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zoom RSS 身も心も…−「カラヴァッジオ Caravaggio」

<<   作成日時 : 2016/10/07 19:08   >>

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“カラヴァッジオはおそらく犠牲者ラヌッチオと親密な関係にあり、争いの原因も、通説になっているような金をめぐるいさかいではなく、むしろ恋をめぐるものではなかったろうか。ここからカラヴァッジオの全生涯を俯瞰することにしたのだ。私はラヌッチオのキャラクターを『聖マタイの殉教』という作品に結びつけた。カラヴァッジオはこの絵の中央に、最終的に魅惑的な男性ヌードを描くことで、この「聖マタイの殉教を描く」という難題を見事にクリアしたのだ。ラヌッチオと『聖マタイの殉教』は、カラヴァッジオの特徴を解く鍵であるように思えた。そしてこの二人の関係から、彼の生涯の史実に沿いつつ、登場人物を発展させていった。銀行家ジェスティアーニも、法王の甥ボルゲーゼ枢機卿も、デル・モンテ枢機卿も実在の人物だ。レナはある裁判所の記録に残っていた名前だ。おそらく娼婦であろうと思われる女性で、カラヴァッジオは彼女をめぐるいさかいを起こしているんだ。私は彼女こそ『マグダラのマリア』だと考えた。そして、『聖母の死』のモデルが死んだ娼婦であり、その汚れた足をも彼が見たままに描いたという史実と結びつけ、レナという女性像を作っていった”

―デレク・ジャーマン・インタビューより抜粋

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ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(通称カラヴァッジオ Caravaggio)―イタリア、ルネッサンス期の画家

1571年9月28日生まれ
1610年7月18日没
イタリア、ミラノ近郊の村カラヴァッジオ出身

彼の父親は幼少時に亡くなりますが、石造建築の親方(マエストロ)であったらしく、生活はゆとりあるものでした。北イタリアでは、現在もそうですが石工という職業は日本で想像されるそれよりはるかに実入りのよい仕事だそうです。石造建築が主体であるイタリアでは、非常に重宝される専門職のひとつです。過去、阪神淡路大震災が日本を襲ったさいにも、町の復興を手助けするため、北イタリアからは数多くの石工のマエストロたちが来日したそうですよ。
さて、比較的恵まれた環境で育ったカラヴァッジオことミケランジェロ・メリージは、1584年後期マニエリスム様式のミラノの画家パテルツァーノの工房に師事しました。20歳ごろまで師事したこの工房で、彼はロンバルディア地方特有のリアルで精密な描写を身に付けていきます。その後1592年ローマへ行き、画家として生き始めますが、せっかく付いたパトロンの元を飛び出し、翌1593年画家タルピーノの工房に入ります。
カラヴァッジオの描く宗教画は、画面上の明暗の差が激しく非常にドラマチック。当時のフィレンツェの市井の人々をモデルにして、布地のひだや、光が見せる表情の濃淡に至るまですべてを見えるままにリアルに描写していきます。彼はデッサンを描かなかったらしく、制作にあたっては考える構図通りにモデルを配し、映画撮影のように板に光を反射させてモデルに当てていたそうです。その独特の表現方法は、革新的な宗教画を次々と生み出していきました。また、画中に描かれる生々しい人物の裸体は時に艶に満ち、金満家や同性愛嗜好にある彼の崇拝者を大いに喜ばせたようです。
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そうしてカラヴァッジオは新たなパトロン、デル・モンテ枢機卿の支持を得て、画家としてさらなる名声を博しました。1599年にはルイ・フランス教会から作品の依頼を受けるまでになります。ところがいったんアトリエを離れると、激しやすい破滅型の性格から、場末の酒場などでしばしばトラブルを起こしていたようです。記録に残っているのは1600年の暴力事件で、警察の取調べも受けた模様です。この頃から私生活が荒み始め、小競り合いで警察の厄介になるのも日常茶飯事となりました。そしてとうとう1606年には、一説には、球技の試合中での些細な言い争いから、知人であるラヌッチオ・トマソーニを刺し殺してしまいます。カラヴァッジオは、ローマを追われるように逃亡しました。
すぐにナポリへ行きますが、そこでも画家としての名声はいっこうに衰えず、相変わらず制作依頼が殺到していたそうです。1607年には突如マルタ島に渡り、聖ヨハネ騎士団に入ります。ここで何枚かの油彩を残しましたが、暴力事件を起こし投獄。1608年にはシチリアへの逃亡に成功し、騎士の称号は剥奪されました。シチリアでも聖堂から制作依頼を受け、1609年、次はパレルモへと逃げ延びます。逃亡中もカラヴァッジオは、ローマへ戻る特赦を求め続けていました。1610年、ラヌッチオ殺害に関しては赦され、ローマ教皇から特赦状が届けられましたが、それを受け取る前に彼は腸チフス(マラリアという説も)にかかり、そのまま激動の人生を終えました。
1986年、イギリスの映画監督デレク・ジャーマンによって、カラヴァッジオの人生に再びスポットライトが当てられました。完成した映画「カラヴァッジオ」は高い評価を受け、ベルリン映画祭において銀熊賞を受賞、ジャーマン監督のみならず、カラヴァッジオ自身の作品にも観衆の目を惹きつけることに成功します。
そして、冒頭のジャーマン監督の言葉に戻るわけですが、彼はカラヴァッジオの人生をラヌッチオとの特異な関係から、見直すことにしたようです。その上で、記録上に残る唯一の女性であるレナのカラヴァッジオの人生における役割をふくらませ、架空のキャラクターである従者エルサレムに狂言回しをさせることによって、客観的にカラヴァッジオの魂の内側を見つめたわけです。
この映画の世界的な評価によって、カラヴァッジオの名前も広く知られるようになり、イタリア国内でも再評価の気運が高まったようです。なんと、イタリアで最後に発行されたリラ紙幣の肖像にまでなったのだそうですよ。

