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zoom RSS 夢見るころを過ぎたら…「柔らかい殻 The Reflecting Skin」

<<   作成日時 : 2016/02/01 12:56   >>

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少年期は悪夢のよう…ひどくなるばかりね。でもある日目覚めると通り過ぎているわ…。

「柔らかい殻 The Reflecting Skin」(1990年製作、本邦初公開1992年)
監督:フィリップ・リドリー Philip Ridley
製作:ドミニク・アンシアーノ&レイ・バーディス
脚本:フィリップ・リドリー
撮影:ディック・ポープ
音楽:ニック・ビカット
出演:ジェレミー・クーパー(セス)
リンゼイ・ダンカン(ドルフィン)
ヴィゴ・モーテンセン(キャメロン、セスの兄)
シェイラ・ムーア(ルース、セスの母親)
ダンカン・フレイザー(ルーク、セスの父親)
デイヴィッド・ロングワース(ジョシュア、イーブンの父親)
ロバート・クーンズ(ティッカー保安官)
コーディ・ルーカス・ウィルビー(イーブン)
キム(エヴァン・ホール)他。

1950年代のアメリカ、中西部の田舎町。7歳になるセスは一面黄金色の麦畑に覆われたこの土地で育った。毎日友達のイーブンやキムと一緒に小麦畑の中を走りまわり、バカないたずらに興じている。セスにとって目下のところの関心事は、町外れの邸宅にひっそりと暮らす未亡人ドルフィンだ。彼女は、結婚してこの土地にやってきて早々夫を亡くし、以来1人きりで亡夫の墓参りをしながら過ごしている。町の人達ともほとんど交流を持たない彼女は、少しエキセントリックなところがある女性だった。ある日、セスはイーブンとキムと共に、ドルフィンが歩く道の脇に腹に空気を入れたカエルを放置する。なにごとかと覗き込んだドルフィンは、カエルの腹にあやまたず石をぶつけて破裂させたセスのせいで、返り血を浴びてしまう。セスの母親ルースは癇癪もちで、閉鎖的な人生の中でストレスを極限まで溜め込んでいる女性だ。父親ルークは気弱で妻に頭が上がらず、家の近くで鄙びたガソリンスタンドを経営している。当然、両親の仲は悪く、不機嫌なルースは来る日も来る日も夫を怒鳴りつけてばかりだ。ドルフィンの抗議を受けたルースはまたしても激怒し、息子を1人でドルフィンの家に謝りに行かせる。

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意を決したセスは、だだっ広いだけで薄気味悪いドルフィンの家で未亡人と対峙した。ドルフィンはいたずらについては鷹揚だった。ところが、家中を動物の骨や歯の剥製で埋め尽くしていたり、年端も行かぬ少年に亡夫との短かった思い出を語って聞かせて突如号泣するなど、どこか情緒不安定な女性であった。彼女の夫は新婚の妻をおいて自殺しており、その絶望と孤独によって彼女はおかしくなったのだが、セスにはそんなことは理解できない。彼女がなぜ夫の遺した香薬や髪の毛を大切に箱にしまっているのか分からず、その異様な光景にただ圧倒され、彼女を魔女かなにかだと勘違いしてしまうのだった。帰宅後、セスは父親が読んでいた三文吸血鬼小説からヒントを得て、ドルフィンを吸血鬼だと思い込むようになった。ルースはやんちゃなセスを悔い改めさせようと、眠る前に無理やり彼に水を飲ませて苦しめる。

その晩、セスの友達イーブンが行方不明になる。翌日、セスの家の裏庭にある井戸から彼の遺体が発見された。セスは吸血鬼であるドルフィンの仕業だと疑うが、警察は過去未成年の少年へセクハラを行った前科のあるルークに容疑を向ける。ルースは必死で抗弁したが、恐怖に身をすくめるルークはおろおろするばかり。この狭い町でこうした類の醜聞は致命的だ。彼女は夫を口汚くなじり、殴りつける。ルークはべそをかきながらも、自身の無実を訴えるためガソリンスタンドに赴いた。セスの目の前で頭からガソリンをかぶり、焼身自殺を遂げたのだ。どす黒い炎に包まれたスタンドで、ルースは半狂乱になり、セスはただ呆然と立ち尽くす。
父親の悲報を受けて、セスの兄キャメロンが軍務から戻ってきた。軍隊に入って雄々しく戦う兄は、セスにとってなによりの誇りだった。万能で優しくハンサムなキャメロンが家に帰ってくればもう大丈夫。父は亡くなったけれど、キャメロンは家族をまた幸せにしてくれるに違いない。

