House of M

アクセスカウンタ

zoom RSS 「ブロークバック・マウンテンBrokeback Mountain」からの情景とヒース。

<<   作成日時 : 2016/09/20 10:21   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

突出した才能に恵まれた美しい人間というのは、神に早く召されてしまうのでしょう。2016年、私たちは数多くの偉人、才人を喪いました。天寿を全うした人もいれば、早すぎる死の運命を受け入れざるを得なかった人も。しかし、早逝する人間というのは、他人とは違う何かを持っている場合が多いと思いますね。

2009年に突如この世を去ったヒース・レジャー Heath Ledgerも、神に愛された故に早めにその御許へ赴くことになりました。

〜〜〜〜〜2009年に書いた記事より〜〜〜〜〜

映画「ブロークバック・マウンテン Brokeback Mountain」や「ダークナイト The Dark Knight」に出演し、ジョーカーの役でオスカーも受賞したオーストラリア出身の俳優ヒース・レジャーが2009年1月22日(火)、ニューヨークの自宅で亡くなっているところを発見された。享年28歳。


「ブロークバック・マウンテン Brokeback Mountain」で、生涯でただ1人愛した男ジャックに先立たれ、彼の遺したシャツを独りぼっちで見つめて嗚咽にむせんでいたイニス。このイニスを演じて、俳優として演技開眼したのがヒース・レジャーです。なんとも悲しいことに、現実ではジャックを演じたジェイク・ギレンホールを置いて彼のほうが一足早く旅立ってしまいました。その打撃から時間が経過したとはいえ、彼の遺族、ファンの方々の心中をお察しすると、言葉になりません。改めて、ご冥福を心からお祈り申し上げます。

画像

彼は出演作「チョコレート Monster's Ball」(ハル・ベリー、ビリー・ボブ・ソーントン主演)の中で、自ら命を断ってしまう繊細な青年を演じていました。出番は少ないものの、鮮烈なイメージを受けたことを覚えております。しかし今にして思えばあまりにも不幸な符合のように感じられ、なおさら動揺してしまいます。また映画「ダークナイト The Dark Knight」では、まるで後の自分の運命に感づいていたかのような…、それゆえこれは己の集大成なのだとでも言いたげな、すさまじい演技を披露していました。実際に映画をご覧になり、呆気にとられた方も多かっただろうと思います。私も、“これは本当にヒース・レジャーなのか?”と首を捻りたくなるほどの化けっぷりでしたものね。…いや、何かが彼に憑依していたというべきなのか…。正直に申しあげて、私自身のこれまでのヒースの印象というのは、あまりはっきりした輪郭を持たないものでした。まだ若い俳優だったこともありますが、これからその個性が醸成されいていくのだろうと思っていたのですね。

画像

ヒース・レジャー Heath Ledger

1979年4月4日生まれ
2008年1月22日没
オーストラリア、パース出身

幼い頃から地元パースの劇団で活躍していたそうです。まずはオーストラリア映画の端役からキャリアをスタートし、青春映画への出演をいくつかこなします。
1999 年、ハリウッド製の、やはり青春映画「恋のからさわぎ」の主演で注目され、同郷の大スター、メル・ギブソンの息子に扮した「パトリオット」、ブライアン・ヘルゲランド監督の「ROCK YOU![ロック・ユー!]」での中世の騎士役で、若手スターの注目株となりました。その後のキャリアは順調で、国内未公開作(「ケリー・ザ・ギャング」)やお蔵入りになりかけた作品もあったりしましたが(「悪霊喰」)、主演作を連発しているのは大したもの。
2005年公開の「ブロークバック・マウンテン」では、周知の通りアカデミー賞にノミネートもされました。これで、単なる若手スターから演技派スターへの転向が成功し、演技の成熟へ向けて新たなスタートを切ったと誰もが思っていましたが…。私生活では、年上女優ナオミ・ワッツ(「ケリー・ザ・ギャング」で共演)とくっついたり離れたりを繰りかえしつつ、数名の女優と浮名を流していた時期があったようです。しかしそれも、「ブロークバック・マウンテン」が取り持った縁でミシェル・ウィリアムスとの間に女の子をもうけ(2005年)、いよいよ家庭に落ち着く準備が整った矢先、昨年彼女とは破局してしまいました。お互いに将来を嘱望された若手俳優であり、それぞれのキャリアを追及したいという事情もあったのか、破局理由は“仕事ですれ違うことが多すぎた”というものでした。

●フィルモグラフィー filmography

2008年「ダークナイト The Dark Knight」
2007年「アイム・ノット・ゼア I'm Not There」
2006年「キャンディ」
2005年「ブラザーズ・グリム」
2005年「ロード・オブ・ドッグタウン」
2005年「ブロークバック・マウンテン Brokeback Mountain」
2005年「カサノバ」
2003年「悪霊喰」
2003年「ケリー・ザ・ギャング」(未)
2002年「サハラに舞う羽根」
2001年「ROCK YOU![ロック・ユー!]」
2001年「チョコレート Monster's Ball」
2000年「パトリオット」
1999年「恋のからさわぎ」(未)
1999年「トゥー・ハンズ 銃弾のY字路」(未)
1997年「ブラックロック」(未)
1997年「ポーズ!おしゃべりパソコン犬危機一髪!」(未)

こうして出演作を俯瞰してみると、クセのある役柄を演じることが多かったようですね。本人の意向であったどうかは不明ですが、ストレートなヒーロー役というのはあまりないみたい。逆に、「ロード・オブ・ドッグタウン」での主人公3人組の兄貴分スキップとか、「キャンディ」でのヤク漬けダメ男ダンなど、“規格外”の男を演じると妙に生き生きする方でしたね。単なる想像ですけど、彼は私生活でも、浮き草のごとくあちらこちらと放浪するタイプの男だったのではないでしょうか。それはなにも女性相手に限ったことではなく、彼がきちんと結婚してしっかりと家庭を守って…という姿を、想像しづらいものがあるのですよね。まあ、でもこういうタイプの役者さんは、年をとってくると、それまでの放浪生活が芸の肥やしになる場合が多いです。ヒースも長生きしていれば、相当な演技者になったことでしょう。40代、50代と年齢を重ねた彼の演技を観てみたかったとしみじみ思います。スクリーンの中に残された彼の演技に触れることが、ファンの方々にとってはせめてもの慰撫となるでしょう。

「ブロークバック・マウンテン Brokeback Mountain」(2005年製作)
監督:アン・リー Ang Lee
製作:ダイアナ・オサナ&ジェームズ・シェイマス
原作:アニー・プルー「ブロークバック・マウンテン」
脚本:ラリー・マクマートリー&ダイアナ・オサナ
撮影:ロドリゴ・プリエト
音楽:グスターボ・サンタオラヤ Gustavo Santaolalla
出演:ヒース・レジャー(イニス・デル・マー)
ジェイク・ギレンホール(ジャック・ツイスト)
ミシェル・ウィリアムズ(アルマ)
アン・ハサウェイ(ラリーン・ニューサム)
ランディ・クエイド(ジョー・アギーレ)
リンダ・カーデリーニ(キャシー)
アンナ・ファリス(ラショーン・マローン)
スコット・マイケル・キャンベル(モンロー)
ケイト・マーラ(アルマ・Jr.)他。

1963年。アメリカはワイオミング州にある雄大なブロークバック・マウンテンの山並み。どこまでも広く高い空は冴え渡り、雲はあくまで白く浮かんでいる。手を伸ばせば掴めそうな気さえするようだ。アギーレの農牧場では、毎年季節労働者としてカウボーイを2人雇っている。大量の羊達を山で放牧するため、キャンプしながら羊の群れを監視する者が必要なのだ。もうすぐ幼馴染のアルマと結婚する予定のイニス・デルマーと、ロデオを得意とするジャック・ツイストは、この仕事で出会った。寡黙で自分の感情を決して表に出さないイニスと、天真爛漫で陽気なジャックはなかなか打ち解けあうまでには至らない。しかしそれでも彼らは、途方もないほど果てしない大自然の時間の中で力を合わせて働くうち、次第に言葉を交わすようになっていく。頑固な父親の影響であくまでもカウボーイとして生きていきたいイニスと、ロデオ選手のスターとなるのが夢のジャック。それぞれの人生の目標は異なるが、お互いに厳しい現実と戦う点では同じ。今や時代は、カウボーイやロデオスターなど必要としていないからだ。彼らは世間の中で居場所を見失いつつあった。共通の痛みが彼らを引き寄せたのか。理由は本人達にも分からない。ある冷え込んだ晩、寒さに震えながら見張りに立っていたイニスをテントに引き入れたジャックは、突如突き上げるような感情に身を任せた。イニスの服を剥ぎ取り、自らも裸になって彼を受け入れたのだ。

その後、彼らは自然の懐に抱かれつつ愛し合うようになった。その幸福は、季節労働が終り、2人が山を降りた後もずっと続いた。人目を忍ぶように密やかに、しかし狂おしく情熱的に。イニスはアルマと子供をもうけ、カウボーイとして農場で働いていた。生活は決して楽ではなかったが、地味ながらも穏やかな日々が流れる。ジャックはロデオ大会で出会った金持ち娘ラリーンと駆け落ち同然に結婚した。彼もまた息子に恵まれたが、もとよりどこの馬の骨とも知れぬジャックを毛嫌いするラリーンの両親は、何年たってもジャックを家族の一員として受け入れようとはしなかった。肩身の狭い思いに苦労しながら、ジャックはロデオの夢を諦め、新たにラリーンの両親の会社で働き始めたのだ。2人は、ともに別々の人生を歩んでいても、時折“古い友人”として再会する際には、あのころと同様に愛し合うのだった。だがアルマが偶然彼らの関係を知ってしまったことから、イニスは離婚を余儀なくされる。孤独をかこちながらも、決してジャックと同棲しようとしないイニスの煮えきらぬ態度に、ついに怒りを爆発させるジャック。2人の関係も、時間の経過、時代の変遷にしたがって徐々に崩壊し始めていたのだ。

彼らが出会って20年の月日が立っていたが、その関係はいまだ“年に数回ブロークバック・マウンテンで会う”に留まっていた。2人ともに年をとり、それぞれ若い頃抱いていた夢はとうに諦め、つまらぬ現実にうんざりし、愛情も冷めかけていく。それでも2人の間に打ち込まれた楔は容易には抜けない。ジャックはイニスとの愛が成就しないことに慟哭していた。そんなある日悲劇が起こる…。

画像

ジャックは何度イニスに裏切られても、やっぱり変わらずイニスを愛し続けていたんでしょうね。彼らの関係で何が一番不幸と言って、イニスがあまりに口下手であったことでしょう。もっと己の感情に素直に向き合い、ジャックへの思慕をきちんと言葉にして相手に伝えるべきだった。でもまあ、彼らが同性愛に目覚めた時代というのは、今以上に偏見と差別がひどかったわけです。こと田舎では、そういったものへの差別意識はすさまじかったに違いありません。イニスがジャックとの関係にいまひとつ積極的になれなかった気持ちも、わからないではないのです。しかし彼ら以上に哀れなのは、そんな男達の臆病さの犠牲になった女性たち。信じて結婚した男が誰にもいえぬ秘密を抱え、家族に対し背信行為を行っていたのですからね。この作品は、どこにでもありそうな家族が崩壊に至るまでの軌跡の物語ともいえるでしょう。

ブロークバック・マウンテン (集英社文庫(海外))
集英社
E・アニー・プルー

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ブロークバック・マウンテン (集英社文庫(海外)) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

原作はアニー・プルーの短編小説です。アン・リーによって映画化された本作は、その原作のテイストをかなり忠実に再現していますね。つまり、肝心の主役2人の感情表現であるとか、内面の掘り下げといった心理描写の面は案外少なく、代わりに雄大なワイオミングの大自然の光景が、折に触れて何度も活写されているのです。まるで、ブロークバック・マウンテンの神々しさの前では、人の生き死になど瑣末なことであるとでも言いたげ。観客に、圧倒的なまでに美しい映像の行間からにじみ出る“なにか”を読み取らせようとしているのでしょうか。人物のセリフも必要最小限、沈黙している時間の方が長い有様です。物語は寡黙なイニスに寄り添って展開しますから、自然とセリフより一瞬の表情の変化を追うかたちになっていきます。場面場面で人物が何を考えているか、映画はいちいち説明したりしません。これほどまでに、観客の判断に全てを委ねきった映画も珍しいのではないでしょうか。この物語を男性2人のラブストーリーと捉えるのか、家族の崩壊の物語と捉えるのか、あるいは時代に取り残され、現実から逃避した男たちの絶望の物語とみるのか。それは観る人によって様々だと思われます。イニス以上に寡黙な映画に対し、世界中の人々がなんらかの解答を見つけようと、非常に饒舌に解釈を施しているのも判る気がしますね。

ある意味ちょっととらえどころのない映画だとも思うのですが、鑑賞後は、心の奥にひっかかった小骨がいつまでも取れないような、なぜか不思議な余韻の残る作品ですね。その痛みの原因とはなんなのでしょう。思う通りの人生を歩めなかったことへの諦念が、壮大かつ緻密な映像の端々から立ち上るから?2人の男の恋愛が、実は人生の挫折から逃避するための言い訳にすぎないかもしれないという無力感を観客が感じてしまうから?おそらくその双方とも、誰もが多かれ少なかれ経験することだからでありましょう。

画像

この作品では、出演者は皆それぞれに好演しておりますが、中でも特に注目を集めたのが寡黙なイニスを演じたヒース・レジャーでしょうね。声のトーンを押さえ、喉の奥から搾り出すような低い声でもぐもぐとつぶやくその姿は、まさしく時代に取り残されたカウボーイの哀愁そのもの。天衣無縫なジャックを演じたジェイク・ギレンホールが、マッチョの代名詞たるカウボーイの奥に潜む繊細な一面を瑞々しく表現しているのと好対照ですね。出会った頃の彼らの溌剌とした若さと、年齢とともにそれぞれが夢や希望を何処かに置き忘れていく痛々しさが、実にわかりやすく描写されています。アン・リー監督の細部にこだわる演出と、彼らの演技のなせるワザだと思われますね。ただ、歳をとったときの彼らのメークがあまり自然ではなかったことが気にかかります。彼らの実年齢が透けて見えるようで、いまひとつストーリーの実感に欠けるというのか…。まあ些細なことではありますが。

極力抑えられたサントラを担当したのは、ニキ・カーロ監督の「スタンドアップ North Country」でも知られるグスターボ・サンタオラヤ Gustavo Santaolallaです。ギターのメランコリックな旋律が、男2人の不器用な生き様と愛情を代弁していて胸が痛くなりますね。映画がまったくの感傷に陥るぎりぎりのラインで踏みとどまるのを助ける役割も果たしているでしょう。映画のもう1つの主役ともいえる、雄大なブロークバック・マウンテン。その荘厳な姿を余すところなく画面に写し取ったのは、ロドリゴ・プリエト Rodrigo Prietoです。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「アモーレス・ぺロス Amores perros」「21グラム 21 Grams」「バベル Babel」、ジュリー・テイモア監督(他に「タイタス」)の「フリーダ」、スパイク・リー監督の「25時 25th Hour」、ベン・アフレック監督の「アルゴ Argo」(2012年)といった刺激的な作品でカメラを操り、非常に注目を集める先鋭的な才能の持ち主でしょう。

ブロークバック・マウンテン プレミアム・エディション [DVD]
ジェネオン エンタテインメント
2006-09-22

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ


…実はここまでは、2009年ヒースが急逝した際に書いた記事でした。

2009年に、4回に分けて記事をアップした「ダークナイト The Dark Knight」(2008年)も、何度か見直した後に記事を手直ししました。映画の内容に即した感想としては、ヒース=ジョーカーの役割は、やはりあくまでもバットマンの存在意義を明確にする以上のものではないと考えています。ジョーカー・ファンの皆さんには本当に申し訳ないのですが、私自身の考えは変わりません。しかし、カオスを演出する男ジョーカー Jokerに扮したヒースの“演技”の話になれば、それはまた別です。

一言で申し上げれば、“extraordinary”

それ以外、彼の演技を表現する方法を知りません。

ヒース=ジョーカーについては、いろいろな方がネット上で素晴らしい分析を試みられているので、今更ここでは繰り返しません。ただ、映画を観ていてふと思ったことがひとつ。ヒースは、ジョーカーという架空の人格を通じてあまりに本物の“カオス”に近づき過ぎた為に、この世を去ってしまうことになったのかなあ…と。突飛な考えですが、劇中の彼を観ていると、またその後の彼の身の上に起こったことを思うと、ついつい感傷的になってしまいますね。

人間というのは、本能的に秩序を求める生き物です。それが、人間と他の動物を分ける分岐点になっていると信じています。映画「ブラインドネス」を思い出してみてください。突然の変異によってパニックに陥った人類が、それでも混沌の中である一定の秩序を作り出し、生きのびようとする様子が描かれていました。例え、それが弱肉強食、支配・被支配といった野蛮なものであっても。結局人間というものは、完全なカオスの中では生きられないものなんですね。

ところが「ダークナイト」の中のジョーカーは、その“完全なカオス”を社会に現出しようと画策します。そして、その頂点に君臨しようとする…。当の本人は実はカオティックではないものの、カオスを演出し、自在に操ろうとして半ば成功するわけです。現実には、もちろんそんな人間はありえないのですが、例え演技といえど、ヒースはそんな危険な人格を身の内に取り込んでしまいました。“完全なカオス”は人間を滅ぼします。ひょっとしたら、類稀な演技者になるはずだったヒースも…。

画像

なあヒース。あんた何処に行っちゃったんだ。あんたみたいに若くて才能のある男が、どうしてそんなに早くに逝ってしまうんだ…。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
「ブロークバック・マウンテンBrokeback Mountain」からの情景とヒース。 House of M/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる