、ランドは肥大化する人間の欲望すら意のままに操ってみせた。アメリカ経済界のエリート達の中に、今だに彼女の信奉者が存在することや、著書「肩をすくめるアトラス」がアンジェリーナ・ジョリー主演で映画化される噂があることからも、彼女の思想がその是非はともかくも、不滅であったことが伺える。まこと、オンナの底力を感じることよ!


【マルセル・プルースト】

1881年、10歳のプルーストは喘息の発作に襲われる。裕福な家庭のボンボンであった彼は以降、高名なパパや大金持ちのママ、召使達に傅かれて育つ。
1888年にコンドルセ高等中学に入り、同級生の少年と愛し合うように。プルーストは既に己の性的嗜好を心得ていて、幅広カラーとクラバットで身を飾っていた。翌年にはなんと、若くたくましいマッチョたちと暮らしたい一心で軍隊に入隊。この下心がいけなかったのか、窒息性喘息の持病を再発、ただ1人別室に隔離されてしまう。
1894年、偉いパパの口添えでパリの法律学校に入る。マチルド大公夫人のサロンに出入りし、高名作家たちの猿真似芸で上流階級社会に取り入るのだった。
1896年、「楽しみと日々」出版。批評は散々。プルーストは、彼の処女作をこき下ろした評論家に決闘を挑む。しかしその後、両者共にピンピンしているのを見れば、本当に弾丸が飛び交ったのかも疑わしいが。
1905 年、ママが亡くなった。プルーストは天文学的な数値に上る遺産を相続し、長年の夢を叶える。いわく、労働者階級の貧しい若者でも利用できる、安価なホテルを建設したのだ。また、世間に性的嗜好を知られたくない人々のために、男娼専門の売春宿も創業する。これらの建物には密かに、オーナーのための覗き穴が壁に設けられていた。
1913年、「スワンの家のほうへ」出版。この作品で、プルーストは文壇での大勝利をようやくものにするが、愛人アルベールの急死という不幸に直面する。プルーストは続篇「失われた時を求めて」で、アルベールとの思い出をアルベルチーヌというヒロインに託して語りつくすのだ。
1922年。執筆と睡眠のために交互に摂取していたアドレナリンとアヘンの副作用で、プルーストの健康は蝕まれていた。凍りつくほど寒いパリのホテルで、昔の愛人を待ち続けた結果風邪をこじらせ、肺炎を発病。享年51歳で急逝する。
1927年、「失われた時を求めて」最後の一遍「見出された時」刊行。プルーストの名声は神がかり的に高まり、この作品の中で“コンブレー”と呼ばれていた町イリエは、ついにイリエ=コンブレーと改名する。今やここイリエ=コンブレーはプルースト崇拝者のメッカとなっているのだ。

抄訳版 失われた時を求めて〈1〉 (集英社文庫)
集英社
マルセル プルースト

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「失われた時を求めて」全編を読破したぞ、という猛者はいらっしゃるだろうか(笑)。かくいうわたくしは、途中挫折組である。
映画になった「スワンの家のほうへ」(映画化タイトル「スワンの恋」)を観賞した際、関係する部分を読んだに過ぎない。すべてを制覇するには、時間も心の余裕もなかった。
つまり、プルーストの文学は読者を選ぶのである。熱心なプルースト研究者からお叱りを受けるのを承知で断言する。彼の小説は、少なくとも彼と同じ思考回路を共有し(過去の追憶にこそ人生の真意があると信じる)、彼と同じ境遇にあるような(経済的に豊かな)人々のみに向けて発信された芸術なのだろうと思う。彼を礼賛する人々の中に、特権階級特有の屈折したスノビズムに被虐的な憧れを抱く気持ちは、少なからずあるはずだ。
私はごく普通の人間であるし、過去の思い出ばかりに浸る余裕もない。目の前に差し迫った、今現在を生きなければならないのだから。私にとってプルーストとは、死を直前にした者の遺言である。だから、私も老い果てたときにこそもう一度、彼の作品を紐解いてみようと思っている。

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