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zoom RSS 悪魔は私の中にいる−「愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像」

<<   作成日時 : 2015/10/16 23:10   >>

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'Love Is the Devil: Study for a Portrait of Francis Bacon' --- The devil has existed inside me.


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フランシス・ベーコン Francis Bacon

1909年10月28日生まれ
1992年4月28日没
アイルランド、ダブリン出身

実は、同姓同名の著名な哲学者フランシス・ベーコンの傍系の末裔。生まれたときから身体が弱く、学校へ通うことができなかったベーコンは、家庭教師について勉学を終えた。正統な美術教育も受けてはいなかったが、1926年頃から独学で水彩画、素描を始めた。翌年1927年から1928年までベルリンとパリに遊学し、1929年にロンドンに戻る。家具の設計や室内装飾をして生計を立てる傍ら、油絵に手を染める。1934年にはロンドンのサンダーランド・ハウスで初めての個展を開催するに至るが、ベーコンはそれまでに描きためた作品のほとんどを自ら処分する。そして、一時的に筆を折ってしまう。

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第 2次世界大戦後、1944年頃から再び絵筆を取るようになり、翌年1945年にはロンドンのルフェーヴル・ギャラリーで“キリスト磔刑図のための3つの習作”をお披露目している。当時の美術界は抽象絵画が席巻していたが、ベーコンはそれに反発し、かたくななまでに具象絵画を描き続けた。しかし彼にとっての “具象”とは、対象となる事物のあらゆる部分が歪み、捩れ、極端にデフォルメを施されたもの。人間の感情の核となる絶望や、哀しみ、痛み、不安といったネガティヴな面を、目に見える形でさらけ出そうとする試みなのだ。口を大きく開いて叫ばんとする不気味な人間が、モチーフとしてよく表れるが、歯科医向けの医術書や、映画「戦艦ポチョムキン」で無慈悲にも額に銃弾を撃ち込まれる女の姿などに影響されているという。また、過去の名作絵画を下敷きに、そこに描かれる人物像をベーコン風に引きゆがめた異様な作品も制作している。このように彼の作品には、生身のモデル以外にも、写真、映像、過去の絵画などからインスパイアされた部分が大きく占めているといわれる。観る者に不快感や不安を与える特異な画風で、彼はキリストや法王などを描いたわけで、その芸術の真髄を評価する際に、“スキャンダラスな画家”という前評判が一人歩きしてしまった感は否めない。

だが戦後、ベーコンの作品の方向性は完全なる道を見出し、1949年、名高い「頭部」シリーズの制作に着手した。その後、1954年にはヴェネツィア・ビエンナーレのイギリス館でその「頭部」シリーズが展示されるなど、画家としての評価は基盤である英国を飛び出していく。映画で描かれる60年代から70年代初頭にかけては、フランシス・ベーコンの名声は英国内外で轟いており、ニューヨーク、パリのグラン・パレで大回顧展が催され、“生存する中で最も偉大な画家”と謳われるまでになる。


…芸術とは、狂気と正気、愛情と冷酷のパスティーシュ(混成画)。

「愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像 Love Is the Devil: Study for a Portrait of Francis Bacon」(1998年製作)
監督:ジョン・メイバリー
製作:キアラ・メネージュ
脚本:ジョン・メイバリー
撮影:ジョン・マシソン
音楽:坂本龍一
出演:デレク・ジャコビ(フランシス・ベイコン)
ダニエル・クレイグ(ジョージ・ダイアー)
ティルダ・スウィントン(ミュリエル・ベルチャー)
アン・ラントン(イザベル・ローソーン)
エイドリアン・スカーポロー(ダニエル・ファーソン)
カール・ジョンソン(ジョン・ディーキン)
アナベル・ブルックス(ヘンリエッタ・モレイズ)他。

薄ら寒い部屋に戻ったベーコンは、いまだ愛人の体臭の残る枕を抱きしめ、その残り香を思い切り吸い込んだ。彼の胸には、永遠に失われた愛への甘酸っぱい感傷と、それ以上に苦々しい後悔の念がゆっくりと広がっていく。

思えば、彼とジョージ・ダイアーの出会いも不思議な因縁を感じるものだった。
1960 年代のロンドン。ベーコンは、画家としての莫大な才能と知性の上に胡坐をかき、名声を欲しい侭にする人生を謳歌していた。彼は今世紀最高の画家と謳われていたのだ。そんなある日、彼のアトリエに貧しい青年が泥棒に入る。彼こそがジョージ・ダイアーだ。ベーコンは、服を着込んだ上からでもわかるダイアーの肉体の美しさを舐めるように鑑賞すると、警察に通報しない代わりに自分の愛人になることを強要する。ヘビに睨まれたカエルのごとくその要求に従ったダイアーは、その日からベーコンの絵のモデル兼愛人として、芸術家の気まぐれに奉仕することになる。

