Don’t steal my posts. All posts on this blog are written by me.

House of M

アクセスカウンタ

zoom RSS すべてはローンのため。―「サンキュー・スモーキング Thank You for Smoking」

<<   作成日時 : 2013/03/02 23:09   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

ニコチンパッチの貼りすぎにはご注意を!

「サンキュー・スモーキング Thank You for Smoking」(2006年製作)
監督:ジェイソン・ライトマン
製作:デヴィッド・O・サックス
原作:クリストファー・バックリー「ニコチン・ウォーズ」(東京創元社)
脚本:ジェイソン・ライトマン
撮影:ジェームズ・ウィテカー
音楽:ロルフ・ケント
音楽監修:ピーター・アフターマン&マーガレット・イェン
出演:アーロン・エッカート(ニック・ネイラー)
マリア・ベロ(ポリー・ベイリー)
デヴィッド・ケックナー(ボビー・ジェイ・ブリス)
キャメロン・ブライト(ジョーイ・ネイラー)
ロブ・ロウ(ジェフ・マゴール)
アダム・ブロディ(ジャック・バイン)
サム・エリオット(ローン・ラッチ)
ケイティ・ホームズ(ヘザー・ホロウェイ)
ウィリアム・H・メイシー(フィニスター上院議員)
J・K・シモンズ(BR)
ロバート・デュヴァル(ザ・キャプテン)他。

サンキュー・スモーキング (特別編) [DVD]
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2010-06-25

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by サンキュー・スモーキング (特別編) [DVD] の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

