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zoom RSS God bless Mr.Jimmy―「ゴッドandモンスター Gods and Monsters」

<<   作成日時 : 2013/04/06 23:04   >>

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ビル・コンドン監督の本当の意味でのデビュー作品とも言える「ゴッドandモンスター」。私自身は、この「ゴッドandモンスター」こそが、サー・イアンにとっても、またコンドン監督にとっても最高傑作であったと信じて疑いません。

英国演劇界の重鎮にして、映画界でも国際的に活躍する俳優サー・イアン・マッケランは、第57回サンセバスチャン国際映画祭からドノスティア賞(生涯功労賞)を授与されたことがあります。演劇界でも映画界でも、他者の追随を許さない幅広い活動を第一線で続け、自らのセクシュアリティーを世間に公表してなお、その活躍ぶりに一点の翳りも見出せないという堂々たる演者。その受賞には、カムアウトした俳優として毅然とした生き様を見せるサー・イアン自身への、畏敬の念をこめた意味もあったでしょう。

そんなわけで本日は、数多いサー・イアンの名演の中でも、私が最も愛している1作をご紹介いたします。

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1994年、英国のホラー・幻想文学の小説家クライヴ・バーカーは、自らプロデュースするホラー映画「キャンディマン」の続編の監督として、ビル・コンドンを抜擢しました。ホラーファンの「キャンディマン2」に対する評価は、あいにく芳しくはありませんでしたが、バーカーは長年の夢であった企画をコンドンに託す決意を固めました。それがこの「ゴッドandモンスター」です。

「フランケンシュタイン」(1931年)、「透明人間」(1933年)、「フランケンシュタインの花嫁」(1935年)等でホラー映画の帝王と謳われた、英国出身の映画監督ジェームズ・ホエールは、監督としてハリウッドで大成功を収めながらも、わずか数年の後に引退しました。その後アメリカでひっそりと隠居生活を送っていた彼ですが、1957年自宅のプールで溺死しているところを発見されました。その最後の日々を元に描かれたクリストファー・ブラムの小説「フランケンシュタインの父」を映画化する企画は、実現までになんと7年もの歳月を要しています。
ホエールが、30年代の性に閉鎖的なアメリカにおいて自身のセクシュアリティを隠さず生きたこと、また、同時代のハリウッドを代表する名匠ジョージ・キューカーが隠れゲイだったという事実が作中で暴露されていることもあり、製作会社の支援を得ることができなかったのです。

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バーカーは尊敬してやまない同郷の伝説的映画監督を描く作品を実現するため、自ら製作総指揮をとり、なんとか300万ドルの資金を調達して、コンドンに脚本執筆を依頼しました。コンドンは4年かけて脚色作業をし、1998年自らメガホンをとってこの作品に取り組みました。プロデューサーを買って出たバーカーも、監督・脚本のコンドンも、主役ホエールを演じたサー・イアン・マッケランも、実はゲイであることをカムアウトしている人たち。彼らによる、彼らの先駆者とも言うべきホエールへのリスペクト映画は、実際のホエールの自宅で約3週間に渡って撮影されました。
「ゴッドandモンスター」は1998年 11月全米で公開され、公開されると同時に賞賛を浴び、様々な賞を受賞。ついにはアカデミー賞に主演男優賞(マッケラン)、助演女優賞(レッドグレーヴ)、脚色賞(コンドン)の3部門でノミネートを受けました。結果はコンドンが初ノミニーで初の受賞(脚色賞)。サー・イアンは、ゲイであることをカムアウトしている俳優としては史上初めてオスカーにノミネートされたものの、受賞は成りませんでした。しかし彼は、このホエール役を生涯に一度の役と言い切り、劇中で鬼気迫る名演技を披露しました。「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズの魔法使いガンダルフとして記憶している方も多いでしょうが、チャンスがあればぜひ、この「ゴッドandモンスター」でサー・イアンが体現する老監督の生き様とその死をごらんになってください。

「ゴッドandモンスター Gods and Monsters」(1998年製作)
監督:ビル・コンドン
製作総指揮:クライブ・バーカー他
脚色:ビル・コンドン
原作:クリストファー・ブラム
撮影:スティーヴン・M・カッツ
音楽:カーター・バーウェル
出演:イアン・マッケラン(ジェームズ・ホエール)
ブレンダン・フレイザー(クレイトン・ブーン)
リン・レッドグレイヴ(ハンナ)
ケヴィン・J・オコナー(ハリー)他。

1950 年代後半、アメリカはロスアンジェルスの閑静な住宅街。ジェームズ・ホエールは映画監督を引退後、瀟洒な邸宅でひっそりと隠居生活を送っていた。脳卒中の発作に見舞われ、病院から退院したばかりである。長年一緒に暮らしていた元恋人、映画プロデューサーのデイヴィッド・ルイスが彼を見舞いに来ていた。二人は今は別れている。去り際デイヴィッドは、ジェームズにぎこちなくキスをした。

趣味の絵を描こうとアトリエに向かったジェームズは、新しい庭師に目を留める。若々しい頑健な肉体を薄いTシャツ1枚に包んだ彼の姿に見惚れるジェームズ。長年邸宅の家事一切を取り仕切り、ジェームズに献身的に尽くしている女中のハンナは、彼が入院中に新しい庭師を雇ったのだと言う。元海兵隊員という経歴を持っているらしいが、どうも流れ者のような生活をしているらしい。
ジェームズ宅に久しぶりに取材の申し込みがあった。ハンナは何年ぶりかと喜ぶが、ジェームズ自身は憮然としている。
「どうせホラーオタクの学生だ」
果たしてそのインタビュアーミスター・ケイは、完全なるホラーオタクであった。ジェームズがハリウッド進出のきっかけとなった「暁の総攻撃」(1930年) の話をするも、「フランケンシュタイン」の話をしてくれとせっつく始末。ジェームズは腹立ち紛れに、名監督ジョージ・キューカーが陰で破廉恥なパーティを開いては若い男を引っ張り込んでいる醜聞を話して聞かせる。そのうち急にめまいを起こしたジェームズ。発作だ。彼は医者から卒中の後遺症として、徐々に意識が混濁していくようになるだろうと告げられていた。それを止める手立てはなく、発作が起きたら睡眠薬を飲むしかないのだと。正気を失っていくことへの恐怖に人知れずおびえるジェームズ。彼は睡眠薬を瓶ごと飲む誘惑にかられるが、ハンナの嘆きを考え、思いとどまる。
ジェームズは新しい庭師、クレイトン・ブーンを午後のお茶に招き、絵のモデルになってくれないかと頼む。そんなジェームズをハンナは不安げに見守る。彼女は敬虔なクリスチャンであり、ジェームズの性的嗜好も知っている。ジェームズが道を踏み外していると、普段から口やかましく注意しているのだ。

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クレイトンはヌードにならないことを条件に、モデルの仕事を引き受ける。アトリエでモデルをしながら、ジェームズはいつしか自分の過去をクレイトンに話していた。英国の北部の街ダドリーでの貧しい生活。威圧的で暴力的な父親への反発。労働者階級の生活からの脱出…。そして第1次世界大戦の戦場の記憶。ジェームズはクレイトンに朝鮮戦争での体験を執拗に尋ねる。敵を殺したのか。銃を撃ったのか。クレイトンは言葉を濁す。
モデルをするうち、この老監督に興味をもったクレイトンは、ジェームズのキャリアなどを調べる。そしてある夜、テレビで彼の監督作「フランケンシュタインの花嫁」を放映することを知った彼は、酒場の仲間と一緒に映画を観る。
「俺はこの映画を作った監督のモデルをしてるんだぞ」
酒場の女で恋人のベティは、ジェームズがゲイでクレイトンの肉体を狙っているだけだと一笑に付す。単純なクレイトンは信じない。しかしベティは、いつまでもトレーラー暮らしで定職にもつかないクレイトンをなじり、別れ話を切り出す。
一方、ジェームズも「花嫁」を自宅でハンナと共に観ていた。脳裏によみがえる撮影現場の光景。今までにない恐怖映画の誕生に、現場は活気付き、ジェームズも自信に満ちて演出に打ち込んでいた。フランケンシュタインの造形は彼自ら行った。セリフまわしも納得のいくものに変え、単なる怪物であったフランケンシュタインに清い品格を与えた…。映画の中で彼は怪物に「生命」を与えたのだ。

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その夜ジェームズは夢を見た。夢の中で、クレイトンに脳の移植手術を受けている。彼は夢の中では「怪物」となっているのだ。クレイトンはフランケンシュタイン博士よろしく、ジェームズに電気ショックを与え、彼に新たな命を吹きこんだ。
クレイトンは邸宅に仕事に来た際、ハンナにジェームズのことを尋ねた。ゲイなのかどうか。ハンナはジェームズがゲイであると言い、肉欲は重罪であると断言する。旦那様は同性相手にみだらな行いをする、その罪によって地獄の炎に焼かれるだろうと。クレイトンが「罪」の引き金になるのが心配だと。クレイトンは笑って自分はゲイではないと宣言した。
その日の午後、クレイトンはやはり内心の動揺が隠せず、一旦モデルの仕事を断ってしまう。ジェームズは正直にゲイであることを打ち明けたが、それをクレイトンに向けるつもりはないと約束した。
再びモデルを務めるクレイトン。アトリエでジェームズは再び過去の話をする。クレイトンを見ていると、嫌で捨ててきたはずの過去の記憶が次々に蘇り、彼を苛むのだ。
第 1次大戦では2年間従軍した。激戦に次ぐ激戦だった。ジェームズは労働者階級出身でありながら、士官としてフランドル戦線にあった。そこでバーネットという青年に出会う。彼は典型的な上流者階級の人間であったが、階級など関係なく、ジェームズに深い信頼と愛情を寄せてくれたのだ。言葉をかわさずとも、二人は塹壕の中で見つめあうだけでお互いの気持ちを通じ合った。ジェームズが初めて知った愛であった。…ここまで思い出したジェームズは急に激昂し、クレイトンに詰め寄る。
「悪魔め!私に辛い過去の話をさせるな!」
わけがわからないクレイトンは混乱する。ふとした拍子に正気に戻ったジェームズ。なぜ自分が映画産業を離れたか話し始める。「フランケンシュタイン」で当たりをとった後、満を持して準備した念願の作品が製作会社によってズタズタに編集され、駄作に成り下がったこと。傑作になるはずだった自信作を壊され、映画界に嫌気がさしたこと。そして自分で幕引きをし、引退したのだ。映画に未練がないわけではないが、ハリウッドのしがらみから自由になりたかった。それで長年の恋人だったデイヴィッドとも別れてしまった…。この邸宅で自由きままな隠居生活を始めた頃、若くて美しい青年たちをハーレムのごとくプールにはべらせたものだった。彼らは進んでヌードのモデルもやってくれた…。
クレイトンはジェームズの挑発に耐えられず、自分は絶対にヌードにはならない、二度とゲイの話をするなと激怒する。ジェームズは謝罪し、一旦は無視すると決めていたキューカー監督からのパーティの招待を受けることに決めた。ゲイであることを隠し、マーガレット王女の後ろ盾を利用して映画界で好きなように振舞うキューカーを、ジェームズは嫌っていたのだが。

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ジェームズはクレイトンにパーティのエスコートを頼む。二人は会場で、「フランケンシュタインの花嫁」に出演していた俳優たち―ボリス・カーロフやエルザ・ランチェスター―ら、「怪物」たちと再会するはめになった。3人で記念撮影をしているとき、カメラのフラッシュはジェームズに過去の戦場の記憶を呼び覚まさせた。途切れることなく続く爆撃、焼夷弾に照らされる、鉄条網にはさまったままの兵隊の死体…。ジェームズはめまいを覚える。急に会場が嵐に見舞われ、大雨が降ってきた。ふと見ると、死んだはずのバーネットがジェームズを見つめ、静かに微笑んでいる。ジェームズは困惑する。クレイトンはジェームズの身体のために、彼を連れて邸宅に戻る。しかし、ハンナは留守。
外は雷鳴が鳴り響き、まさにフランケンシュタインが誕生した夜そのものだ。家に帰り着いても、ジェームズはバーネットや「怪物」の幻覚に惑わされる。クレイトンによってなんとか妄想から覚め、暖を取るため二人して酒を酌み交わす。いつしか彼らはお互いの心のうちをさらけ出していた。
バーネットはある日敵陣を偵察に行った。その帰り、あと数10メートルで自陣の塹壕に戻れるというところで、敵兵に撃たれて死んだ。彼の死体は鉄条網に引っかかったまま放置された。遺体を収容するには自陣から遠すぎたためだ。むごいことだったが、彼らは朝晩バーネットの遺体に挨拶をし、塹壕を次の隊に引き継ぐときも腐りかけた遺体を『なかなか付き合いのいい奴なんだよ』と紹介したのだった。そうやって戦場の狂気をジョークでやりすごしていたのだ。ジェームズはそのときの悲しみを思い出し、嗚咽に声を詰まらせた。
一方クレイトンの方は、実は海兵隊員としての実線経験はゼロだったことを打ち明けた。訓練期間中に盲腸になり、そのまま除隊になったのだ。同じく海兵隊員であった父親のために同じ道を選んだのに、一度も国のために戦うことなく帰ってきた息子を見た彼の父は、息子を嘲笑したという。それ以来クレイトンは人生の目標を見失い、ただ惰性で生きているのだと。
ジェームズはそんなクレイトンを静かになぐさめた。そして自分は過去の記憶に押しつぶされ、なにをやってもうまくいかないと嘆いた。クレイトンを描いたスケッチはすべて落書きのようで、形を成してはいなかった。もう自分の才能はすべて枯渇してしまったのだ。
クレイトンは意を決し、裸になった。ヌードを描くようにジェームズに告げる。
「描きたかったんだろう?」
うろたえるジェームズ。だが彼は突拍子もないことを思いつく。
「君の身体は人間的すぎる。このガスマスクを付けてみてくれ」
彼の戦場の記憶の一つであるガスマスク。クレイトンの裸の身体にマスクを付け、ジェームズの頭の中でなにかが弾け飛んだ。彼はクレイトンの身体を突如愛撫し始めた。クレイトンはパニックになり、逃げる。追うジェームズ。ジェームズは叫ぶ。
「お前は私の怪物だ!」
クレイトンは泣きべそをかきながら叫んだ。
「一体なにが望みだ!」
ジェームズはクレイトンに自分を殺して欲しいと懇願する。自分が完全に正気を失ってしまう前に、安らぎの死を自分にもたらしてくれ、と。しかし一度も人を殺したことのないクレイトンには、恐ろしくてできないことだった。子供のように泣きじゃくるクレイトンを見て、ジェームズは我に帰り、静かにクレイトンに許しを乞うた。ジェームズは寝室で眠りにつき、そのまま夜は更けていった。
翌朝戻ってきたハンナは、ジェームズが寝室にいないことに気づく。クレイトンはプールに浮かんでいるジェームズの死体を見つけた。クレイトンが眠っている間に入水自殺したらしい。寝室にあった遺書をハンナが持ってきた。クレイトン宛の手紙も。ハンナは泣きながらも、クレイトンに邸宅から出て行くように言う。遺書はあるが、流れ者のクレイトンが現場にいれば警察は彼を疑うだろう、と。
「ここにはいなかったことにしてあげるから」
水に浮かぶジェームズの遺体。

数年後、一人の男の子が居間でテレビを見ている。「フランケンシュタイン」…ジェームズが監督した映画がテレビで放映されているのだ。男の子の後ろで、少し年を取ったクレイトンが目に懐かしさをにじませて画面を見つめている。映画が終わった。彼は男の子に言った。
「父さんは、この映画を作った人と友だちだったんだ」
「もう、また父さんのホラ話?」
「ほんとさ、これをもらったんだ」
クレイトンは直筆のフランケンシュタインのスケッチを息子に見せた。紙の裏には「友人(?)へ」の走り書き。
「本物なの?」
クレイトンはうれしそうにうなずく。そのとき妻からごみ出しを頼まれる彼。肩をすくめてごみを家の外に捨てに行くクレイトン。折りしも外はフランケンシュタインの映画のシーンのような雨が降っていた。クレイトンは雨の中で、映画の怪物の動きをまねてみた。街灯にぼんやり照らされながら、彼は怪物の動きをまねて歩いていく。いつまでも。

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(セットでのショット。向かって左から2人目がイアン・マッケラン)

このストーリーは、ホエール自身の逸話と遺されたフィルモグラフィから推測されたフィクションであります。しかしながら、ホエールが死と隣りあわせだった第 1次大戦での記憶に終生縛らていただろうことは、やはり事実だったのではないでしょうか。実際彼は終戦近くに、捕虜生活も体験していたといいます。そういった記憶が、彼の創造の源泉であったのでしょう。本当は戦争の悲惨さを糾弾する映画を作りたかったのに、自分の意に反して一連の怪物映画で映画史に名を残すことになったことは、死ぬまで彼を苦しめたことと思われます。
また、芸術家なら誰でも、才能がいつか失われていくことにおびえているものです。それは彼らにとって「死」を意味します。ホエールも晩年病気のために、思考する力を徐々に蝕まれていきます。代わりに彼の精神を満たし始めたのは、逃げ続けていた辛い過去の記憶。労働者階級のコンプレックス、同性愛への偏見にさらされたこと、戦場での狂気。なにも生み出さなくなった頭脳を持て余したホエールは、失われた愛の対象―バーネット―に導かれるように、映画界でのキャリア同様、自分の生にも自ら幕を引いたのではないでしょうか。

そして、ホエールの過去の記憶が現実世界を侵していき、ついにバーネットや怪物の姿を借りて幻覚となってホエール自身に襲い掛かってくるくだりは、まるでホエールの怪物映画を観ているような錯覚に陥ります。まさにこれはコンドンの狙い通りの演出ですね。ホエールとクレイトンの関係も、実は「フランケンシュタインの花嫁」のフランケンシュタイン博士と怪物になぞらえて描かれているのです。
ただ、創造主である博士とその被創造物である怪物は、コインの表と裏の関係。この作品中でも、ホエールはクレイトンを自らが創造した怪物と思い込んでいる反面、夢の中ではクレイトンに創りだされる怪物となっていますね。これは、ホエールの願望の現われだとも思います。彼はクレイトンによって、過去の記憶に蝕まれていく(死に近づいていく)わけですが、一方ではクレイトンにどうしようもなく惹かれるわけです。彼という「怪物」によって「安らかな死」を与えられることに倒錯的な憧れを感じつつ、実は彼の手によって再び生まれ変わりたい(創造力を取り戻したい)と一縷の望みを抱いていたのではないでしょうか。

現実世界ではホエールとクレイトンが、反発しあったり、互いの腹の探りあいをしつつも、最終的に奇妙な友情で結ばれていきます。映画「フランケンシュタイン」で、怪物と孤独な盲目の老人が友情を育んだように。
最後に、肉体と精神の「死」から逃れられないことを悟ったホエールが、クレイトンへの友情を自分が忘れてしまわないうちに、クレイトンを自らの妄執から解放してやります。自身に死を与える役割から彼を解放するのですね。映画「フランケンシュタインの花嫁」で、怪物が花嫁を逃がしてやったシーンと同じです。そうして自ら命を絶ち、自身も「怪物」という妄想から解放されたホエールの死に顔は、静かで安らかなものでありました。
映画は、ホエールが残した「友情」が、クレイトンの心の中に暖かい思い出として受け継がれていたことを示唆して終わります。ホエールとの体験がクレイトンの人生を変え、彼は家庭をもち一社会人として立派に生きる道を歩んだのですね。それが映画に素晴らしい余韻を与え、単なる心理サスペンスものに終わらぬ非凡な作品の「格」を得ることに成功したのです。

アカデミー賞の受賞スピーチで、コンドンはこう述べました。

「60年前、ハリウッドは彼(ホエール)に背を向けました。彼が自分の生き方を変えようとはしなかったからです。…だからミスター・ジミー(ホエールの愛称)、この賞はあなたのものです」

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