代表作
『果物籠』(1596年〜1597年頃制作)(ミラノ、アンブロジアーナ絵画館蔵)
『メドゥーサ』(1597年頃制作)(ウフィツィ美術館蔵)
『聖マタイの召命』(1592年〜1602年頃制作)(ローマ、サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂蔵)
『聖母の死』(1605年〜1606年頃制作)(ルーブル美術館蔵)


実はジル・ランベール著の「カラヴァッジオ」(ニュー・ベーシック・アート・シリーズ)を購入いたしました。スキャンダラスと言われる割には、謎も多いこの天才画家の作品に心を奪われております。まるで舞台を観ているような錯覚を覚えるほど、今にも動き出さんばかりの生々しさにあふれた人物像。妖しい艶やかさすら感じる美しい男性像。光を浴びて輝く表情と、漆黒の闇に沈む表情の劇的な落差。彼の作品には、宗教画というカテゴリを超えて、観る者に人間の根源的な感情を揺さぶる力があります。その荒ぶる魂が向かう先はなんなのか、結局私達にはわからないのですが、せめて彼の残した作品が未来永劫観る者の心を捉え続けることを祈ってやみません。

「カラヴァッジオ Caravaggio」(1986年製作)
監督:デレク・ジャーマン Derek Jarman
製作:サラ・ラドクリフ
脚本:デレク・ジャーマン
撮影:ガブリエル・ベリスタイン
音楽:サイモン・フィッシャー・ターナー
衣装:サンディ・パウエル
出演:ナイジェル・テリー(カラヴァッジオ)
ショーン・ビーン(ラヌッチオ)
ギャリー・クーパー(ダヴィデ)
デクスター・フレッチャー(若き日のカラヴァッジオ)
スペンサー・リー(エルサレム)
ティルダ・スウィントン(レナ)
ナイジェル・ダヴェンポート(ジェスティアーニ)
ロビー・コルトレーン(ボルゲーゼ枢機卿)
マイケル・ガフ(デル・モンテ枢機卿)他。

カラヴァッジオこと、画家ミケランジェロ・メリージ(テリー)は、トスカーナ地方のポルト・エルコーレで死の床にふせっている。1610年7月18日。彼はマルタ、シラクーザ、メッシーナ、ナポリと4年間の逃亡生活を送っていたのだ。共はエルサレム(リー)ただ一人。彼だけは、危険で苦しい流浪の旅にも臆することなく、ミケーレを支え続けた。しかしその固い友情も、この海辺の粗末な部屋で終わりを告げるのだろうか。ミケーレはベッドに横たわったまま、エルサレムを貧農の家族から買ったときのことを思い出していた。
子沢山の貧農の家に生まれたエルサレムは、生まれつき声が出ず、話すことができなかった。その土地の男達は羊飼いを生業としていたため、彼はそこで生きていくことができない。ミケーレは大金を積んでエルサレムを買い取り、自分のアトリエに連れて帰った。以降、絵の具の調合の仕方などを教え込み、助手としてまた忠実なる友として、孤独なミケーレの人生を共に歩んでいくことになる。

ミケーレは衰弱していく肉体の中で、少年時代の初恋の男パスカローネを思い出す。幸せだった少年時代。パスカローネと一緒に羊を追い、母の待つ暖かい家への家路を帰る。パスカローネ…。

ミケーレは故郷を後にし、ローマへ向かった。路上で絵を描きながら、わずかな金で食いつないでいたが、その頃から彼は“絶望は恐れを知らず”と刻まれたナイフを持ち、男娼代わりにしようと自分に近寄る男を脅し、金を奪うことまでしていた。貧しさからある夏病気になったミケーレは、療病院でデル・モンテ枢機卿 (ガフ)の訪問を受けた。枢機卿は彼が描いた自画像を気に入る。その後、枢機卿は没収したミケーレのナイフを彼に返す代わりに、彼の描いた自画像を手に入れた。以来、枢機卿はミケーレのパトロンとなり、彼にキリスト教の教義を教え込むなど、特別な寵愛を彼に注いだ。ミケーレは枢機卿の庇護の下、次々と優れた宗教画を完成させていき、日ごとに名声は高まっていった。