口から先に生まれたといっても過言ではない男ニック。彼は、健康志向の世間から疎んじられるタバコ業界を代表する、凄腕のPRマンである。タバコの弊害を訴えるテレビ番組にも堂々と出演し、肺癌で余命いくばくもない少年の手を握りつつ、弁舌爽やかにタバコと肺癌は無関係であると論じるほど。そう、彼にとっては情報をちょっぴり操作することなど、赤子の手を捻るより容易なのだ。禁煙運動によるタバコ産業への圧力をかわす為なら、そのハンサムな容貌と明るいスマイルだって惜しまない。また、タバコのパッケージにどくろマークをつけるべきだと主張する、ヒステリックな嫌煙運動家フィニスター上院議員とも、何度も衝突している。タバコのせいで不治の病に侵され、タバコ業界を相手取って訴訟を起こそうとしていた元CMスターに対しては、大金を積んで訴訟を諦めさせる。
しかし、ニックがいかに論理のすり替えの天才であろうとも、ここのところの世界的な嫌煙ブームには対抗しきれない。このいささか分の悪い戦いの中、彼は妻にも愛想をつかされてしまった。週に一度会えるだけの最愛の息子ジョーイにも、その職業のせいでなかなか腹を割って接することも出来ない。自信に満ち溢れたロビイストという華やかな顔の裏で、彼が唯一本音を明かせるのは、同じく世間から嫌われるロビイスト仲間、ポリー(アルコール業界のPRレディ、酒豪)とボビー(銃製造業界、銃マニア)だけだ。3人は夜ごとダイナーに集っては、互いの業界への風当たりの厳しさを愚痴り合い、自らを自虐的に “三銃士”と呼び習わしていた。ニックは起死回生を狙い、タバコ業界のドン“ザ・キャプテン”に、かねてから温めていたアイデアを明かす。ハリウッドにタバコを売り込む作戦だ。そう、映画スターがフィルムの中で美味そうにタバコを吸えば、それを観る若者たちに、タバコの魅力を雄弁に伝えることが出来る。百聞は一見にしかず、だ。ニックを息子のように可愛がっているザ・キャプテンの激励を受け、ニックはハリウッドに乗り込むことになった。
学校の課題で親の職業の小論文を書くことになったジョーイは、母親の強硬な反対を押し切って、ハリウッドに向かう父親に同行する。世間からどれほど忌み嫌われようとも、己の職業に誇りを持つ父親の姿を間近で見たかったからである。ジョーイ自身に備わる弁術の才は、おそらく父親譲りのもの。彼もそれを充分に自覚していた。
ハリウッドを動かすスーパー・エージェントの1人、ジェフと交渉したニックは、浮世離れした映画界の雰囲気に気圧されながらも、喫煙シーンを大々的に盛り込んだSF映画製作の契約を取り付けた。ジョーイとの不器用な親子の時間も持ち、彼らの距離は少しづつ近づいてゆく。ところがここで珍事が起こった。ある日ニックは過激派の嫌煙団体に誘拐され、体中にニコチンパックを貼られてこん睡状態に陥ってしまったのだ。ニコチンパックは禁煙を目指す人間には欠かせないものだが、ニコチンを肌から体内に吸収させる効能がある。つまり、たくさんのパッチを貼れば、それだけ大量のニコチンが体内に流れ込んでくるのだ。ニックは喫煙者であったために元々ニコチンには耐性があり、なんとか死を免れた。世間の同情がニックに集まる中、この状況を利用しない手はない。彼はフィニスター上院議員の招聘に応じ、鼻息も荒く公聴会に出席する決意を固める。
しかしながら、幸運はそうそう長続きしないもの。かわいいおっぱいを持つ若い女性記者へザーに接近されたニックは、つい出来心で彼女とベッドを共にしてしまう。睦言の合間に、ロビイスト業界の裏事情やタバコ産業の暗部を彼女に暴露した挙句、それを新聞にすっぱ抜かれたニックは、上司BRから解雇を言い渡された。栄光からどん底へ。部屋の中で鬱々と閉じこもるニックに発破をかけに来たのは、他ならぬ別れた妻と息子ジョーイであった。ジョーイは父親に“情報操作の王”としてのプライドを思い出させる。ニックは再度のやる気を奮い立たせ、群がるマスコミのカメラの前で堂々と持論を展開、改めてフィニスター上院議員の公聴会へ出席する旨を宣言する。ジョーイ、三銃士仲間のポリーとボビーらが見守る中、彼は臆することなくタバコへの愛着を述べる。タバコの弊害を攻撃する論旨に対しては、上院議員の出身地の名産チェダーチーズのコレステロール値を槍玉に挙げて対抗。タバコであろうが何であろうが、それを摂取するのは本人の意思ひとつに託されるべきであると主張し、ついに満場の公聴席を唸らせてしまった。
フィニスター上院議員をやりこめたニックにマスコミが群がる。BRは態度をころりと変えてニックの復職を宣言するが、彼はそれを承服しなかった。ニックは自身のプライドを別の形で表現することを選択したのだった。つまり、二度とタバコ業界には戻らない、と。
企業が抱える大小さまざまなトラブル解決に対し、的確なサジェスチョンを授けるアドバイザーとなったニック。あの公聴会の後、タバコ業界は相次ぐ訴訟攻撃に抗し切れず、BRも職を失う羽目になった。ニックはといえば相も変わらず、その天賦の才能を遺憾なく発揮している。誰にでも、得意なものは一つぐらいあるものなのだ。