ところが帰郷したキャメロンはどこか様子が変だった。まとわりつくセスをうるさげに追い払い、始終だるそうにしている。ルースのヒステリーを見る目もうんざりといった感じで、彼が嫌々家に帰ってきたことは明らかだった。それどころか、父の墓参りをしたときに出会ったドルフィンと急速に親しくなっていく始末だ。セスは焦る。ドルフィンは吸血鬼なのだ。彼女と関わっていては、やがてとり殺されてしまう。なんとか兄の関心を引こうとするセスは、ある日納屋でミイラ化した胎児を見つける。キムは気味悪がるが、セスはこれを羽根をもがれた天使だと信じた。セスは、彼にしか聞こえない声で “天使”と交信し、兄を吸血鬼から取り戻すにはどうすればよいか相談するのだった。

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キャメロンは日に日にやつれ、衰えていく。実はそれは、彼が軍務中に被爆したせいだったのだが、セスにはあずかり知らぬことだ。キャメロン自身にも、なぜ自分が痩せていくのか分かってはいない。セスは、兄がくれた戦地の写真の中から、被爆のせいで肌が魚のうろこのようになってしまった赤ん坊の姿にショックを受ける。キャメロンは、アメリカの英雄になることを夢みて軍隊に入ったものの、そこで見た実情が酷いものだったことに落胆しているのだ。今の彼にとって、母親やセスから寄せられる過剰の期待はむしろ重荷である。本心は、故郷を捨てて新しい場所で人生をやり直すことにあるのだ。
キャメロンは相変わらずドルフィンの家に通い、情事を重ねている。セスはキムと共にその現場を盗み見てしまい、兄がドルフィンに血を吸われて衰弱しているのだと思い込む。キムは、ドルフィンの家から駆け出すセスを追いかけたが、その途中で、大きなキャデラックに乗る革ジャンの若者達に捕まった。嫌がるキムを無理やり車に乗せた若者達は、そのままどこかに姿を消した。
後日、キムも死体となって発見された。セスは一連の殺人がドルフィンの仕業だと確信を深めるが、警察の捜査は難航する。生きているキムの最後の目撃者はセスであったが、彼はあえて革ジャンの男達のことを明らかにしなかった。セスは、イーブンの父親ジョシュアやキムの母親に悪魔の子とののしられる。泥酔したジョシュアからセスを救ってくれたキャメロンは、しかし家族を捨てて、ドルフィンと新生活を始めると宣言した。
ある日セスは、大きな街に出かけようとするドルフィンと出くわす。キャメロンと愛し合うことで、再び表情に生気が戻った彼女は、相次ぐ殺人事件で友達や肉親を亡くしたセスを優しく慰めた。そして、キムを連れ去った革ジャンの男達に誘われるがまま、あのキャデラックに乗り込んでいった。晴れやかな笑顔でセスに手を振る彼女を見送りながら、セスはそのドライブが死に至ることを、どうしても言い出せずにいたのだった…。

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1人の少年が見る悪夢譚は、極めて絵画的に計算され、構築された映像美の中で展開されます。

劇中では、ロングショットで小麦畑の中に建物や人物を配する構図が多いですね。抜けるような澄み渡った青空を上側に、金色の小麦畑が風に揺られて波のようにそよぐ様を下側にすることで、画面を2分割するのです。
子供たちは小麦の穂先を揺らしながらどこまでも駆けていく…。奇妙な形に壊れかかった小屋、風に揺れるレースのカーテン―窓にかかるレースのカーテンもノスタルジックな“故郷の家”を思い起こさせる小道具のひとつ―から差し込む柔らかい日の光。それらは極めて“アメリカの原風景”を想起させるパーツでありながら、同時に、画面に流れる弦楽器のオーケストラと荘厳なコーラスと気味が悪いほどに呼応する映像でもあるのです。きっかりと二分された画面は絵画のように美しく、その中で展開されるドラマの異様さをより一層際立たせる逆説的な効果をあげていますね。

セスがドルフィンに謝りにいく映像の構図もまた、神経症的なまでに美しいもの。彼女の家を画面のど真ん中に配置し、家の両側は金色の小麦畑が覆っています。まるで金色の海の中にぽっかりと浮かぶ家のようですね。正面玄関からの小道はセスの立つ位置まで絨毯のように伸びていき。その小道の真ん中に佇むセスの両側にも小麦がうっそうと迫り、ドルフィンの家と正確に対称的な構図を成しています。これだけで、まるでこれからのセスとドルフィンの対決の不気味さを物語るかのような緊張感が漲るのですね。
また、凄惨なシーンではありますが、セスの父ルークが爆死するシークェンスなどにも、絵画的美が見受けられます。彼が息子の顔を見やった一瞬後に音もなく真っ赤な炎が立ち上り、紅蓮の炎が画面を嘗め尽くしていく様は、ただ美しいばかりなのです。
兄キャメロンを追ってドルフィンの家に入り込んだセスが、彼ら2人の交歓を目撃してショックを受け彼女の家から走り出てくるシーンも、図形的な正確さに基づいて対称的。ラスト、ドルフィンが殺害された後、沈む夕陽を背景にセスが小麦畑の中を走るシーンにおいても、少年の立ち位置は正しく画面の真ん中に配置され、奇妙な整合性を感じさせます。