ミケーレは混濁した意識の中で突然叫ぶ。「ラヌッチオ!」

「聖マタイ」連作が納得のいくものに仕上がらず、依頼主の聖ルイ・フランス教会から酷評される結果に。いらいらするミケーレはある日なじみの安酒場で、新顔の青年ラヌッチオ(ビーン)に目を奪われる。悪友ダヴィデ(クーパー)が危険な奴だと止めるのも聞かず、ラヌッチオに運命を感じたミケーレは、彼をモデルに描きたいと願う。構図通りにモデルを配し、「聖マタイ」に取り組み続けるミケーレ。しかしなにかが足らない。思い通りの絵が描けない苛立ちがつのる。
1600年代に入った。ミケーレとエルサレムとダヴィデは、新年を乱痴気騒ぎで迎えた。己の才能、芸術への疑問に一人慄くミケーレ。
闘技場でラヌッチオがボクシングの試合をしている。ラヌッチオは血の気が多く、相手を殴り倒してしまった。ミケーレは彼と恋人のレナ(スウィントン)に銀貨を渡し、絵のモデルを頼む。彼に1枚1枚銀貨を握らせながら、美しいラヌッチオの裸体をキャンバスに写していくミケーレ。彼の目と筆に力が漲る。光を反射させるレフ板を持つエルサレムも、付き添っているレナも疲れ果てるほど長時間の後、絵は完成する。ミケーレは最後の銀貨を口移しにラヌッチオに与える。
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しがない賭け事師のラヌッチオと安売春婦のレナ。ミケーレからの銀貨に喜ぶ二人。一方ミケーレはラヌッチオへの恋心をますます募らせていった。しかし単純で荒っぽい気性のラヌッチオに、ミケーレの複雑な愛情は伝わらない。ある日ナイフを手に勝負するミケーレとラヌッチオ。戯れが次第に熱を帯び、本気の斬り合いになってしまう。エルサレムが止めようとするが、隙を突いてラヌッチオがミケーレのわき腹をナイフで切りつける。
「我らは血でつながった兄弟だ」
ミケーレは己の血をラヌッチオの顔に塗りつけた。ラヌッチオの答えはミケーレへのキス。その様子に不穏なものを感じたレナは、ラヌッチオに嫉妬をぶつける。ラヌッチオは悪びれもせず、金のためだと言い抜ける。
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瀕死のミケーレの世話をするエルサレム。ミケーレの心は再び少年時代に飛んでいく。パスカローネはこう言った。「時は誰にも止められぬ。太陽にも」
デル・モンテ枢機卿は銀行家ジュスティアーニ(ダヴェンポート)と会食した。巨万の富をもつ彼は教会に莫大な寄進をし、宗教界にも暗然とした影響力を持っている。彼は結局聖ルイ・フランス教会から突き返されてしまった「聖マタイ」連作を買い取り、また新たな依頼を枢機卿に行った。テーマは“地上のアモール (愛)”。
ミケーレは軽業師の女をモデルに天使を描いた。完成した絵の下で踊る彼女。ミケーレが描く絵そのままの世界だ。彼女が、ミケーレの絵の除幕式にラヌッチオとレナを招待する知らせを持ってきた。金持ち、教会関係者、教皇までが半獣サチュロスの扮装をして参加する一大仮面舞踏会だ。ミケーレは、相変わらず不機嫌なレナにも豪華なドレスとアクセサリーをプレゼントする。すっかり機嫌を直したレナは、ラヌッチオの目の前でミケーレと親しくキスをする。ミケーレとラヌッチオとレナの、不思議な三角関係ができあがった。レナはドレスで美しく装った自分の姿を見、女性としての自信と野望を胸に抱くようになる。
除幕式が始まった。レナにくっついてくるラヌッチオを邪険にし、彼女は集まった金持ち連中に取り入ろうとチャンスをうかがう。そこで教皇の甥シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿(コルトレーン)に紹介されるレナ。シピオーネは一目でレナを気に入る。ラヌッチオはご婦人方のアクセサリーを盗もうとするが、ミケーレに止められ、愛の証しに指輪を贈られる。ミケーレの真意が理解できないラヌッチオは戸惑う。パーティーがお開きになり、シピオーネは早速レナを連れ帰ってしまった。レナは嫣然と微笑む。「ミケーレ、私は玉の輿に乗るわね」
すべての客が帰り、軽業師の女も踊りながら去っていく。ミケーレはエルサレムに語りかける。
「私の聖ヨハネよ。我ら二人がこの荒地に残されたな」

ミケーレはパスカローネとの性の体験を思い出している。息が荒くなっていく。教会から神父が到着した。

レナをモデルにマグダラのマリアを描くミケーレ。レナは彼に妊娠を告げた。お腹の子供の父親はシピオーネだった。ショックを受けるミケーレ。彼はラヌッチオにレナの妊娠を知らせたが、そこへレナがやってくる。シピオーネの愛人としてすっかり美しく着飾り、供の者を連れている。そして彼らの前で、自分は子供を産み、その子を金持ちにするのだと勝ち誇ったように言い放つ。
ほどなくしてレナの溺死体がテベレ川から上がる。悲しみに沈むミケーレとエルサレム。ところが、レナ殺害犯としてラヌッチオが逮捕されてしまう。無実をミケーレに訴えるラヌッチオだが、デル・モンテ枢機卿は最後の祈りをレナに与えた後、ラヌッチオを監獄に連行させる。
レナの遺体をモデルに「聖母の死」を描くミケーレ。時にその遺体を胸に抱いて孤独にむせび泣きながら、彼は万感の想いを込めて絵を完成させる。しかしラヌッチオを救う手立てもなく、酒場で荒れ続ける毎日であった。

