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zoom RSS 3人の男に受け継がれた鎮魂歌―「ウォー・レクイエムWar Requiem」Part2

<<   作成日時 : 2018/06/02 19:10   >>

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第3章ジャーマン Derek Jarman

“この映画の主題の一つは、卑しむべき戦争がその罪を清められることだ。でも、現代においてこのミサ曲にはエイズに対する共鳴の気持ちが含まれていることも、私には分かっていた。だから私は心の中で、この映画を昨年(エイズで)死んだ私の友人達に捧げた。つまり、これは私自身のエイズ映画と言うことも出来る。この映画は、観た人がそれぞれ特定の部分に、好きな解釈を付けることが出来るように作ってある。あまり史実とは関連付けないように作ったんだ”―デレク・ジャーマンインタビューより

Sean Bean reads Wilfred Owen's The Last Laugh

ショーン・ビーンが朗読するオーウェンの詩“The Last Laugh”です。

英国、郊外にある療養所。ここに暮らす年老いた男が、車椅子に乗って看護婦と戸外を散歩している。彼の手には過去、戦場で得た勲章が握られている。

いつの間にか私は戦場から逃れ出て
深く暗いトンネルに迷い込んだ
かつて戦火をしのぐため
花崗岩を掘りぬいた所のようだった
眠れる人々がひしめきうめいている
これは生者の瞑想か
それとも死者のうめき声だろうか
調べているとその中の一人が跳ね起き
あわれみの眼差しで私をじっと見つめた
そして祝福するかのように
苦しげに手を掲げた
その微笑から私は自分がどこにいるかを知った
その死の微笑から
ここがどこであるかを悟ったのだ
ここは地獄なのだと
彼の顔に刻まれたのは無数の苦痛だった
だがここには
戦場に流れる血は届かずもはや砲声もなく
あるのはうめきのみだった
“見知らぬ友よ”と私は言った
“嘆きや悲しみの原因がここには存在しない”
彼は言った“悲嘆すべき歳月が失われたからだ”
“絶望だよ”
“君と同じくかつての私にも希望があった”
“激烈なる美を求めて世界を旅したのだ”
“その美は穏やかな瞳や編まれた髪には宿らず”
“時間の流れをあざ笑うものだった”
“美が時折陥る悲しみの激しさはこの地獄の比ではなかった”
“私の喜びは人を楽しませたかもしれぬ”
“私の嘆きは人の心を打ったかもしれぬ”
“だがそれらは無意味なことだ”
“そこには真実が語られていない”
“戦争の悲哀を”
“戦争が搾り出す大いなる悲しみを”

老いたかつての兵士は、昔愛した看護婦の肖像を大事そうに見つめ、はるか過去の戦場へと思いを馳せた。

若き兵士オーウェンの遺体が安置されている。それを見守る、恋人であった看護婦(スウィントン)は、怒りとおぼしき激しい嘆きを叫ぶ。鎮魂歌が流れる。“主よとこしえの光で彼らを照らしたまえ…永遠の安息を与えたまえ…”看護婦はオーウェンが握り締めていた紙片を手に取る。「死すべき定めの若者のための賛歌」と題された詩であった。

第1次世界大戦が勃発した頃。オーウェンが大勢の若者達とともに、軍事教練に励んでいる。繰り返される厳しい訓練に、彼の友人は遅れがちになった。足を痛めたらしい友人を気遣うオーウェン。

家畜のごとく死にゆく者への弔鐘はなにか
怒りに咆える銃声のみ
くぐもるライフルの音のみが彼らの祈りにせわしなく答える
祈りも弔鐘も彼らをあざけりはしない
いかなる嘆きもその合唱には届かない
狂気の雄叫びを上げる砲弾の合唱
悲嘆にくれる故郷からのラッパの響き
彼らの成功を祈るロウソクの灯
それは若者達の手にはあらず
彼らの瞳の中にある
そしてその瞳に別れの聖なる光が灯る
乙女達の青白い額は彼らの棺を飾る白布
物言わぬ心の優しさは彼らへの供花
そしてゆるやかな夕暮れが彼らに暗闇の帳を降ろす

軍服に身を包み、戦場へと向かうオーウェンは、キーツの詩集を静かに床に置いた。大雨の中、来る日も来る日も塹壕を掘り続ける。夜の塹壕。兵士達は思い思いのことをして過ごす。泣く者、眠る者、タバコを吸う者…。オーウェンはノートに詩を書き続けている。

ラッパの音が響き渡る
ラッパが答えた
聞くも悲しきその響き
ラッパが歌った
少年達の声が川岸を流れていった
彼らは安らかな眠りにつき
夕闇は悲しみのうちに取り残された
そして来る朝の影が人々の上に覆いかかる
ラッパが響いた
かつての失望の声はすでにやみ
来る朝の影に頭を垂れた
そして眠った

看護婦が、病室からあふれるほどに収容された傷病兵たちを見舞っている。皆傷つき、怯えている。悪夢にうなされ眠れず、彼女に子供のように身を摺り寄せる者もいる。一方オーウェンも、夜の塹壕で仲間達の様子を見て廻る。泥まみれで、皆で身を寄せ合うように眠る兵士達。その表情には不安がよぎり、疲労の色が濃い。
看護婦の顔に光が差したと思うと、壊れた病院の窓から子供が顔をのぞかせた。彼はいさましく太鼓を叩いている。たちまち病院に舞台が設置され、踊り子による派手で猥雑なショーが始まった。子供はふんぞり返って舞台まで行進する。疲れ切った兵士達も、一時傷を忘れて楽しそうに舞台に見入っている。看護婦達も、連日の重労働を忘れて目隠し鬼をして遊ぶ。…ほんの一時のなぐさめであっても。

我らは戦場で親しげに死へと歩み寄った
そしてともに腰を下ろし穏やかに食事をし
死が食べこぼす飯粒を我が手に受けた
死の青臭い息を吸い込んで
目には涙をたたえていたが我らの勇気は平穏だった
死が銃弾と榴散弾を我らに浴びせかけたとき
我らは死に合わせて高らかに歌った
死が大がまをふるうとき我らは口笛を吹いた
死は決して我らの敵ではなかった
供に笑う仲間だった
誰も死に逆らう者はなく
供に笑う仲間だった
より大きな戦争の到来を我らは知っていたのだ
戦士たちは誇り高く死と戦っている
命のため…人類のためでなく旗のためでもなく

オーウェンは作戦地図を前にして、ノートに詩を書き続けている。戦いのときが近づいている。最前線の兵士達は手に手に武器を持つ。仮眠をとる者、ひげを剃る者、服を整える者…。病院の看護婦達も来るべきそのときに備えて、包帯や薬の準備に余念がない。誰の顔にも、緊張と不安が浮かんでいる。
看護婦はオーウェンから送られてきた手紙を食い入るように読んでいる。彼はまだ無事だ。安堵から思わず笑みをこぼす彼女。集まってきた看護婦仲間に、手紙を読んで聞かせていたが、そこへ急遽重症の兵士が運び込まれてきた。全身泥まみれで、体中から血を流している。塹壕から運ばれてきたらしい。やがて彼は黒い血の固まりを吐き出した。その傷は、最前線での戦闘のすさまじさを物語っている。砲弾が飛び交い、兵士のすぐそばで爆発が起こる…。

汝の黒く長い腕がゆっくりと高らかに伸びてゆく
天に向けて聳え立つ巨砲は今まさに呪いの言葉を吐かんとしている
それは傲慢さにあふれ汝を傷つけんとする
さあ打ち砕くのだ
罪がこれ以上積み重ならないうちに
だが汝のかける呪いがあまねく及ぶものならば
汝に神の呪いあれ
そして我らの魂から汝を切り離したまえ
この日こそは怒りの日
天も地も灰に帰すべき日なり
ダビデとシビラの予言の通りに…

打ち捨てられた戦場で、雪をかぶったピアノを一心に弾く英国兵士。無人の建物から出てきた一人のドイツ兵(ビーン)が、その様子を見つめている。オーウェンは寒さに震えながら、砲弾の番をしている。ドイツ兵はふといたずら心を起こして、英国兵に雪玉を投げつけた。ぶつけられた英国兵が笑いながら仕返しをしようとしたとき、あわてたオーウェンが放った弾がドイツ兵の手に命中した。逆上した彼は、心配して様子を見に来た英国兵にナイフを突き立てる。彼は、あっという間もなく有刺鉄線の上で絶命した。オーウェンは駆け寄り、ドイツ兵に殴りかかる。亡くなったのは彼の友人だ。怒りに任せ、ドイツ兵を殺すオーウェン。ドイツ兵は錆付いたラッパを手にしたまま、息絶えた。亡くなった英国兵も、ドイツ兵も、オーウェン自身の脳裏にも、母親のイメージがひらめく。

神よ彼をあわれみたまえ
彼を運び出し日の光にあてるのだ
すると太陽の感触が彼を目覚めさせた
故郷では種まき前の畑が
彼に朝を告げていた
フランスに赴いてあるときもいつも同じだった
だがこの雪の朝ばかりは違っていた
もはや何が彼を目覚めさせるのであろうか
恵み深い太陽のみが知るばかり
その日こそは涙の日
いかにして種子が芽吹くかを考えるが良い
かつてその土は
冷たい星のようであった
それが温かみを取り戻して手足となり
神経が行き渡ってわき腹となるのだろうか
隅々まで神経が行き渡った肉体に
いったい土が大きく育つということは
つまりはこのためであったのか
罪を犯しし者を裁かんがため
おおいったい何がそうさせたのであろうか
おめでたい太陽に汗を流して働かせ
大地の眠りを覚めさせたのであろうか

友人のなきがらを前に涙に暮れ、血に染まった雪玉を握りつぶすオーウェン。救護班が到着し、友人のなきがらを連れて帰った。“心優しきイエスよ、彼らに安息を与えたまえ”
英国兵のなきがらを棺に納める老いた兵士達。さながら、イエスのなきがらを涙ながらに見送り守った使徒たちのようだ。

戦火に焼かれ、爆弾に破壊された街のイメージがスクリーンを満たす。

戦場に戻ったオーウェンは、アブラハムとその息子の逸話に思いを馳せる。妄想の中で、病的な白化粧を施したオーウェンは息子イサクに扮している。父アブラハム(テリー)も醜悪な化粧顔だ。

かくてアブラハムは薪を割り
火と刃物とを携えて出かけた
彼が息子と逗留していると
息子イサクは父に向かってこう言った
“父上、儀式のための支度を見てください”
“火と刃物の準備はできました”
“焼き尽くす捧げ物の子羊はどこでしょう?”
するとアブラハムは息子を縛り上げた
帯と皮ひもで
そしてそこに垣を作って溝を掘り
息子に刃物をかざし殺そうとした…

歌の通りに妄想劇は進んでいく。瓦礫と化した建物に囲まれた空き地で、アブラハムは息子イサクを縛り上げて寝台に横たわらせ、剃刀を手にする。建物には、これも同じく醜怪な化粧姿の物見高い老人達が、葉巻をふかしながらこのショーを見守っている。

そのときである
天使の呼び声がした
天より出でしその声がこう告げた
“若者に手をかけてはならぬ、危害を加えてもならぬ”
見よ牡羊を
茂みには角をからませた牡羊が1匹
すなわちこれが若者の代わりとして
神に召しだされたのである
だが老いた父はこれを潔しとせず
自分の息子を殺害した
すなわちヨーロッパの子孫の半ばを殺したのだ
1人ずつ自分の手で殺していった
主よ供犠と祈りとをささげ称え奉る
彼らの魂のために納めたまえ
今日のこの日を碑とするその魂のため
そして彼らを死から生へと甦らせたまえ
それこそがアブラハムに約束したまいしこと
アブラハムとその子孫に神が約束したまいしこと

天使の扮装をした子供が寝台によじのぼり、アブラハムに向かって手をかざす。アブラハムは大仰に驚いてみせたが、すぐ子供を追い立てて、その尻をたたいて舞台から追い出してしまった。そして改めて、周囲の観客に剃刀を掲げて見せ、イサクの喉を一文字にかき切った。やんやの喝采を浴びせる観客達。アブラハムは満足げに、観客に向かって血まみれの自分の手で十字を切るのだった。
英国軍の行進の映像が映し出される。多くの名もない兵士達が行く。…延々と並ぶ墓。粗末な木の十字架には、ただ『英国人兵士』とだけ彫られている。

マグダラのマリアが髪を結っている。寒々とした階段に一人腰掛けて、うつろなまなざしのマリア。“聖なるかな…主の栄光天に地に満つ…御名によって来る者に祝福あれ…”
神を称える合唱が流れる中、マリアは暗い表情で涙を流す。この戦場の地獄に、果たして神の力は及ぶのだろうか。マリアの表情は諦めにも見える。両手で顔を覆って、泣き崩れるマリア。

第 1次世界大戦において活躍した騎馬部隊が川を渡り、戦場を駆ける。それから戦車が火を噴く映像が。時代は馬車や、馬の時代から戦車の時代へと突入するのだ。多くのドイツ兵が行進する脇を、捕虜となった連合軍の兵士達が、着の身着のままで歩く。ユニオンジャックが広場から下ろされる。炎が街を覆いつくし、街は廃墟と化す。

爆撃でできた道の裂け目で
絞め殺されることがあるだろうか
この戦争により
主もまた手足を失いたもうた
けれどその使徒たちは
主のそばを離れその身を隠す
そしていまや兵士達が主と共に耐える
この世の罪を除きたまう神の子羊よ
彼らに安息を与えたまえ
ゴルゴダの丘を散策する多くの司祭たち
その表情には誇りが見える
それはキリストを否定した敵によって
肉体を傷つけられたという誇りである
この世の罪を除きたまう神の子羊よ
人類の記録者たちは
国家への忠誠を声高に叫ぶ
だがより大きな愛を望み
その大いなる愛を愛する者たちは
生命を投げ打つことをいとわず
憎しみの感情さえ心に抱きはしない
我らに平和を与えたまえ

塹壕で泥にまみれるマリア。彼女は有刺鉄線でできたイエスの冠を取り上げる。兵士はオーウェンのなきがらを抱きかかえている。彼は目を見開いたまま、息絶えている。マリアが掲げた冠を仰ぎ見るように宙を見ていた兵士は、オーウェンの遺体を運び出していった。

世界大戦後も、世界中からは紛争が絶えなかった。朝鮮戦争、ベトナム戦争、カンボジアの内戦、アフガニスタン侵攻、フォークランド紛争、アフリカの民族紛争、イラク戦争…。それら悲惨な戦場の様子を、貴重なドキュメントフィルムで振り返っていく。
積み上げられるしゃれこうべの山、身体に無数の銃弾を食らう兵士。血まみれの仲間を運び出す兵士達。頭が割られ、腹が裂け、内臓が飛び出していても、死は容易には訪れない。腕が取れた遺体。下半身だけしか残っていない遺体。黒焦げの炭化した遺体。もう収容しきれないそれらの死体を後にして、兵士達はひたすら進んでいく。その先に敵がいる限り。

主よ我を解き放ちたまえ
永遠の死より解放したまえ
かの恐ろしき日
神が火によってこの世を裁きたまうとき

子供達が戦争ごっこに興じる姿。それに重なるようにライフルを手に突撃する兵士達、火炎放射器で村を焼き払う者。機関銃を乱射し、戦車が火を噴く。ミサイルが連射される。爆撃機がミサイルを搭載して飛び立っていく。

主よ我を解き放ちたまえ
尋問と怒りの前に我恐れおののかん
この日こそは怒りの日
災いと不幸の日なり
大いなる嘆きの日なり

プロペラ機がステルス機に替わり、砲台がミサイルに取って代わる。でも遺体は延々と増え続け、家族を失った子供が泣き崩れる。その光景は、時代が移り変わっても、いささかも変わることはない。フィルムがモノクロからカラーに変わっても、同じ光景が繰り返されるばかりなのだ。そして最終兵器…原爆が、この地球上で爆発する。その忌まわしい爆弾は、すでに死体すら後に残さない。

オーウェンは、たいまつを手に、暗いトンネルの中に迷い込んだ。中には大勢の老若男女が眠っている。傷を受けたのか、うめき苦しむ者もいる。と、突然その中の一人が跳ね起き、オーウェンをじっと見つめた。彼も頭に傷を受けた兵士のようであった。埃だらけの顔でオーウェンを見据え、苦しげに片手を挙げる。二人は心の中で会話する。
泣き崩れる兵士は語る。“見ろ、ここには絶望しかないんだ”
オーウェンも語りかける。“私はかつて世界中を旅したんだ。母の元を離れ、美を求めて…。私の作ったささやかな詩は、人を楽しませたかもしれない。が、それも意味のないことだよ。そこには真実が、戦争が搾り出すおおいなる悲しみが、なにひとつ語られていないから。我々の殺戮劇に人々は満足するだろうさ。あるいは満足せず、さらに血をたぎらせるだろう。彼らは雌虎のごとくに荒々しく、国民が進歩を止めても隊列を乱すことはない。そして世界が退却するのを見ることもない。世界が城壁のない無意味な砦へと退却する様もね。おびただしい血が戦場にあふれ、その血のぬかるみに戦車は足をとられてしまう。そのときこそ私は地上に上がってゆき、清らかな泉の水で彼らを洗ってやろうと思う。たとえ我々が戦争のために、どんなに泉の底深く沈められていようとも。たとえ我々が静められたその泉の水が、どんなに甘くふくよかであろうとも”

兵士は、泥水の中から突撃を告げるラッパを拾い上げ、吹く。雨の降る中、泥まみれの兵士達が、その様子を見守っている。泥水で顔を清める彼ら。

オーウェンは、さらに兵士に語る。“友よ、私は君がその手で殺した敵なのだよ。この暗闇にいてもすぐに君だと気づいた。昨日、君が私を剣で突いて殺したときも、今のように眉をひそめていたね”

兵士は身を清められ、美しい花輪を手に持っている。そして、十字架を捧げ持つ兵士達の中をゆっくり進み、暗い坑道の中の玉座に座るキリスト (ティール)の前に進み出た。キリストは、かつてドイツ兵によって刺殺されたオーウェンの友人と同じ顔をしている。玉座のたもとに花を供え、使徒たちと共に頭を垂れて祈る兵士。

さあもう眠ろう
汝が天へと向かうとき
天使の御導きあれ
さあもう眠ろう
汝が天へと至るとき、殉教者が出迎えん
聖なる都エルサレムへと汝を導きたまえ
天使の合唱が汝を迎え入れん
汝に永遠の安息を与えたまえ
平穏のうちに彼らを憩わせたまえ
アーメン

娘は、誰もいない石の寝台の上にろうそくを1本供えた。かつて兵士達の遺体を何度となくのせた、冷たい台だ。彼女は何度もそれを振り返りながら、名残惜しげに扉を閉め、廃墟と化した外へと出て行くのだった。

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2004-04-23

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第1次世界大戦中の戦場で、兵士の身でありながら激しい反戦の詩を書き続けたオーウェン。その詩に触発され、二度と再び世界が戦禍にまみれることのないよう、祈りと警告を込めて1960年代に「ウォー・レクイエム」を書き上げた、作曲家ブリテン。自身はエイズウィルスと戦いながら、「ウォー・レクイエム」に新たな意味を付加して、1990年代に向けそれを復活させた映画作家ジャーマン。
何十年もの年月を経て蘇った「ウォー・レクイエム」から、現代の私たちはなにを読み取るべきでしょうか。時代が移り変わっても、いまだ戦火が消えることのない現在の世界情勢に憤りを感じるか。そもそも戦争が起こる要因について、考えをめぐらせるか。
よく考えれば、戦争とは、人と人との諍いが国家規模になったものです。諍いがなぜ起こるかを突き詰めれば、お互いに違う存在であるため、相手に対しての知識がなく理解できないから。未知の存在だから怖い。恐ろしいから攻撃する。これは人間いえ、動物の本能ですよね。
冒頭にあげたジャーマンの言葉のように、ブリテンが「ウォー・レクイエム」に込めた戦争への憎しみは、そのまま、今の社会に暮らす人々の間に蔓延する差別意識―“自分とは異質のもの”への無知と恐れが原因の―に対する憎しみにつながります。
結局マジョリティは、根拠のない安心感を得るためだけに、自分達と異なる者たちをマイノリティへと追いやり、排除しようとするわけです。肌の色や目の色が異なるから、あるいは同性を愛するから…等々の理由で、排除されようとしている人たち。ジャーマンは、ゲイとしてマイノリティに属する自分を充分意識し、明らかにそのマジョリティ論理に恐怖を抱いていたと思います。
折りしも、ジャーマンがこの作品を撮っていた頃は、エイズ禍がゲイの人々を襲った時代でした。この頃エイズは、その発症のしくみなどが今ほど解明されていなかったのですね。はじめゲイの間で広まった病気であるために、『ゲイ・キャンサー』と呼ばれ、キリスト教の道徳観のせいでただでさえ差別される運命にあるゲイが、ますます忌み嫌われてしまったわけです。マジョリティからのゲイ・バッシングはすさまじく、ゲイの人たちにとってはまさしく戦争といっても過言ではなかったでしょう。
もしブリテンがエイズ受難の時代に生きていたら(彼は 1976年に死去した)、彼のリスクを恐れぬ激しい性格から、きっと彼はバッシングを行う人々への反論的作品を作ったでしょうね。ジャーマンはおそらくそれを想定しながら、新しい意味づけ―差別を行う者、自分はマジョリティだと勘違いしている多くの大衆への怒り―を行って、「ウォー・レクイエム」という映像を作り上げていったのだと思います。
はじめスウィントンは、オーウェンを見守る看護婦として現れます。しかし彼女は劇中で、マリアのイメージも演じ、最後には死せる兵士達の魂を墓の中へ見送る役目を担います。つまり、キリストを看取ったように、なすすべもなく死んでいく兵士達を看取り、その死を嘆く存在ですね。彼女を通じて、観客も無慈悲な戦争に怒りを覚えるわけです。
また、オーウェンは戦場の実態を伝える語り部であります。彼の目に映り詩に記録されていくものが、俳優達によって、あるいは実際に大英博物館に残るドキュメントフィルムの映像によって再現されていきます。
ストーリーは、オーウェンが戦場に出て亡くなるまでを描いているのですが、その間にはジャーマンの感性によって作られたイメージ映像が挟まれています。多くは子供達が無邪気に遊ぶ様子と、子供が母親とたわむれる様。それが現実の戦場を映す凄惨なフィルム映像と対を成し、よりいっそう戦争の恐ろしさを観客に伝えることになるのですね。
ストーリーの山場の一つは、オーウェンの友人がドイツ兵に殺害され、オーウェンが仇を討つところでしょうか。敵同士であっても心を通い合わせかけた友人とドイツ兵が、ちょっとした運命の行き違いで殺しあってしまう皮肉。友人は後にキリストに姿を借りて復活します。ドイツ兵は、死の坑道でオーウェンが出会った、自分を殺した敵兵として再び姿を現します。頭に傷を負い、彼もまた死んでいった魂なのですね。彼は花をキリストのもとに捧げ、許しを請うように祈ります。まるで、あの雪の日にナイフを抜いたことを後悔しているようにも見えます。ドイツ兵は、キリストを裏切ったというユダのメタファーなのでしょうか。
こうして、オーウェン、友人、ドイツ兵は、死の世界で再びあいま見えました。合唱は、彼らの魂が天に召されることを祈る歌で締めくくられていますが、果たしてそれは叶ったのでしょうか。兵士達の墓の扉を閉める娘の目の暗さに、戦場で命を落とす人々が絶えない世界の未来が映し出されているように思えてなりません。
そして、ナイジェル・テリーがアブラハムを演じる“神の子羊”のくだり。一見すると、作品のテーマから少しずれているように感じるのですが、今回映画を観直してみて、やはりブリテンやジャーマンにとっては必要な表現であったことがわかりました。
ただ残酷にしか感じられないアブラハムの行動は、戦争を起こし、戦場に多くの血を流すことを要求する国家と同じです。国民に多大な犠牲を強いて、戦争に邁進する国家の求めるものはなんなのか。その見返りが、さらなる多くの血であるとしたら、アブラハムの行動が到底許されないものであるのと同様に、国家の罪は許されるべきではないでしょう。アブラハム(戦争を起こすもの)と、その一挙一動に歓声を送る観客(戦争に加担するもの。他者に差別を行う者に通ず)が、ことさら醜悪なメイクで表現されているのもわかる気がします。まあ、ゲイであったブリテンとジャーマンは、ゲイを否定するキリスト教の抱える矛盾をアブラハムになぞらえて皮肉りたかったのかもしれませんが。

結局、忌むべきは戦争そのものなのか、それともその遠因となる人間の差別意識なのか。混沌とした世界に住む私達には、いまやその判断すら難しい状況に置かれてしまっているのです。

画像

今作は、ベンジャミン・ブリテンが渾身の力で生み出した音楽と、デレク・ジャーマン監督の魂の叫びである壮絶な映像が融合した、他に例を見ない映像詩です。ブリテンが作品に込めた反戦の意志は、人間の抱える本当の意味での原罪を、宗教の欺瞞を超えてマイノリティの立場から追及するジャーマン一流の風刺精神によって、今も尚その輝きを失っていません。

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