ところが、登場する人物達は皆、てんでバラバラに勝手な行動をとっていますね。計算されつくした映像の絵画的美とは対照的に、大人も子供も彼らは一様に頭のねじが緩んでいて、それぞれの哲学に沿って動くだけの烏合の衆にすぎません。
そればかりか、よく目を凝らしてみると、この作品では、映像に映し出される全ての事象が、どこか奇妙な歪みをもって不安定に立ち尽くしていることが分かります。ノーマン・ロックウェル的アメリカの原風景の片隅では、腹を爆発させて血に染まるカエルが、罪の意識すら伴わないいたずらにすぎず、奇声を発しつつ歩く不気味な双子の尼が日常風景の中に溶け込み、ミイラ化した胎児がたやすく納屋から発見され、子供達の天使になりうるのです。殺人事件が起こっても、それを捜査する刑事は精神を病んでいて、堂々巡りをして遊んでいるようですし、事件そのものが田舎町の風景の中にぽっかりと開いた穴のよう。夢の中をふわふわ歩くような異様な感覚に幻惑された私達も、現実と非現実の境界線が定かではなくなってしまいますね。

つまりどのシーンも、セスという情緒不安定な少年を中心にまわっているのです。観客が目にする映像は、実は彼の心象風景を透かして作り上げられた幻想にすぎないことが察せられるでしょう。少年の網膜に映る現実と、彼の妄想が渾然一体となり新たに構築された新しい“現実”。その中では、死すらも甘美な夢を誘う道具となりうるのです。

そんな、どこもかしこも不確かなセスの妄想世界の中で、唯一、観客にとってリアルを感じさせる人間はセスの兄キャメロンのみ。彼はおそらく、自分を溺愛する母親や、家庭内で踏みにじられるみじめな父親の姿、あるいは未来のない閉鎖的な村から逃れたくて軍隊に逃避したものと思われます。しかし彼が戦地で得たものとは、結局“アメリカの英雄像”が幻想にすぎないという事実と、祖国の裏切りでありました。しかも、戦場で心の一部を失くしたまま、彼は自身が被爆していることにも気づいていません。帰郷して、同じように孤独をかこつドルフィンに恋する彼は、彼女との未来に全てを賭けますが、しかしセスの妄執が支配する世界では余りに頼りない存在なのです。

架空の“死”と禁断の遊びに興じることで孤独な幼年期をやり過ごしてきたセスは、最後の最後に自ら本物の死をドルフィンの上に導きます。愛する兄キャメロンを自分と母親から奪おうとしたことへの制裁ですね。そのときのセスの表情からは少年らしい怯えや無垢さは消え、腹の中に明らかな罪を抱えた大人のそれにとってかわっています。子供たちの間だけで保たれていた“秘密”とは別種のものですね。

最後、夕陽に向かって咆哮するセスは、“死”を媒介として大人への階段を上ったのです。ドルフィンを死に追いやった罪の痛みに涙を流しながら。今までは、彼によって構築された秘密の“現実”に、本物の現実世界が介入することはありませんでした。彼が拒絶していたからですね。しかしこれからは違います。ドルフィンを死に至らしめることにより、ついに現実世界が少年のイリュージョンを覆い尽してしまったとき、彼はいやがうえにも現実を受け入れていかねばならないでしょう。

彼はこれからどんな大人になっていくのか。ドルフィンの言うように、無知は確かに罪悪ですが、知ってしまうこともまた同じように恐ろしいものなのです。セスは一連の出来事で何を知ったのでしょうか?――それは、年をとることの非情さに他なりません。

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フィリップ・リドリー Philip Ridley

1964年12月29日
英国ロンドンのイースト・エンド出身

●フィルモグラフィー Filmography

2009年「ハートレス 悪魔と契約した男 Heartless」兼脚本
2006年『Vincent River』(TVドラマ)脚本のみ
1995年「聖なる狂気」兼脚本
1990年「柔らかい殻」兼脚本
1990年「ザ・クレイズ/冷血の絆」脚本のみ
1988年『The Universe of Dermot Finn』兼脚本

リドリー監督は、生まれ育ったイースト・エンドに現在も居住し、劇作家として活動しているそうです。元々は画家志望で、St Martin's School of Artでアートを学び、卒業後はヨーロッパ放浪の旅に。その後、1988年には『Crocodilia』、1989年には『In The Eyes Of Mr. Fury』、1990年には『Flamingoes In Orbit』という小説を上梓します。また、『Mercedes Ice』と『Dakota Of The White Flats』という子供向けの小説を1989年に発表し、1991年に上梓した『Krindlekrax』では、子供の読者が選ぶ文学賞を受賞しました。 BBCラジオのために『October Scars The Skin』と『The Aquarium Of Coincidences and Shambolic Rainbow』という劇も書いています。
彼が初めて書いた戯曲『The Pitchfork Disney』は、1991年にマシュー・ロイドの演出でBush Theatreで上演され、高い評価を受けました。翌1992年の5月、2本目の戯曲『The Fastest Clock In The Universe』がHampstead Theatreで上演され、批評家筋からの評価と興行的な成功の両方を得ることに成功しました。イブニング・スタンダード紙からは、1992年度で最も期待される新人賞を与えられ、その他Time Out Theatre Awardsなど、名だたる演劇界の新人賞を総なめにしました。この舞台は、1998年にニューヨークでも公演されています。
劇作家、小説家としてのキャリアを積む一方で、彼は1987年には『Visiting Mr. Beak』、1988年には『The Universe Of Dermot Finn』という2本の短編映画を撮りました。この短編で既に映像作家としての高いポテンシャルを示していた彼は、1990年には「ザ・クレイズ/冷血の絆」の脚本を手がけ、同年いよいよ初の長編映画「柔らかい殻」を監督するわけですね。この作品は、L.A.タイムズ紙が選出する“1991年のベスト10 映画”の1本に選ばれ、ローリング・ストーン誌からも異彩を放つ映像美を驚嘆されます。また、リドリー監督自身も、イブニング・スタンダード紙から、映画の分野においても1991年度で最も有望な新人監督であるとお墨付きをもらっていますね。―IMDbから抜粋

しかし、1995年に製作した「聖なる狂気 The Passion of Darkly Noon 」の後、映像の世界でのキャリアは長い間ストップします。劇作家としてのキャリアを優先していた時期の主だった戯曲に、『Ghost From A Perfect Place』(1994年)、『Vincent River』(2000年)があります。

そして、ひょっとしたらリドリー監督はこのまま映画の世界から離れるつもりなのかなあと思っていた2006年、フランス製のTV映画『Vincent River』の脚本を担当したことで一旦映像世界に戻り、その3年後の2009年には、前作「聖なる狂気 The Passion of Darkly Noon 」から数えて実に14年ぶりとなる監督作品「ハートレス Heartless」を完成。ジム・スタージェス、クレマンス・ポエジー、我らがティモシー・スポールおいちゃんなどなど、実力派の俳優達が出演しました。そうですね、「柔らかい殻 The Reflecting Skin」が、幼い少年セスが大人になるまでの心痛む通過儀礼の物語だったとしたら、さしずめ「ハートレス Heartless」は、青年になったセスが再び心の中ぽっかり空いた虚無と対峙する寓話だといえるでしょうか。

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私たちが大都会を歩くとき、大きな道路の脇に無数に伸びている暗くて細い、どこにつながるかも不明な路地裏の中に、うっかり迷い込んでしまった経験はありませんか?目の先には暗闇しかなくて、何が出てくるか分からない恐怖に足がすくんだ経験は?怖いなら引き返せばよいものを、しかしどうしても、その闇の正体を知りたくてたまらないという好奇心に勝てなくて、挙句、足を掬われて奈落に落ちた経験は?「柔らかい殻 The Reflecting Skin」にしても「ハートレス Heartless」にしても、普段なら誰も気にも留めないような奇妙な路地裏に、引きずり込まれる如きの作品でした。そこから無事に脱出できるかどうかは、観客である私たち自身が、誰でも心の中に抱えている“路地裏の暗闇”を理解できるかどうかにかかっているでしょう。



「柔らかい殻」と「聖なる狂気」の両作に出演しているヴィゴ・モーテンセンについて、リドリー監督は惜しみない賛辞を贈っています。比較的順調であった作家のキャリアに比し、映画監督としては苦労が絶えなかったという状況もあってか、“彼こそ僕のアートを理解してくれた唯一の俳優であり、自分と同類と思える数少ない人間の1人だ”と絶賛するほど、ヴィゴに深い信頼を寄せていたようです。

ヴィゴ演ずるキャメロンは、劇中でただ1人まともな思考をもつ美しい者として描かれ、妄執に狂わされていくセス少年とは対照的に、最後まで未亡人ドルフィンとの恋を信じる純粋さを保持します。セスがこうまでキャメロンに固執するのは、“未来”や“希望”、“誇り”といった、普段のセスの暮らしからは望むべくもない光り輝くものをキャメロンが体現しているせいですね。しかしながら、キャメロンは戦争によって心にも身体にも傷を負っており、もはやセスが焦がれた優しい兄ではなくなっているわけです。昔のように兄に愛されたい一心で、セスがキャメロンにまとわりついても、肝心の兄はその手を邪険に払いのけるばかり。兄は変わってしまったばかりか、新たにドルフィンに熱を上げて、再び自分と母の前から立ち去ろうとしている…。最愛の兄を失う恐怖は、家族が今度こそバラバラに崩壊することへの恐怖へと変貌し、セスはドルフィンへの嫉妬と憎しみを燃えあがらせるのですね。その感情は、次第に衰弱していく兄を憂う純粋な気持ちから、恋敵に恋人を盗まれて狂う女性のそれへと変質していきます。セスは、恐怖、嫉妬、憎しみという負の感情によって子供のイノセンスを失い、ドルフィンに死をもたらすことで本物の罪人となります。彼はこうして無垢なる時代に別れを告げたわけですが、誤解を恐れずに述べるなら、その引き金になったのは全てキャメロンの美しさでしょうね。

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若く美しく、未来も希望もある青年が、一方では理不尽な現実に絶望し、知らず死の病に侵されている皮肉。セスにとって潔白な美の象徴でありながら、一方ではセスには理解不能なセックスをドルフィンと共有している皮肉。明と暗、美と死、聖と性、両極端な事象に引き裂かれるキャメロンの肖像を、ヴィゴは鋭利なまなざしに切なさと暗さを同居させて表現しました。セスがとりつかれ、やがて暴走することになる不条理な激情は、キャメロンすなわちヴィゴが放つアンビバレントな魅力に根拠すると強く感じさせましたね。ヴィゴはこの作品の後、ショーン・ペンが始めてメガホンを取った「インディアン・ランナー The Indian Runner」でも強烈なインパクトを残しますが、その片鱗は既に感じられます。また、孤独で哀れな未亡人ドルフィンを演じたリンゼイ・ダンカン Lindsey Duncanも素晴らしく、彼ら2人のラブシーンは、互いの痛みを必死に慰めあうような痛々しささえ醸しだされていました。

作品のまなざしから感じられるのは、やはりセスの思考=リドリー監督の思考であるということです。結局リドリー監督は、セスの目を通じてたとえようもなく美しくグロテスクな悪夢を見ているのです。思春期特有の不安定で陶酔的な狂気と思われたものは、そのままリドリー監督自身が持つ“アメリカ像”の幻視であり、ラストで咆哮するセスを映すことで、自己矛盾を抱えてもなお前に進むことを強いる(成長することを強いる)かの国の痛みを現出しているのでしょう。
こういった、シニカルな目線を内包する倒錯的な作品は、残念ながら万人向けとは言い難く、それこそデイヴィッド・リンチ監督の諸作品などを愛好する方にのみ受け入れ可能なものでしょう。観る者を選ぶ作品であることは確かですが、作家の確固たる美意識の上に成り立つ映画としてその存在を主張してもいるのです。

なお、製作はリドリー監督が脚本を書いた「ザ・クレイズ/冷血の絆」のドミニク・アンチアーノとレイ・バーディスのコンビです。“アメリカの原風景”を完璧にスクリーンに写し取ったのは、この作品の2年後に製作されたショーン・ビーン主演のテレビドラマ「フールズ・ゴールド」や、マイク・リー監督の「ネイキッド」「秘密と嘘」「キャリア・ガールズ」「ヴェラ・ドレイク」といった諸作品、近年ではエドワード・ノートン主演の「イリュージョニスト」のカメラを担当したディック・ポープです。映像を不安の底に引きずり込むかのような印象的な音楽を作ったのは、「ストラップレス」、リドリー監督の第2作目「聖なる狂気」でもスコアを提供したニック・ビカットが担当しました。なお、映画のもうひとつの主役ともいうべきアメリカ中西部の田舎の景色は、主にカナダのカルガリーなどでロケされたそうです。

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…そしてこれが、現在のキャメロンの姿(違)。フロイト博士を演じるヴィゴと演技指導するクローネンバーグ師匠。

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