ミケーレは神父が無理やり手に握らせた十字架を投げ捨て、ナイフを手に持つ。

ミケーレはラヌッチオを釈放するため、教皇に謁見を求めた。そして教会のために絵を描き続け、教皇の肖像画を描くことを条件に、釈放を許可される。ところが、監獄から出てきたラヌッチオは意外な真実をミケーレに告げる。自分がレナを殺したのだと。愕然とするミケーレに、ラヌッチオは無邪気に言い放つ。
「俺たちの愛のためだ。あんたのためにやったんだ」
それを聞いたミケーレは、発作的にナイフでラヌッチオの首を切りつける。おびただしい血を流しながら、それでもミケーレに抱きつくラヌッチオ。彼は愕然とした表情のままゆっくりとこと切れていった。

ミケーレの意識は再び少年時代に抱き寄せられていく。少年ミケーレはパスカローネと一緒に葬送の列を見送っている。ふとミケーレはパスカローネを呼ぶ。少年ミケーレとパスカローネの前には、キリストの死体を抱き嘆き悲しむ人々がいた。その光景は、かつてミケーレが描いた絵そのもの。そしてキリストは今まさに命の火が消えんとしているミケーレその人であった。
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エルサレムは、横たえられたミケーレの遺体を前に声にならない絶望の咆哮をあげる。彼の胸にミケーレと共に過ごした日々が駆け抜けていく。しかし彼はもう二度と目を開くことはなかった。1610年7月18日、享年40歳であった。

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スクリーン上には、カラヴァッジオが実際に残した数々の作品と共に、突如電卓や自転車、タイプライター、タキシードを着込んだ召使たちが登場したりします。ジャーマン監督は、あくまでカラヴァッジオのアティテュードというか、その芸術の真髄を映像で表現したかったのでしょう。そこで時代考証にはこだわらず、あえてパンキッシュな表現を試みた、と。考えてみれば、カラヴァッジオ自身、当時においては相当にアナーキーな存在でしたし、作風も異端と評されるにふさわしい独創性を持っていました。
劇中登場する小道具や衣装はアナーキーですが、映像はカラヴァッジオが描く作品世界そのもの。闇は漆黒の底で、一方から光を与えられるととたんにそこに置かれた物や人物の姿がくっきりと浮かび上がります。そして、何度も俳優達がカラヴァッジオの作品そのままのポーズをとるシーンがあります。あるいはその絵の構図から抜け出して、自由に動き始める様子。それを観ていると、だんだん映像そのものがカラヴァッジオの作品を動かしたような作りになっていることに気づきます。
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さらに、カラヴァッジオの人となり。あふれる才能に恵まれ純粋に芸術に身を捧げる余り、凡俗に陥る魂を嫌悪しつくす彼。例え、金をもたらしてくれるものが絶対的な権力を持つ宗教だったとしても、その堕落した魂に媚びることはありません。また、当時の社会の中で自らの同性愛嗜好を恥じもしませんでした。でも、結局満たされることのなかった愛情は充分自覚していたのではないでしょうか。
彼が感じる愛情というのは、すべてが己の芸術に昇華していくもの。表面的な美であるとか、性格の相性とかいったものではなく、それを描きたいという本能を揺さぶる対象です。そこには異性だから、同性だからといった区別はありません。つまり、己の芸術を更なる高みへ導く素質をラヌッチオ、レナの双方に見出したカラヴァッジオは、ラヌッチオのみならずレナをも“愛した”。そんな愛の形が普通の人間に理解されるはずはありません。ラヌッチオもレナも、教養もなく幼稚で、その日暮らしの刹那的な生き方をしている若者。この二人にカラヴァッジオの芸術への葛藤を理解しろというのは無理な話でしょう。
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カラヴァッジオが手に入れたかった至高の三角関係は、あっけなく崩壊してしまいます。原因の一つに、レナの自意識の芽生えがあるでしょうね。彼女はカラヴァッジオによって、無知なおぼこ娘から、自らの美貌を活用して望むものを手に入れようとする狡猾な女へと変貌していきます。皮肉にもレナを金という現実に目覚めさせたのはカラヴァッジオ自身。結局彼女はカラヴァッジオとラヌッチオを捨て去ります。一方単純なラヌッチオは、レナの内面の変化などには気づきもしません。彼女がカラヴァッジオや、ましてや自分を捨てる理由がわかりません。引き止める術がないとなると、子供のように駄々をこねた挙句彼女を殺害。ラヌッチオがレナを殺した理由は、それだけでしょう。カラヴァッジオのためだと言ったのも、彼もレナに捨てられて、自分と同じく頭にきているだろうと考えたから。しかしカラヴァッジオは、レナの死によって、芸術への触媒のひとつを永遠に失ったと感じました。芸術と人生が一体化している彼にとって、それは自分の魂の一部をもぎ取られる行為に等しいと想像できます。彼が愛していたはずのラヌッチオを手にかけたのは、ラヌッチオが彼の芸術=人生を踏みにじってしまったからではないでしょうか。
結局、死を目前にした彼が唯一思い出す心温まる“愛”は、少年時代の初恋のみ。それは、なにも憂うことのなかった少年時代を懐古する思いと重なるのでしょうね。
カラヴァッジオの人生を最期まで見届けたエルサレムは、フィルムにそれを焼き付けようと試みたジャーマン監督自身だと思います。しかしながら、異端と呼ばれた才能、同性愛嗜好、若くして世を去った点に至るまで、カラヴァッジオとジャーマンには共通点も多いですね。これは単なる想像ですが、おそらくジャーマンは、カラヴァッジオの人生を自らのそれと重ね合わせながら映画を製作していったのでしょう。そう考えると、エネルギッシュなアーティストで庭いじりをなにより愛し、多くの才人たちに愛されたジャーマン監督の知られざる内面をこの作品で覗いてしまったような気がして、少しく胸が痛むのです。