―この映画は喫煙を推奨するのか否か?―

画像


オープニングタイトル。各種タバコのパッケージ・デザインをバックに、キャスト並びにスタッフの名前が映し出される。ご機嫌なナンバーのメロディに乗った洒落た演出に、本作の極めて快調な滑り出しを感じるわけである。
しかも主人公はタバコ業界のロビイスト。演じるは、長身・金髪・甘いマスクのアーロン・エッカートだ。ちょっぴり鼻にかかった母性本能をくすぐるその声で、立て板に水のごとくタバコの無害を述べ立てられれば、観客としてはついうっかりタバコ業界の肩を持ちたくなるというもの。
映画は、我らがニックが、世間一般だけでなく家族にまでその職業を軽蔑されている様子を、実にテンポ良く見せていく。しかし、密かに父親の弁術の才覚を受け継ぐ息子ジョーイとの関係から、ニックが決して己の職業と天賦の才能に引け目など感じていないことも、同時に提示する。たとえ、フィニスター上院議員に悪魔とののしられようが、肺癌で余命幾許もない元CMスターにライフルを向けられようが、彼が舌先三寸で飄々とピンチを脱する度私たちは拍手喝采したくなるのだ。社会におけるニックの役回りの良し悪しや影響度がどうあれ、自分の信ずる道を邁進するニックの姿は至極素晴らしいとすら思わせてくれる。
フィニスター上院議員をはじめ、タバコを目の敵にする保守層の暴走は、とりもなおさずマジョリティのマイノリティへの圧力のメタファーでもあろう。保守層の鼻を明かしていくニックについつい肩入れしたくなるのは、個人の嗜好にまで差別意識を隠そうとしない、そのマジョリティという名の巨大な亡霊に、私たちがいかに嫌悪感を抱いているかの現われだ。尤も、かくいう私たちだって、マジョリティの一端を担っていることには変わりないのであるが。
ではこの作品はタバコを礼賛する映画なのだろうか?答えはNo。ついでながら、本作はタバコを批判する映画でもない。作品のテーマは、そんな不毛な論争にはないのだ。最後に、往年の映画スターたちが喫煙している映像を別のものに摩り替える、悪しき“検閲”シーンが登場する。歴史の改ざんではないかとのマスコミの追及に、フィニスター上院議員はとり澄まして答えるのだ。“これは歴史の建設的再構築である”と。しかし、これこそ情報操作の最たるものであろう。ニックがディベートの際に意図的に論理のすり替えを行うのとは、“情報操作”のレベルが違いすぎると言いたいのだ。もちろん、タバコのパッケージにわざわざどくろマークを貼りつける以上に、罪深くも矛盾と欺瞞に満ちた行為である。結局本作は、タバコを巡る狂乱の馬鹿馬鹿しさを強調することで、この映画史への冒涜行為への怒りを発露しているのだと思う。ニックがタバコ業界活性化のためハリウッドに乗り込んでいくエピソードが、この映画の大命題の伏線となっている。劇中では、日本文化オタクのけったいな映画プロデューサー(ロブ・ロウ怪演)が、ブラッド・ピットとキャサリン・ゼダ=ジョーンズにタバコを持たせようと画策するが、そういえば昨今のハリウッド映画で、ハリウッドスターがタバコをぷかぷか吹かしているシーンというのはあまり見かけないのではないだろうか。よしんば喫煙シーンがあったとしても、良く見れば俳優はヨーロッパ人であったりする。土足で映画史を踏みにじる検閲行為の影響は、“ハリウッドスターはティーンたちの清く正しいロールモデルであらねばならない”とヒステリックに叫ぶ一部保守層同様、映画の都に暗い影を落としている。

―この映画はディベート映画なのか?―

画像


我らがニックは、ディベートの才能ひとつでのし上がった人物だ。いわば己の口が命綱であり、また皮肉なことに、同時にアキレス腱でもある。ハリウッドに乗り込み、順調であったかに見えたニックの運命は、スクープを狙う女性記者の色仕掛けによってあっけなく暗転する。それこもれも、彼のよく廻る口が余計なことまでしゃべってしまったため。ドラマとしては、一度はどん底まで落ち込んだニックの、ここからの反撃がカタルシスにつながっていく。ディベートに長けた男は、ディベートに揚げ足をとられ、再びディベートを武器にヒーローに返り咲く。してみると、この映画はいかにもディベートが主役であるような気もするのだが、やはり違うだろう。ライトマン監督が狙ったのはむしろ、ディベートの流れ次第で、いかようにも“正義”の意味合いが変わってしまうアメリカ社会(他の社会も同様)の可笑しさを提示することだったのではないだろうか。この作品は、勝利の風向きをなんとか自分の方に手繰り寄せるため、屁理屈を並べて大金を投じ、右往左往する人々をシニカルに笑い飛ばすコメディなのだ。
シニカルといえば、世間的には憎まれ役たるニックの唯一の仲間が、同じく肩身の狭い業種である酒業界と銃業界のロビイストだけというのが、なんともリアルで笑える。劇中の要所要所で挿入される、ニックとポリー、ボビーの“嫌われ者三銃士”たちの愚痴のこぼしあいが面白い。メディアの前では自信満々に演説をぶつ彼らも、毎日毎日、世間の風向きがどちらに傾くかで、それぞれが代表する業界への影響を心配しているのだ。ロビイストという、日本ではあまりなじみのない職種の実態が垣間見えるようで興味深い。額面どおりの正義を振りかざせば、 “三銃士”たちが働く業界は社会からなくなってしまう方がいいのだろう。酒もタバコもやらなければ健康を害することもないのだし、銃なぞそもそもこの世になければ、たぶん戦争だって起こりえない。しかし、人間というのは扱いにくいシロモノで、理屈だけでは成り立たないのだ。酒もタバコも銃も、社会の弊害ではあれ、実際に無いとなると社会に歪みが生じてしまう。“必要悪”とでもいうのか。実はニックたちの仕事というのは、そういった必要悪をなんとか社会に認めてもらうよう、現実と理想の間の軋轢を最小限に抑えることであるようにも思う。そして“ディベート”とは、必要悪と社会の間に折り合いをつけるための、いわば緩衝材の役割を持つのではないだろうか。この作品を観ていると、そんな気もしてくるのだ。