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ベーコンとダイアーの蜜月が始まる。ベーコンはダイアーの若々しくも力に満ちた肉体に耽溺し、久しぶりの交歓に夢中になる。また、美しいが無教養、純朴だが頑固で短気なダイアーを上手に甘やかし、彼から受ける無限のイマジネーションを創作に大いに利用するのだった。口さがないベーコンの取り巻き連中であるレズビアンのミュリエルや、たかり屋ディーキン、ヘンリエッタらは、早速このゴシップに飛びつく。世界的に有名な画家先生と田舎者丸出しの青年の凸凹カップルをからかっては、品のない猥談に花を咲かせる。尊大なベーコンは、知識階層であることを鼻にかけ、他人の噂話ばかりしているような連中の陰口にも動じず、彼のミューズたるダイアーをかばうのだった。

しかしながら、ごく普通の男であるダイアーにとって、アートという名の狂気と常に対峙しながら生きるベーコンの傍に侍ることは想像を絶する生活でもあった。ベーコンは、ダイアーをアクセサリー代わりに自分の属する世界での社交に連れ回し、今までダイアーが属していた世界―ギャングや社会の底辺で生きる人間の属する―から切り離してしまったのだ。見ず知らずの金持ち階級の世界に突然放り込まれたダイアーは、周囲からの好奇の視線と嘲笑に耐えられなくなってくる。ベーコンを深く愛するようになったダイアーだが、その愛情とは、寂しい小犬が飼い主に構って欲しくて必死でまとわりつくようなもの。一方、ベーコンの欲する愛とは、自虐的な肉欲と結びついており、どこまでも圧倒的に彼を支配する屈強さであった。

そんな環境の中で、ダイアーはやがて心身ともにすり減らしていくようになる。所詮彼は、己の人生を犠牲にして生み出されるベーコンのアートと、同時にそのアートという悪魔と戦わねばならない画家のサガを理解できなかったのだ。対するベーコンの方も、当初こそ、その赤子のようなダイアーの純真を愛したものの、無学な頭と自立できぬ幼稚な精神をうとましく思うようになる。ベーコンがダイアーをモデルに傑作をものにする一方で、彼らの愛情生活は溝を深めていった。ベーコンは荒れるダイアーを放ったらかし、カジノで遊んだついでに屈強な若者とつかの間の情事を楽しんだり。ダイアーはダイアーで深酒に溺れるようになり、ベーコンと2人きりでいても、睡眠薬の手助けなしには眠れなくなるまでに追い詰められていく。周囲の無理解と非寛容、人生をめちゃめちゃにされても尚愛する男からの裏切り。血まみれの男、無限に続く階段から転がり落ちる男、永遠に魔物に追いかけられる男…あたかもベーコンの作品世界を実践するように、ダイアーは日々悪夢にうなされる。

ベーコンは、精神を病み自滅していくダイアーを間近で見つめながらも、彼に救いの手を差し伸べることはなかった。なぜなら、ダイアーは未来のない人生への極度の不安から死に近づきつつあったからであり、そしてベーコン自身が死のイメージにどうしようもなく魅了されていたからだ。昔見た自動車事故の光景から得た、不思議に鮮烈な美の形式。車から放り出された人達は、奇妙な角度に手足を折られ、血に染まっていた。それは本来凄惨な絵柄であるにもかかわらず、見るものを捕えて離さぬ力があったのだ。ベーコンの心の中には、ダイアーが死に至るその瞬間を見たいと欲する暗い欲望と、いまだダイアーに残す未練がせめぎあっていた。自分自身の狂気すらどうにもできないのに、いくら愛人とはいえ他人の狂気を引き止めることなど、彼にはできない相談だった。

ダイアーはベーコンの心が自分から離れつつあることを敏感に感じ取っていた。だからといって、今更彼の家を出て元の泥棒家業には戻るわけいにもいかない。ベーコンの世界に居場所はなく、自分だけの力で新しい人生を模索する勇気も出ない彼は、ベーコンから恵んでもらう金で睡眠薬と酒を買う怠惰な毎日に埋没していた。来るべき展覧会のための創作に没頭したいベーコンは、ダイアーのアルコール中毒と睡眠薬中毒が重症であることを知りながら、言い訳程度に彼をブライトンの避暑地に追いやったり、取り巻き連中に守りをさせたりして適当にあしらってしまう。ダイアーは孤独に耐え切れず、ベーコンのお供で向かったニューヨークのホテルで投身自殺を図ろうとした。

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しかしついにはベーコンのアトリエからダイアーのものと思われる麻薬が発見され、警察沙汰になるに及んで、ダイアーが麻薬中毒でもあったことが明らかになる。ベーコンのマネージャーであるイザベラは、そんな2人の関係を心配し、手遅れにならぬうちにダイアーの中毒を治す手助けをするべきだと諫める。彼女は、ベーコンの作品にダイアーへの慈しみが溢れていることから、心の底ではベーコンがいまだダイアーを愛していることを見抜いていたのだ。ベーコンは、ダイアーへの愛情すら一滴余さず創作の糧にしていた。彼のアートは、愛人の人生や生命、あるいは彼自身の人生すら食い尽くし、さらに膨張していく。アーティストとしてさらなる高みを目指すベーコンにとって、そういった犠牲はアートの悪魔との契約事項の中に含まれるものであった。

つまり、一度捩れてしまった関係を元に戻すことは不可能であった。ベーコンはイザベルの忠告を聞き入れず、1971年、パリのグラン・パレで開催された大回顧展にダイアーを連れて行った。彼を描いた作品が展示されるからという事情もあったが、死の影が覆い始めた彼を1人にはしておけないという気持ちの方が勝っていたともいえる。しかし相も変わらず、ベーコンの口から飛び出す言葉は辛辣で、ダイアーの弱りきった心を深く傷つけるものだった。ベーコンのダイアーへの態度は、頑是無くむずがる子供を持て余す継母のようなもの。とうてい愛人へのいたわりなど感じられない。ベーコンは睡眠薬と酒のボトルに手を伸ばすダイアーを置いて、1人で喝采の場へと向かっていった。
取り残されたダイアーは大量の睡眠薬と酒をあおり、強烈な酩酊感の中、ついにホテルのトイレで絶命する。奇妙なことにその最期の姿は、ベーコンがかつて彼をモチーフに構図した作品とぴったり合致していた。結局ダイアーは、ベーコンの創造意欲に活力を吸い取られ、あげくベーコンの作品世界の中に永遠に取り込まれてしまったのだ。生前ダイアーは、あれほど自身の肖像画を気味悪がっていたというのに。

ベーコンはまたしても愛人に去られ、1人ぽつねんとアトリエの中央に座り込む。もし彼がそこで声を限りに叫んだとしても、誰にもその声は届かないであろう。彼のいるその世界は、彼を称賛する人々によって、見えない壁を介して取り囲まれている。彼らはシャンペンを掲げ、口々に彼を褒めそやしながら、しかしアートの孤絶の中で画家が耐え切れずに発狂するのを心待ちにしているのだ。口元に優雅に笑みを浮かべながら。
愛の悪魔(トールサイズ廉価版) [DVD]
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2005-02-25

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芸術家を扱った映画を数え上げれば、枚挙に暇がありません。
芸術とはすべからく、芸術家に内在する狂気の発露であるといえます。従って、芸術家を描く映画も、その狂気を描く行為から逃れ得ないわけですね。要は、どういう手法でその実体なき狂気を可視化させるのかということに、映画の出来不出来もかかっているのです。

ベーコンという異色の芸術家の狂気を可視化せしめんため、メイバリー監督が試みたのは、ベーコンの作品世界と映像を一体化させること。実在する作品から切り離された数々のイメージ―血の赤、叫び歪む顔、捩れるようにもつれ合う2人の男、落下していく男…―を断片的に映像に挿入し、創作に向かうベーコンの切迫した姿と思うに任せない日常生活に絡ませたのです。そうすることで、彼の実人生が次第に芸術に侵食されていく様を象徴的に暗示しました。
例えば、ダイアーと出会ったばかりのベーコンは、ボクシングの試合に臨んだダイアーが打ち負かされる様を見て、真っ赤な血を顔に浴びる妄想にかられます。あるいは、友人ヘンリエッタと映画「戦艦ポチョムキン」を鑑賞中に、群集が動物狩りのように銃殺される凄惨なシーンで1人恍惚としたり。そもそもベーコンのアトリエの机には、友人達やダイアーを撮った写真の他に、医学書に載っている死体の写真や、惨殺死体を写した犯罪現場写真なども散乱していました。精神を病み、愛情関係も危うくなったダイアーの憔悴した横顔に、骸骨のイメージが重ね合わされたり、ダイアーが血まみれの男の落下する幻に苛まれたり。ベーコンの芸術と潜在意識の中には、常に濃厚な“死”の香りが充満しているようにも感じられますね。

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(ベーコンのセルフ・ポートレイト)

しかしその一方では、彼の作品には、安易に死の恐怖の餌食になるまいとするベーコン自身の尊大さや、人間の存在意義と言い換えることもできる死そのものを絵で表現したいという野心も、垣間見られる気がします。死に魅入られ、死に頬ずりするかのような暗い陶酔感と、精液の匂いまで伝わってきそうな生々しいまでの生への執着が、彼の作品群には交互に現れるのです。メイバリー監督のケレン味溢れる演出と、ベーコンが憑依したかのようなデレク・ジャコビの演技は、画家の抱える矛盾を充分に表現できていたと思いますね。
ベーコンの内なる狂気を、彼に最も大きな芸術的インスピレーションを与えたといわれるダイアーとの関係から抽出させようとする方法論は、かつて「カラヴァッジオ」でデレク・ジャーマン監督が試みたのと同じです。考えてみればストーリーの構成も、ダイアーの死の直後から始まり、時間軸を過去に遡りながら2人の関係の変化に焦点を合わせるというもので、「カラヴァッジオ」と酷似していますよね。
片や天才肌の芸術家、もう片方は純粋だが凡々たる無教養な男。住む世界も違い共通点のない恋人達は、しかし霧を掴むような奇跡の一瞬にのみ交歓し、互いの存在を確認し合いました。愛情はあるのにそれを語る言語が異なるゆえ、コミュニケーションできなくなってしまう彼らの哀れな末路。それ自体はよくあるお話だといえましょうが、ダイアーの死を静かに反芻するベーコンの姿にどこか物悲しい余韻を感じるのは、それが誰にでも覚えのある痛みを想起させるからでしょうね。失うべくして失ってしまった愛情の大きさにうろたえ、それをどうすることもできなかった自分自身への怒りに苦しむこと。ある特殊な状況下に置かれた2 人の人間の悲劇を描いたかに見えるこの物語も、結局は普遍的な恋愛関係に収束していくわけです。
メイバリー監督の映像には、しかし必要以上にどろどろした感傷はありません。前述したように、ベーコンの芸術が基本的に生への執着に根ざしているためなのと、意図的にぐるぐると酩酊するような感覚を刺激する、映像マジックが施されているためですね。
全編ほぼベーコン役のジャコビとダイアー役のダニエルの2人の芝居で支えられるこの作品は、ある芸術家の内面を表現した映画としては、成功した部類に入ると思われます。2人とも実在の人々にそっくりな雰囲気を醸しだしていましたし、それぞれの言い分に妙に納得させられるほど、説得力のある演技でした。特にダニエルは、時に粗雑な振る舞いをするけれども、精神面では繊細で純粋であったダイアーを瑞々しく演じていましたね。彼の哀しみを、あの不思議な色の瞳一杯に湛え、名演であったと思います。

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ジョン・メイバリー John Maybury

1958年生まれ
英国ロンドン出身

●フィルモグラフィー

2013年『Dates』 (TVシリーズ)(3エピソード)
2011〜2012年「ボルジア家 愛と欲望の教皇一族 The Borgias」(TVシリーズ) (4エピソード)
2008年「ザ・エッジ・オブ・ウォー 戦火の愛 The Edge of Love」
2007年「ローマ」(TVシリーズ)エピソード“Death Mask”
2005年「ジャケット」
1998年「愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像」兼脚本
1996年『Genetron』
1993年「リメンバランス/記憶の高速スキャン」(未)

彼は、実は駆け出し時代に、デレク・ジャーマン監督のアシスタントを長らく務めておりました。そして1993年に、「リメンバランス/記憶の高速スキャン」というドキュメンタリーを制作して、一本立ちすることに。この作品では、ルパート・エヴェレットや、ジャーマンのミューズであったティルダ・スゥイントンら著名人が出演し、自らのゲイ・ライフを告白し、ゲイに対する世間の偏見などをテーマに語っております。その5年後に、今世紀最高の画家と評価されるフランシス・ベイコンと同性の恋人ジョージ・ダイアーの愛の顛末を描いた、「愛の悪魔」を発表することになるのですね。
まだ作品数の少ない監督ですから、彼独自のカラーがどういうものなのか、未知数の部分が多いです。その映像センスに、ジャーマンの影響が多大に感じられるからですね。いずれにせよ、脚本の出来具合によって、彼の監督としての手腕も変わってくるのではないでしょうか。
ちなみに、この作品でダイアーを演じたダニエル・クレイグは、2005年のメイバリー監督作「ジャケット」(エイドリアン・ブロディ、キーラ・ナイトレイ主演)というSF作品にも顔を見せています。考えてみれば、彼がゲイ・アイコンとなったのも、メイバリー監督とのコラボレーションを経験したからでしょうね。


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