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さて、私がはじめてショーン・ビーンという役者を知ったのも、実はこの「カラヴァッジオ」でした。ミニシアターで観たときのショックは、今でも忘れることが出来ません。彼の第一印象は、網膜と脳裏への衝撃以外のなにものでもなかったですね。
まだ20代であった彼の美貌は、うっかり近づけば鋭いナイフの切っ先で斬りつけられるような気すらする怜悧なものでした。決して女性的というのではない体つきはがっしりと、成熟した雄の魅力にあふれながら、反面エレガントな気品さえ漂うアンビバレント。ほっそりとした首筋からくびれた腰に至るなだらかな背中のライン、男性にしては細く長い指…そういったものが、切れ長のきつめの顔立ちと微妙に組み合わさり造型される美。
瞬時に思いついたのが、かのヘルムート・バーガーでした。「地獄に堕ちた勇者ども」出演時の彼。この作品でのバーガーも、高慢で貴族的な美しさと相反する悪魔のような下劣さを同時に体現していましたね。ショーン演ずるラヌッチオも、絵のモデルを務めているときの美しさが、口を開けばその下品な本性に裏切られていく様が素晴らしかった。カラヴァッジオが、実は他でもないラヌッチオ自身に身も心も狂わされていたのだという仮定も、充分に頷けるキャスティングでしたね。ラヌッチオ=ショーンに狂わされたのはカラヴァッジオだけではありません。映画を観てしまった私も同様に、彼に人生を狂わされることに…(泣笑)。
この映画は、芸術という魔物に魅入られてしまったある天才画家の生き様と、それをフィルムに描こうとした天才映画作家の人生、そして彼らの魂を同時に虜にした美しい男の肖像との、三位一体の作品だったのです。

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