―親と子のいる風景―

画像


ローンのため、はたまた1人息子の尊敬を勝ち得るため、ディベートの嵐を掻い潜った我らがニック。彼が最終的に辿り着いた結論とは、業界から追放されて初めて知った、自分自身の可能性と向き合うことだった。結局彼が己の存在証明の拠り所としていたのは、タバコではなくてディベートによるサバイバル力。シニカルな笑いの中に、ニックの成長物語をもさらりと絡めた演出のスマートさにも感心した。
また、ニックの運命が動く度に、キーパーソンである息子ジョーイのキャラクターが生かされるのも心憎い。メイン・ストーリーの脇は、このジョーイとニックの親子関係の変化でしっかりと固められている。“子は親の背を見て育つ”という。ニック自身は、“息子のため”に厳しい試練に耐えていると思い込んでいたのだが、実はニックの方こそが、いつのまにか成長した息子に支えられ、生かされていた。ジョーイに対し、庇護すべき息子としてではなく、1人の男として対等に対峙した時、ニックもまた己が人生を自分でコントロールできるようになったのだろう。親子関係の奥深さも、本作を観る上でひとつのポイントになると思う。

それにしても、ニックを演じるアーロン・エッカートの鼻声が、こんなに魅力的に聞こえるとは思わなかった(笑)。正直、彼の飄々とした独特の風情がなかったら、ニックにここまで共感していなかったはず。演じようによってはいやらしくも見えるニックという人物像に、適度なチャームを付与できたのは、ひとえに彼の緩急心得た演技のおかげだ。ケイティ・ホームズが出演しているからというのではないが、もしトム・クルーズのような押しの強さで迫られていたら、こちらとしても堪ったものではなかったろう。なにしろ、ニックというキャラクターは全編ほぼ出ずっぱりなのだからして。
画像

ニックに敵対するフィニスター上院議員の、絶妙なる小物感も素晴らしい(笑)。偉いんだか卑小なんだかよくわからないあの雰囲気。万全を期したはずの公聴会でニックに逆襲され、鳩が豆鉄砲食らって失神寸前になっているようなあのオロオロ状態は、ウィリアム・H・メイシーならではの名人芸だ。彼は、脇を固めて初めてその真価を発揮するタイプの役者さんなのだろう。大抵の出演作品で、実に上手く“おいしいとこ取り”をしている。
他にも、ニックの親代わりのザ・キャプテン役に重鎮ロバート・デュヴァルを配するなど、豪華なキャスティングを惜しまなかったのが、本作の成功の要因のひとつでもあろう。リッチな脇役は、それだけで作品に奥行きと味わいを与えてくれる。彼らのアンサンブルが、アーロンとジョーイ役のキャメロン・ブライトというフレッシュ・コンビを、影でしっかりと支えている。



にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 3
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
すべてはローンのため。―「サンキュー・スモーキング Thank You for Smoking」 House of M/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる