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zoom RSS アメリカの幼年期の終わり−「ジェシー・ジェームズの暗殺」Part2

<<   作成日時 : 2014/07/01 17:08   >>

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「ジェシー・ジェームズの暗殺 The Assassination of Jesse James by the Coward Robert Ford」の主人公は暗殺者ロバート・フォードである。彼の心理の変化を追うことで、アンタッチャブルな伝説ジェシー・ジェームズの真の姿を解析している。それはとりもなおさず、アメリカの原風景たる西部のイノセンスが、いかにして終焉を迎えたのかを知ることにもなるのだ。


“卑怯者”ロバートの哀しみと、アメリカの幼年期の終わり。


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「ジェシー・ジェームズの暗殺 The Assassination of Jesse James by the Coward Robert Ford」(2007年製作)
監督:アンドリュー・ドミニク
製作:ブラッド・ピット&リドリー・スコット他。
製作総指揮:ブラッド・グレイ&トニー・スコット他。
原作:ロン・ハンセン「ジェシー・ジェームズの暗殺」(集英社)
脚本:アンドリュー・ドミニク
撮影:ロジャー・ディーキンス
衣装デザイン:パトリシア・ノリス
編集:ディラン・ティチェナー&カーティス・クレイトン
音楽:ニック・ケイヴ&ウォーレン・エリス
ナレーション:ヒュー・ロス
出演:ブラッド・ピット(ジェシー・ジェームズ)
ケイシー・アフレック(ロバート・フォード)
サム・シェパード(フランク・ジェームズ)
メアリー=ルイーズ・パーカー(ジー・ジェームズ)
ジェレミー・レナー(ウッド・ハイト)
ポール・シュナイダー(ディック・リディル)
ズーイー・デシャネル(ドロシー)
サム・ロックウェル(チャーリー・フォード)
ギャレット・ディラハント(エド・ミラー)
アリソン・エリオット(マーサ・ボルトン)
マイケル・パークス(ヘンリー・クレイグ)
テッド・レヴィン(ティンバーレイク保安官)
カイリン・シー(サラー・ハイト)
マイケル・コープマン(エドワード・オケリー)他。

ジェシー・ジェームズは、南北戦争後、元南部派兵士であった仲間を率いて、銀行や列車強盗、殺人など無法の限りを尽くしていた。しかし皮肉なことに、北部側の政府の圧政に苦しむ南部州民は、彼を権力への抵抗の象徴とみなす。
最初の強盗から15年経った1881年。生きながら伝説と化したジェシーは、そんな名声を見えない足枷のように感じ始めていた。完治しない胸と背中の古傷は膿み、左手の中指は中ほどから切断され、警察と私立探偵の捜査網から逃げ続ける生活の繰り返しで、いつしか深刻な不眠症を患うまでになってしまった。まだ 34歳であるにもかかわらず、その顔は青ざめ、目じりには癒しようのない疲労が色濃く浮んでいる。不眠のため目は赤く充血し、辺りに野犬が潜んでいないか見張るように、たえずいらだたしげに瞬きを繰り返す。満身創痍のジェシー・ジェームズとその兄フランク・ジェームズは、15年の間に多くの仲間を失ってしまった。そして今夜決行する列車強盗を最後の犯罪にするべく、ミズーリ州グレンデイル近郊のならず者たちをかき集めたのだ。その中に、小柄でおどおどした表情の19歳の少年が混じっていた。少年は自らをロバート・フォードと名乗り、先にジェームズ一味に仲間入りしていた兄チャーリーを頼ってきたのだ。ロバートは、最初フランクに必死に自分を売り込む。弟ジェシーと違って慎重な性格のフランクが、一味の犯罪の計画を立ててることを知っていたのだ。ロバートはジェームズ兄弟に関するあらゆる新聞記事、伝記、三文小説の類を読み漁り、彼らのことなら何でも知っていた。また特にジェシーの方を神のごとくに崇拝していた。フランクは、ロバートの人の顔色を絶えず伺うような卑屈な態度や、意味のない虚勢を張る姿勢に不愉快なものを感じ、相手にしなかった。だがジェシーは、ペットを飼うような気まぐれで、面白がってロバートを一味に加える。

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夜が更け、待ち構える一味の前に金庫を搭載した列車がやってくる。覆面で顔を隠した彼らは首尾よく列車を襲うが、上がりはわずかであった。しかも金庫番の青年は、丸腰であるにもかかわらず堂々と強盗団に立ち向かい、ジェシーをいたく不機嫌にしてしまう。一味は追っ手をかわして逃げおおせると、それぞれ各地に散らばって潜伏することになった。フランクは強盗稼業からの引退を決意し、引き止める弟を振り切って家族を連れて遠い地に向かった。ジェシーの従弟で古株のメンバー、ウッド・ハイトと、同じく古参のメンバーで女たらしのディック・リディルは、チャーリーの姉マーサの切り盛りする農場にかくまわれた。ジェシーは、従来通り家族を別の街に移すため、荷物運びと妻ジーの手伝いをさせる下男代わりにロバートを雇った。ロバートは、他の連中を差し置いて自分だけがジェシーのそばにいられる特権を得たことに有頂天になる。自分をバカにする他の仲間達に対しても鼻高々だ。
ロバートはジェシーの新しい家でしばらく下働きをして過ごした。またジェシーが外出する際には、彼を助手代わりに連れ歩いた。ジェシーはトマス・ハワードという偽名を使い、農場主と偽って街の社交界にも出入りしていた。ジェシーと一緒に行動するとき、ロバートは彼の全てを目に焼き付けるべく仔細に観察した。表情、しゃべり方、癖、行動パターン。彼が家族には自分の稼業を明かさず、また本名すら知らせていないことに驚き、彼自身、既に満身創痍で心身ともにボロボロの状態であることに密かに落胆する。豪胆、壮健、颯爽とした義賊という伝説の中でのジェシーのイメージは実は作られたものであったことにロバートが気づくのに、たいした時間はかからなかった。ジェシーもまた、ロバートの心変わりを鋭敏に察知し、その忠誠心を試すかのような言葉を投げかける。
「お前は俺のようになりたいのか、それとも俺自身になりたいのか?」
ジェシー一家がその地を後にする直前、ロバートはまるで放り出されるように実家へ戻された。ロバートが姉マーサの農家に辿り着くと、そこで待っていたチャーリーやウッドたちから、それみたことかと以前以上に酷くからかわれる。ジェシーが行き先を知らせずに姿を消した直後、グレンデイル列車強盗に加わった一味のうち4名が逮捕された。残された者達も追っ手をかく乱するため、それぞれに行動する。女に手が早いディックは、マーサやマーサの娘にまで色目を使い始めたこともあって、ウッドの実家に連れて行かれることになった。ウッドの父親は裕福な退役軍人で、年若く色っぽい女サラーを後妻に迎えていた。実はウッド自身もサラーに気があり、名うてのディックに先を越されないよう警戒していたが、まんまと獲物を掻っ攫われてしまう。
ジェシーの首にかけられた賞金が1万ドルになり、一味の新参者の中には彼の情報を警察に売ろうとする者が出始めた。それをジェシーの嗅覚が見逃すはずがなく、彼は噂を総合してかつての手下の中で裏切りに加担していそうな者を選び、自らそれらの下に出向いていった。小さな農場に1人きりで暮らしていたエド・ミラーは、ジェームズ一味の中では古参であったが、ジェシーを裏切った疑いがあった。ジェシーは殺意を漂わせながら彼を訪問し、彼を白状させようと心理的圧力をかける。次はディックだ。ジェシーは彼を罪人のように引っ立て、他の裏切り仲間を匿ったという、チャーリーとロバート兄弟の従弟の農場にやってくる。しかし肝心の人物は既に逃亡した後で、突如怒り狂ったジェシーはディックの目の前でまだ幼い従弟に手荒い暴行を働く。呆れたディックが止めなければ、ジェシーはそのまま少年を殺していただろう。結局、裏切りの黒幕を捜し当てることなく、精神的に疲れ果てたジェシーはそのまま馬を駆って家族の元に帰ってしまった。
怒りに震えるウッドがマーサの農場に現れる。しかもディックを殺すと息巻いている。サラーを横取りされたことで頭に血が上っていたのだ。異変に感づいたロバートがディックに知らせ、2人で銃を構える。果たして目をぎらつかせたウッドは、緊張で身体をこわばらせているロバートを完全に無視してディックを撃ち、留めの一発を構えた。そこでようやく事態を飲み込んだロバートが覚醒し、背後からウッドの脳天に弾を打ち込んだ。
ロバートを監獄入りから守るため、即死したウッドの遺体は森の奥深くに埋められた。これが深刻な事態であるのは、ウッドがジェシーの血縁にあたる唯一の人間であり、ジェームズ一味の中では最もジェシーの信頼の厚い男であることから明白だ。このことがジェシーに知れれば、彼は報復のためロバートを殺害するだろう。従ってフォード兄弟は、ウッドが死んだことを隠し通すことにする。だが、ある日唐突にそのジェシー本人の来訪を受けたフォード一家は、異常な殺気を漲らせつつ高笑いを繰り返す彼の様子にすくみあがってしまう。チャーリーはなんとかジェシーのご機嫌を取ろうと、ロバートのジェシーへの憧憬振りを面白おかしく話して聞かせるが、ウッドを殺した張本人であるロバート自身は、冷め切った態度でかつてのアイドルに対峙した。自分の父親がジェシーの父親と同じ牧師であること、またジェシーと同じように自分が青い瞳であること…。憧れのアイドルとの共通点を見つけては同化したいと願った子供っぽい気持ちは、今や残虐で非情な敵と化した男への憎しみに変わっていた。ジェシーは、ロバートのようなマヌケな手下を昔嬲り殺しにしたことがあると笑い、自分を殺せる人間はこの世にないと豪語した。そしてチャーリーを伴って自宅に連れ帰った。
ジェシーは、ロバートがウッドを殺したことに感づいている。このままではジェシーに殺される。ロバートは意を決して警察に駆け込んだ。ジェシーに関する情報を売り、彼を逮捕もしくは殺害するため警察の手引きをしようと画策したのだ。まず手始めに、マーサの農場にいたディックを逮捕させた。その後州知事は、ディックとロバートにジェシー逮捕のための協力を命ずる。そんな恐ろしい計画に加担したくないディックはその任をロバートに押し付け、結局ロバートが街の雑貨店で働きながらジェシーと接触するチャンスを待つことになった。

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ジェシーは、チャーリーを自分の従弟という名目で自宅に同居させながら、新たな銀行襲撃のプランを語った。散り散りになった手下たちの中から、気が利いて陽気なチャーリーを特に選んだのだと。そして裏切り者エドを背後から撃ったと告白した。改めてジェシーの恐ろしさが身に沁みたチャーリーは、たった2人きりではいかなジェシーとて銀行強盗はできないと訴える。性格はキレやすいが頭も切れる弟ロバートをぜひ仲間に加えるよう懇願、ジェシーは深い物思いにふけりながらそれを承諾した。
チャーリーとジェシーがロバートの働く店に姿を現した。ついに到来したチャンスに、ロバートは身を引き締める。かくしてロバートは再びジェシーの家に居候しながら、彼の右腕になれる時ではなく、今度はその寝首を掻くための時をうかがうのだった。ジェシーの妻ジーは、以前も今も常に夫に絡みつくような視線を向けているロバートが、本能的に嫌いだった。だが夫の意向とあれば仕方がない。ジェシーは周囲の人間には、時に陽気に振る舞い、また時にこの上なく優しく接し、かと思うとフォード兄弟の忠誠を試すような意地の悪い言葉を投げつけて、彼らを苦しめた。チャーリーは、いつジェシーにウソがばれて殺されるのかという緊張感と、只監視されるためだけに飼い殺しにされる不安感に、根を上げそうになる。銀行襲撃のプランなどはじめからありはしないのだ。ジェシーの目的は、陰で裏切りを働いているフォード兄弟がシッポを出す時を待つことのみ。ロバートもそれは百も承知であった。ジェシーは恐らく知っていただろう。彼がジェシーのまいた餌にまんまと食いついたのも、実は警察に内通していて、ジェシーの懐にもぐりこんでその首を獲るためであることを。チャーリーは、ジェシー打倒の野心を抱くロバートについていけないものを感じ、ジェシー側につくのかそれとも弟の側につくのか決めかねていた。ジェシーは恐ろしい男ではあったが、南部民の英雄だし、なんといっても友達だ。友情を裏切ることは彼の良心が許さないのだ。しかし、ジェシーとフォード兄弟の直接対決の時は迫っていた。お互いにお互いの腹の探り合いをし、またお互いの真意を悟りきっている状況では、どちらが先に行動を起こすかでそれぞれの生死を決するのだ。チャーリーにももう迷っている暇はない。ジェシーを殺さなければ、自分が死ぬのみだから。
1882年4月1日、何を思ったか、ジェシーがロバートに新品のコルト銃をプレゼントした。ロバートに辛く当り散らしたことへの侘びだと。ロバートは大喜びしたが、逃亡生活に疲れたとふと本心をもらすジェシーの憂鬱に、少しく良心が痛む。そして運命の4月3日が刻一刻と迫っていた…。

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この作品の演技で、ジェシー役ブラッド・ピットは2007年度ヴェネチア国際映画祭男優賞を受賞した。また160分の長きにわたって、ピットとがっぷり四つに組んで演技合戦を繰り広げたロバート役ケイシー・アフレックは、2007年度全米批評家協会賞助演男優賞を受賞している。先日結果が発表された2007年度ゴールデン・グローブ助演男優賞では、アフレックは残念ながら受賞を逃したが、彼はむしろ主演男優賞の部門でノミネートされるべきであったと思う。ことほど左様に、この作品がフォーカスしているのは、卑怯にもジェシーを背後から撃ち殺したロバートの深層心理なのである。尚アフレックは、2007年度放送映画批評家協会賞助演男優賞にもノミネートされている。

さて、作品はジェシーが殺された後も、なお30分あまりも続く。なぜかというに、これは暗殺者ロバートの内面を通じて、伝説のアウトローの実態を解析するテーマを持っているからだ。ロバートが“伝説”を暗殺した者として一躍有名になり、自身が望んだ通りの野心を満足させた後も、当の本人が社会からどのように抹殺されていったか、その悲惨な末路を最後まで見せることで、ジェシーがアメリカ人にとって、とりわけ南部の人々にとってどのような存在であったかを暗示している。引いては、アメリカ人がジェシーの姿に見い出しているものが、とりもなおさず今は亡きアメリカの原風景そのものであったことが理解できるのである。
ただ、だからこそ、ジェシー暗殺後のエピソード、歴史から抹殺されたロバート自身のエピソードをもっともっと綿密に追って欲しかったという不満も残る。映画は、160分という長尺のうちのほとんどを、ジェシーが殺されるまでのエピソードにあてている。映画のメインテーマであるはずの、数奇な運命を辿ったロバートの後半生に至っては、かなりの説明不足に陥ってしまっているのだ。この辺りの消化不良を解消するなら、ロン・ハンセンの原作をぜひ紐解いてみて欲しい。原作では、ロバートがアメリカ史からいかにして消えていったか、その詳細が明記されている。ハンセンの長年にわたる執念のリサーチの賜物である。今作は、ブラッド・ピットというビッグ・ネームが実現した企画であろうから、彼が扮するところのジェシーが殺害されるまでの経過の方がメインになってしまった。

ジェシーが晩年を迎えていた時期は、皮肉にもアメリカ社会が“現代”に向かって大きく変貌しようとしている時代であったことは前述した。この映画を観ていると、以下のようなアメリカ人の根源的な思想体系が浮かび上がってくる。ジェシーという古き良きアメリカ社会―才能と努力で以って自由のために戦い、かつ家族と隣人のために自己犠牲を厭わない生き方―が、ロバートに象徴される現代アメリカ社会―実を伴わない虚栄心や功名心ばかりが先行し、周囲を犠牲にしてでも己の欲望を満たそうとする自己愛に満ちた生き方―にとって代わられてしまったのだと。恐らく、この作品を観る多くのアメリカ人は、古き良きイノセンスの精神が、他でもない人間自身のエゴによって失われてしまったことを、今更のように嘆くだろう。あるいは、今まで歴史から抹殺されていたロバートという若者の屈折した心理の足跡を辿ることで、ジェシー伝説に現代的かつ普遍的な解釈を加えることができたと思うであろうか。そして、なぜ今、ピットはじめ製作陣がジェシー伝説を再構築する必要性にかられたのか、考えをめぐらせるだろう。
これは私の邪推に過ぎないが、こうした“アメリカの歴史の見直し”という内省的行為は、彼らアメリカ人の心の中にいつまでもわだかまっているはずの、9.11テロとイラク侵攻の与える痛みと翳りが大いに関係するのではないか。“正しいこと”と信じて疑わなかったアメリカの過去の歴史をもう一度紐解き、様々な観点からその真の姿を理解しようとあがく様は、なんだか痛々しささえ感じさせる。
もちろんそんな意図は製作陣にはなかったかもしれない。ピットは、大スターとして偶像化された自分自身と、過去の偶像であるジェシーを同一視する見方には不快感を隠さない。しかし本心では、自分の本当の姿を曲解されたまま神格化されたために、信じられないほどの弧絶感に苛まれ、最後は死をも望んでいたジェシーの心情には多大な共感を寄せていたと思われる。映画でも、晩年のジェシーがパラノイア気味に、周囲の人間に対し疑念の目を向けていたことが語られていた。その描写は容赦ない。ジェシーを“背後から”撃ったことで、歴史に残る卑怯者と罵倒されることになるロバート以上に、ジェシーの残虐性が明確に描かれるのだ。ジェシーは猜疑心の命ずるまま、かつての仲間エド・ミラーを確たる証拠もなしに裏切り者と決め付ける。そして、病身でなおかつ丸腰の状態のエドを、文字通り背中から撃ち殺すのだ。
ロバートの、そのような複雑なジェシーへの思い入れの変化は、上記ストーリーに盛り込んだ通りである。では一体ジェシーにとってロバートとはどんな存在だったのか。映画「モーツァルト」における天才モーツァルトと凡才サリエリの対比、あるいは映画「ルームメイト」における、アリーと彼女の全てを乗っ取ろうとしたヘディの対比、「チャプター27」における天才レノンと彼になりたかった暗殺者チャップマンの対比。似たような例はあるが、しかしロバートとジェシーの関係はこれらとは少し異なるように思う。ジェシー暗殺までの息詰まるシークエンスにおいて、ジェシーはロバートのたくらみを明らかに察知していたように描写されていた。つまりジェシーは、わかっていてロバートに殺されるのを待っていたのかもしれないのだ。
ジェシーはロバートに決して愛着など持たなかったが、それはロバートがジェシー自身に似すぎていたせいかもしれない。もっと言えば、ジェシーという人間像を全て飲み込んでいくロバートとは、ジェシーの姿を余すところなく映す鏡だったのだ。ジェシーは、ロバートという鏡に映る己の醜い姿を嫌悪していたのではないのか。しかしだからこそ、ジェシーはロバートをもう一度自分のそばに引き寄せた。“鏡よ鏡、そこに映るのは本当の私なの?”というわけだ。ジェシーは鏡の中に、囚われの身になった未来の自分を見、そして鏡は余りに長い間ジェシーを映し続けたので、ある日自分もジェシーになれるのではと錯覚した…。ジェシーを殺したのは、ロバートという鏡に映し出されたジェシー自身だったのかもしれない。

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カメラは、人物の表情の些細な変化をも見逃すまいと、最大限その顔に接近していく。疑心暗鬼に囚われる人間同士の腹の探りあい、命がけの駆け引きを至近距離で凝視するかのようだ。それによって、彼らの心理の細かい襞をスリリングに表出する作品となった。物語は原作に非常に忠実に、悠然と決して先を急ぐことなく、ジェシーとロバートの皮肉な運命を辿る。その殊更ゆったりとしたペースは、しかし散漫を招くことなく、不思議と弛緩する瞬間をも許さない。だだっぴろい西部の平原の荒涼とした灰色の光景に囚われ、行き場を失ってしまった男たちの悲劇を、もどかしいリズムの中に閉じ込めてみせたのだ。ただし、このスローペースは、恐らくこの作品の評価を二分する危険性も孕んでいる。核心をセリフで説明するといった愚を犯さず、おしゃべりに興じる人間や、恐怖し、嘆き、殺しあう人間を、時に間近で時に遠くから俯瞰するように捉える。観客が五感で感じるのは、広い空を流れていく雲、窓から差し込む日差しの中に雪のような塵が舞う様、無言で対峙する人間の背後に聞こえる街の喧騒、果てしなく広い原野に音もなく雪が舞う様、蹄の音、男たちの吐く息の白さ、草原が風にそよぐ音、静けさを突如切り裂くように響く銃の音、あるいは、彼方に沈む血のように赤い夕陽を1人ぽつねんと見つめるジェシーの背中の厳しさ、そういった背景の細部である。映画の中では、人物以上にこれらの細部が綿密に描かれ、雄弁に物語るのだ。テレンス・マリック監督の「地獄の逃避行」や「天国の日々」、アン・リー監督の「ブロークバック・マウンテン」などの作品と趣を同じにすると思っていただければよい。
役者は全員が好演だった。とりわけ深い印象なのは、ロバートに扮したケイシー・アフレック。彼が画面に登場した途端、不意に底知れない不気味さが漂うのだ。猫が喉を鳴らすようなまったりとした中西部訛りがそうさせるのか、ロバートの卑屈な立ち居振る舞いは、等しく観る者に苛立たしさと哀れみを掻き立てる。一生涯自分を正当化し虚勢を張り続けた彼が、晩年に出会った愛人ドロシーだけに真情を吐露するシーンは、彼同様不完全な存在の私たちに、覚えのある痛みを共有させるものであった。
ジェシーの魂と深く共鳴したピットの演技は、渇望と絶望、怒りと諦観の狭間を行ったり来たりする男をよく表していたと思う。本物のジェシーの容貌に似ている俳優は他にもいるだろうが、彼でなければ出せない独特のオーラをその演技に感じることができた。


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