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zoom RSS 夢はもうひとつの人生である…―「パンズ・ラビリンスPan's Labyrinth」

<<   作成日時 : 2016/12/19 14:00   >>

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…だから少女は幻想の国で、永遠の幸せを探した。

「パンズ・ラビリンス Pan's Labyrinth」(2006年製作)
監督:ギレルモ・デル・トロ Guillermo del Toro
製作:アルフォンソ・キュアロン&ベルサ・ナヴァロ&ギレルモ・デル・トロ他。
脚本:ギレルモ・デル・トロ Guillermo del Toro
撮影:ギレルモ・ナヴァロ
プロダクションデザイン:エウヘニオ・カバイェーロ
衣装デザイン:ララ・ウエテ
編集:ベルナ・ビラプラーナ
音楽:ハビエル・ナバレテ
出演:イバナ・バケロ(オフェーリア)
セルジ・ロペス(ビダル)
マリベル・ベルドゥ(メルセデス)
ダグ・ジョーンズ(パン/ペイルマン)
アリアドナ・ヒル(カルメン)他。

【スペイン内戦 Spanish Civil War (1936年7月勃発1939年3月終結)】

第 1次世界大戦後にスペイン国内で激化した左派勢力と右派勢力の対立は、1936年の総選挙でマヌエル・アサーニャをリーダーとする左派勢力、人民戦線政府が樹立されると、終息に向かうかと思われました。ところが、これに反発するフランコ将軍は、自らが率いる軍隊を焚きつけてスペイン本土と植民地モロッコで反乱を起こします。カトリック教会や資本家、軍部など、主に富裕層に根強い右派勢力は即座にこの反乱に加担し、やがてスペイン全土を焦土と化す内戦へと膨れ上がっていきました。
ヨーロッパ各国が、この内戦によって新たな世界大戦が誘発されることを憂えて距離を置く一方で、急速に勢力を拡大しつつあったフランコ軍は、ファシズム政権が支配するドイツとイタリアから軍事支援を取り付けました。対する人民戦線を援護したのは、旧ソビエト連邦とメキシコ、各国から駆けつけた国際旅団。内戦勃発直後は、両者の戦いは互角でありました。
フランコが、ファランヘ党一党独裁体制を確立してその党首に納まり、着々と占領地を広げる傍ら、人民戦線は少数党派の寄せ集めであったことから、内部分裂を繰り返すようになります。両者の勢力図が完全に逆転したのは、1938年6月にローマ教皇庁がフランコ政権を容認し、さらに依然としてヨーロッパ列強が世界大戦への懸念から人民戦線を黙殺したことから。結局、 1938年11月から始まったエブロ川の戦いで、カタルーニャ地方に残っていた人民戦線勢力はフランコ軍に破れ去ります。翌1939年2月末には、イギリスとフランスがフランコ政権を正式にスペイン政府として承認し、アサーニャ人民戦線大統領は退陣しました。フランコ軍は意気揚々とマドリードを占領、同年 4月1日、フランコ軍事政権によって勝利宣言が発表されました。
内戦終結後、フランコ政権は、人民戦線の残党狩りを厳しく行う一方で、自治を求めていたバスク地方とカタルーニャ地方へ政治的制裁を加えました。その反動で、人民戦線に属していた知識人の多くは、極寒のピレネー山脈を越えてフランスに亡命したり、あるいは人民戦線支援を表明した国であるメキシコへ逃れたりしました。スペイン国内に留まった者の中には、反フランコ政権テロ組織を結成してゲリラ活動に従事する者も出たといいます。直後、全ヨーロッパ地域を巻き込む第2次世界大戦が勃発したわけですね。
ちなみに、ラサロ・カルデナス政権によってメキシコに安息を見出した亡命知識人たちは、かの地の文化、技術の発展に大きく貢献しました。また、パブロ・ピカソが制作した大作壁画“ゲルニカ”は、1937年4月26日にドイツ・イタリア空軍によって爆撃された、バスク地方の街ゲルニカの惨劇を描いたものです。


そして、この「パンズ・ラビリンス Pan's Labyrinth」は、内戦終結後も混迷を深める一方であったスペインを題材にとった映画です。

1944年のスペイン山間部。ここでは、フランコによる軍事独裁政権に反発する人々がゲリラ活動を行っていた。少女オフェーリアは、内戦で父親を亡くした悲しみに浸る間もなく、臨月の大きなおなかを抱えた母親カルメンと共にこの激戦区にやってくる。カルメンが、ゲリラの一掃を行っているフランコ軍のビダル大尉と再婚したためだ。
ビダルは冷酷無比な男であった。ゲリラとは無関係の村人を捕えては眉1つ動かすことなく残忍に殺害したり、捕虜を拷問してなぶり殺しにしたり。彼にとって新たに妻となったカルメンは、自分の息子を産ませる道具でしかないし、ましてや義理の娘オフェーリアは目障りなだけの存在だった。オフェーリアは、フランコ軍とゲリラが血で血を洗う戦いを繰り広げる山の中で、威圧的な義父の支配する陰鬱な館に軟禁され、孤独と絶望を味わう。身体の弱った母親はもはや当てにはできない。彼女が過酷な現実から逃れられる唯一の方法は、空想の世界に遊ぶことだけだった。


昔々、地の底に、誰も病気や苦痛に苦しむことのない楽園がありました。その国の国王には美しい一人娘がおりましたが、その姫君は、一度も見たことのない地上の世界に出ることを、いつも夢見ていました。地底には太陽も、そよ風も青空もなかったからです。
ある日のこと、姫君は、父王から固く禁じられていた地上への外出を試みます。彼女は生まれて初めて見る太陽の光や青空に感動しましたが、その瞬間、自分が何者でどこからきたのかを全て忘れてしまいました。そして、長い間安全な地底で暮らし続けてきたために、地上で受ける様々な刺激―直接浴びる太陽の日差しや、肌に直に伝わる気温の変化など―に免疫のない身体は、あっという間に弱っていったのです。
哀れ、地底の王国の姫君は、こうして儚く命を落としてしまいました。国王の嘆きは如何ばかりだったでしょう。しかし、地底の国の言い伝え通り、いつの日か、姫君の魂が王国に戻ってくると信じていました。国王はいつまでもその日を待ち続けました。



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片目の取れた石像を直すと、その口からグロテスクな形をした虫が飛び出す。彼女はそれを妖精と信じ、夜、その妖精の導くまま、義父の館の庭にある迷宮への入り口に足を踏み入れる。地元の人間である館のメイド頭メルセデスは、そんなオフェーリアを心配し、制止する。「迷い込んだら二度と生きて出られない」と。しかしオフェーリアは、迷宮で出会ったパン(牧神)の言葉に大きく心を揺り動かされる。いわく、彼女は人間界で姿を消した魔法の国のプリンセスの生まれ変わりであり、次の満月の夜までに3つの試練を潜り抜けられれば、晴れてプリンセスとして王国に帰ることができるのだと。これで残酷な義父から逃れられ、幸せな生活を送ることが出来る。オフェーリアはパンの言葉を信じ、3つの試練に立ち向かうのだった…。

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名前からして悲劇を予感させるオフェーリア。しかし彼女は、はかなげで内気な少女ながら、意志の強さをそのまなざしに確かに宿らせていました。扮するイバナ・バゲロの演技が素晴らしく、オフェーリアという複雑な少女の内面を見事に活写していましたね。
彼女は、思春期特有の潔癖さからか、世情に迎合して唾棄すべき人間と再婚した母親を、また義父の非人間性、非寛容を忌み嫌い、そんな彼らを許している現実さえも否定しています。とはいえ、しがらみを捨てて1人で生きるにはあまりに非力な彼女は、過酷な現実から目を背け、空想の世界に逃げ込むことを選びました。
彼女がパンの要求する3つの試練を乗り越えようとする様は、“主人公が勇気をもって苦難に立ち向かう”というファンタジー物語のセオリー通りではあります。しかしながら、屋敷の外の現実世界では、義父の率いるフランコ軍が相変わらず残虐非道な戦いを繰り広げており、男の子を出産した母親も亡くなり、捕虜のみならずゲリラを手当てした医者までがなぶり殺しにされていきます。つまりオフェーリアにとっては、帰るべき現実世界こそが、恐怖と死と血の匂いに満ち満ちた地獄であったわけですね。ところが、彼女が現実世界を捨てて、真の幸せを掴もうと足を踏み入れた迷宮―ラビリンス―も、実はそんな現実世界を反映したかのように、恐ろしい地獄絵図の様相を呈しています。洞窟の底なし闇、ぞろぞろと蠢く不気味なクリーチャー、目のない巨人が“妖精”の身体を引きちぎり、食らうシーンは正視に堪えないほど。唯一彼女の味方のように見えるパンですら、彼女が禁を破ったと分かった途端に、恐ろしい怪物に豹変します。そんな中で、くじけず試練に立ち向かわねばならない彼女は、結局どこにも安息の場所を見出すことが出来ないわけです。進むも地獄、引くも地獄、四面楚歌の状況下で、何とか希望を見出そうとする少女の佇まいには、現実逃避などという言葉は適切ではないでしょう。むしろ彼女は、“イマジネーション”という力を借りて真の勇者たろうとしたのです。

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デル・トロ監督は、フランコ軍とゲリラとの戦い、山間部の村での暮らしぶりといったイマジネーションの一片もない現実世界をリアルに徹して描くことにより、オフェーリアが体験する幻想の世界を鮮やかに浮き立たせました。パンの支配するラビリンス世界の描写は、従来のファンタジー映画におけるそれとは一線を画するもの。そのおどろおどろしさたるや、ラビリンスというより冥府魔道の趣です。ただひたすら恐怖が連続する閉塞感、絶望感が押し寄せてくるようですね。登場する数々のクリーチャーの造形は、さすがデル・トロ監督らしくグロテスクなのですが、そこに独特の美学が確立していることが伺えます。ゴヤやボッシュの絵画からの引用が強烈に感じられるのですね。
そして、この作品の最大の見所は、現実と幻想を交錯させながらオフェーリアが試練をクリアし、ついに迷宮の奥にたどり着いた瞬間に、その2つが巧みに摩り替わるところでしょう。どのように摩り替わるのかは、全ての謎が明らかになることにも繋がるので伏せておきますが、あの驚愕すべきラストは、いわゆる“王女様は王国で末永く幸せに暮らしましたとさ”というおとぎ話の定型を逸脱しません。従来のファンタジーものとは大きく意趣を違える世界観を提示しながら、最後にはきちんとおとぎ話に帰結するその鮮やかな語り口。オフェーリアはここに至ってついに苦難から解放されるのですが、しかし砂を噛むようなやるせなさを観る者の胸に残していきます。

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この映画全体から、「デビルズ・バックボーン The Devil's Backbone」(2001年)以上にフランコ政権の恐ろしさが際立つのは、その独裁振りを象徴するビダル大尉の描写が、あまりに苛烈だからでしょうね。演じるセルジ・ロペスは、あのヒトラーを容易に想起させる容姿ですし。思うにこのビダルとパンは、ヤヌス神の双面のような存在なのかもしれません。片や軍隊でファシズムを守り、レジスタンスを圧しようとし、片や魔法の力で迷宮を守り、現実にレジストしようとするオフェーリアを圧しようとする…。レジスタンスもオフェーリアも、かけがえのない犠牲を払って最後には勝利するのですが、その姿そのものが、ファシズムへの痛烈なアンチテーゼになっているとも感じました。両者共に、自由と希望というイノセンスを持ち続けた存在です。血にまみれても、最後までそれを汚されなかった彼らは、やはり勝利者と呼ぶに相応しいでしょう。

この作品は、激烈な時代を耐え抜いたあるイノセンスへの鎮魂歌です。それは儚くも美しい調べなのですね。そして、無限の“幻想”世界も、実のところ“現実”世界を映し出す鏡であることを思い知らされるのです。“幻想”も“現実”も、他ならぬ人間が作り出すもの。何度も言及しているように、表裏一体の存在なのです。その2つを相反するものとして切り離すことは不可能ですが、かといって、それらが美しく調和するものかと問われればそうではないでしょうね。いってみれば、“幻想”と“現実”の間に乖離が見られ、軋轢があるからこそ、そこにドラマが介在するのです。それこそが私たちが芸術と呼ぶものなのです。

映画に対する評価は、特殊なジャンルに留まらず、その高い志を広く認められた結果になりました。2006年度のアカデミー賞で多部門に渡ってノミネーションを受け、カンヌ国際映画祭においてもパルム・ドール候補となったのは、その証でしょうね。

パンズ・ラビリンス オリジナル・サウンドトラック
ビクターエンタテインメント
2007-09-27
サントラ

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デル・トロが目指したファンタジーの極北に、音楽の面から大いに貢献したと思われるのが、ハビエル・ナバレテによるスコアです。特に日本人の琴線に触れるであろう、哀感溢れるメロディーは、耳について離れませんね。映画を観終わった後、即行でこのサウンドトラックを注文してしまいました。

パンズ・ラビリンス DVD-BOX
アミューズソフトエンタテインメント
2008-03-26

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2008年3月26日、待望のDVD版が発売されました。豪華な外箱に入ったBOX仕様のもので、メイキング映像やイバナ・バケロが来日した際のインタビュー映像など、約58分の特典映像が付加されているそうです。また、監督直筆スケッチやストーリーボードなどが32ページの写真集として収められており、アーティスティックな面からこの映画を再確認する手助けになるかと思われます。


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